第3話二つの家
志摩家の玄関は広く、開放的な造りをしていた。
最初に目についたのは、吹き抜けの壁に飾られた、銀色の額に入ったA2サイズほどの絵画。
アルファベットのSという形に似た島の絵だ。
とても繊細なタッチで描かれた水彩画で、右下隅に『加岐馬』と書かれている。
画家のサインはない。
床はつるつるとした表面の天然石でできており、天井からは白い鈴蘭の形をしたガラス製のライトは柔らかな明かりを灯していた。
白いレンガの壁紙に、深みのあるダークブラウンの腰板は木目がとても綺麗で、丁寧に手入れされている事がわかる。
左手には腰板と同じ木材でつくられた壁一面のシューズボックスがあり、わたしのサンダルを雪君が仕舞う。
用意されてあった濃いグリーンのスリッパを履くと、あまりの柔らかさにこけそうになった。
ボルドー色のカーペットが敷かれた右手の廊下から、誰かが歩いてくる音が聞こえる。
「雪さん? お帰りになったの?」
おっとりとした口調の耳なじみの良い声。
奥から現れたのは、四十代前半ぐらいの気品を感じさせる大人の女性だった。
濃い紫と黒のグラデーションになった着物に、銀色の帯を締めていて、黒く艶やかな髪を夜会巻きにしている。
白い肌に赤い唇がよく映えて、同性だというのにドキッとした。
女性は雪君の隣にいたわたしに気付くと、にっこりと微笑む。
「初めまして。加岐馬島へようこそ。わたしは
「あ、も、森山密花です。一週間、お世話になります!」
慌てて頭を下げたわたしは、女性の後半の言葉に驚く。
「え? 快さんと雪君の?」
「ええ。母ですの」
そう言って目を細めた桔梗さんは、とても綺麗だった。
とても二十代半ばの息子がいるようには見えない。
姉のお葬式の時に見かけた気もするが、こんなに綺麗な人だっただろうか。
桔梗さんは目を閉じて、深く頭を下げる。
「その節は……」
「や、そんな……やめてください」
姉が乗っていたセスナ機は、志摩家の人が所有していたものだった。
島に来る前に母に教えてもらった情報によれば、運転していたのは志摩家の使用人であった、
一緒に乗っていたのは、加岐馬に住んでいた
事故があった時、志摩家所有のセスナ機が事故を起こしたという事で、両親となにかしらあったという事は聞いている。
十年たった事もあり、両親は、
『柚子を亡くしたショックが大きすぎて、志摩家を責める事でなんとか気持ちを保とうとしただけで、志摩家の人々は充分すぎるほどの誠意ある対応をしてくれた』
と言っていた。
今更わたしが何かいうはずもない。
戸惑うわたしを察してか、雪君が桔梗さんにそっとなにか耳打ちする。
再び顔を上げた桔梗さんは、
「さあ、どうぞお入りになって」
と、促してくれた。
「お部屋にご案内しますね」
そう言って微笑んだ雪君は、桔梗さんととてもよく似ていた。
「僕は密花さんをこのままお部屋にお連れします」
「ええ。よろしくね、雪さん。密花さん、ご自分の家と思って、好きなようにお過ごしくださいね」
「ありがとうございます」
桔梗さんに頭を下げると、わたしは先を行く雪君の後に続く。
雪君は廊下を少し進んだところにある、緑色のドアの前で待っていた。
「このドアの奥は、僕たち家族の部屋がある母屋へ繋がっています。うちは少し変わった造りをしていて、ふたつの家が対になってるんです」
「ふたつの家?」
「ええ。この洋館の一階には、こちらに勤めていただいている方々の部屋や仕事場があり、二階には皆さんと食事をするためのダイニングルームや応接室などがあります。三階はゲストルームが八部屋程あり、中にはそれぞれトイレや簡易シャワーが備え付けてあるんです」
ゲストルームが八部屋。
わたしの家は建売一軒家で、4LDKの間取りだという事を考えれば、相当広い家だという事がわかる。
「この扉の先にある母屋は両親の部屋や僕達兄弟の部屋があるだけですから、密花さんがご利用になる事はないと思いますが、なにかありましたらこちらからどうぞ」
わたしが頷いたのを確認すると、雪君は緑の扉の右にあった階段を指差した。
