第4話心機の食卓
「食事は二階の右側にあるダイニングで行います。カフェスペースを曲がってすぐのところです」
雪君と一緒に二階のカフェスペースに下りたわたしは、雪君に手で示された方を見て息を吞んだ。
ダークトーンの木製の両開きドアは、天井に届きそうな程大きく重厚感がある。
元々志摩家は天井が高い。
普通の家庭だと室内には使用できないんじゃないだろうか。
ドアの中心に施された薔薇の花の飾り彫りは、金色の塗料で浮き出るように彩られ、ドアの両側にあるガラスの照明のせいかキラキラと輝いて見えた。
ドアを見上げ、物おじしていると、それに気づいた雪君に肩をとんとんっと叩かれる。
「もう少し時間がありますから、この奥もご案内しますね」
ドアを開けて中に入る勇気がなかったわたしは、思ってもない申し出に首を縦に振った。
雪君はにっこりと微笑んでいたけど、これじゃどっちが年上なんだか。
雪君は廊下の奥に進んでいく。
「ダイニングの隣が洗面所、その奥が大浴場になります。中は左右男女に分かれていて、日によって入れわかるようになってるんです。加岐馬は温泉が出ますので、うちもそれを引いてるんですよ」
「温泉!?」
「え? ええ。お好きなんですか?」
過剰に反応してしまった事が恥ずかしい。
赤面しつつ頷くと、雪君が笑った。
今までみたいなふわんとした微笑みじゃなくて、面白くて我慢できなかった、みたいな。
目を細めて笑う雪君を見ていると、ああ、年下なんだなって思う。
出会った時から落ち着いていて、大人びていたから。
でも、そこまで笑うところがあっただろうか。
気恥ずかしさからどう反応していいか迷っていると、笑いがおさまった雪君も頬を赤くしている事に気づいた。
こほん、と咳払いしてるけど、耳まで真っ赤。
「すみません。ちょっと、その……」
「いや、えっと、こちらこそ、なんかごめん」
なにが雪君のツボにはまったのかわからないけど、雪君がすごく恥ずかしそうにしているので突っ込まなかった。
耳を赤くした雪君の案内は、何事もなかったかのように続けられる。
「食事の時間は決まっていて、朝は八時。昼は十二時。夜は七時になっています。それ以外の時間をご希望でしたら、一階の使用人の部屋に申し出てください」
うっかり朝寝坊でもしたら、多恵さん達に迷惑をかけることになりそうだ。
「朝起きるの苦手だから目覚まし時計三個持ってきてるんだけど、全部使って大丈夫かな?」
「さ、三個ですか?」
雪君の目が丸くなる。
話せば話す程、呆れられてる気がするんだけど……大丈夫かな、わたし。
「防音対策は各部屋に施してありますので問題ありませんが、良かったら朝、起こしに来ましょうか?」
「ううん! 大丈夫! ちゃんと起きるから」
雪君の目が本当に? って言ってるように見えるのは気のせいだろうか。
話せば話す程、色々と墓穴を掘り進めていっている。
再びダイニングルームの前に移動すると、雪君が扉に手をかけて振り向いた。
「席の場所は気になさらず、ご自由にお好きなところにおかけください」
頷くと、雪君はそのままドアを開く。
部屋に入ったわたしは、中を見て固まった。
若草色に金色の薔薇模様の壁。
赤を基調としたペルシャ絨毯は細やかな柄が描かれている。
天井にはクリスタルガラスのシャンデリアが飾られ、室内を煌びやかに照らしていた。
部屋の中央には特注品だと一目でわかるような、ダークトーンの大きなダイニングテーブルが一際目を惹く。
ダイニングのドアと同じ木材で造られたであろうテーブルのサイドには、これまた同じ薔薇の花の細工彫りがされていた。
その上に並べられた色鮮やかな料理は、テレビや本でしか見た事がないくらいに豪華。
香草をまぶしたピンク色のローストビーフに、黄色や黒のプチトマトやクリーム色のアボガドとあえたシュリンプカクテル、水色のゼリーみたいなものと固めてある白いのはなんだろう……
銀色の食器に盛り付けられたそれらの料理名はさっぱりわからない。
しかし、わたしが固まってしまったのは、豪華な部屋の内装でも、おいしそうな料理のせいでもない。
テーブルから静かにこちらを見つめる、無数の視線のせいだった。
好意、敵意、好奇心。
