遊楽荘のポスト

采岡志苑

遊楽荘のポスト

 ポストに鍵が入っている。滝長宗一はポストを開け、それを見て考え込む。俺、ポストに鍵なんて入れたっけな。滝長は今日の記憶を蘇らせて一日の出来事を振り返る。母さんでも来たのだろうか、でも合鍵を渡してないし、そもそもここ数年連絡すらしてない。実家にもしばらく帰ってないから住所も教えていない。

 滝長はポストの中に一際異彩を放つ謎の鍵を手に取る。誰のだろうか、いや待てよ、忘れてるだけで本当は自分のじゃないのか?

 鍵を握りしめて滝長はアパートの階段を上っていく。

 滝長が住んでいるのは都内にある、今にも崩れそうな程にくたびれているアパート、遊楽荘だ。錆びれて変色している階段を上るたびに不気味な軋む音が一段ずつ聞こえてくる。いつか、自分が階段を使っているときに崩れてしまうんじゃないかと心配する程だった。

 二階に上がるとドアが二つ並んでいた。滝長は手前の二◯一号室の前で止まり、自分のズボンのポケットをまさぐる。部屋の鍵は持ってた。じゃあこれは部屋の中?ドアの鍵を開け、ゆっくりと部屋の中に入っていく。改めて部屋の中を見ると物が散乱していて、俗に言うゴミ屋敷みたいな部屋だった。

 滝長は右手に握りしめていた謎の鍵が合う物を探し始める。

 ひょっとしてあの箱の鍵だろうか、滝長は押入れに閉まっている二つの箱の存在を思い出し、押入れに目を向ける。押入れまでの道筋は衣類とゴミ袋で閉ざされていた。自らの足を駆使して、滝長は押入れに向かう。押入れの中を掻き分けて滝長は丸みのある正方形の箱を見つけて取り出す。


「懐かしいな」


 二つの箱をしみじみと眺めると、窓から差した陽の光が箱に反射して滝長の顔を茜色に染める。思わず顔を後ろに背けて、瞼を閉じる。あの時もこんな風だったけな。


 滝長は泥棒だった。それこそ彼に開けられない鍵は無いと恐れられた程だった。キッカケは単純だった。幼い頃にスパイ映画を観て主人公たちが鍵穴をピックでいじくり、鍵を開けて仲間を助ける場面に滝長は釘付けになった。

 それからはというものの、滝長はその場面を繰り返しては見て、繰り返しては見て、とにかく真似した。ある時、滝長は家中の鍵という鍵をいじくっては全て解錠した。それを見た母はその度にまるでロボットの様に顔が笑っていなかった。そこからいきなりスピーカーを耳元で聞いてるかの様な怒鳴り声が滝長を襲う。

 滝長が成長するにつれて、解錠の巧さも成長していった。中学の時には、先生に没収された物を取り返す為に、職員室に忍び込み、先生の鍵付きの引き出しを解錠して回収したりしていた。高校の時は、夏の夜の学校で屋上の鍵を開けて、遠くから上がる花火を同級生の女子と一緒に見た。そこから彼女とは、名字から名前呼びになった。

 大学生になり、地元の大学に進んだ滝長は中学生の時の同級生に再会した。


「よう、滝長。久しぶりだな」

「安藤?久しぶり」


 肌が焼けて、筋骨隆々の体格をした安藤はお調子者であったが、何処か憎めない所があった。安藤との出会いは、シールから始まった。

 当時はウエハースチョコのお菓子にモンスターのシールが入っている物があり、それを集めるのが中学男子のブームだった。滝長も例外なくその波に乗っていた。ある日、滝長が帰り道の駄菓子屋で購入したシール入りのお菓子の袋を開けると、最上級のレア度を誇るシールが入っていた。だが滝長は昨日買ったお菓子から既にそのシールを引き当てていた。


