参
丑三つ時が迫った頃、影を渡って侵入した御影中の旧校舎は、山小屋と大差ないボロっぷりだった。
暗い廊下の床をギシリギシリと軋ませる足音を、オレは教室に
灯りを手に教室へやってきた彼女の父親は、娘を見つけるなり歓喜して抱きついた。
「本当によかった、心配したんだぞ」
「ごめんね、お父さん」
彼女は作り笑いで謝ったが、感情が声に乗っていなかった。愛想を尽かしていたなら当然だ。
「それで、ここで着たい服っていうのは何だ? 色々持ってきたぞ」
持ち込んだでけえ手提げ鞄から、父親は服を色々取り出して並べ始めた。
その隙に、オレは相手の影へ移った。足元に置かれた灯り――懐中電灯とやらのおかげで、親子二人の影ははっきりと分離していた。
「たぶん、お父さんは持ってない服だと思うの」
「え?」
目だけが笑わない
「――死に
その言葉を合図に、人型のオレは影から抜け出て、父親の首を片手で床に押さえつけた。
「がはッ……!」
ギシリと軋んだのは木造の床か、顔を醜く歪ませて
「なんで、影を踏まれた奴が〈鬼〉になるんだと思う?」
答えなんて期待しちゃいないが、オレはあえて彼女にしたのと同じ問いを投げかけた。
「影に潜んだ鬼が、そいつの魂ごと喰っちまうからさ」
肘から下が黒く染め上がって変形した鬼の手が、父親の
断末魔を上げる暇もないまま、透明になった相手の血肉はオレの影を通じて〈糧〉に成り果てた。文字通り、跡形もなく。
ついでに、本人の服や荷物も全部影に取り込んで隠滅した。懐中電灯だけを残して。
――
予想通りのしょぼい味だったが、飢えを凌ぐ足しにはなった。殺してから喰うよりは、新鮮味があるだけマシだ。
「ありがとう、お兄さん」
父親から解放された彼女は、
「次はわたしの番だね」
「ああ。その前に、髪を切ってやろうか」
「え?」
「嫌いなんだろ、触られるの」
「……うん」
人型のときよりも長く鋭く伸びた漆黒の爪で、彼女の黒髪をバサリと切り落とした。人間の作業に比べりゃだいぶ雑だろうが、大体おかっぱの形にはなった。
髪に手をやって、彼女ははにかんだ。
「お父さんには、ずっと伸ばしておけって言われてたから。やっと軽くなった」
「そっか」
「これで、わたしもやっと怪談になれるんだね」
感極まって声を震わせる彼女の
「でもね、生きてるうちにやってみたかったことがあるの」
「へぇ、何だい?」
「御影中のみんなと、夏に百物語したかったなって」
「じゃあ、お嬢ちゃんの代わりにオレがやろうか」
「本当?」
「ああ。ここにも妖なり死霊なりがいるなら、そいつらの力を借りて生徒のふりくらいはできるだろ」
七不思議がある新校舎のほうにも、この旧校舎にも、人ならざるものの気配は確かに漂っていた。オレたちの出方を探っているのか、襲っては来なかったが。
「ただし、オレがその飯事をするのは、百物語が終わった時まで。ここの人間には絶対手を出さねえし、オレが生徒になってる間は自分の記憶を消す。終わったら元に戻ってこっちに帰るって約束する。どうだい?」
「うん、いいよ。お兄さんが人間のことも知ってくれるなら、もっとうれしい」
約束なんて曖昧な言葉を、自分が口にするとは思わなかったが。
それを果たしたくなる彼女の優しさや気丈さに、少なからず惹かれたんだろう。
「さよなら。また百物語しようね、お兄さん」
オレに喰われて影も形も無くなる瞬間まで、彼女は満足気に微笑んでいた。
躰を離れた彼女の魂がふわりと闇に浮かんで、教室を出て飛んで行った。
壊れた窓から吹き込んだ冬の夜風が、彼女の背を押すように流れた。
踏める影は、もうない。
滅多に味わえない美味に空腹が満たされるのを感じながら、オレは頭の中で繰り返した。彼女の創った怪談の筋書きを。
御影中の三年生だった女の子は、お父さんに苦しめられていました。
血のつながらないお父さんは、女の子を自分の思い通りの着せ替え人形にして遊んでいました。
お父さんから逃げようと、寒い冬の夕暮れに、女の子は裏山へ登りました。
その奥で偶然出会った鬼に、女の子は願いました。
自分とお父さんを食べてくれ、と。
女の子は、自分を捜すお父さんを、真夜中に呼び出しました。
御影中の旧校舎で着たい服がある、と。
旧校舎の暗い教室にやってきたお父さんは、鬼に食べられてしまいました。
そして、女の子も鬼に躰を食べてもらいました。
その後、女の子の魂は旧校舎に棲み続け、鬼の帰りを待っているのでした。
永遠に語られることのない怪談は、オレも生涯誰にも伝えない。
一生徒になっていた時でさえ、この話は思い出しもしなかった。
「お兄サんの百物語モ、わタし、モっと聴キたカった」
「これからだって語れるし聴けるだろ。次の百物語が始まるまでは二人で、な」
オレが戯れに髪を撫でても、今の彼女は嫌がらず甘えてくれる。
百物語参加者の中には、生徒のふりをしていたオレのことを、忘れない奴もいるかもしれない。
記憶に残ろうが残るまいが、それもいつかは怪談として生徒たちの間で語り継がれるだろうか。
七月下旬の夜、オレたちの物語はこうして幕を閉じた。
七不思議の七番目を知るのは、オレたちだけでいい。
七番目の影語り 蒼樹里緒 @aokirio
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