様々な感情が入り乱れた視線を一度に浴びて、情けないことにひるんでしまったのである。
「あ……の……」
自己紹介をしなくちゃ、そう思い絞り出した声はかすれていた。
雪君がわたしの様子に気づき、「蜜花さ……」と声をかけてくれたが、それより先に、近くにいた男性が立ち上がり、わたしに手を差し伸べてくれた。
「蜜花ちゃんはこっちね」
そういうと、手慣れた様子でわたしの手を取る。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「快。志摩快だよ。もう忘れたの? ひどいな」
男性はそういって微笑んだ。
熟女好きというイメージだけが強くて、名前が出てこなかったとは言えない。
快さんはわたしの手を引くと、自分が座っていた席の反対側に連れて行く。
白いテーブルクロスの上には白いお皿と銀のナイフ、フォーク、スプーンがセットされていた。
「あら。快さん、蜜花さんともう面識が?」
おっとりとした、でもとても優しい女性の声。
わたしの隣の席に座っていたのは、雪君のお母さんの桔梗さんだった。
桔梗さんはわたしと目が合うと、にっこりと微笑む。
「ああ、君が森山君か」
少し離れた席から男性の声がした。
長方形のテーブルの先頭に座る男性。
席の位置からその人物が誰だかわかり、慌てて頭を下げた。
「は、初めまして! この度は我儘を許可していただき、ありがとうございました! 森山蜜花と申します!」
男性はははっと好意的な笑い声をたてて笑う。
「私は
意思の強そうなくっきりとした目元に、形の良い鼻。
少し厚めの唇は、優しそうな笑みを含んでいる。
ロマンスグレーの頭髪を後ろに流し、口元には丁寧に形づくられた髭が蓄えられてあった。
パリッとしたノリの効いたシャツに、温かい色のニットのセーター、グレーのスラックスという服装は、日本人離れしていて、イギリス紳士ってイメージ。
お父さんらしくないって言ったら失礼かもしれないけど、わたしの父親とはあまりにも違う姿に思わず見とれてしまう。
穏やかな表情の三雲さんは、立ったままのわたしを見て苦笑する。
「どうぞ、お座りになってください」
促され、慌てて着席した。
「ここには一週間滞在するんでしたね?」
三雲さんの問いかけに緊張から何度も頷く。
「い、一週間、お世話になりますっ」
そういって頭を下げると、三雲さんの笑い声が聞こえた。
「かなり緊張しているようですね。そうだ、まずは家族に自己紹介させましょう」
そういって三雲さんが右手を上げると、わたしの前に座っていた快さんと雪君が立ち上がる。
「貴方の前にいるのが長男の快。そして、その隣にいるのが次男の雪。末の子は体調を崩しているためこの場にはおりません」
快さんと雪君が頭を下げる。
快さんはにこやかに、雪君も目が合うと優しく微笑んでくれた。
末の子というのは雪君が言っていた紗奈ちゃんの事だろう。
快さんは三雲さん似、雪君、紗奈ちゃんは桔梗さんによく似ていた。
雪君も紗奈ちゃんも西洋人形のような外見で、その肌は透けるように白い。
雪君、本当は女の子だったりしないかな……なんて思っていると、自己紹介はまだ続いていたようで、次に雪君の隣に座っていた男性が立ち上がった。
年は三十代前半ぐらいで、とても背が高い。
銀色のフレームの眼鏡をかけていて、夏も近いというのに黒いスーツを着ている。
しかし暑苦しいといった感じはなくて、とても爽やかな印象の男性だった。
「彼は子供たちの家庭教師をしてくれている、
三雲さんに紹介された男性は会釈し、席に座った。
「次は……」
急に三雲さんが渋い顔をする。
「あ、俺たちはいいっすよ。とばしてとばして」
「ちょっと、やめなよ、シゲ」
三雲さんは神原さんの隣に座る男性の発言に、眉間を寄せる。
その様子に気づいた隣の女性が、慌てて男性を諫めていた。
男性はオレンジの派手なシャツに黒いタンクトップを着ていて、長めの髪はとても明るく痛んでいた。
日に焼けた肌にシルバーのクロスペンダントをつけており、両手にはごつめの指輪をしている。
謝罪よりも目の前の料理を口に運ぶことに夢中といった感じで、女性は気まずそうに頭を何度も下げた。
