第8話 熊
火鉢の炭がしんしんとおこっている。
慶応三年一月、山崎の部屋で斎藤は手をかざしながら、ふと傍らの文机の上の二つの虎の張り子に目をやった。
菊花はあの時は一命をとりとめたが、結局夏を越せず、最後は山崎の腕の中で息たえた。
沖田は自分を庇ったためだと気に病んだが斎藤は気にするなと言った。
「菊花は看病した蒸さんにはじめて素直になったそうだ。それまでは会えば喧嘩ばかりで、あの二人は早々に別れていたかも知れない」
「でも」
「三年坂で会った時からこうなるさだめだったのさ」
大げさに言えば菊花は三年坂で言い捨てた言葉の報いをうけたのだろうと斎藤は思う。あれがなければ、沖田を止めに飛び出すこともなく、そもそも沖田や斉藤に菊花も小菊も関わりあいになることも、いや山崎が菊花に会うことさえなかったかもしれない。
「だから気にするな。山崎さんだって仕方なかったと思っている」
沖田はそれでもうなだれた。
菊花も気にしていた小菊はあれ以来魂が抜けたようになり、会話も出来ない様子で里に帰されていた。山崎は菊花の願い通りに菊花の蓄えをそのまま小菊にと桔梗やの女将に託した。
「菊花は素直だったらしい。それまではいつも喧嘩越しだったのが穏やかに思い出話をしたと山崎さんが話していたよ。なあ、沖田。山崎さんは祇園に何度となく出入りしていて菊花を知らなかった。引き合わせたのはお前なんだせ」
「元気になったら」と菊花はうたうように山崎に言ったらしい。
「天王寺さんにお札流しに行こな、暮れには神農さんに行って年が明けたらえべっさんに、あびこさんにも行かなあかん。あんたが忙しいなら、うちが子供の手ひいていくわ」
山崎は黙って頷いた。
幼い頃、傾きかけた身上を案じた捨の母親は幼い捨を連れて寺社巡りを繰り返した。鬱陶しいと捨は嫌がっていたが、やがて母親は寺社巡りどころでなくなり、捨は祭りに出かける近所の子供達をいつも見送る側になった。
「そんな顔しなや」と菊花は山崎に微笑んだ。
「あんたはうちに虎さんもろうてきてくれたやないの」
斉藤はもってきた湯呑み三つに酒を注ぐと一つは虎の前におき、一つは山崎の前に、残りは自分の口に運ぶ。
山崎が小皿に入れた塩昆布を二人の間に置く。斉藤は遠慮なくつまんだ。
「そうだ、この間、沖田と永倉と呑んでいて熊と会った」
「らしいな、土佐の那須五郎と一緒だったんやろ」
「あっちもかなり呑んでいて、こっちは沖田が珍しくへべれけで」
斉藤はふっと笑う。四条大橋ですれ違ったのだが、こちらはいつもはあまり呑まない沖田が、あっちは那須が泥酔していて、お互いが橋の真ん中でぶつかった。
那須が「無礼者」と先に刀を抜いたが刹那に斎藤に刀を落とされ、様子を見ていた中井は慌てて那須を担いでその場を去った。
「沖田はんも好きで呑んだのやないやろ」と山崎が皮肉る。
年明け早々、斎藤と永倉は伊東に誘われるままに祇園に居続け、近藤を激怒させた。隊内はついに試衛館一党の永倉、斎藤さえも伊東派に転じたかと噂になった。あまり呑めない沖田が二人を誘ったのも、たぶん二人の真意が知りたかったのだろう。ところが沖田は肝心の話を切り出せず、永倉、斎藤とあの時の三人が集まったために自然に沖田の失恋話になり、沖田は酔い潰れた。
斎藤は少し気まずそうに黙っていたが切り出した。
「なあ、女にだらしがない俺が隊に居づらくなって伊東派にはしるっていうのはどうだろう。むろんそれは表向きで」
山崎は驚いた。
「あんた、何を」
「伊東さんは近いうちに隊を出る。俺はそんな訳でついて行く」
