ようこそ、仮面店へ。

橘花 紀色

仮面店

カランコロン


ドアの鐘が鳴る。店に客が入ってくる合図だ。この店の主である篝 幸人(かがりゆきと)は読んでいた小説の手を止め客の方を見やった。


「いらっしゃいませ。ようこそ、仮面店へ。」


この篝という男は17歳にしてこの店を継ぎ、自ら生計を立てている。店には1人。両親は4年前に他界した。兄弟もいない。仮面って何かって?いずれ嫌でも知ることになるのでそう焦らず。


「…今日はどの仮面が必要で?」


「嫉妬の仮面を下さい。代金はこれで。」


赤いコートを着て、すらっとした長い手足を持つ女性の客が答えた。その白い美しい手には万札が一、二、三、四、五… もう少しあるのかもしれない。


「また珍しいものが必要ですね。ただ今ご用意致します。」


篝はしっかりと笑顔で返し、店の奥へと入っていった。しばらくして、清潔感のある布に包まれたひとつの仮面を手に持ち、それを女性に手渡した。


「ありがとう。嫉妬の仮面なんて変よね。実は主人の浮気を見てしまった時に私が動じないでいたら、お前は嫉妬したことが無いのか、可愛げがないと言われてしまって。それで試しに噂の仮面店に行ってみようと。おかしな話なのは自分でも分かっているのだけれど。」


「いえ、理由なんていらないんですよ。仮面を買うのに。」


(…そいつなんかのために嫉妬か。ばかにもほどがある。)


篝は決して本心を顔に出さない。それは彼自身も「仮面」を付けているからである。それも今は笑顔の仮面。

もうお分かり頂けただろう。仮面とは「感情」のことである。嫉妬の仮面、笑顔の仮面、悲しみの仮面…。この店にはありとあらゆる感情の仮面が置いてある。これらの仮面を付けることによって、外部からはあたかも笑っているように見えたり、泣いているように見える。篝は時と場に合わせて自分の仮面を付け替えるのだ。そんな不思議な仮面はある別の世界から仕入れている。店の奥の不思議な扉。そこが入口で、篝にしか入ることは許されない。


「では、どうもありがとう。」


「いいえ、またいつでも。気をつけて。」


赤いコートの女性は微笑みながら彼の目を見つめ、少し会釈をして扉を開け出ていった。季節は冬。扉を開けた瞬間に冷気が彼の全身を包み込む。


「こんな寒い中よくやってくるな…ってもうこんな時間か、店じまいだな」


午前0時。店が閉まる時間である。ちなみに店は平日は午後9時からこの時間、休日はほとんど一日中営業している。だが彼の気まぐれで店がやっていないこともしばしば。彼曰く、足りるだけ稼いだら後はいい、と。そんな不定期だらけなこの店は知る人ぞ知るような閑散とした場所にあり、人々の噂によって存在が言い伝えられている。噂が全く途切れないのは不思議である。


…今夜は満月。月と人の感情の関係は深いらしい。しかし篝は月が嫌いだ。


(…月ごときに感情なんか操られてたまるかよ…)


月明かりが怪しく彼を照らしている。彼はいつものようにベットで眠りについた。



朝7時、アラームが鳴る。篝はカーテンの隙間から入ってきた少しの光を眩しそうに見つめる。篝の朝の身支度はとても早い。朝食も食べないので10分から15分後には店を出る。そして店を出る時、彼は必ずすることがある。自室の壁にかけてある笑顔の仮面。慣れた手つきで彼はこれを装着する。


「…幸人、笑いなさい。笑っていたら幸せが近づいてくるの。」


篝の頭に母親の言葉が思い浮かぶ。彼女がよく彼に言っていた言葉だ。あの優しい目は今でもよく覚えている。そんなおおらかな性格の母親と反対に、彼の父親は2人に暴力を奮っていた。両親の死因は心中。父親が母親を道連れにした。あの黒い光景は今でも忘れない。立ちすくむ篝の目の前で首を絞められる母親は、なぜか最後まで笑っていた。

