第5話雷鳴の鳴り響く夜

 天を裂くような雷鳴で、目が覚めた。

 カーテンの隙間から青白い光が室内に入り込む。

 その後、続く天を裂くような轟音。

 こんなにひどいものは聞いたことがない。

 体を起こして窓に近づく。

 ガラス越しに見えた外の景色は、豪雨と暴風により荒れていた。

 気まずさの残る食事の後、自室に戻ったわたしは、シャワーを浴びて眠りについた。

 相当気が張っていたのか、眠気が強くて起きていることができなかったから。

 ほのかにハーブの香りがする部屋が心地良くて、深く眠ってしまったらしい。

 体は起きているのに、頭が靄がかかったみたいにぼーーっとしていた。

 ベットに備え付けてある目覚まし時計を見ると、時刻は深夜二時。

 当然、窓に叩き付ける雨の音や唸るような風の音以外、なにも聞こえない。

 みんな寝ているのだろう。

 嵐のせいか、慣れない環境のせいか、とても心細い気持ちになった。

 過保護になりすぎた両親の元を離れたのはこれが初めてだというのも、原因かもしれない。

 心細さからベッドカバーを体に巻き付け、部屋の隅に丸くなった。

 雷の音が、体に響く。

 稲光を見るたびに、目は冴え、頭がはっきりとしてきた。

 落ち着くまでは眠れそうにないな、なんて思っていると、不意に人の声が耳に届く。

 叫ぶような、怒鳴っているような?

 扉の前に移動して、表面に片耳をつけた。

 気のせいだろうか? 

 いや、確かに……男性の声が聞こえる。

 なんて言っているかはわからない。

 でも誰かにすごく怒っているみたいだ。

 こんな時間に、何に対して怒っているのか。

 雷も怒声も激しさを増していく。

 ふと、男性の声に『柚子』という名前が混じっているのが聞き取れた。

 誰かが姉の話をしている?

 でも扉越しの声では、話の内容までは聞こえない。

 一人は男性だということはわかるのだが、その相手が誰なのかわからなかった。

 わたしが来た事が原因で、もめているならどうしよう。

 好意的な反応を得られた夕食時を思い返し、気分が昏くなる。

 このまま気づかなかったふりをしていた方がいいのか、それとも、自分が原因で揉めているなら、ちゃんと話をした方がいいのか迷っていたが、意を決して、廊下に出ることにした。

 迷うより行動あるのみ。

 不安から心臓がドキドキと激しく鼓動していたが、深呼吸を繰り返し落ち着かせる。

 

(よし)


 意を決し、ドアノブをひねった。

 時間が時間だけに、音をたてないように気を使いながら、扉を開ける。

 直後、外が真っ白になり、ドンっという大きな雷鳴が轟いた。


「きゃっ」


 意識を廊下に向けていたので、突然の落雷に悲鳴がもれる。

 いけない。

 そう思った時には遅い。

 わたしの存在を知られてしまったのであろう。

 誰かが立ち去るような音が聞こえ、慌てて廊下に目をむけたが、もう誰もいなかった。

 追いかけようかと思ったけれど、立ち去ったってことは、わたしに聞かれたくない話をしていたのかもしれない。

 扉を閉め、部屋の中に戻ったわたしは深く息を吐きだした。

 今更なんで来たって思われてるんだろうな。

 夕食の時にシゲさんに言われた言葉を思い出し、ズーーンと昏い気持ちになった。

 歓迎されるとは思っていなかったけど、実際加岐馬に来た時に、多恵さんや雪君に優しくされて、本当に姉の思い出を辿る為に来たような気になっていた。

 でも、わたしの本当の目的を知ったら。

 優しくしてくれていた志摩家の人達は、どう思うんだろう。

 窓を叩きつける大粒の雨を見つめながら、ドアにもたれかかる。

 とりあえず……寝るか。

 そう思った時だった。

 コンコンッという控えめなノックと、背中に伝わる振動で心臓が飛び出そうになる。


「ひゃ、はい!」


 驚きのあまり、変な声が出てしまった。


「蜜花さん? 起きてますか?」


 この声は雪君。

 

「起きてるよ! すぐ開けるね」


 わたしはドアから離れ、軽く深呼吸する。

 ささっと身だしなみを整えた後、ドアを開いた。

 廊下には白いシャツに黒のパンツスタイルの雪君が、申し訳なさそうな表情で立っている。

 

