黄金色の夕暮れ

***

-ボーン、ボーン

 柱時計が鳴っていた。時刻は午後6時を回ったところだ。夕日が景色を照らしていた。茜色ではない。どちらかといえば金色、明るい金色に景色は照らされていた。

 私はその景色の中でぼうっとしていた。なにをするでもない。ただ、ゆったりと座って佇んでいた。

 ここは私の家の居間だった。私はそこで畳に座って、土壁に背を預けて座っているのだ。 そうして、外を見ていた。金色に色づいた外を。

 窓からは小さな庭、塀、そしてその向こうに田舎の景色が広がっていた。

 田んぼがあり、ほどほどに家があり、遙か向こうに山がある。そんな風なこれといった面白みもない景色だ。感動するほど田舎でもなく、かと言って都会とはお世辞にも言えない。私の住む中途半端な田舎の景色。それが夕暮れを迎えている。

-カチコチカチコチ

 柱時計の振り子の音が規則正しく響いている。それとたまにアブラゼミのやかましい鳴き声。もう夏も終わりだというのに頑張るセミが居るようだ。とにかく音といったらそれぐらいだ。静かだった。

 私はそれらに何かの感情を浮かべることもない。無感情だった。

 一日が終わる。ただ、それだけだ。

 それ以上でもそれ以下でも無かった。こうして、ぼうっとしながらすごしている内に夜になる。そしたら寝る。そしたら朝になる。明日が始まる。それだけ、その繰り返し。そういう風な巡りの話だ。それになんの感情も無い。もはや無い。

 そうして過ごして300年が経過したのだ。もはや、私はこの日常というものに一切の期待を抱いてはいない。

-ジワジワジーワジワ

 セミがやかましく鳴いた。

 私はこうして300年を過ごしてきた。場所は変わる、家も変わる。だが、どこでも私はただぼうっとしている。一日中部屋でぼうっとして外を眺めている。

 なにか意味があるわけではない。なんの意味も無い。私の日常にはなんの意味も無い。意味の無い日々をただ送ってきた。それが300年続いたというだけの話だ。

 私には目的は無い。意思もない。誰かに害を成すことも無い。というか行動をすることがない。する必要がないのだ。

 私は腹が減らない。喉も渇かない。ずっとここに居てもなにも問題が無いのだ。飯も水も必要が無いということは外に出る必要が無いということだ。だから、なにもしない。それでも死なないのだ。

 私は多分不老不死というやつだった。

 なぜこうなったかは分からない。300年前のある日、突然飯が要らなくなった。その当時から私は独りぼっちであったのでそのころからずっとこうだった。

 ずっとひとりで静かに時間を消費してきた。そこにもこれといった感情は無い。ただ生きてきた。これからどうなるのかは分からないが多分ずっとこうなのだろう。いつまでなのかは分からないが。

 私は一切がどうでもいい。

 これは300年生きてきてこの世というものに飽きたからではない。おそらく私の生来の性質なのだ。だから、300年もこんな風に過ごせたのだろう。普通の人なら多分、他人に干渉しようとするなり絶望するなりもっと過激なアクションを起こすはずだ。私にはついぞそういったことは無かった。

 私は多分変わっていた。なにからなにまで変わっていた。

 それにもなんの感慨も無い。

 いつか来る終わりまでただこうして過ごす、それが私の毎日だった。

 なんの意味も無い人生だ。なんの意味も無い300年だ。私とはそういうものだ。

 私はただ窓の外を見る。もう何千回目かの景色、金色の夕暮れ。町並みが変わっても昔と雰囲気自体は変わらない。私にはそう見える。興味も無い。

 私は何の意味も無くため息を吐いた。

 その時だった。

-ガラリ。

 突然だった。玄関の開かれる音。

 来客だった。私はゆっくり顔を上げた。この300年、来客なぞ数えるほどしか無い。妙なことが起きているらしい。だからといって慌てるような威勢は持っていないが。しかし、なにごとかと少し気にはなる。私は障子の向こうの玄関に意識を向ける。なにが居るのか、誰が来たのか。

 玄関でずり、と足音が聞こえた。戸を開けたなにものかは玄関の中に入ってきたらしい。 目的はなにか。分からない。今まで私の住処に入ってきたものは全部間違いで入ってきたものばかりだった。私に干渉するために来たのでは無かったのだ。