…分からない、彼にはなぜ母親が笑っていたのか分からない。その時から笑顔が上手く作れなくなった。だからこうして今日も仮面を付ける。

篝はふぅ…と息をつき、やっとの思いで店の扉を開け出発する。

外は冬本場の寒さを感じる。鼻の奥がつんっとなるほどの寒さ。彼は重い足で学校に向かう。学校はあまり好きではない。彼は1人が好きなのである。この店の場所はそう簡単にばれてはいけないため、学校からは少し遠いところにある。それもまた面倒だ。彼はひっそりと細心の注意を払いながら店の鍵を閉め、細い道を通って最寄りの駅へと向かう。「心羽高等学校」これが彼の通う高校の名。電車を乗り継いで8時頃には学校の校門に着く。そこで必ず1人の友人に声を掛けられる。


「よーお、篝。元気かあ!」


「おう」


「つれねえなあ」


「いつものことだろ」


この男は神代龍(かみしろりゅう)。篝の唯一気軽に話せる友人である。少したれ目で、いかにも好青年な印象を持たせる。篝とは全く反対の見た目と性格である。仲がいいといっても大していい訳では無いが、別に悪い奴ではないと篝は思っている。


「今日転校生来るんだとよ」


「興味無い」


「ほらあ、厳しい」


「…」


神代と話す時だけは笑顔の仮面に頼る必要がない。彼は何も考えていない人間なので、素で接しても問題ないのである。篝が会話を強制的に終わらせるので神代がいつものごとく拗ねていると、あっという間に教室に着く。するとチャイムが鳴り、同時に担任が転校生を連れてきた。教室がざわめく。


「今日はいきなりだけど転校生を紹介します。

日比谷紗月さんです」


「日比谷紗月(ひびやさつき)です。急ですがよろしくお願いします」


(…この時期に転校?もう今年が終わるっていうのに)


そこには小柄で、いかにも男子が騒ぎそうな風貌の女子がいた。少し茶色がかった瞳が印象的だった。ポニーテールで、くるっとした髪。笑顔で挨拶をしている。案の定男子の方はうるさかったが、篝は興味が無い。彼は一瞬その転校生と目が合ったので、微笑み返しておいた。

それからというもの特に何事もなく日比谷紗月は転校初日を終え、篝はいつもの様に帰ろうとしていた。その時だった。篝が何かを落としたのに気づいた日比谷は彼にそれを渡そうとした。しかし、彼が受け取ろうと手を伸ばした瞬間、腕を強い力で捕んだ。


「ねえ、その仮面、何?」


彼は焦った。今付けている笑顔の仮面、また店に置いてあるすべての仮面は装着している人間以外には見えないはずだ。


「なんのことかよく分からないんだけど。」


仮面のおかげで笑顔に見えるが、彼の本当の顔は引きつっている。


「しかも笑顔の仮面。変なの。まあいいや、君が例の仮面店の…篝くん、だね。君の店まで連れてってよ」


(…なんで知ってんだよ、高校生なんか普通知らないだろ。まずいな…)


「…なんで知ってんのか知らないけど…。ちょっと声抑えて。ちゃんと連れていくから」


「一応お客だからね。」


なんだこいつ…偉そうで腹立つ…と内心思いながら篝は日比谷と帰路を共にした。電車に揺られたあと、誰にもばれないような狭い道を進み店にたどり着く。2人は店に入る。


「ここかあ…ほんとにあったんだ。あの人に聞いた通り…」


(あの人…?まあいいか)


「で、要件は?」

篝がにこにこと尋ねた。


「もう、私の前ではその仮面外していいって」


(……くそ)

仕方なく仮面を外した。


「外せばいいんだろ。で、要件は?」


「感じ悪ー。まあいいや。実は、探して欲しい仮面があるの。」


「探して欲しい仮面?」


「そう、〝無〟の仮面なんだけど」


「無?」


それは果たして感情と言えるのか?いやでも無という感情があるということか?…と考えている隙にまた日比谷は続けた。


「どうしても必要なの。お願い。代金はちゃんと払う」


日比谷は今まで篝が見たことの無いほどの大金を鞄から取り出した。


「うわ…お前なんなの?ただの金持ち?」


「ただのってんだよ!まあお金はある。だからとにかくお願い」


「え、ちょ、待っ」


日比谷はそそくさと店を出ていってしまった。


(…なんだよもう…)


篝はどうすればいいのか分からなかった。今まで自分は店にある仮面の感情を何枚も売ってきたが、そんなものは見たことがない。

とりあえず彼は店にある仮面全てを見てみることにした。だが見つかる気配は全くない。


(…参ったな…明日日比谷にもう一度話を聞いてみよう。)