「どうしたの?」


「夜分遅くにすみません。先ほど神原先生のところに伺った際、蜜花さんの声が聞こえたので、起きているならば……と来てみたのですが」


「あ、うん、大丈夫。雷の音で目が覚めちゃって……」


 神原さんのところに来たって事は、神原さんの部屋、この近くなんだろうか。

 なんてことを考えていると、再び雷が。

 悲鳴をあげそうになるのをぐっと堪える。

 しかしそれも一度だけ。

 窓から見える稲光に気づいたわたしは、その場にしゃがみこんだ。


「蜜花さ……」


 轟く雷鳴。

 体に伝う振動。

 今のは無理。本当、無理。

 心臓が激しく鼓動していて自分のものじゃないみたい。

 光も音も届かない場所に行きたい。

 大きな音に耐えるため体を縮めると、耳を抑える手がほわっと温かくなる。

 目を開けると、雪君がわたしの手に自分の手を重ねていた。

 その行動に驚いて雪君の顔をまじまじを見る。

 雪君は恥ずかしそうに頬を染め、目をそらした。

 雪君の耳が赤くなっているのを見て、わたしもすごく恥ずかしくなる。

 年下の雪君に気を使わせてしまった事。

 いい年して雷が苦手な事。

 でもそれも、次の雷が来るまでで、雷が落ち着くまで、わたしはずっと雪君と床に座り込んでいた。

 

「遠くの方にいったようですね」


 手の上から温かみがなくなり、わたしも耳にあてていた手を下した。

 窓から見える紫色の夜空の黒い雲が、瞬く間に横へ横へと流れていく。

 空が唸る音も遠のき、ようやくわたしは立ち上がる事ができた。

 それを見て、雪君も一緒に立ち上がる。


「あの、ありがとう」


「いえ……」


 雷が落ち着くまでわたしの耳を抑え、一緒にいてくれた雪君。

 目が合うと、にっこりと微笑んだ。


「もう大丈夫ですか?」


「うん。まだ心臓がしてるけど、大丈夫」


 優しい雪君の微笑みに、わたしも心までほっこりしていると、不意に雪君が口を開いた。


「そういえば、蜜花さんはこんな時間に何をされていたんですか?」


 雪君のもっともな質問。

 悪いことをしていたわけではないのに、なぜか罰が悪い。


「雷で目が覚めたんだけど、廊下で争うような声がして……」


「争うような?」


「うん。一人は男の人だったと思う」


 柚子姉さんの名前が聞こえたから、気になった事は伏せた。

 間違いかもしれないし。

 雪君は困惑した表情で首を傾げる。


「東側の客室には、蜜花さんと神原先生しか利用していないんですが、神原先生は今母屋の方にいるんです」


「え? わたしと神原さんだけ?」


「はい。秋吉さんと岡橋さんは西側を利用していただいているんです。家族は皆母屋にいますから、東西合わせて四部屋が空き室になっています」


 という事は、さっきは神原先生と誰かの話声だった?

 夕飯の時に聞いた声を思い出すけど、似ていなかった気がする。

 わたしの問いかけに、雪君の表情が曇った。

 変な事を聞いてしまったのかも。


 「あの……あまり不安にはさせたくなかったんですが。この嵐せいで、その……」


 歯切れの悪い雪君の様子から、なにか良くないことがおこったんだと察する。

 雷は遠ざかったようだが、部屋の外は豪雨と暴風により荒れ狂ったまま。

 続きを待っていたわたしに、雪君は渋るような表情で言葉を続けた。


「道が……塞がってしまいました」


「道?」


 ここに来るときに歩いた山道を思い出す。

 雪君は頷き、窓の外を見た。


「そうです。土砂崩れがおきて道の一部が埋まってしまったんです」


「もしかして、それって結構大変な事?」


「はい。結構大変な事です。でも問題は道が通れなくなったことではなくて」


 雪君が言い淀む姿に、わたしも段々不安になってきた。


「あ、いや、その……すみません。説明するのが苦手で。詳しくは明日父がお話しすると思います。蜜花さんにご迷惑をおかけすることはないようつとめますので、気にせずにお休みになられてください」


 そういうと雪君は微笑んだ。

 わたしを不安にさせない為の笑顔だろう。

 色々気になることもあったけど、雪君の気遣いを無駄にしないように、わたしも雪君に笑顔を返し頷く。

 雪君は軽く頭をさげると、そのまま部屋を立ち去った。

 再びベッドに横になってはみたけど、気になってなかなか目を閉じることができない。

 ベッドの近くにある目覚まし時計を見ると、時計の針は三時四十分を差していた。

 道が通れなくなるより問題な事ってなんだろう。

 塞がったってレベルじゃなくて、道路自体が崩れちゃったとか?

 でもそれなら塞がった、とは言わないか。

 孤立したとかっていうような、悲観的な状況じゃないと思うんだけど。

 なんて事を考えていたら、次第に瞼が重くなり意識が途切れ途切れになった。

 また雷が鳴らなければいいな、と思ったのが最後。

 いつの間にかわたしの意識は、深い闇の中に落ちていった。

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泣く梟と 鳴く子供 植木エウ @eu--ueki

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