ナゲット

 ―― あぁ、やっと、そう、やっと私の夢が叶ったんだわぁ。すべて私のシナリオ通り。これが達成感っていうのねぇ。

『ミス・ゴールドナゲット・アワード』から一週間後。

 小さな顔を尚も強調するショートカットの前髪が、切れ上がった奥二重のまぶたに垂れかかっているのを気にも留めずに、シルクのカットソーをインナーに合わせたタイトな黒いパンツスーツのジャケットを着込んだままでいる竹内君代は、ドバイ国際空港へ向かうエミレーツ航空ビジネスクラスのゆったりとした座席にスリムな体を沈みこませながら、手にしたウェルカムシャンパンのグラスを見つめたまま幸福のぬくもりに浸っていた。

 そんな彼女の隣席からそう聞こえてきた声の主も、同じく光で反射した黄金色のグラスを掲げている。

「それにしても、この座席スゴくない? 包み込まれているようなこの安堵感、たまらないわぁ~。こういうのをゴージャスって言うのねぇ~。欲を言うなら窓際の方が良かったんだけど、まぁ私たちが三人並んで座れているからしょうがないかぁ……。ところでここって、タバコ吸ってもオーケーなのかしら」

「ちょっとぉ! ダメに決まってるじゃなぁい! 費用はすべて招待者側持ちなんだから、文句言わない! そしてこれを機会にタバコはやめるべき! ミス・ゴールドナゲット日本代表の母親としてみっともないわよ」

「え? それとこれとは関係なくない? 娘は娘、親は親よぉ、あぁ一服したい。お酒が入っちゃうとだめねぇ~。シャンパンなんか飲まなきゃよかった」

 隣席からせわしなく聞こえてくるそんな嘆きには耳も貸さず、君代は黄金に輝くグラスの中をユラユラと上り続ける小さな気泡に目を細めながら、尚も優越感に浸っているのか口角を上げたまま戻らないでいる。

「それにしても、あなたって相当のヤリ手よねぇ~。あんな際どいストーリー、私には到底考え付かないわぁ~」

 そんな君代に気付くことなく喋り続ける、尊敬とも皮肉とも、そして感心したか呆れたかのような隣席からの唸り声に、

「まぁ~、これはこれは光栄でございますこと」

 君代も負けじとばかりに卑屈な言葉を返してそう笑うのだった。

「じゃぁ、私達のこれからを祝って、乾杯ね、キミちゃん!」

「そうね、私達三人のこれからやってくるバラ色の人生に、カンパーイ!」

 お互いが上半身を前に傾け、隣同士が半遮断されているシートから身を乗り出した二人が、細身のグラスをカチリと合わせ、

「それにしても、私は只単に娘の容姿が可愛いからっていうだけで、もしかして芸能界に入れたら親子二人で少しは生活していけるかな? くらいの単純な動機であなたの事務所を訪れただけだったっていうのに、まさかここまでスルスルと事が運んじゃうだなんて、世の中って不思議なものよねぇ~。あの頃はまさかこうなるとは、ぜんぜん思いもつかなかったわよぉ」

 ストレートに矯正した栗毛色の長い髪をサングラスで押さえ、広めな額がむき出しになっているその堀の深い顔を君代に向けたまま、隣席から彼女はそう目を丸くしている。

「ほら、この子が高校で傷害事件を起こしちゃったじゃない? あのときは流石さすがに一瞬だけ『あぁもう終わったな』ってガックリきちゃったんだけど、それからすぐにあのアイディアが浮かんじゃったってわけなの。実は私、これまでの事務所に入るまでは脚本家を目指していたんだけど、いつまで経ってもまったく芽が出なくて、自分のあまりの才能のなさに挫折しちゃったの。だから、私がひとまず先に彼女の参考人として警察に呼ばれた拍子にあのストーリーがパッと閃いた瞬間、逆にこれがそれまでジクジクしていた自分の悔やみを晴らせる絶好のチャンスになるんじゃないかって、そういいように思えてきて、途端にやる気が沸いて目の前が明るくなったのよぉ」