次の日、彼は彼女を捕まえて話を聞くことにした。放課後になり声を掛けようとしたのだが、あいにく担任と話があるようだった。こっそりと篝は様子を伺ったところ、そこには彼女の母親らしき人物もいた。終わればすぐ話しかければいい、そう安易に考えていた。しかし、日比谷の母親は担任と別れた後すぐに彼女の腕を強く引っ張り、外に連れ出した。篝も後を追う。するとすぐに母親の怒鳴る声が聞こえた。


「…あんたのその顔が気に入らないのよ!!今度また問題起こしたらただじゃおかないから!!」


そう言って日比谷を強く殴りさらには壁に叩きつけた。


「痛い…」


日比谷のか細い声が聞こえる。篝は驚いた。そこには4年前に他界した父親の姿と重なるものがあった。それと同時に母親の顔も脳裏に過ぎ去る。反射的に彼女に近づいて行ってしまった。


「おい…大丈夫か」


「はあ…まあ大丈夫。で、仮面はあったの?」


彼女が強がっているのはさすがに分かった。殴られた唇から血が滲んでいる。


「そんな早く見つからない。というかどこを探しても無かったよ。諦めてもらうしか…」


「え…うそでしょ。諦めるなんてありえない。店の悪い噂ながすよ?」


(あんなことがあった後なのに凄い威圧だな…)


しかしそれでは困る。彼には生活がかかっている。そんなことをされたら店に人が寄り付かなくなってしまう。篝は話題をそらそうとした。


「仮面が欲しいのは今のこれが関係してる?」


日比谷はあっさり答えた。


「うん、まあね。私あの人から虐待受けてるんだ。転校したのもそれが原因だし」


「もう何も感じたくないと」


「そう、っていうかやけに冷静じゃない?今の見てなんとも思わなかったの?」


「いや…まあ…」


冷静なのは事実だ。しかし同情はしなかった。4年前のあの時から同情という感情が薄れている気がする。薄れている感情はこれだけではないのかもしれないが。


「まあいいや。で、どうすんの?代金はちゃんと…」


日比谷が言いかけた時だった。後ろから明らかにこの学校の制服ではない女子生徒が近づいてきた。


「ちょっと紗月?!またやられたの?」


1人の女子生徒が駆け寄ってくる。


「木の葉…来てくれたんだね…」


(…誰だ?)


その木の葉…という女子生徒はショートカットで、愛らしい見た目の日比谷とは反対の長身でクールな印象だった。しゅっとした綺麗な鼻筋が目立つ。きっと…隣町の学校の制服だろう。


篝は笑顔で尋ねる。


「えっと…どちら様?」


「あっ、急にすみません。紗月が通ってた前の学校のものです。」


「木の葉だよ、横島木の葉(よこしまこのは)」


篝はやはり笑顔。


「横島さん?初めまして」


「初めまして。ねえ紗月…やっぱりあの人なの?それともこいつ?」


横島木の葉はちらっと篝を見た。


(…んなわけねえだろ)


日比谷が慌てて訂正する。


「違うよ木の葉!!篝くんは何にもしてない。あいつだよ、あいつ。」


「そう…よかった。疑ってごめんなさい」


「大丈夫ですよ」


こんなときほど仮面をありがたく感じる。篝はイラッとした感情を抑えて続けた。


「日比谷さんとは仲いいんですか?母親のことも全部知ってる?」


「知ってるよ、全部。あの人のせいで無理やり転校させられたことも。ねえ、それより大丈夫?傷ひどい…」


「あーうん。慣れてるし大丈夫。あとごめん!せっかく来てくれたのに。今日急ぐから…」


日比谷は逃げるようにして立ち去ってしまった。いや、元はと言えばお前と話がしたくて来たんだよ、なに勝手に帰ってんだよと言いかけて篝は言葉を飲み込んだ。


「紗月行っちゃった…ねえ、篝君?さっき話してたってことは紗月と仲良いの?だったらあの子を守ってくれない?私の代わりに」


「え…うん…最善は尽くすよ」


(…守るって言ったって…出会ったばかりだし…)


「紗月は2年前に父親が死んでしまったの。その時からあの人が狂った。最初はあの子がなんとか落ち着かせようとしたんだけど、それでもだめだった。紗月は父親が死んでから一度も泣いたことがないみたいだったの。そんな無理に強がってるところを見てた私は心配になって、あの子をずっと支えようとした。でも…さすがに今は難しい。」


横島木の葉は本当に彼女が心配なのだろう。スカートをきゅっと握った。


(…そうだったのか…)


