本当の弱さ

 蝕月さんと僕は、新しい刃の宮の門前で、目をつむり、外からな情報を一切遮断する。あの日から二週間ほど経つが、風さんはとても残念そうな表情をしていた。神酒さんたちも不本意だったろう、人の命を壊す感覚は一番頭に残る。恐怖なんてものじゃない、心と体が強すぎる印象によって、壊れずに歪むのだ。

 そんな事を考えていると、突然、露出している部分が火傷したように痺れ出し、皮膚が乾くことを感じた。そして、目を開けると、黒い空の下を魔族や龍が飛び交い、その下を大きな街が囲んでいた。

 僕はそれを見ながらも能力を使い、血液を冷やすが、かなり気温が高いせいで、少しずつ血液中の水分量が減っている事を感じる。あと一時間と言ったところか。

「服が見つかるまで、これで過ごそう」

「すいません」

蝕月さん自身の力を使った、黒いコートが僕たちの体を包む、長袖で足首まであるその服は、着た瞬間は暑く感じたが、次第に“涼しく”なっていった。

 蝕月さんの能力は初めて戦ったときに、はっきりと理解したが、彼は概念を新しく作り出していた。蚊が血を吸うように、器用に水を吸っているようなものだ。

「蝕月さん、一つ質問しても良いですか?」

「ああ、俺も聞きたいことがある」

そうして、獄の国の門を踏み超えると、凄まじい熱気が僕達を覆った。それは、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる程で、あらかじめ調べておいた通り、本当に直火に当たっているような気分だ。この国に本当に本屋なんてあるのだろうか。

「我呪、お前は、俺と戦うときに別世界にいたろう、あれはどうやったのだ?」

「僕の場合は、自刀になった時に、自分がいる部屋から別世界に行きます」

妖刀とは結局、未知と既知の境界線だと思っている。あの時、傍で村正さんの話を聞いていたが、彼女は”妖刀”と言うより、”妖刀になった”と言う表現の方が正しかった。しかし、それだけでも、既知を飛び越えてしまったのだ。

「そうか、我呪は何を聞きたかったのだ?」

「蝕月さんの能力についてです」

蝕月さんはそれを聞くと、腕を組んで自身を見るように考え出した。でも、実際の所、僕も自分の能力に枠組みなんてないと思う。形や色が違うだけで、人は大きく影響を受ける。例えば、人間には目が二つしかない、でもそれが虫のように複眼だったら人間は虫のことをあまり気持ち悪いとは思わないだろう。むしろ共感するはずだ。

「最近になって、何となくわかってきたが、俺自身まだこの世界に生まれて日が浅い、しかし、“物理的なものだけではない“と言う事は何となく分かった」

「やはりそうでしたか、僕も灯龍さんに稽古をつけてもらってから、視野が広がったのですが、意識的な部分まで影響を及ぼせると」

蝕月さんは少し納得したような、落ち着いた表情をして、近くにあった岩を踏みつけた。それはかなり固そうな岩で、力を大きく加えないと壊れそうになかった。固いな、と蝕月さんは呆れたように言い、沈黙をその岩に向ける。そうしてもう一度岩を踏みつけると、固い岩だった物体が砂のように細かい塊に変わって、ぼろぼろと崩れ出したのだ。

「そうでしたか」

「人が俺達を嫌う理由が何となくわかったな」

「ええ、この世界が存在している事がうそみたいですね」

まるで妄想が現実にこびりついてしまったかのように、それには現実味を感じられなかった。この世界は本当に簡単に壊れてしまうと思えたからだ。

 そうして、僕達は「涼水書店」と言ういかにも涼しそうな本屋を見つけて、本を買った。僕は、ミステリー小説を蝕月さんは、哲学本と店員さんに聞いた、この国生まれの著者が書いた「本当の地獄」と言う、他の国の現状を書いた本を買っていた。

「確かにここは地獄だな」

「ええ、暑いですしね」

書店でお会計を済ませて書店を出た瞬間だった。荷車に乗った、鎖で抜刀できないようになっている大量の刀を同じ鎖をつけた人が運んでいたのだ。その中には妖刀や刀が混在していたが、おかしいくらいその人からは怒りを感じなかったのだ。



宿に着いてからも、先の疑問が俺の心をくすぶるように小さく燃え上がっていた。そんな事はさておいて、神酒宛に手紙を書いた。元気にしているかとか、今日あったことを簡潔に書いて封筒に詰めた。自分がこんなことをするとは思ってもいなかったが、中々楽しかった。そして、我呪がいる部屋に移動し、座布団に腰掛けた。

