視力の悪い男

いざよい ふたばりー

視力の悪い男

彼は視力があまり良くなく、たいていは眼鏡をかけて過ごしていた。

乱視にも悩まされており、眼鏡を外して信号を見ると、信号のランプが輪の様になって見えるくらいだ。

趣味と言えるものは読書くらいで、仕事帰りや休日、本屋や古本屋に立ち寄っては本を読み、気に入ったモノは購入したりしていた。

視力が悪いのは、電車の中や、就寝前に暗い部屋で本を読むせいなのかもしれない。


ある休日のこと。日課である古本屋巡りをしていると、何やら古ぼけた本を見つけた。

「これは年代物だな。ふむ、黒魔術の本か。」

彼は別段、オカルトのたぐいは信じてはいない。

しかし、読み物としては好きな方で、そう言った本は何冊かもっている。

「不思議だ。出版社は書いてないし、出版年月日等も見当たらない。」

だいたいの本は、出版社や出版年月日、著者等の記載があるのだが、この本にはそれらが一切ない。

「だがなんだろう、この感じ。まるでこれが本物だと言う様な、そんな雰囲気がある。」

本に書かれている文字や挿絵、紙質等がそうさせているのだろうか。ともかく、珍しい物であることには違いない。彼はその本を購入し、就寝前に読むことにした。外国語で書かれたその本を、翻訳しながら読み進めていくうちに眠る。朝にはベッドの上に本を広げたまま支度をし、就寝前には熱心にその本を読む。そんな毎日を過ごしていた。


何日か経ったある日、彼は帰宅し、晩ご飯を食べ、シャワーを浴び、本の続きを読もうとベッドへと向かうと、妙なものをみた。

「なんだあれは。」

ちょうど本の上に黒いモヤの様なものがかかっているではないか。よくみようとメガネをかけるとそのモヤは消えてしまう。

「気のせいかだったのかな。」

メガネを外すとまたもや黒いモヤが。

メガネをかけたり外したりを繰り返し、メガネを外し目を凝らしてモヤを見つめたりしていると、さすがに疲れて来た為ベッドにはいる。

本を見ると、そこにはある模様が描かれたページがあった。

「この模様のせいだろうか。しかし変だ。メガネを掛けるとモヤは消え、外すと見える。近くで見ても何もない。」

いったいどういうことだろうか。不思議に思い眺めていると、本にはこう書かれている。

「なになに……。ある条件を満たし、呪文を口にすると悪魔の使いが現れる。使い魔は呪文によりあなたの忠実なしもべとなる。」

なるほど。願いを叶える悪魔の発展系の話かな。

「それと、ひとつ、気をつける事。あまりこき使うと、代償として魂を持っていかれる……。」

ありがちな話だなと思い、なんとなく書かれている呪文を口にするが、特に変化は起こらない。そんなもんだろうなと、その日は眠りについた。


翌日。

彼は寝坊した。昨日熱心に本を読んでいたせいか。

急いでシャワーを浴び、パンを加えて出かけようとするが、メガネを忘れていることに気がついた。

「メガネはどこだ。あ、そうか。昨日ベッドの上に置きっぱなしにしていたんだっけ。」

ベッドの方をみると、再び本の上に黒いモヤがみえるではないか。彼は驚き、

「なんだこれは。ゆうべは暗かったし、気のせいだと思っていたが、この距離でメガネなしで本をみるとモヤモヤが見えるぞ。」

物は試しに、と呪文を口にすると小さな悪魔が現れた。

「まさか、本当に出るとは。しかし、昨日の晩は出てこなかったな。なぜだろう……。」

その呟きに悪魔は答える。

だいたいこんな内容だった。

本に描かれている模様。これをある複雑な形に並べ魔法陣の様なものを作ると、黒いモヤ、つまり悪魔の世界とこの世とを繋ぐ門が開かれる。そこで呪文を口にすると悪魔が現れる様になっている。