事情を聞いた篝は今自分が彼女に出来ることは無の仮面を探すことしかないと思った。

それから横島木の葉と別れたを告げた後、彼の頭には〝守る〟の言葉がぐるぐると巡っていた。もし無の仮面を見つけて彼女に渡したら、それは守るということになるのか…?篝が立ち止まって考えているところに神代がやってきた。


「かーがりん、やっと見つけた。どうしたんだよ。そんな難しい顔して」


神代はずっと篝を探していたようだった。


「かがりんは止めろ」


「へへっ いいじゃん、可愛くて。なあ、それよりなんか困ってんだろ。おまえのその顔見たらすぐ分かるぞ。俺が一緒に考えてやるよ、そんで良いアイデアをおまえにやる!」


神代はとびっきりの笑顔だった。だが今欲しいのはアイデアではなくて〝無〟の仮面……

あっ、と篝は思った。


(…ないならもらうしかない、か…)


彼の最終手段。いつも仮面を仕入れているあの不気味な世界に行くことだ。本当はあの世界がどんな場所かよく分かっていないのであまり行きたくはない。顔も名前も知らない、いつも帽子を深く被った謎の男からよく仮面を仕入れている。


「行くしかないか…」


「ん?」


「なんでもねえよ」


「冷たいなあ」


いつものように会話しながら2人は歩きだした。神代と話すのは何故か気を引き締めなくていい。安心感がある。そんなことを思いながら篝は話し続けた。


「なあ。おまえなんでそんなに俺に構うんだよ」


「かがみんが好きだからに決まってんじゃーん

ん」


「…はあ」


「俺はおまえを助けたいだけ」


「何からだよ」


「ぜんぶ♡」


もう返すのが面倒くさくなったので無視をした。なんでこんなやつがいいと思ったんだ。

そして2人が別れる道に着く。


「じゃあね、篝」


「おう」


神代と別れてから、篝は出来るだけ早足で店まで急いだ。が、店に着いた瞬間に驚いた。そこにはなんと先回りした日比谷が立っていたのだ。


「遅い」


「おまえ…」


はあ…とため息をつきながら彼女を店にいれる。


「悪いけど今日は帰ってくれ、やることがある」


「仮面?私も手伝う」


茶色い瞳がじっとこちらを見つめている。


「あのなあ、今から出かけるんだよ」


「どこに?」


「どこにって…」


異世界だ、とは言えない。なんとか誤魔化そうとする。


「仮面を取りに行くんでしょ?」


「まあ…」


「はっきり言ってよ」


「…そうだよ、だから早く帰れ」


「なんでよ、私も行く!」


言い合いが始まる。その瞳であまり強く睨まないで欲しい…勝てる気がしない…日比谷の強い意志に負けた篝はついにしびれを切らす。


「こことは違う世界なんだよ!俺しか入れない」


「やってみなきゃ分からないよ」


もう篝に抵抗する力はなく、渋々と日比谷を連れて奥の扉へ向かう。それはとても錆びていてしっかり力を入れないと開かない。何かの模様が描かれているが、もはや何が描かれているのか分からないほど古い。


ギギギと、扉を開ける。


冷たいような暖かいような空気が2人を包み込む。奥は霧がかっていて何も見えない。どこか懐かしい匂いがするような気がする。


「すっごい…さあ、行こう行こう」


「全く…」


暗闇の中を2人は並んで進む。中はまるで真夜中のように暗く、静かだ。空には現実の世界のように月が浮かんでいる。月の白い光が混じった甘ったるい空気を吸い込むと、喉の奥の方でまとわりついた。やはり篝は月が嫌いだ。


「ほら、大丈夫じゃん」


日比谷は何故か楽しそうだった。彼女のポニーテールが嬉しそうに揺れる。篝が呆れていると、運良くいつも仮面を仕入れているあの男が現れた。相変わらず帽子を深く被り、顔が見えない。身長は篝より少し高いぐらいだが、威圧感がある。日比谷はさっと篝の後ろに隠れる。


「なあ、ある仮面が欲しいんだ。〝無〟の仮面っていうんだが…」


篝が尋ねるが男は首を振り、代わりに小さなメモを渡してきた。そのメモをよく見てみると、地図のようなものがかかれている。


「ここに行けっていうことか…」


「ここに行けば、仮面が手に入るんだ…」


2人は目を合わせて頷き合う。


「ありがとう」


2人にそう言われると男は帽子を被り直し、遠くへと消えていった。2人も進み出す。


「あの人からいつも仮面を受け取ってるの?」


「ああ、そうだ」


「へえ…ねえ、こっちで合ってる?」


「多分。俺もここまで来たのは初めてだな」


2人は順調に進んでいると思っていた。

しかし次の瞬間、床がぐらぐらと大きく揺れ始めた。立っていられそうにないほどの揺れだ。必死に耐えようとする。


「うわっ!!」


(…なんだ!?)