「あれはなんだったのでしょうね」

「俺には、刀の国で見た、晒し台のようなものに見えた」

俺たちは今まで国を渡り歩いてきたが、それぞれ罰の与え方は違った、晒し台や能力による半永久拘束、しかし、あれはどちらにも悪い影響しかもたらさないと思う。人間は知らぬ間に虫の首をいとも容易くちぎってしまう生き物だ。

「確かに、似たようなものはあるかもしれませんね」

我呪は、そう言って、先ほど買った小説に目を落とした。俺はその場から立ち上がり、備え付けのお茶を入れて再び熱に意識を向ける。すると、お茶は脅かされたように冷たくなった。それを我呪にも渡して、そのあとの小一時間は本を読むことにあてた。




*******




 蒸し暑さで目を覚ました。能力には容量がある、植物が、根を決まった分這うように、肺が空気をためるように。

 起きた瞬間、夢は夢としての役目を終え、思考から砂のように飛び去り、頭には出所のわからない靄がかった感覚だけが残る。そして、なぜかもう一度寝られるとは思えなかった、とりあえず冷やしたお茶を飲むことにした。

「こんな事は初めてだ」

胸のあたりだけが暗闇の中にいるように生ぬるく締め付けられる。これが恋しいという気持ちなのか、わからないまま恥ずかしさとお茶の冷たさで胃の奥に流し込む。本当は怖かったのかもしれない、晒し台や本を買った時に見た、あのなんとも言えない不自由さや恐怖が。

ふと、窓の外を見ると、街並みは一向に変わっておらず、この世界には、太陽も月もない事を初めて知った。無煇さんと二人で使った、一人用の寝床の事を思い出す。あの人は実を言えば自殺した。正しいとは思いたくない、彼にとってはあの国だけが生きる理由だったのだと思う、彼の虚空な瞳は、僕が見つめるたびにゆっくりと、そう話しかけてきたのだ......。

 思わず湯呑みを手から滑り落として、床が濡れた後に湯煙のようにお茶の緑色と畳の匂いが鼻を抜ける。

「まずいな」

急いで、布でふき取り、その後は空間の熱気ですぐに乾いていった。そして一瞬目の前が一段階暗くなったように感じる。どうやら、簡単には渇こうとはしないらしい。



俺が起きると、我呪は既に起きていて、隣の部屋から小さく明かりが漏れ出している。起き上がり、明かりを辿って行くと、普通より少し明るいかくらいのろうそくの横で、我呪が眼鏡をしてミステリー小説を読んでいた。

「顔色が悪いですよ、腕を出してください」

「わかった」

俺は少し慌てながらも、我呪の正面に座り片腕をまくって見せた。

「……、腕を見て確信しました、何があったのですか? 」

「冬眠に入ったのかもしれない」

我呪はメガネを外し、俺の目をかなり長い時間、見つめた。そして、何も言わずメガネをかけ直し、再び本を読み始め出した。その本はかれこれ二周はしている本だった。

「あなたは気付いていないようですが、あなたの力は確実に弱っていますよ」

俺は自分自身の事に鈍感になってしまう事が多々ある。特に妖刀は堕ちると手がつけられないので、よくわかっていたつもりだった。こんな事じゃ、我呪との約束も果たせるか定かではないな。

「すまない、ありがとう」

そう言って俺は、どこかこわばった声だけを残して、街に繰り出した。




******




僕はいつからあの街に、沢山の人に囲まれた瞬間から、時間が経ったのだろう。ぼーっとどこかを見つめていた事気づいた僕は、木から木へと下に向かって飛び移った。

「おはよう、君といるといつも癒されるよ」

小麦色で足周りが今日も泥だらけの猫を撫でて、自分と猫の分の干し肉を一枚ずつ竿から外し、小さな洞窟の中で食べる。いつも僕が撫でると、僕の事を全て分かっているみたいに愛おしく鳴く、この猫は何故か、僕の力が影響しない。

 僕はこの猫以外の動物と人間には御構い無しに“棘“を出してしまう、以前僕に親しくしてくれた人も、互いの機嫌が悪い時には抑える事ができずに、近づいて殺した。僕のこの力は力なんかじゃない、そう思うと、考えたくないような胸の熱さが僕を沸騰させる。