「滝長......!お前、それ!」


 背後から震える声が聞こえて滝長が振り返る。居たのは坊主頭で指差した手が震えている安藤だった。

 滝長はシールを見て、安藤に見せる。


「ひょっとして欲しい?」

「バカ野郎!当たり前だろうが、いっちばんレアなんだぞ!欲しいに決まってんだろう!」


 一昨日までの滝長だったら安藤の様な反応だったかもしれない。だが不思議な物で、一回当たってしまうと一昨日までの自分は急に影に隠れてしまう。


「じゃあやるよ、俺昨日当てたから」


 滝長が安藤にシールを向けて差し出す。だが安藤は信じられないと言わんばかりにシールと滝長の顔を何度も見た。


「ほ、本当にいいのか......?」

「だからいいって」

「あ、ありがとう。ありがとう......」


 安藤はシールを受け取るどころか泣き出してしまった。いつの間にか握手まで交わして。

 そして現在、そのシールは今も安藤の携帯のケースに貼られている。シールだけじゃない、安藤はものという物を大切にする。中学の時いつも一緒にいた滝長はそれを知っていたから、安藤の事は嫌いになれなかった。

 滝長は安藤と大学でもいつも一緒にいた。安藤は持ち前の明るさと行動力で大学でも知られた存在だった。滝長にも安藤を通じて何人か友人が出来た。

 しばらくして大学は夏休みに入る。中学や高校の時と比べるととても長い休みだ。滝長は安藤と、大学で出来た友人の釜下、冴木と毎日の様に一緒に遊んだ。四人共通していた事は同じアパート、遊楽荘に住んでいた事だった。お陰で毎日誰かの部屋に入り浸っては酒盛りをしたり、時には遠出をした。

 夏休みも終盤に差し掛かり始めた頃、安藤が妙な事を言い出す。


「お前らさ、金、欲しくない?」


 滝長の部屋で酒盛りをしていた時、安藤が会話の流れを切るかの様に放った一言が滝長は今でも忘れられない。


「そりゃ欲しいって、毎日の生活であっという間に消えてくからな」

「何?いい話でもあんのかよ」


釜下と冴木がグラス片手にテーブルに身を乗り出して、安藤に尋ねる。安藤は顔が少しピンク色に染まっていて、視線が常に変わっている。滝長は既に酒に飲まれていて、テーブルに突っ伏していた。


「強盗やんねぇ?」


 滝長はその時、意識があまりハッキリしていなかったが、その話題は終始盛り上がっていて、結果的には四人とも賛同したと後から安藤に聞かされた。

 深夜の二時を回った時、アルコールと闘う四人組がサングラスにマスク姿で明かりの消えた商店街をふらふらと歩いている。薬屋の前に立って、安藤が滝長の背中を叩く。


「ほら、しっかりしろよ滝長。出番だよ」

「はぁ......」


 滝長はおぼつかない指先を鍵穴に向ける。針金の先を少し曲げて鍵穴の中に入れていく。不思議な物で意識は朦朧としていても自分の手はしっかりと解錠する様に自然と動いていた。ガチャっと音が鳴り、引き戸が開く。その音に、後ろで冴木がビクッと反応して少し後ろに下がっていた。無理もない、冴木は見掛けはカッコいいが中身は超がつく程のビビリで滅多な事じゃ前には出てこない。釜下が少しずつ、音をあまり立てない様、慎重に引き戸を開けていく。安藤が開いた所から忍足で店の中に入っていき、店内をぐるりと見回す。安藤が振り向いて、後ろの三人に中なら入る様、促す。

 安藤は一直線にレジに向かい、釜下は棚から精力剤を漁っている。釜下はとにかく女子と話したがりで、いつも女子の側の席を確保する。その様子が必死すぎて、滝長はたまに笑いそうになってしまうが、しばらくして、笑えないことに気付いた。モテたい釜下と反比例して女子からは危ない奴と周知されていてなるべく離れよう、としている事を後に同じ講義を取っている女子から聞いた。

 時に踏み込みすぎると人間は拒絶してしまう、これを正に体現しているのが、釜下だった。

 安藤がレジから金を取り出し終わると、四人とも一斉に店から出て、静かに引き戸を閉める。そこから歩いて離れていき、少し離れると四人全員が走り出す。マスクとサングラスを取って道端に投げ捨て、全員が深夜の中を雄叫びを上げながら走っていった。