 しかし、何故だろうか。私にはこの客人が確かに私を訪ねてきたのだということが分かった。私はじっと障子を見つめた。

「ごめんください」

 障子の向こうで声が聞こえた。若い女の声だった。

「はい」

 私は答えた。

 返事があったことに驚いたようだ。客人から小さく息を飲む音が聞こえた。

 私は構わず続けた。

「なんのご用でしょうか」

「あなたに会いに来たんです」

「ほう」

 そんな来客は初めてだった。私はこの300年、外界とは最低限の接触しか行っていない。私の一族が私の住居の管理をするのでそのために何十年に一度人と会うことはある。しかし、それだけだ。一族のものにとって私のことは一番の秘密事項であるはずなので外に私のことが漏れるはずもない。一体この女はどこで私のことを知ったのか。

 疑問だった。しかし、それだけだ。追求する気も無い。興味が無い。

 そして、この女にも興味は無かった。

「あの、上がってもよろしいでしょうか」

 女はどぎまぎした様子で言う。

 正直面倒だった。だが、上げてなにか問題があるわけでもない。上げなくて問題があるわけでも無いがせっかく訪ねてきたのなら少し上げるくらいは構わないだろうと思った。

「結構ですよ。どうぞ上がってください」

 私は女に促す。

 すると。履き物を脱ぐ音が聞こえ、そして玄関を上がる音が聞こえた。

「では、失礼します」

 そして、障子が開かれた。

 そこに現れた女はいたって普通の見た目だった。この時代の若い女がする普通の服装、普通の髪型、普通の顔で普通の表情。なんの変哲も無い女だった。

「初めまして」

 女は言った。

「初めまして」

 私も答える。

 そして、私は女を見た。

-ジジジジジ、ミーンミン.....

 アブラゼミが鳴いている。

 そうして、数十秒もそんな状態だと女の方がどぎまぎとしだした。あんまり見つめるものだから、あんまりしゃべらないものだから戸惑ったようだ。

 女は若干バツが悪そうにしてそれから言葉を続けた。

「あの、あなたは本当に不老不死なんですか?」

「ええ。こうして過ごして300年です。飯も水も要りませんし、病気もしません。見た目も300年変わらない」

「す、すごい。本物なんですね!」

 女はにわかに興奮する。

「ええ、多分本物ですよ」

私は答えた。実際そうなのだから仕方が無い。しかし、私の言葉だけで信じるとはこの女も中々人を信じやすいたちなのか。いや、確たる情報を元にここに来ているのかもしれない。 まぁ、どちらでも良い。

「それで、ここに来てなにがしたいんですかあなたは。わざわざ、私の元を訪ねて何がしたいんですかあなたは」

 私が唯一興味があるのはこの女の目的だけだ。

「はい、私は不老不死になる方法を知りたいんです。だから、あなたにその方法を伺いに来たんです」

 なるほど、そういう話か。物好きなものだと思うが、やはり『死なない』というのは普通は魅力的なことなのだろう。永遠に死なない。死の恐怖は無く、ずっと自分が続くのだ。なるほど、確かに素晴らしいことかもしれない。そうなっている当人はあまり思うことは無いのだが。

「どうか教えてもらえないでしょうか」

「ははあ」

 私は少し困った。

「どうしましたか? 言いたくありませんか?」

「いえね。言いたくないというか、そもそも分からないんですよ。私は何かのきっかけが

あったわけでもなく、気づいたらこうなっていたんですからね」

「ええ。そうなんですか」

 女は驚いたような残念がっているような、そういった声だった。

「その、不老不死になった日はなにか特別なことがあったとか、変わった状況だったとかそういうことは無いんですか?」

「無かったですね。というか、明確にこの日というのは分からないんですけどね。これといってなにがあったわけでもなく、気づいたら腹が減らなくなって、喉も渇かなくなったといった感じですね」

「じゃ、じゃあ成り方はさっぱり....」

「ええ、分からないですね」

 仕方の無いことだった。私にも正直自分のことなぞさっぱり分からないのだから。この300年、一族の人間がたびたび調べはしたようだがその結果も知らない。だから、この女に教えられることはなにも無いのだ。

