四 現実と幻想の狭間で……

 当然、その後の授業はとても受けられるような精神状態になく、僕は保健室のベッドで寝かされることとなったが、横になっていても天井がぐるぐると回っているような気がして、一向に快方へ向かうような気配はない。


 このアイデンティティを喪失したかのような得体の知れない恐怖と不安に苛まれながら、妄想にしては実にリアルなあの子と過ごした日々について僕はベッドの上で独り思いを馳せた。


 毎日学校で話したことも、あの親しくなるきっかけとなった放課後の教室でのやりとりも、つい昨日のデートですら、すべて僕の妄想のなせる業だったというのだろうか?


 昨日、僕は一人で展望台に行っていたというのに、妄想の中の女の子と一緒に行ったことにしていたというのか?


 いや、それは僕だって異性への関心がないわけではない青春真っ盛りの男子高生、そんな妄想癖の疑いをかけられたら100%違うと言えるような自信はない……。


 けど、妄想するにしてもどうしてあんな奇抜極まりないキャラを生み出したのだろう? 超絶美少女ではあるが特にタイプではないし、妄想でカノジョを作るんならもっとこう、カワイイ系のドジっ娘にするような気がするんだが……。


 往生際悪くも納得がいかず、僕は再びスマホを取り出すと、もしかしたら何かの間違いなのではないかと昨日のデートで行った(はずの…)展望台の写真をもう一度確かめてみた。


 ……が、写っているのはやはり僕一人である。


 公園の花畑を前に立つ僕……東屋あずまやでお弁当を食べている最中の僕……展望台で馬鹿みたいに独りピースサインをして微笑んでいる僕……。


 …………いや、ちょっと待て。これっておかしいんじゃないか?


 と、その時、僕は不意にその矛盾点に気がついた。


 だったら、この僕の写真を撮ったのはいったい誰だ? あの時、展望台には他に人がいなかったはずだ。


 それに、記念撮影的に正面を向いているものは他人に頼んだり、タイマーを使って自分で撮ったものと考えることができるが、このお弁当を食べている時のようなものはどうなる? そんなとこを誰か赤の他人に撮ってもらうようなことや自撮りするなんてことがあるだろうか?


 加えてこの嫌そうな僕の表情……これは食べてるところを勝手に僕のスマホで撮ろうとするので、彼女に文句を言っていた時のものだ。


 やはり僕は誰かと……いや、あの子と二人で確かに展望台に行ったのだ。


 やっぱりあの子は……河垂かすみは実在していた。じゃあ、今のこの状況はなんだというんだ!?


 ……ああ、そういえば昨日、彼女はこの現状に関わりのありそうな、何か気になることを言っていたような……。


 僕はなんとなく頭の隅に引っかかっていたその言葉を、一人で写る展望台の写真を眺めながら必死に思い出そうとする。


 そうだ、あの子は確か……。




「――君は自分の記憶が正真正銘、誰からの操作も受けていないものだと証明することができるかい? もしかしたら、君が本物だと信じて疑わない家族や友人、クラスメイトだって何者かが植えつけた偽りの記憶かもしれないよ?」




 ――そう。そんなことを公園で遊ぶ親子連れを眺めながらぽつりと呟いたのだ。


 その時は彼女特有の冗談か、あるいはいつもの思考実験か何かだと軽く聞き流したのであるが……ひょっとして、例のハッキングで何か知ってはならない世界の秘密を知ってしまったのだとしたら……。


「河垂、あの時言ったことの意味っていったい……」


 山を下り、夕暮れのバス停での別れ際、あの子の言った言葉が不意に脳裏に蘇る……。




「君と話すのはやはりおもしろいね。また、明日会えたら話の続きをしようじゃないか――」




 もしかして、彼女はこの事態を予期していたのか? 突然、僕をデートに誘ったのからして、本当はそのためだったとしたら……。


「…………ん?」


 と、その時、遠くから救急車のサイレン音が聞こえてきて、段々にこちらへ近づいて来ると、どうやら学校の敷地内まで進入し、昇降口前辺りと思われるかなりの近距離で停まった。


 なんだ? 誰か体育で怪我でもしたのか? それとも化学の実験で爆発でもやらかしたか?


「やっと来てくれたみたいね……今、救急車呼んだからもう大丈夫よ」


 そんなことを考えて他人の心配をしていると、不意にベッドを覆うカーテンが開かれ、保険医の先生がなんだか場違いな微笑みを称えながらそう告げた。


「失礼します。こちらが搬送を依頼された方ですね?」


 時を置かずして、今度は保健室のドアが乱暴に開けられると三名の救急隊員がわらわらと入って来て僕の周りを取り囲む。


「え? ちょ、ちょっとどういうことですか? 確かに気分は悪いですが、僕は別に救急搬送されるほどのことは……」


 訳のわからぬまま、僕は慌てて保険医や救急隊員の顔を見回すのだったが……。


「あなた、いもしない子が存在するとか言っていたみたいじゃない。そんな妄想と現実の区別がつかなくなるなんてかなり重症よ? だから病院でちゃんと診てもらわないと……」


「さ、怖がらなくていいから担架に乗って」


 彼女らはそう言って、僕の言葉に耳を貸そうともしない。


「いえ、河垂かすみは確かに実在します! おかしいのはみんなの方なんです!」


「これは確かに重症のようですね。君、名前は? 自分の名前をちゃんと言えるかな?」


 僕は重ねて自分が正常であることを主張するが、やはり救急隊員たちは問答無用で、僕を左右から押さえると強引に担架の上へ移動させようとする。


「やめろ! 放せよ! 僕はどこもおかしくなんかない!」


 僕は必死に抵抗を試みようとするが、生身の人間とは思えないような力で抑え込まれ、僅かながらも逃れることができない。


「いや、名前なんてわからなくても大丈夫だよ。すぐに記憶を修正してあげるから。さ、ちょっと安定剤を打たせてもらうよ?」


「うっ……!」


 そして、無表情に冷徹な眼差しをした救急隊員は僕の首筋に注射針を突き刺さし、僕の世界は一瞬にして暗転した――。


                       (僕だけのあの子 了)

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僕だけのあの子 平中なごん @HiranakaNagon

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