 滝長の部屋に戻ると、そこには今まで自分が手にしたことの無い金額が目の前に広がっていた。


「薬屋のくせに、意外とたんまり入ってたな」

「お前、そんなに精力剤持ってきてどうすんだよ。使う宛ないだろう」

「バーカ、なめんなよ。そう遠くない日に必要になるんだよ」


 安藤が呆れた様に紙幣を改めて数え直す。滝長は遠くない日がどれくらいの期間の事を言っているのかが気になった。釜下には自分の状況を気付いて欲しいが、あまり気付いても欲しくない。どうでもいい矛盾にモヤモヤとした気分になる滝長に釜下が声をかける。


「どうした?気持ち悪いのか?」

「あーいや、大丈夫。てか冴木は?」


 釜下が部屋の隅を指差す。そこにはいつもと違って小さく丸まった冴木が微動だにせず座っていた。


「冴木ー、大丈夫かー?」

「......丈夫......」


 声が小さすぎて余り聞き取れなかったが多分大丈夫って言ったんだろうか。冴木が震えてる側で、安藤が数枚の紙幣を滝長に渡す。


「ほれ、滝長。今日のMVPはお前だ」


 安藤が振り分けた金を三人に配っていく。滝長はほんの一時間で手に入った金を握りしめて、気持ちが高揚しているのが自分でも分かった。

 味を占めた四人は夏休みの間、強盗を繰り返した。滝長が鍵を開けて、他の三人が金目の物を見つけては盗んでいく。最初はあった罪悪感も回数を重ねるごとに、日に日に薄れていった。

 夏休みの最後の週、滝長は強盗で手に入れた金を使って、高校からの彼女である七山とデートをした。場所は水族館で、彼女は水槽の魚を見る度に、滝長に手招きして一緒に見ようよ、と笑って言った。昼時になって、一緒にご飯を食べていると、七山は口火を切った。


「ねぇ宗一、最近なんかあった?」


 カレーを口に運んでいた滝長の手が少し止まる。七山は滝長をいつもとは違う表情で見ている。


「いや、何もないよ」


 滝長は再びカレーを口に運んでいく。七山は、本当に?、と言って手元に置いてあるオレンジジュースで喉を潤した。

 あの時、違う答えを言っていれば変わっていたのだろうか、滝長は今でもこの時のことを鮮明に思い出す。

 遊楽荘に帰る途中、二人は手を繋いではいなかった。水族館に行く前に遊楽荘に置いてきた荷物をまとめて七山が出ようとした時、七山が鞄から一つの箱を手に取る。


「宗一、これ」

「何これ?」

「もうすぐ誕生日でしょ、だからこれ」


 七山から渡されたのは、紺色の箱に開け口が金色に装飾されたものだった。


「中身はあなたみたいなものよ、じゃあね」


 七山が滝長の部屋から出る時、開いたドアの隙間から強烈な夕日の光が滝長を襲った。七山の姿が黒く染まり別れ際の顔が見えなかった。だが黒くなった顔から一粒の丸い玉が落ちるのが見て取れた。その後、滝長は七山と会う事はなく、ポストには昔、七山にあげたピアスが隅に転がっていた。

 夏休みが終わる二日前、滝長は再び安藤たちと強盗をした。だがここで滝長たちは最大の失敗を犯す。

 滝長がいつも通りに店の鍵を解錠して、釜下がドアを開け、中に四人とも入ると警報装置が鳴り出した。それだけだったらまだしも、店員が四人の後ろに現れ、鉢合わせになってしまった。四人とも一目散に逃げだしたが、一番後ろにいた滝長は捕らえられてしまう。五分後には警察も来て、滝長は警察と一緒に車に乗ってその場を離れた。

 それから五年が経ち、滝長は久し振りに遊楽荘に戻ってきた。変わらずボロい遊楽荘を見て、滝長はホッと一息ついた。入り口の門を抜けて、ポストに向かうと四つ全てのポストがチラシと広告まみれでパンパンに詰まっていた。この時、滝長は不思議に思った。自分のポストならまだしも、なぜの他のポストも?