裸眼でみた時に現れたのは、乱視の為、その模様が偶然上手く配置され、魔法陣の様なものになり、門が出現したと言うわけ。

「なるほど。だから近くで見たときやメガネをかけていたときは現れなかったのか。」

と、関心している場合ではない。

「すまない、願いを聞いてくれると言うことだったな。会社へ瞬時に送ってもらう事はできるか。」

「おやすいごようです。」

悪魔が指を鳴らす。

「何も変わらないじゃないか。」

「そこのドアを開けてみてください。」

なんと、ドアを開けると彼が働いている会社の一室に繋がっていた。

「ありがたい。おっと、メガネを忘れる所だった。」

ベッドに引き返し、メガネをかける。

「やや、悪魔が消えてしまった。」

すぐさまメガネを外すと、悪魔はそこにいた。

「なるほど。メガネを外すと姿も見え、かけている時は姿さえ見ることが出来ないという事か。」

とりあえず、そんな事よりと、彼はドアをくぐり会社へ行く。ドアを閉め、再び開けると会社の廊下になっていおり、どうやら人目につかない場所を選んでくれた様で誰にも見られる事なく出社できた。

しかし悪魔、悪魔ねえ。そんなものが実在するとはなぁ。


彼はしばらく悪魔について考えていた。

忠実なしもべ。となれば、大抵のことはやってくれるんだろう。今朝なんかは不思議な力で会社と家とを繋いでくれた。たぶんなんでもできるんだろう。それに、よく見聞きする悪魔の話では3つの願いを叶えてくれる。だとすれば、あいつもそうなんだろうか。しかし今朝、願いをひとつ叶えてもらってしまった。とすれば後二つ程なのだろうか。

いやまてよ、あまりこき使うと魂が取られる、と書かれていたな。と言うことは三つや四つくらいはいけるのだろうか……。

「あら、難しい顔をして、何か考えておいでの様ね。」

彼は突然声をかけられ、驚き振り返ると、そこにはひとりの女がいた。彼が密かに想いを寄せている女だった。

「いやなに、ちょっと悪魔のことをね……。」

しまった、と思ったが、

「悪魔ってあの悪魔かしら。願いを叶えてくれると言う。」

「そう、そうなんだ。あはは。」

「あなたって、たまにそういう本を読んでいるって言っていたわよね。また悪魔が出てくる本でも見つけたのかしら。」

「そう、そうなんだ。」

いけない、さっきと同じ事を言っているぞと思い、はにかんでいると、

「また面白い本があったら貸してね。じゃ、お仕事頑張ってね。」

と、言い残し女は自分の席へと戻って行った。

「なんとかごまかせたかな。しかし焦った。こんな事が人に知られたら、俺も俺もと押し寄せてくるだろう。なるべく会社で考えるのはよそう。」

彼は時々悪魔の事を考え、頭を振りいかんいかんと、仕事を続けた。


昼休み。

「やっとお昼だ。今日はなにを食べようかな。」

メガネを外し、伸びをしながら時計を見ると、

「あ!」

そこに、悪魔が現れた。

周りの連中は何事だと男に尋ね、

「い、いや別に。今日のお昼はカレーライスと決めていた事を思い出しただけだ。」

食いしん坊だな、と笑われて、そそくさと会社から出ると、彼はついてきた悪魔に話しかける。

「なんでいるんだ。」

「あなたは一度、我々の世界の扉を開き、私を呼び出した。そうする事で、我々を見ることが出来る力が宿った。」

「そんな。でもあの本は家にあるぞ。それに呪文は唱えていない。」

「ええ、しかしあなたは一度呪文を唱え、私の姿を見た。門が開いた時に我々の世界の空気に触れた。その為、同じような紋様を見るだけで、私が現れるようになったのです。」

「同じ様な……。」

なるほど、あの時、メガネを外し時計をみた事でこいつが出てきたわけか。

「なるほど、なるほど。」

関心していると、ある事に気がついた。

「ああ、しまった。そう言えばメガネを忘れてきてしまった。」

「そういう事なら心配いりません。私がかわりにあなたの目となりましょう。」

「すまない、助かる。」

「いいえ、いいんです。それが私の仕事ですから。」

彼は昼食をとり、会社へ戻る。

メガネをかけると、悪魔は消えてしまった。

仕事、仕事。仕事ねえ。

どうやら本当にしもべとなってくれている様だな。

彼は慎重に行動をした。

初めのうちは、魂が取られるという事を恐れ、ちょっとしたおつかい程度の事を頼んでいた。それに、あまり突飛な事を頼むと、見る人によっては俺が超能力を使っていると思われかねない。なるべく目立たぬ様つとめた。