 そう語りながら、君代はまるでこれからの明るい希望に胸を膨らませているかのように、おもむろに掲げ上げたシャンパングラスを通して、宙に視線を向けたままでいる。

「へぇ~、すんごいポジティブシンキング。逆境を利用しちゃおうだなんて考え方、やっぱり私とは頭の構造が違うわぁ。でもまさか、普段はウサギみたいに大人しい性格なくせに、何かのきっかけでスイッチが入ったとたん、いきなり人が変わったかのようにカッとなってキレちゃう我がむすめのあの荒れた気性が、結果的にはこんなにうまくいっちゃったとはねぇ~。まぁ、その子が物心ついた頃からジャンクフードばっかり食べさせていたから、キレやすい子供に育っちゃったのは親にも責任があるとチョットは反省しているんだけどね。でもさぁ、まさかこの私までもがアメリカで不倫していたとかって、あなたからでっちあげちゃうとはまったく思ってもみなかったわよぉ~」

「そのまさかが効果的なのよぉ~」

 そう君代は隣席の口調を真似てみせる。

「本当は旦那の方が、ロサンゼルスのリトル東京で日系人相手の売春婦のおとり捜査に引っかかって逮捕されちゃったと思ったら、おまけにそのときの飲酒運転までばれちゃって、それが原因で会社から強制帰国させられちゃったっていうのにさぁ」

「あはは。普通の一家族が海外でどんな生活を送っていたかだなんて調べようがないから、こちらから自己申告をしない限りは誰にもわからないものでしょう? でもそれが理由であなたが離婚して収入のアテがなくなっちゃったから、だからこの子を連れてウチの事務所に来たわけだし、それが結果的に私とこうして巡り合えたんだからラッキーだったのよぉ。あなたのモトダンだって、自分の失態を公にされないようにって、今回の証言も全面的に協力してくれたんだしね」

「だって慰謝料も払えないんだよあの男。だから口裏を合わせるくらいのことはしてくれて当然よぉ。そういうあなただって、私の娘が学校であんな障害事件を起こしたからこそ、今こうしていられるんじゃなぁい。アハハァ。でも強引よね、そこでただいま爆酔中のウチの娘が、多重人格者だなんて」

 奥隣席の少女に向かってそう顎をしゃくりながら、つい何分か前は「飲まなきゃよかった」と愚痴をこぼしていたその舌の根も乾かぬうちに、空いたグラスへ三杯目のシャンパンをCAから注いでもらっている、そんな少女の母親に向かって君代は自慢げに微笑む。

「こういうのはねぇ、普通じゃ考えられないくらい現実離れした筋書きの方が、かえって人に信じてもらえるものなのよ。まさか真剣にそんなことで人を騙すとは思ってものみないでしょ? 特に一般の常識人だったら尚のこと。っでね、そのとき同時にフッと頭に浮かんだの。多重人格症を患った不幸な過去を持つ薄幸はっこうの美少女って触れ込みで、併行してこの子をマスコミやいろんな媒体に流してみたらどうだろうって。ほら、人間って自分を棚に上げて人の不幸を哀れむのが好きじゃない? 蜜の味っていわれるくらい。たとえそれが偽善であっても、同情してあげることによって自分はまだまだ幸せ者なんだって実感していたいものなのよ人間の心理って。だけどそれ以上に、やっぱり何といってもこの子の強みはその演技力よね。流石アメリカのミドルスクールで演劇に没頭していただけの実力はあったわぁ。たとえベテランの刑事や精神科医を前にしてもけっして舞い上がらないで、私の描いたシナリオどおりきっちり全部語っていたしね。でもこの子、どうして私の指示通りにミッシェルとレイの名前を使わなかったんだろう」

「あぁ、おそらく緊張してパッと出てこなかったんじゃない? なにせウチの娘はもともと気が小さいから。そういうとこがまだ脇が甘いっていうか、一流になれないというか……。でもさぁキミちゃん、もぉあの調書の内容がいったいどこからどこまでが本当の話で、どこからどこまでが作り話だったのか、母親の私自身ですら流石にわからなくなっちゃたわよぉ。悪よねぇあなたって本当ぉ。まさに、詐欺の天才!」

 そう言いながら君代にシャンパングラスを振り上げている、その隣席に向かって、

「あらぁ、お褒めいただいて光栄ですわぁ。でもせめて、詐欺じゃなくて、作り話の天才って言ってほしいわね。あはは。けど実際にその結果として、今こうしてここに座っていられるんでしょう? 結局この世界は、所詮どんな手を使ってでも成功したもん勝ちだってことなのよぉ」

 そう返しながら、映画やドラマで外人がやるような、掌を上に向けて両肩をすくめるゼスチャーを君代はとっている。

「それにしても、偶然も味方してくれたわよねぇ、あのオチンチンちょん切り事件。あのときポリスが家に来て我が娘が写ってる男の子たちの写真を見せられたときは、正直、口から心臓が飛び出ちゃうんじゃないかってくらい焦っちゃったわよぉ~。ウチの娘のことだから、もしかしたらもしかするかも……なぁんてね」