「本当の本当は、こんな事よりもやってみたい事があるのにね」

猫を見つめ、返事をするよう猫が鳴く。

「にゃー」

その時だ。街の方から人の気配が入ってきた事を感じた。猫は肉を抱えて何処かに行ってしまい、僕も勢い良く頬張って飲みこみ、息を潜め、足音に集中する。誰なのだろう、何をしに来たのだろう、僕を殺しに来たのだろうか、そんな考えが頭をめぐり、僕は自刀の柄を強く握る。本当の殺意とはほぼ無に近いくらいに洗練されている。人が肉を喰らうように、それがさも当たり前かのように。

「そこにいるのはわかっている、俺も少し驚いて身構えてしまった」

「いいや、信じられない、人殺しはどこにでもいる」

洞窟の穴からは見えないが、僕から見て入り口の右側にいる事は、はっきりわかる。その気配は、少し黙ってから埃をかぶった箱を開けるようにゆっくり話しはじめた。

「俺の力は“蝕む”事で、妖刀だ。今は弱っていて、まともに戦える力は持っていない」

そう言って、洞窟の中に気配の自刀が地面を引きずって、投げ込まれた。柄は握らないほうが良いぞ、と言っていたので僕は鍔を両手で丁寧に掴んだ。そして、この刀を砕けばその気配は死ぬ事を僕はわかっていたので、それを掴んだまま洞窟の外に出る事にした。

「ここに何をしにきたのか教えて」

「一人になりたいと思い、獄の国から飛んできた」

どうやら男この言っている事は正しかった。彼の体がそう言っていたし、僕がそうやって命にすがっているのに嫌気がさしたからだ。そんな事を考えつつ、僕はその男に近づいて自刀を返した。

「ありがとう、柄にも触れていないみたいだな、良かった」

「どうして、あなたは僕の力を受けないの?」

何故かこの人は死ななかった、なんの力か説明しても、そんな痛みは無い、と言い、上裸を見ても本当に棘一つなく、その代わりに彼の腹には横一直線に大きな傷があった。


 話し始めてから時間がかなり過ぎて、僕達が囲んでいる焚き火の光はもう少しで消えてしまいそうだった。

彼はいろんな国を旅してきて、この国はとっても特殊で、夜と言う穴だらけの黒い空間から光が溢れ出す時間がない事に驚いていた。しかし、それら全ては、僕にとっては知るよしもない事だった。それと同時に、僕がそれを忘れようとしている事も思い出した。

「そうか、お前はそんな理由だったのか」

「蝕月が初めてだよ」

燃えている木が破裂するような音を立てて崩れる。僕は火に見とれ、記憶の断片が熱を含んだ空気のように蘇る。

物心がついてからは、近くにいる人に僕の中にある“何か“が切れるまで、見栄えなく傷をつけた。初めは、両親や兄弟には問題がなかったけど、それも僕が成長するにつれて関係無くなった。しかし、ここに来てからはその力が大きく役に立っている。どんな魔物の体も必ず突き抜けるのだ。ご飯にはそのお陰で困らなかったし、唯一棘が生えない植物も周りには沢山生えている、僕にとってここは楽園だった。

「蝕月は神酒の事をどう思っているの? 心刃は好きとか嫌いとかどんな感情を持つの?」

話を変えたいと思って、適当に質問したが、僕らを包んだのは沈黙だった。

「愛している」

僕が火を木の棒でいじっていると、蝕月はふと顔を上げてそう言った。僕は言葉につまり、嫉妬のような尊敬のような気持ちが心と一緒に僕の中で渦巻いて胸が苦しくなった。火は既にただ熱を帯びているだけで、もう燃えようとはしていなかった。でも僕はどうしようもなく残火をいじり続けた。

「すまないが、仲間が心配するかもしれない、さっき言った我呪を連れてまたくる。」

「うん、またね」

猫を股から降ろして、手を上げ、彼は地面を飛び去った。僕はその瞬間にとてつもない、“孤独“を感じた。まるで、目の前で紙をビリビリに破かれたような気持ちで、その場にうずくまり歯を噛み締めて泣いた。怖さとか悔しさじゃない、ただ自分の全部が硬く干し肉みたいになって、水分が目から滴り落ちた。

苦しかった。

膝裏の空間に猫が入り、慌てたように鳴く。

「自分から出たいよっ......」

僕はそのまま疲れて木の下で瞼を閉じた。





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夢刀物語 大空 殻捨 @syoukk

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