side 久瀬 萌花

 パタン、と玄関のドアが閉まりお兄ちゃんが出掛けて行った。


 それを見送ったわたしはそっと自分の頭に手を添えてみる。


(頭をポンって……今までのお兄ちゃんなら絶対やらなかったよね? 本当に我慢してた? じゃあ何で我慢するのを止めたの?)


 小さい頃は仲が良かったお兄ちゃんだけれど、大きくなるにつれて段々と私たちとは遊ばなくなり……話さなくなり……最近では御飯も別々になっていた。


 まだ小さい頃のわたしは悠璃ちゃんと2人で『寂しいね』『悲しいね』って話してもいたし、お母さんにも『お兄ちゃんはわたしたちの事が嫌いになっちゃったの?』なんて聞いたりもしていた……。



 そんなわたしも中学生になり……ようやく理解した。お兄ちゃんは男の人なんだって。

 そういえば周りの男の子たちはわたしたち……というよりクラスの女の子そのものを嫌っているようだったなぁ、と思い至る。

 そんな中でも、家では比較的優しかったお兄ちゃん……でもやっぱりダメなんだなぁって悠璃ちゃんと一緒に泣いた夜もある。


 でも、どんなに冷たくされてもわたしのお兄ちゃんだった。だからせめてこれ以上は嫌いにならないで欲しくて……わたしたちは出来るだけお兄ちゃんに迷惑をかけないように生活をすることにしていた。




 でも、今朝のおにいちゃんはまるで違って……いつもなら不意に顔をあわせてしまって挨拶をしても返事してくれないのに『おはよう』って、笑顔で……。


 お兄ちゃんの笑顔、久しぶりに見れた。思い出すと身体がぽかぽかとしてとってもいい気分だ。

 自分の頭に乗せていた手で耳を触ってみる、いつも通りわたしの耳だ。

 お風呂でも丁寧に洗っているし、汚れてはいないはず……だけれど、やっぱり触られるのは恥ずかしかったな……。


 ふにふにと触っていると、お兄ちゃんに撫でられた時の感触を思い出す……とても優しく、大きくて温かな掌で……。


「萌花ぁ? 玄関でなにやってるの?」


 不意に背後から悠璃ちゃんの声が聞こえた。もしかして見られていたかな?


「う、ううん何にも。お兄ちゃんが出掛けるって言うからお見送りしてただけだよ」


「ふぅん? ねぇ萌花、お兄ちゃん……どう思う?」


 悠璃ちゃんも気が付いている……それはそうだろう、今日のお兄ちゃんは昨日までと絶対違うんだから。


「うん……やっぱ変だよね? いつもしないことを平気でするし……まるで……」


 まるで昔のお兄ちゃんに戻ったみたい……。


「昔のお兄ちゃんみたいだよね」


「うん……どうしたんだろ? 我慢してたって言ってたけれど、なんで我慢するの止めたのかな?」


「うーん、お兄ちゃんの事だから寝起きにベッドから落ちて頭でも打ったんじゃない? それで昔の気持ちを思い出したとか……なんてね」


 あははっと笑いながら悠璃ちゃんはそう言うけれど……もしも頭を打ったのならそっちの方が心配だ。でも……。


「そうだとしたら、昔の気持ちって……?」


「んー? そりゃあたしたちのことがす……」


 そこまで口に出して、悠璃ちゃんは口をつぐんだ。そう、昔のお兄ちゃんの気持ち……。




――『わたしお兄ちゃんのお嫁さんー』

――『あたしもお嫁さんだよー』

――『ははっ、可愛いお嫁さんが2人もなんて嬉しいな! 悠璃ちゃんも萌花ちゃんも大好きだよー』


――『約束ねー、私も大好きー』

――『約束ー、大好きだよ、お兄ちゃん』




 そんな子供ならではの他愛のない約束……決して忘れることは無いわたしたちの大切な想い出。


 もし……もしもお兄ちゃんがその気持ちを取り戻したんだとしたら?