階段の更に右側には奥へと進む廊下があり、その先が使用人の人達の部屋や仕事場があるみたい。
位置的に吹き抜けの裏になるのかな。
U字型の階段を上ると、ホテルのロビーのような空間があった。
大きなテラス窓の前に一階から続く吹き抜けがあり、その吹き抜けを囲むように、三人掛けの黒いレザーソファーがみっつ並べられている。
ここが外から見た時に一際目を引いた、大きな窓の場所だろう。
ソファーの両脇にはカフェテーブルが置かれ、その上にはピンク色の薔薇が一輪飾られていた。
「ここはカフェスペースです。自由に使ってください。
ここが二階の中心で、右にダイニングルーム、大浴場、洗面室、収納部屋があります。
左は応接室と、父の書斎、それと小さな図書室もあります。
食事はダイニングで全員揃ってから食べるという決まりがあるので、お食事の際はこちらまでお願いします」
続いて三階に上がると、三階も吹き抜けを囲むように、三人掛けの白のレザーソファーがみっつ並んでいる。
二階と同じようにその隣にはカフェテーブルがあり、こちらには白いバラが一輪飾られていた。
ここも二階と同じサイズの大きな窓があるが、レースはかけられていない。
オレンジ色の夕日が緑色の木々を照らしている景色が見え、とても綺麗だった。
「ここもカフェスペースになってます。こちらのテラス窓がある方向が南向きなので、左右を西部屋、東部屋と呼んでわけているんです。左右四部屋ずつあって、密花さんのお部屋は東側の一番奥です」
三階に来て、この家の大体の造りが分かった気がした。
単純に凹のような形をしてるんだと思う。
玄関の吹き抜けを中心に、左右に部屋がわかれているみたいだし、部屋数は多いけど迷子になる事はなさそう。
二階にはテラスがあったけど、三階の窓は外に出る事ができないみたいだ。
雪君は右の廊下を進んでいく。
外に面したほうには腰板と同じ木でできた格子窓があり、その反対にはかなり濃いダークブラウンのドアがみっつ。
ドアの横には銀色のプレートがあり、403、402、と書いてあった。
雪君が足を止めたのは、一番奥にある401のプレートがある部屋。
下にひねるタイプのドアノブを回し、開かれた部屋を見て、わたしは息を飲んだ。
中はそれまでシックなイメージと違い、若草色に黄色の小花柄の壁紙に、白で統一された家具。
天然木でできたらしい木目の綺麗なフローリングの中央には、赤い円形のシャギーラグが敷かれていた。
左奥にはL字型の出窓があり、薄暗くなってきた森が見える。
右奥には天蓋付きのベッドがあり、白く清潔なカバーがかけられていた。
「すごい綺麗……」
わたしが部屋にみとれていると、雪君が苦笑する。
「気に入っていただけて良かったです」
そういうと雪君は、ベッドと同じ並びにあるクローゼットの扉を開けた。
「お荷物はこちらに置いておきますね。直に夕食ですので、また後でお迎えに来ます。それまではお
クローゼットのあまりの広さに驚き、中に入り込んでいたわたしは慌てて出る。
「雪君! なにからなにまでありがとう」
雪君ははにかむような笑みを浮かべた後、はっとしたように、わたしに銀色の鍵を手渡した。
鍵の形は丸く細長いもので、一般家庭の玄関に使うものとは全く違う。
小学生の時、鶏小屋で使用していたような、良く言えばレトロな形のものだった。
「お部屋を出られる際には必ず鍵をかけてください。それではまた後程」
「ええ。また後で」
雪君が部屋を出ていくのを見届けた後、わたしはすぐにベッドに倒れ込む。
くたくただった。
受け入れを快く引き受けてくれた志摩家の人には、感謝している。
でも、やはり事故の話になると複雑で。
加岐馬島に来る前に、志摩家の人々の事は少し調べていた。
まず、加岐馬島の所有者であり、志摩家の当主の
この人の奥さんの名前は桔梗さんと聞いている。
つまり、三雲さんは快さんと雪君のお父さんって事で間違いはないだろう。
わたしが事故現場に子供がいるのを見たと言った時、真っ先に否定したのはこの三雲さんだと聞いている。
今回わたしがあの時の子供を捜しに来たと言ったら……どんな反応をするか、考えただけで胃が痛かった。