しかし慣れとは恐ろしいもので、半年ほど経つうちに、高慢な態度で悪魔に接する様になる。

悪魔は仕事ですからと言って要求をのんでくれる。つまり、俺のいう事を聞くためにやってきた。これは俺の特権なんだ。そんな思いから、初めこそお願いをしていたが、最近では命令口調になっている。

「おい、晩飯の用意をしろ。」

「はい、ただちに。」

「おい、風呂を沸かせ。」

「かしこまりました。」

「おい、布団の用意をしろ」

「仰せのままに。」

こんな具合である。

ある日、悪魔が言いにくそうに彼に話しかけてきた。

「あの、こんな事を言うのは大変恐縮ですが、その、最近私の扱いがぞんざいではありませんか。」

「なに、文句があるのか。」

「いえいえ、めっそうもない。ただ、ほら、あれです。あんまりこき使うという事でしたら、お代を頂かないといけない決まりでして……。」

彼はハッとする。

「そうだったな。たしか魂が取られると書かれていた。」

「ええ、ええ。我々もあまりおおごとにしたくはありません。あなたは話のわかる方でよかった。」

「いや、すまなかった。ありがとう。」

「いえいえお礼なんて。そうそう、あなたに聞きたい事があったんですが、今よろしいですか。」

「なんだ、珍しいな。別にいいよ。答えられる事なら答えるぞ。」

「それでは、口はばったい事を言う様ですが、あなたは私の力を、その、ケチな事にしか使用されない。こんなのは初めてです。」

「確かにそうかも知れん。」

「先代の主人は莫大な富を築かれた。先先代の主人はものすごい美人を手に入れ、さらにその……。」

「おい、ものすごい美人と結婚した奴がいるのか。」

「おや、妙な所に食いつきますね。そうですね。私の力で振り向かせ、見事ご結婚なさった。」

「そうか。うん、そうだよな。やはりそうでなくちゃいけない。俺もずっと思っていたんだ。今までの頼み事は人間でも、言ってしまえば俺でも出来る事ばかりだ。そういう自分の願いを叶える、魔法の様な事をしてもらわないとな。」

悪魔は終始、ニコニコしながら相槌を打っていた。

「そうでしょう、そうでしょう。おや、しかしこの話題に興味を持たれたということは、つまりあなたは恋を寄せる人物がいる、という事でしょうか。」

「ああ、そうなんだ。同じ部署で働いている子でな。会社に入社し、しばらくしたある昼休みに出会ったんだがな……。」

彼は語り出した。

どうやら、彼が昼休みに休憩室で本を読んでいた所、女が何かにつまづき、彼にお茶をひっかけてしまった。幸い、スーツは無事だったが顔と本が濡れてしまい、彼は女にひたすら謝られ、本を弁償された。その時に、女も本を読むのが好きだと知り、たまに本を貸し借りする様になったとの事だった。

「ああ、今でも昨日の様に思い出せる。必死に謝る姿の可愛かったこと。濡れた俺をハンカチで拭いてくれた時のいい匂い。話をしている時の愛くるしい笑い方。あれで俺はあの子の虜になってしまった。俺はあの子の身も心も全てが欲しい。」