「そうそう、でも、あの事件って結局は高校の中国系ギャングだった三人がメキシカンギャングに報復されたって噂なんでしょう? たまたまこの子がベニス高校で彼らのアイドル的存在になっていて、ただ一緒に写真を撮らせてあげただけだったていうのに、ポリスもポリスよね。でもあなたからそんなアメリカ生活での小さなエピソードを耳にしていなかったら、果てさて私にあんな悲劇的なストーリー展開のアイディアなんて頭に浮かんでいたかどうか……自分でもちょっとだけ疑問」

「そうよねぇ、クリスマスは娘がパロスバーデス時代の友達家族に呼ばれたからって、昼過ぎから留守にしていたことを偶然あなたに話していたおかげで、あんなストーリーができあがっちゃんだから、ある意味でラッキーな出来事だったけど、あのときだって旦那は先にもう会社から日本に引き揚げさせられちゃって、この子も日本の高校入試があるからって、クリスマスが終わって早々で先に帰っちゃった後だったから、契約したアパートのリース期限がまだ一ヶ月半もあって残された私は一人でもう大パニックだったわよぉ。あぁ~いま考えてもゾッとしちゃう」

「そんなふうには見えないわよゼンゼン! あはは。ところで、どうしてパロスバーデスって所からいきなりベニスに引っ越しちゃったの? 治安がぜんぜん違うんでしょう?」

「あぁ、それはねぇ、ウチのが『せっかくのアメリカ生活だから!』って無理してパロスバーデスの一軒屋を借りたのは良かったんだけど、会社側からは家賃を半分しか負担してくれなくて、財政的に厳しくなっちゃったのよぉ。あのバカ、何にも考えていないんだもん」

「へぇー、そんな無計画な行動をとる人だったのねぇあなたのモトダンって。あ、そうそう、そういえばマーガレットさんって、本当にアイルランド人なの? なんかどこか違うような……」

「それは本当。でもパパの関係で五歳から日本よ。ちなみにワタクシ、アメリカンスクールで育ったので、イギリス英語はぜーんぜん喋れませんの。オホホ」

「まぁやっぱり。時々口に出る英語の発音がイギリスらしくないなぁとはズウッと思っていたのよね。あなただって立派な詐欺師だわよぉ。そうだ、マーガレットさんもその容姿で日本語がペラペラなんだから、私の専属タレント第二号にならない?」

「契約金しだいだわね。アハハァ! それにしても、ドバイで独立事務所を設立しちゃうだなんて、キミちゃん、あなたイッタイどこまで今後のシナリオを描いているわけぇ?」

「え? うふふ~、ナーイショ。でもね、ちょっとだけ打ち明けちゃうと、今回の最終選考でこの子がミス・プラチナナゲットに選ばれなかったとしても、もうすでにテレビや雑誌の取材オファーがどんどん入ってきてるし、おまけにあのストーリーを本気にして自叙伝を出版したがっている大手出版社までもが名乗りを上げてきているから、この波に乗り損ねないうちにコッソリ個人事務所を立ち上げちゃっておけば、ウチのあんなセコイ芸能プロダクションにせっかくの稼ぎをネコババされなくて済むでしょう? この子だって、もしかしたらドバイでどこかの御曹司に見初められて、いつかは玉の輿に乗っちゃったりするかもしれないし。だからこのタイミングを利用して、稼げるときには稼いでおかないとね」

「あらまぁ、やっぱりワルねぇあなたってぇ! アハハァ、ではもう一度、ワルにカンパーイ!」

「乾杯!」

 こうして二人がこれから開けていく明るいだけしか考えられない将来のサクセスストーリーに花を咲かせているその片隅で、毛布に包まれながら首を傾けて深い眠りに落ちているかのような少女の、その両手に握られた、黒く変色し固まった血痕がベットリと残されたままでいる人形の『バービー』と『ケン』に、彼女は毛布の下でゆっくりと力をこめながら、心の中で繰り返し繰り返し囁いていた。


 これですべてよかったのよね……?

 

 ―― ね? これでよかったのよね? ねぇメグ? ねぇマッジ……? 


 え? 


 まだもうひとり?

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チキンナゲット 蒔田龍人 @Macky-LA

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