「すみません! この馬鹿は
女性はセミロングの髪を緩く巻き、白のシャツワンピースを着ていた。
清楚な雰囲気に似合わない、シルバーのクロスのペンダントを付けている。
よく見るとシゲと呼ばれた男性の指輪と同じデザインをしていた。
二人は恋人同士なのかもしれない。
「彼らは快の友人だ。大学卒業後、長い夏休みを過ごしている」
三雲さんは少し不機嫌そうに言った。
込められた嫌味にどう反応していいかわからずにいると、男性が食事の手を止める。
「いいっすね。その紹介最高」
口調のわりに鋭い目つきで三雲さんを睨みつける男性と、冷ややかな三雲さんの視線がぶつかった。
一触即発といった雰囲気。
「シゲ。本当のことだろ?」
そこに割って入ったのが快さんだ。
男性の隣に立ち、肩を抱く。
「蜜花ちゃん、こいつシゲって呼んでやってね。俺たち二人、二十七歳のニートなんだ。いつまで遊んで過ごせるか挑戦中でさ、いつも暇してるから、今度一緒に遊ぼうね」
快さんは、シゲさんの顔を無理やりわたしに向ける。
そうすることで、かなり強引だが険悪な空気を変えた。
ほっとして胸をなでおろす女性と、むっとした顔のままの三雲さん。
桔梗さんと雪君は心配そうに快さんを見ている。
神原さんはこういう状況に慣れているのか、我関せずといった顔で食事をしていた。
「……次に亘一、立ちなさい」
三雲さんは快さんとシゲさんから不快そうに視線を外し、桔梗さんの隣に座る男性へ話しかける。
ゆっくりとした動作で立ち上がった男性は、グレーのジャージを着ていて、長い髪を後ろでひとつに束ねていた。
一礼すると顔を上げることもなくすぐに椅子に座り込み、再び食事を続ける。
「彼は
弟、というにはかなり年の差がありそう。
三雲さんは五十代後半か六十代前半くらいなのに、亘一さんはどう見ても二十代。
快さんより若く見えた。
彫の深い顔の三雲さんとは真逆で、亘一さんはとても線の細い神経質そうな顔をしている。
華奢な体形も女性的だ。
「あとは使用人が数名おります。
一人は貴方もご存知の
大きな銀のトレイに料理を乗せて運んできた女性に、三雲さんが声をかける。
千代子と呼ばれた女性は、ショートヘアに黒い長袖のワンピースに白いエプロンをつけており、三十代後半ぐらいに見えた。
白い歯が印象的な、爽やかな笑顔で一礼する。
「彼女は
一通り自己紹介が終わったが、一度に名前を覚えられるか、正直不安。
名簿がほしい、なんて思っていると、視線がわたしに集中していることに気付く。
自己紹介をしないといけないんだと気づき、慌てて頭をさげた。
「わ、わ、わたしは、森山蜜花、です。じ、事情を知ってる方もいらっしゃると思いますが……八年前にこちらでお世話になっていた森山柚子の妹です」
「柚子さんの?」
驚いた顔をしたのは家庭教師の神原さん。
「ご存知ですか?」
神原さんは顔色を曇らせる。
「はい。ちょうどその頃、こちらで雇われましたので。すみません、途中で口を挟んでしまって。どうぞ、続けてください」
わたしが柚子の妹だと聞いて驚いたのは神原さんだけ。
自分には全く関係ないと思っているのか、シゲさんや亘一さんは黙々と食事を続けていた。
気遣うような視線を向けてくれている真紀さんも、姉のことを知っているのだろう。
雰囲気にのまれないように深呼吸した後、口を開く。
「……こちらに来たのは、姉の遺品の中から気になるものを見つけたからです」
その瞬間、空気が変わった。
お付き合い程度に話を聞いている、といった雰囲気だったのに、今は部屋にいる全員がわたしに注目している。
「遺品、というのは?」
沈黙を破ったのは神原さん。
先程の反応が気になったわたしは、目的の全てを話すのをやめた。
嫌な予感がしたから。
「写真です。加岐馬の風景を切り取った写真がたくさんあって……もうすぐ姉が亡くなった年齢に近づきますし、姉が見たもの、残したかったものをこの目で見たい、そう思ってきました」
「まぁ……それは素敵だわ」
桔梗さんが声を上げる。
「お姉さんの思い出を辿る旅でしたのね。どうぞ、どこでもお好きなところを見てくださいね。でも、危険な場所もありますから、お一人だと危ないので、言っていただければいつでも快や雪に案内をさせますわ」