「言うたはずや、わしはあんたに侍らしい侍でいてくれと。あんたは隊一の使い手や。局長も副長もあんたを頼りにしている。なんで密偵になるんや」
「密偵は侍らしくないのか」
山崎は詰まった。
「菊花に言われた、あんたは同じ仕事はしないのかと」と斎藤は虎を見ながら言った。
「人には向き不向きがある、あんたには無理や。わしに三番隊組長はつとまらんのと一緒や」
「でも土方は務まると思った」
山崎はイライラとした様子で酒をあおる。
「伊東はあんたを信用していない。隊一の使い手さえも局長を見限って伊東についた、そのことで残った連中に揺さぶりをかけたいだけや」「だろうな」
山崎はやりきれない様子でもう一杯、酒をつぐとあおって、うめいた。
「あほちゃうか、あんたは副長を信用してない言うてたやないか」
「俺はあんたを信用している」と斎藤は返して、塩昆布をつまみながらちびちびと酒を呑む。
「訳分からんわ」
しばらくそうして二人は黙っていたが山崎が根負けした様子でため息をついた。
二月に伊東は斎藤を含めた総勢二十人ほど連れて分隊した。
新選組を出た伊東派はほどなく薩摩の援助を受けて高台寺に居を定め、高台寺党と呼ばれるようになる。
伊東は積極的に薩長土の志士と交流し、九州遊説にも出かける。攘夷主義だったのが彼らとの交流の中で異国との会話の必要性を悟り、党内で英語の勉強もはじめた。
そんな中で斎藤はただ居た。他の者のように薩長土の志士と交流するでもなく英語の勉学にいそしむわけでもなく、時折伊東の用心棒についたが、重要な話の場面ではいつも外された。
伊東は隊内一の斎藤を引き抜くことで新選組内の動揺を狙ったものの、斎藤をもてあましていた。いっそ斬ってしまえと言う者もいたが一対一で斎藤に勝てる自信はなく、芹沢のような暗殺の仕方は伊東が嫌がる。策略家ではあるが、一面理想家でもあった伊東は高台寺党に新選組のような暗部を持ちたくなかった。
中井庄五郎とは坂本龍馬に会いに行く伊東の供で行った近江屋で、一度だけ顔を合わせた。向こうは坂本の護衛で坂本と伊東が話す間、隣室で共に待機した。互いにしばらく黙っていたが中井がぽつりと「菊花は元気になりましたか」と聞いてきた。斎藤は思わず横に座る中井を見た。中井は前を向いたまま斎藤の顔を見ない。
「死んだ」と斎藤は顔を前に向けて言った。
中井は深いため息をついた。
斎藤が何か問いかけた時に襖があき、伊東が出てきた。
「帰ります」と厳しい表情で言う伊東に斎藤は従う。ちらりと中井を見た。中井は寂しそうに肩を落として立ち上がると坂本のいる部屋に消えた。
結局、斎藤は大政奉還がなった十月にふらりと隊に帰る。
きっかけは篠原がもちかけた近藤暗殺だった。
大政奉還がなった今、幕府と朝廷、薩長土を含めた有力藩による合議制に向けて、伊東が益々活躍するためにも新選組との縁切りを示す近藤暗殺は必要だと篠原は熱心に斎藤に説き、
「それには君しかいないと思う」と言った。
斎藤は黙って聞いていたが、篠原の横にいた藤堂の強張った顔を見てニヤリとした。
「なるほど」
「なんだよ」と藤堂がかみついた。
「じゃあな」
「おい、どういうことだ」と篠原が言う。
「やるのか、やらないのか」
斎藤は答えず、外へ出て行く。
「おい」と追いかけようとする篠原を藤堂は止めた。
「奴は出て行った、それでいい。それは伊東先生の望んでいたことだ」
「裏切りじゃないか」と篠原は言い、藤堂は苦笑した。