 滝長が階段を上って部屋に入ると、部屋の中はほとんど何も無かった。だが、テーブルの上に視線を移すと箱が一つと側には手紙が添えられていた。滝長は添えられた手紙を手に取って読み始めた。


【滝長へ お前が戻ってくる頃には多分俺たちはいないと思う。全員ここから引っ越す事にしたんだ。面会に行かなくてごめん。お前に会いに行くのがすごく怖かったんだ。お前は捕まった時、全部自分のせいにして抱え込んだよな。俺にはとても出来ないことだよ。自分たちだけ助かって、のうのう生きてるのに俺はすごい罪悪感があった。それからひどい後悔に襲われたよ。お前はひょっとして俺たちを恨んでるんじゃないかとも考えた。俺はな、お前みたいになりたい。お前みたいに誰かを守れるような奴になりたい。何か変な感じになっちまったけど、俺はもう一度お前に会いたい、会ってちゃんと謝りたい。連絡くれ 安藤】


 滝長は手紙を読み終えて、側に置かれた小さな箱を手に取った。迷彩柄の小さな箱だった。迷彩柄の箱は、窓からの夕日の光で橙色に薄く染まっていた。


 滝長は二つの箱を埃まみれのテーブルの上にそっと置いた。二つとも鍵が掛かっていて開ける事はできなかった。鍵はあったはずだったが、どこかにいってしまって、滝長も思い出せなかった。やろうと思えば滝長には開ける事はできたが、不思議とこの二つはちゃんと鍵を使って開けたいと滝長は思っていた。今となっては、解錠の仕方などほとんど覚えていない。あんなにも夢中で開けていた鍵も今では、さらさら興味が無くなっていた。


「結局、何の鍵なんだろうなぁ......」


 滝長は謎の鍵を手の上で遊ばせて、入っていたポストの上に置いておく事にした。部屋から出て、階段をゆっくりと一段ずつ下りていく途中で滝長は思った。

 俺の人生はいつも鍵を開けてばっかりだったけど、それでも俺に話しかけたり、一緒にいてくれる人がいた。けれど、今では一人ぼっちだ。みんな、俺の事をどう思っていたんだろうか。

 階段を下りて、ポストに辿り着いた滝長は、自分の部屋のポストの上に、鍵を置いた。そして、部屋に戻ろうと階段を登ろうとした時、一人の女性がこちらに来るのが見えた。大家さん?


 大家の波川が遊楽荘の入り口を抜けて、キョロキョロと辺りを見回す。ポストに辿り着くと、表情が一気に明るくなる。


「あった!あった!こんな所に置いちゃってたのね」


 波川が鍵をポストの上から取り、両手で握り締める。そしてポストに視線を移すと、苦い表情になった。


「まーた、ポストにこんなにチラシが入っちゃって!今じゃこのアパートには誰も住んでいないってのに!」


 そして、波川は一つのポストを見ると、不思議そうに首を傾げた。


「何でこのポストだけ、何も入ってないのかしら?」


 波川は遊楽荘の二階を見上げて、何も入っていなかったポストの部屋を見つめる。ぶるっと寒気が来たのを感じて、波川はその場から離れていく。


「ここに来ると何でかいつも寒いわね、ちょっと不気味だわ......」


 波川は来た道を戻り、遊楽荘の入り口の門を閉めて、鍵をした。やがて姿が見えなくなるまで遊楽荘から離れていく。

 二◯一号室の中には何も無かった。ただ、押し入れの中に、埃まみれの箱が二つ転がっていて開いていた。一つの箱には何も入っていなく、もう一つには、やけにキラキラとしたシールが入っていた。

 枯れ葉が風に乗って空中を舞っていく側で遊楽荘はひっそりと建っていた。そして、閉められた遊楽荘の門がガチャリと開く音が風の中に紛れ込んでは響いていた。

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