とりあえず化粧直しでもしようと、ベッドから起き上がる。
部屋にトイレと簡易シャワーがついていると言っていたので、室内をぐるりと見回す。
入口のドアからすぐの右にある扉は、ウォークインクローゼットだった。
なので、その逆、左手にあるドアを開けてみる。
思った通り、柔らかなピンクで統一された、とても清潔感のあるユニットバスがあった。
備え付けの小さな洗面台で手を洗い戻ると、ベッドの上になにか置かれている事に気付く。
さっきまでなにもなかったのに。
洗面所にいたのはほんの一瞬。
ベッドに近づいたわたしは躊躇なくそれを手に取った。
絵画のような桜の押し花。
桜の木の皮を枝と見立て、その枝に桜の押し花が咲いている。
小さな写真立てに入れられたそれは、見覚えがあった。
デコボコとしたアイボリーのエンボス紙の裏を見ると、YUZUKOと姉のサインが書かれている。
そう、これは姉の作品だった。
草花が好きな姉は、ドライフラワーを作ったり、押し花をつくるのが得意で、自宅にも姉の作品が多数ある。
「なんでこれがここに?」
雪君が出ていった後、鍵はかけていなかったと思う。
無断で誰かが部屋に立ち入った事よりも、この作品をわたしに見せようとした人物がいる、という事に胸がざわついた。
わたしは押し花を手にしたまま、部屋の外に出る。
勢いよく飛び出したはいいが、
「きゃっ」
扉の前にいた人物に、思いっきりぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
扉の前にいた人物は、尻もちをついたわたしに、慌てて右手を差し伸べる。
年齢は雪君と同じぐらい?
肩までの髪はサラサラのストレートで、きめ細やかな肌は透けるほどに白い。
高すぎず低すぎない鼻。
薄紅色の唇。
緩やかなカーブを描いた睫は、黒めがちな瞳に色気のある影をつくっていた。
薄紫色の着物に白い衣を羽織った少女は、心配そうにわたしを見ている。
うっかり見惚れていたわたしは、慌てて立ち上がった。
「いや、わたしが突然飛び出したからごめんなさい。大丈夫? 怪我してない?」
少女は頷いた後、にっこりと微笑む。
そして両手を前で揃えると、深々と頭を下げた。
「御夕食の用意が整いましたので、お迎えに上がりました」
少女は所作がとても綺麗で、同性なのに胸がキュンっとする。
「あ、ありがとうございます」
なんとなく目元が雪君に似ている気がする。
雪君の妹さんかな?
なんて考えながら見ていると、少女はわたしの視線に気付き、はにかむような笑みを浮かべた。
「ご用意がまだできていらっしゃらないようでしたら、また後程お迎えにあがりますが」
「あ、ごめんなさい! 大丈夫」
わたしはそのまま部屋を出ようとして、はっとした。
鍵をかけてないし、手には押し花を持ったまま。
「ちょっと待っててね!」
そう言って、部屋に戻った。
出窓の近くにある白いアンティークテーブルの上に押し花を置き、ベッドに置いたままにしてた鍵を手に取る。
クローゼットの中に備え付けてあった姿見で身だしなみのチェックをした後、再び外に出ると、そこに少女はいなかった。
そんなに待たせてはいなかったと思うけど、先に行ってしまったのかな。
鍵をかけ、カフェスペースまで移動してみる。
すると、ちょうど雪君が階段を上がってきていた。
「雪君」
雪君はわたしに気付き、ふっと微笑む。
「ちょうどお迎えに行くところでした。少しはお休みできましたか?」
「ごめんなさい。さっき迎えの人が来てくれたんだけど、ちょっと待たせてしまって……」
「迎えが?」
雪君が首を傾げる。
「うん。雪君と同じ年くらいの女の子だったよ」
「ああ……紗奈かもしれません。気にしないでください。彼女なら先ほど母に呼ばれていましたから。さあ、行きましょう」
紗奈ちゃんっていうんだ。
後でまた話せたらいいな、と思いつつ、雪君の後に続いた。
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