「そんな、ここまで来たのに....」

 女は落胆した様子だった。

「なんで不老不死なんかになりたいんですか」

 率直な疑問だ。なんであれ、わざわざ私を探し出してまで来るということは相応の理由があるはずだ。いろんなことに無関心な私でも少しは気になる。

 不老不死、死なない体。それを求めると言うことはすべからく死にたくない理由があるからだと思われた。死ななくなればまあ、出来ることはいろいろある。

 欲望は永遠に追求出来るし、死なないことを利用して犯罪だっていくらでも出来るだろう。私のように俗世と完全に関係を絶つことも出来る。普通の体に比べればまさに夢のようなものだ。

 女はしばし押し黙った。口に出すのを少しためらっているようだった。

 それから、ようやく女は言った。

「お金を儲けたいんですよ...」

「はぁ....」

 私は言葉を失った。女が言ったことを飲み込むのに少し時間がかかった。どうも、予想していた内容と違うことを言われたように思われた。

「不老不死になる方法ですよ? 売ったらどれだけの人が飛びつくやら。無限にお金を儲けることが出来ます」

「なるほど」

「そうすれば大金持ちですよ。世界中の人間が私にひれ伏します。まさしく王様ってわけですよ!」

 女は熱く語った。

「そのために根も葉もない噂を頼りに高校の時から5年も探し回って、関係者の人に上手く取り入って、ようやくここまで来たのに。私の努力は全部水の泡ってわけですか。チクショウ!」

 女はキレていた。

 つまるところ、女は金もうけのためにここに来たらしかった。

「あなたは不老不死になりたくは無いんですか」

「なりたくないですよそんなもん。私は普通に生きて普通に死ぬのがモットーです」

「なるほど」

 中々のキワモノのようだ。自分は不老不死にはならずに、他人に不老不死の方法を売りつけて商売にする。そのためにここまで来たらしい。純粋なビジネスチャンスをつかみにここまで来たらしい。とんでもない俗物だ。

 というか、『そんなもん』になる方法を人様に売りさばこうというのはかなりの悪党なのではないだろうか。

 しかし、死なない体を『そんなもん』呼ばわりするのは少し清々しく思えた。

-カチコチカチコチ

 しばしの沈黙に振り子の音が良く響いた。

「あなたは変わった人ですね」

「どうでも良いんですよ私の人物評は! 問題なのは多大な努力をしてここまで来たのになんの成果も上がらなかったってことです! チクショウ!」

 女は畳に拳を叩きつけた。一応私の家の畳なのだが。

 どうやら、この女の目的はまったく達成されなかったらしい。かわいそうなことだが私にはどうすることも出来ない。本当に哀れなことだが。

「申し訳ないですね」

「本当ですよ! ああ、いや。あなたに言っても仕方は無いんですけどね。ああ、困った」

 女はポリポリ頭を掻いていた。

「やっぱり突然変異的なものなんですね。データでもそうなってたし。ああ、まったく...」

 女はブツブツと言っていた。

 立ちはだかった現実にいらだちがどんどん募っているらしい。だが、やはり私にはどうすることも出来ない。黙って女を見ていることしか出来ない。

「ああああ! 残念極まります! 帰ります! さようなら!」

 そう言って女は立ち上がった。そして、スタスタと歩いて部屋を出て、そのまま一度も振り返ることも無く玄関を開けて去って行った。

 後には私だけが残された。

 妙な静けさがしばらく続いた。

 暴風のような女だった。突然やってきて、散々騒いで半ば八つ当たりのように怒って帰って行った。妙な女だった。

 多分あの女が将来ビジネスで成功することはないような気がした。なんだか、いろいろ純粋過ぎたような気がした。まっすぐ過ぎるとも言えるのか。とにかく、金儲けには向いていないように思われた。しかし、ここを探し当てるということは能力はあるのかもしれない。きっと面白い人生でも歩むのだろう。

 だがまぁ、それもどうでも良い。

 私は過ぎ去った嵐を尻目にまた窓の外に視線を向けた。

 相変わらず、金色に照らされた田舎のどうでも良い景色が広がっている。さっきよりまた日が傾き薄暗くなってきていた。さみしい夕暮れの景色。私が300年見てきた景色だ。私はそれを椅子にかけてぼうっと眺めている。

-ボーン...。

 柱時計が鳴った。5時半だ。もう一日も終わる。そうして、夜になる。寝て起きたら朝が来る。そうすると新しい一日が始まる。そうやってこれからも日々が繰り返されていく。私はその日々をこうして部屋で佇みながら過ごしていくのだ。なんの感慨も無く、なんの意味も無く。無為に不毛に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黄金色の夕暮れ @kamome008

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