「ありがとうございます!」
桔梗さんの優しい言葉に、やっぱり本当の事を言った方が良かったのかなって気持ちになった。
しかし、
「あのさぁ」
ぶしつけともいえる口調で、シゲさんが声を上げた。
真紀さんが三雲さんの顔色を伺いながら、制止しようとシゲさんの肩を揺さぶる。
「あんたって事故目撃したって子でしょ?」
歯に衣着せぬ言い方。
「そう……です」
シゲさんの質問の意図がわからない。
それがなんだというのだろう。
「あんた、けっこう有名だよ? 不運! 飛行機事故現場に居合わせた妹! みたいなニュースしょちゅう見たし」
「シゲっ」
真紀さんの制する手をうっとおしそうに払いのけたシゲさんは、わたしの目をじっと見つめた。
「しかも相当変な事言ってたらしいじゃん? 生き残った子供がいるとかなんとか。それが今更写真の風景を見たいからって理由でここまで来る?」
「……どこかおかしいですか?」
「おかしくないわけないじゃん。目的は別にあんでしょ? 例えばお金? とかさ」
この言葉で、シゲさんが何を言いたいのかわかった。
この人、わたしが過去の事を持ち出して志摩家にお金を無心に来たんだと思ってるんだ。
「秋吉君、やめなさい!」
三雲さんが諌めると、シゲさんは両手を広げ首をすくめる。
立ち上がり、テーブルの上のキッシュを一枚手に取ると、そのまま部屋から出て行った。
「私共の客人が失礼な事を……ごめんなさいね、蜜花さん」
桔梗さんが優しい声をかけてくれたが、シゲさんの言葉は胸に突き刺さる。
わたし達家族をよく思わない人がいるのは事実だ。
事故現場を目撃した哀れな少女を、メディアが商材としたためである。
そのことにより、悲劇の家族は一躍時の人となった。
多額の賠償金で豪遊している、などとでっち上げられたりもしたという。
見ず知らずの人間から嫌がらせを受けたこともあった。
しかし世間の興味はすぐに他のものへと移り行く。
ここ数年は実に平穏な生活ができていたというのに、まだこんな風に見られるなんて。
歯がゆい気持ちで顔を上げると、誰も目の前の食事に手を伸ばそうとしていないことに気付いた。
食事時の空気を悪くしたのが、わたしのせいだと思うと申し訳なくて慌てて頭を下げる。
「皆さんにご迷惑をおかけしないようにします。だから……一週間、いさせてください。お願いしますっ」
言葉を発している間、口の端が何度も震えた。
目の奥がつんとする。
これ以上なにか言われたら、泣いてしまいそう。
「歓迎するよ、蜜花ちゃん」
快さんの言葉に弾かれたように顔を上げた。
雪君も、わたしと目が合うと、にっこり微笑む。
三雲さんも桔梗さんも笑顔でわたしを見つめていて、わたしは安堵から涙腺が緩みかけた。
その時、部屋の奥から多恵さんと千代子さんが銀のトレイに料理をたくさん乗せて出てくる。
「自己紹介は終わりましたか? 多恵が腕によりをかけて、蜜花さんの歓迎料理を作ったんですからね。さあ、たっくさん食べてくださいよ」
そういって、わたしの前に大きな赤い魚の料理をドンと置いた。
香ばしいハーブの香りが、忘れかけていた食欲をそそる。
「こちら、加岐馬島沖で釣れた甘鯛の香草焼きです。鱗もぱりっとした食感でおいしいから、皮のまま食べてくださいねぇ」
多恵さんがスプーンとフォークで身をほぐし、お皿によそってくれた。
「柚子さんは私達にとっても大切な人でした。蜜花さんがいたいだけいてくださって大丈夫ですから、迷惑だなんて思わないでください」
三雲さんがにっこりと微笑んでそう言ってくれた。
その思いやりが、優しさが嬉しくて。
涙で視界がぼやけながら、わたしも笑顔を返す。
その後は、とても和やかな雰囲気で食事は進んだ。
多恵さんも千代子さんも、次々においしい料理を運んできてくれて。
嬉しくて。
来てよかったって思えて。
泣きそうだった。
思えば、この時が一番良かったんだと思う。
過去に囚われることの苦しみを、本当の意味で知らなかったから。
引き返すことは、もう、できない。
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