 もしもわたしたちと同じ気持ちを今、抱いてくれているんだとしたら?


 まるで夢のようで……でも現実はそうじゃないんだって諦めようとしてどうしても諦められずに……2人でずっと抱えてきた秘密の気持ち。


「ねぇ、悠璃ちゃん」


 わたしは1つの覚悟を決めて悠璃ちゃんへ声をかける。


「うん、萌花」


 わたしたちは双子。言葉にしなくても通じることだってある。


 確かめよう、もしもこの先に大好きなお兄ちゃんとの未来があるんだとしたら……わたしたちは絶対にそれを諦めない。


 お互いに見つめ合いこくりと頷く……そしてわたしたちは『あの日の約束』を果たすために行動を開始した。



――――



 とはいえ、お兄ちゃんも出かけているしすぐに何かが出来るわけでもない。

 わたしと悠璃ちゃんはいつも通り、お母さんが出掛けている間に家事を済ませていく……悠璃ちゃんは朝ご飯の食器を片付け始めたみたい。


 少し雲が広がってきているけれど、乾燥機もあるしお洗濯をしよう……そう思い、自分の洗濯物を運ぶ。

 ふと(お兄ちゃんのも洗ってあげようかな)という気持ちが沸き上がった。

 昨日までならそんな事思っても出来なかった、けれど今日のお兄ちゃんならもしかして褒めてくれるかも……喜んでくれると良いなぁ、そんな気持ちでお兄ちゃんの部屋のドアを念のためにノックする。


 当然返事は無いのでそのままドアを開けて中を覗き込んだ。


「お兄ちゃん、パジャマ洗うから入るよー」


 誰もいないのはわかっているけれど、やっぱりお兄ちゃんの部屋に無断で入るとなると緊張してしまいついつい声をかけてみる。


「居ないよねー、パジャマ持っていくからね……」


 ベッドの上へ脱いだまま置いたのであろうパジャマを手に取り、クルクルと丸めて両手で抱える……ふわっとお兄ちゃんの匂いが鼻をくすぐった。


(お兄ちゃんの……匂い……)


 耳としっぽを撫でられた時、確かな温もりと一緒に感じたそれ……あの時感じたしっぽの付け根まで痺れるような感覚がよみがえってくる……。


(ちょっとくらい……いいよね?)


 丸めていたパジャマにそっと顔を埋めてみた……まだそんなに時間がったっていないので、温もりまで残っている……そんな錯覚に襲われる。


 すぅ、すぅっと嗅いでいたわたしは我慢が出来なくなり……そのまま洗濯機がある脱衣所ではなく自分の部屋へと急ぎ足で戻った。


 部屋に入り……いつも抱えて寝ている大きな抱き枕に……お兄ちゃんのパジャマを着せた。

 そして抱き締めてみると、まるでお兄ちゃんに抱きついているかのように感じてしまい、そのままベッドへと転がる……。


「んぁ……ふぅ……お兄、ちゃんの……匂い……」


 腕も脚も絡めてぎゅうぅっと抱きつく……パタパタパタッとしっぽが布団を叩く音がする……けれど自分ではもう止めることは無理……もぅどうしようもないんだから。


「あぁ……んっ……お兄ちゃん、大好き……」



 悠璃ちゃんはお兄ちゃんが昔の気持ちを思い出したんじゃないかって言っていたけれど、それはわたしたちだって同じだ。


 もしかしたら諦めなくてもいいんじゃないか、そんな淡い期待を抱いてしまったわたしは……蓋をしても漏れ出してしまっていた気持ちをもう抑えることが出来なくなっていた……。



――――



 その後、雨が降り出した音に気が付くまでわたしはお兄ちゃんのパジャマを着せた抱き枕を離すことが出来なかった。

 


 洗濯物に水色の小さな布が1枚追加されたことは、悠璃ちゃんにも内緒にしておかなきゃ……。

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