おばあちゃんs
山田沙夜
第1話
夕方五時半から六時を回ったころには、十五分歩いて保育園へ孫をお迎えに行く。
孫を受け取り、保育園から一〇分ほど歩いて孫の家、つまり息子の家へ寄り、孫とママかパパの帰りを待つ。
二〇年も若ければ、自転車にチャイルドシートを着けて孫を乗っけているだろう。けれど前期高齢者となると、想像力は悲観的になり、自分の身体的バランス感覚を疑い、考えうるあらゆる危険性ばかりが脳裏で膨らんでしまう。なので体力と筋力の維持と位置づけ、徒歩でお迎えをしてきた。とことん悲観論者のわたしは、孫を車に乗せて運転するのも避けていた。
自家用車は夫が七〇歳になったとき、「名古屋の真ん中あたりに住んでいる地の利に感謝」などと言いながら、ためらうことなく売ってしまった。
「免許を返納しろ」とやいのやいの言っていた息子氏は、夫が車を売ったと知ったとたん、「免許は更新して身分証明がわりに持ってた方がなにかと便利だと思う」と態度を翻したのだった。
七時を過ぎてママかパパが帰ってきたら、おかえり、ただいま、お疲れ、ありがとうの言葉を交わして、一〇分ちょっと歩いて帰る。
日常的夕方徒歩不等辺三角形だ。そしてそれはもうおしまい。
一番下の孫が小学生になる。
パパママに呼ばれておばあちゃんも卒園式に参列。
スーツ姿のパパママにまぎれて、顔見知りのおばあちゃんが二人。
顔だけ知っている。苗字も名前も孫の名前も知らない。でも毎日の夕方に「こんばんは」と言いながら会釈しあう。
みんな気忙しくて、立ち話の時間もなかった。
なぜかいつものおじいちゃん二人は今日は来ていない。
おばあちゃんたちはお出かけ用のちょっといいブラウスとパンツというスタイルだ。わたしも。
小さい講堂に小さい椅子と小さいベンチ。保護者の席は一つ、ママたちが卒園児と座っている。パパたちは後方のベンチに座ったり、窓際に立ったりしている。
さよなら ぼくたちの 保育園
さよなら わたしたちの 保育園
ベンチに座ったわたしからは背中しか見えない孫が、右手の甲で眼のあたりを拭っている。孫と向き合っているママはとっくに涙目。窓際のパパはうるうるしていた。
わたし以外の二人のおばあちゃんは、年中組の孫の世話をしながらベンチに座ったり廊下に出たりしている。
「六年間この保育園に通った方も、一年間だった方も、卒園おめでとうございます。
たいへんな思いをなさってきたことでしょう。
でもたいへんな思いはこれからです。
子どもたちが大きくなっていくほどに、もっといろいろにたいへんになっていくことでしょう。
そんな時はいつでもこの園を訪ねて来てください」
園長先生の贈る言葉に、わたしも二人のおばあちゃんたちも大きくゆっくり頷いた。
園長先生、わかってらっしゃる。
子どもたちが成長して大人になっていく。
たいへんな事は複雑に難しく絡まっていく。
大人になるにつれ、そこに闇までが澱んだりする。
頭を抱え、希望さえ見い出せなくなるような、たいへんな思いに沈む時がある。
わたしはパパとママを見て、頑張るんだよ、と思った。
大人になり歳を重ねおばあちゃんになり、差し伸べるべき自分の手の力が衰えていくのを、年ごとに時には日々に実感してくる。
頑張るんだよ。
卒園式が終わり、お楽しみ会が始まる。
「先に帰るね」
わたしはパパに耳打ちをして園庭へ出た。
おばあちゃんたちとまだ小さい孫たちが帰り支度をしていた。
おばあちゃんたちといつものように会釈だけ交わした。
わたしたちは電話番号も、メールアドレスも交換せずに、「お疲れ様です」と言ってそれぞれの方向へ歩いていく。
そういえば名前を知らないままだった。
noteより転載(2019/4/2 投稿)
おばあちゃんs 山田沙夜 @yamadasayo
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