だんだんと地面が削れていく。どうすることもできない2人は必死に抵抗するが、呆気なく真っ逆さまに闇の中へ落ちて行ってしまった。月が自分たちを嘲笑っているような気がした。



…どのぐらいたったのだろう。篝は周りの雑音によって目が覚めた。すぐに日比谷を起こす。


「ん…」


「起きろよ…何呑気に寝てんだよ」


「え!?待ってここ…」


ここはどこ?とでも言おうとしたのだろう。しかし日比谷は言葉を続ける代わりに目を見開いて固まってしまった。篝の後ろの方を見ている。彼も不思議に思って振り返る。なんとそこには…


…化け物がいた


体中が仮面でおおわれている。手か足か分からないものが何本も生えていて、人間を5人ほど丸呑みできそうな大きな口を持っていた。体には笑いの仮面…悲しみの仮面…怒りの仮面…幸せの仮面…さっきの雑音の原因はこれだった。その仮面一つ一つから声が聞こえる。


「アハハハハ!!!」

「シクシク…カナシイ…カナシイ…」

「ヤメロ!ウルサイ!ウルサイ!!」


そうか、これは感情の声。いろいろな仮面の感情が合わさっている。篝はなぜか恐怖という感情があまり無かった。


(やっぱり俺の感情はもう…)


「…ねえ、もしかして、こいつに言えば…」


と、日比谷が口を開いた。彼女は震えている。篝も薄々気づいていた。こいつが〝無〟の仮面も持っているかもしれない。ここで声を掛けるのが正しい選択だと思った。彼はゆっくりと化け物に話しかける。


「なあ…おまえ、〝無〟の仮面を持ってたりしないか?」


その時だった。化け物が急に2人をめがけて走り出した。涎をたくさん垂らしながら、今にも2人を飲み込みそうな勢いだ。さすがの篝もこれには驚いた。


「日比谷…!逃げるぞ!」


「ま、まって…足が…」


恐怖で動けない日比谷を彼は間一髪のところで化け物の突進から回避させた。化け物が2人を通り過ぎ、奥の壁にどんっと大きな音でぶつかった。そしてなんと壁が剥がれ落ち、そこに穴ができた。


(今だ…!)


2人は全速力で空いた穴に向かう。走って走って走って、もう仮面などどうでもよかった。逃げることに必死だった。


(こんな化け物がいるなんて聞いてない…)


なんせこの世界にはあの入口の辺りぐらいまでしか足を踏み入れたことが無い。


(まずい…追いつかれる!)


そして、こんな大変な時に篝の頭にはある疑問が浮かび上がった。


(あれ…?まずこの店ってなんで俺がやってるんだっけ…?)


そう考えた瞬間頭に激痛が走った。記憶が霞む。4年前のあの光景が流れ出した。


母親の苦しむ声、いやな笑顔、月の光、ああ、ああ、ああ!!!痛い!痛い!!助けてくれ!!


神代…!!!


神代…?なんであいつの名前を…


それよりもう意識が危ない。ああ、こんなところで終わるのか…呆気ないな。別にやり残したことなんてないけど…。


とうとう彼は床に倒れ込んでしまった。

彼は死を覚悟する。


(日比谷は…)


日比谷の姿は見つけられなかった。そのまま目の前が真っ暗になっていき、完全に意識が遠のいていった…






「っ…!」


目覚めた篝の目に見慣れた天井が映し出された。


「ここは…?店!?日比谷…!」


なぜか店に戻っている。彼女は隣にいた。だいぶ前に目が覚めていたようだった。彼女の手の中には1つの仮面があり、それをぼーっと見つめている。


(違うよな…)


それは無の仮面ではない…じゃあなんの仮面だ?篝は目を凝らしたみた。


(本音の仮面…?)


確かにそうだった。これは人の本心を引き出す仮面。なんでこんなものが…?