「おやすいごようです。」

「え、ちょっとまってくれ。心の準備ができていない。」

彼は悪魔が指を鳴らそうとしている所を慌てて止める。

「わかりました。では、あなたが眠っている間、全てやっておくとしましょう。」

「わかった。ありがとう、すまないな。じゃあおやすみ。」

「いえいえ、仕事ですから……。おやすみなさい。良い夢を。」

彼はまるで遠足前の子どものように、ドキドキしてなかなか寝付けない。明日が休日でよかったな、などと思い、夜もだいぶふけた頃にやっと眠った。


翌朝。

彼はベッドの上で目を覚ました。

寝ぼけ眼で彼は言う。

「おい、昨夜のことはどうなっ……。」

何か変だ。

彼は部屋を見回すと、そこはまるで見たこともない部屋で、ベッドも彼のものではない。

「おい……。ん、なんだか声がおかしい。まるで……。」

まるで、女のような声だ。幸い、枕元に鏡が置いてあったので、恐る恐るのぞいて見ると、

「なんだこれは、どう言うことなんだ。」

鏡に映る姿は彼のものではなく、想いを寄せている、あの女の姿だった。

まるで訳がわからない。しかし、頬をつねっても痛いだけ。布団に入り目を閉じ、開けてみても変わらない。とりあえず、気持ちを落ち着かせようと、台所にあったインスタントコーヒーを何杯か飲み、気持ちが少し落ち着いた頃には、もう昼を少し過ぎていた

「おそらくあいつがしでかしたんだろう。しかし、なぜ。」

考えていてもらちがあかない。こうなったらと、昨日まで住んでいたアパートへと向かった。


「なにやら騒がしいな。」

彼の住んでいた部屋の前に、人だかりができている。いやに胸騒ぎがするな。そう思い、近くの人に声をかける。

「すみません、ここに住んでいる方の同僚ですが、何かあったんですか。」

「あらお知り合いの方。落ち着いて聞いてね。この部屋の方、倒れたそうよ。ほら、ちょうど今、救急隊員の方が……。」

えっ、と声を漏らし、慌てて部屋の入り口に目を向ける。

「すみません、道を開けて下さい。道を開けて下さい……。」

彼をタンカーで運ぶ救急隊員が部屋から出て来た。あまりの出来事に愕然とし、足が震え身体が動かない。

救急車は去り、近所の人は励ましの言葉をかけて帰っていった。すると、

「どうですか。」

聞き慣れた声に振り向くと、そこには悪魔の姿が。

「どうもこうもない。一体なにが起こったんだ。」

悪魔はニコニコしながら説明をする。

「何って、あなたの望んだ事。すなわち、その女の身も心も、文字通り所有する物も含め、全てを手に入れたってわけです。」

「そんなこと……。」

「言って無いとは言わせません。あなたは確かに言いました。身も心も全てが欲しい、と。」

「言葉尻をとるような事を言うんじゃ無い。」

「お言葉を返すようですがね、私は言われた事を実行しただけです。あなたが願いを告げる。私は叶える。それが私の仕事でした。」

「じゃあ、身体を元に戻してくれ。」

「おっと、そいつはできません。さっき私は仕事でした、と言いました。つまり、もうあなたの願いを叶えることはない。」

「なぜだ。」

「あなたは女の身も心も手に入れ、その女になった。つまり、別人になったのです。私の姿もじきに見えなくなるでしょう。今はまだ、魂に残る力で見えているだけですが、身体が別人になったのでその力も無くなる、という訳です。」

「そんな。じゃあ、あの子はどうなる。あの子は俺になったんだろう。」

「その心配はいりません。女の魂は私が頂く事になっている。もうすぐ絶命します。」

「なんだって。」

つまり、こう言う事だった。女は彼の姿で目を覚まし、部屋の異変に気づき、辺りを見回すと悪魔の姿が。その身体の主と、魂が入れ替わり自分が男になった事を知った女は、悪魔と男の主従関係を聞かされた。なってしまった物は仕方がない。それにそんな便利なしもべがいるとは都合がいいと、様々な命令を下した。あれが欲しい、これが欲しい、やっぱりいらない。あれをしろ、これをしろ……。

「私はうっかり、命令をし過ぎるとその分のお代をいただく事を言いそびれてしまいましてね。あの女…今は男ですが、命令し過ぎたんですよ。」

彼は、いや、彼女は何もいえなかった。

「そろそろ頃合いですかね。魂を取りに行かなくては。それにあなたからも力を感じられなくなってきた。それでは、さようなら。」

そこには呆然として座っている女だけが残り、悪魔の姿は消え、二度と姿を見ることはなかった。

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