もともと裏切ったのは伊東である、いや伊東を引きこんだ自分が近藤を裏切ったのであり、しかしそもそもは尊王攘夷のために働くと言いながら幕府の犬に成り下がった近藤が悪いのだが、どっちがどうこう言うのが藤堂にも分からなくなっている。勿論、伊東と共に尊王の志で行動する気ではあるが薩長土らの志士達と交わっていても、元新選組という蔑みはそれとなく感じた。敵対していたのだから当然といえば当然なのだが、薩長間とてかなりの因縁があったはずだ。しかし、先だっても坂本龍馬のもとに幕府が狙っているから気をつけるべきだと、伊東がわざわざ話しをしにいって軽くあしらわれたと聞いた。藤堂は悔しい思いをし、用心棒につけた斎藤が悪いと思った。あんな思想の欠片もない人斬り包丁がうちの一党にいるから見識を疑われる。
だから斬るとは伊東は言わない。斬ったところで、やはり新選組だと言われるだろう。
「行っちまえ、二度と帰ってくんな」と藤堂はつぶやいた。
その坂本龍馬が暗殺されたのは、その一ヶ月後の十一月である。暗殺者は十津川郷士を名乗り、坂本に面会を願ったという。暗殺後に現場を訪れた伊東は、現場に落ちていた鞘を原田左之助の物で下駄は新選組出入りの店のものだと証言した。このために暗殺者は新選組かと疑われたが、見廻り組だった。ちなみに近藤は土佐の後藤象二郎に会い、幕閣の永井尚志には坂本に手を出すなと言われている。しかし世間はそんなことは知らないから犯人捜しでかますびしい。
一ヶ月後、天満屋で斎藤は中井に再会する。坂本は前年に紀州藩の伊呂波丸と衝突事故を起こし、紀州藩から莫大な賠償金をせしめていた。そのため坂本暗殺の黒幕は紀州藩とみた海援隊陸援隊は、有志を率いて公用人の三浦休太郎の宿泊している天満屋を襲う。新選組は斎藤の隊が三浦の護衛についていた。
両者は激突したが適わないとみた海援隊陸援隊士が早々に退散した中、十津川郷士の中井だけが残った。
「どうした、熊。仲間は退散したぞ」と対峙しながら斎藤は言った。
中井は答えなかった。
「熊」
「俺は坂本さんの仇をうつ」
「里へ帰れ」
「やかましい」
中井が斬りかかる。斎藤が払う、キンという鋭い金属音がした。斎藤は続けて突いた。剣は深々と中井の胸を貫いた。中井はゆっくりと倒れる。
山崎が来た。
「終わったんか」
斎藤は黙って中井の手元を見ていたが辺りを見回して、落ちていた刀の半身を拾った。
「折れたか」
「馬鹿だな。こんな細身、実戦には向かないことぐらい」
「坂本からもろたんと違うか。坂本から刀をもろて大事にしてたと聞いてる」
ああっと斎藤は頷いた。いつぞや沖田が坂本の師の勝がよく斬れる刀を持っていたら使いたくなると言ったことを思い出した。坂本は瀟洒な刀を中井に持たせることで中井を斬り合いから遠ざけたいと願ったのではないか。
「中途半端なことを。ならば十津川に帰れと言えばいい」「それであかんかったんやろな。それにあんた同様、中井も刀は何振か持っとったはずや。襲撃で激闘になることくらい予想出来たはずや」
斎藤は山崎を見た。
「最初から死ぬ気だったと」
月明かりが差し込み、倒れた中井をてらす。俯したその表情は暗くわからない。斎藤はしばらく中井をみていたが、ため息をついた。
中井が坂本の宿で菊花のことを聞いたことを思いだす。
表に出ると冷え冷えとした空気の中、かすかに水仙の香がした。
了
水仙 新選組異聞 山戸海 @piiman5656
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