「…すまん。それはおまえの欲しかったものじゃない。本音の仮面だ…人の本心を引き出す」


「…本音の仮面ね…まあいいよ。ねえ、それより私たちのことだれが助けてくれたと思う?」


「?」


「あの最初に会った男の人だったんだよ。でね…」


日比谷はここで口を閉じた。


「なんでもないや」


篝は不思議に思ったが、それより彼女の望み通りのものを手に入れられなかったことにとても言い表せないような感情を抱いた。


(なんだっけ…この感情は…)


黙る彼を日比谷は真っ直ぐ見つめていた。


「でも、ありがとう。私のために。もう帰らなきゃ、じゃあね」


日比谷はどこか寂しそうな顔をしてすんなりと店を出ていってしまった。


月の光だけが彼を包み込む。


(もう疲れた…考えるのは明日にしよう)




…翌朝、彼はいつも通り学校に行く。元気が出ない。そんな篝を見て、やはりあの男が声を掛けてきた。


「篝、今日はまじで元気ないなあ」


「ああ…」


「今日放課後つきやってやるから元気出せよ。」


「お前が遊びたいだけだろ」


「まあな」


神代はまた、へへっと笑う。


放課後になった。篝はまだ何も考えられなかった。自分の店の中?にあんなやつがいるなど全く知らなかった。一番気がかりなのは、自分がなぜあの店を継ぐことになったか思い出せないということ。店を継いだ記憶だけ曖昧で、靄がかかっている。あの謎の男が関係している気がしてならない…


神代と学校を出ようとし、2人が校門を通りかかる頃だった。神代が何かに気づいた。


「なあ、あれ日比谷紗月の母親かな」


「?」


そこにはまた担任と話す日比谷と彼女の母親の姿があった。担任が会釈して先に去る。2人になった親子はまだ何か話をしている。と、その時日比谷が鞄から何かを取り出した。そう、仮面である。昨日の。


(何やってるんだ…?!)


仮面は本来人には知られてはいけない。神代も見ている。まずい、篝は頭をフル回転させて言い訳を考えた。


(日比谷…?)


そんな焦っている篝とは裏腹に、日比谷はなんと、仮面を母親の顔に…付けた…?


「は…?」


彼女の母親は何をされたか分かっていない様子だった。しかし、そのあとの母親の発言に篝は驚いた。


「寂しい…」


(寂しい…?)


母親は続ける。


「寂しい…あの人が死んでから私は何に頼ればいいのか分からなかった。いらいらが収まらなくて紗月に当たるしかなかった。紗月を殴ってしまったあと、自分でもどうすればいいのか分からなかった。ごめんね、紗月…ごめんね…」


母親は泣いていた。そうか、あれは本音の仮面。母親の本心が見えたのだ。


(本音か…俺は父親の本当の言葉を聞いたことがあっただろうか…)


日比谷も泣いていた。2人は抱き合って、その場に崩れ落ちた。やはり彼女は強がっていたんだ。父親が死んでからは1度も泣いたことがないという彼女の涙は、なぜか月の光のように白く輝いて見えた。



その日の夜、店に扉の鐘の音と一緒に現れたのは日比谷の姿だった。


「篝くん…」


「…おう」


「ごめん、仮面変な使い方して」


「結構焦ったよ。あの後神代に説明すんの大変だったんだぞ」


「反省してます…でも…やっとお母さんとちゃんと話せたよ。まあ木の葉から聞いてると思うけど、お父さんが死んだときからお母さんは別人みたいになっちゃってね。篝くんには色々迷惑かけた、ごめん」


「…ああ、いいよ。でも、くれぐれも学校では店のこと話さないでくれ。子供が知っていていいものではない」


「うん、分かったよ。でも篝くんも子供じゃん」


日比谷はくすっと笑った。


「じゃあ、本当にありがとう」


「ああ」


彼女が去った後、篝は窓から空を見上げてみた。店がいつもの静けさを取り戻した。今夜の月は少し欠けている。


(…はあ)


最近やけに母親の顔が目に浮かぶ。今までそんなことなかったのに。


(これからもこんな仕事をやらなくてはいけないのか…)


次は面倒ごとはいやだな…そう思いながら篝は店を閉めたのであった。











…生ぬるい風が吹いた。相変わらずここは現実の世界よりも暗い。


「…かがりんはほんと見ていて飽きないなあ。まあ、そういう所が好きなんだけど」


手に「無の仮面」を持った男は帽子を深く被り直し、闇に消えていった。

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