八十日間孤独

新巻へもん

微笑みと涙

「私と一緒に戦ってください」


 初めてミリヤに会った時、彼女は俺の手を握り、美しい眼を見開いて懇願した。この世界にやってきて、まだ右も左も分からず困惑していた俺は恋に落ちる。ステンドグラスを通して差し込む色とりどりの光に照らされた俺は、ただ頷き返すことしかできなかった。そして、心に決める。何とかして彼女を手に入れると。


 ミリヤは、このグランパパスの地の大神官だった。若いのにその地位にあるだけあって、その卓絶した神の奇跡の技、いわゆる神聖魔法の能力は余人をよせつけない。しかも、驕ったところはなく、まだこの世界に慣れない俺を親身になって世話してくれた。可憐な容貌とゆったりとした服でも隠しきれない体のラインのアンバランスさが俺の心を揺さぶる。


 グランパパスは突如現れた魔王とその配下によって領土を侵食され滅亡の危機に瀕しており、その事態を打開するために召喚されたのが俺だった。何の取柄もない大学生だった俺が選ばれた理由は分からない。召喚した本人であるミリヤも済まなそうにしながら、私にも分かりませんと謝った。

「神の御心を推し量ることはできません。ただ、タクヤさんが選ばれたのには理由があります。きっと」


 剣を振るってみたが、ゴージェには全く敵わなかった。ゴージェというのは身長190センチもあろうかという大男。腕の筋肉も鉄のようだった。巨体にも関わらず動きが素早い。そして、ミリヤの幼馴染だった。昔はヒョロヒョロしたやせっぽっちだったらしい。ミリヤが故郷を出て、この大神殿に仕えることになった時に一緒についてきたらしく、ミリヤの護衛のようなことをしていた。


「俺と5回も打ち合えるんだ。悪くない」

 ゴージェは無造作にそう言った。確かに俺は平均よりは強いのかもしれないが、魔物と切り結ぶには頼りない。ちょっと強い相手と戦うのは無理だった。どちらかというとゴージェが異常に強いのかもしれない。


 ミリヤに教えてもらって魔導書の文字も読めるようになる。基本的な魔法の詠唱も練習してみた。そして、魔法が発動したのには感動した。小さな火の玉が飛んで行き、目標の岩を穿つ。子供の頭ほどの穴が開いていた。いくつかの呪文の書を買い集めて練習し習得する。俺は攻撃魔法も補助魔法も妨害魔法も少しずつ使えた。


 多くの系統のものを使えることに周囲の人間は驚いたようだが、それぞれの魔法を専門とする魔法使いには及ばない。それでも、ミリヤやゴージェ達と一緒に居て足手まといにはならないぐらいにはなる。もはや一刻の猶予も無いということで、俺達8人は魔王の居城を求めて旅に出た。


 そして、旅の途中で俺は覚醒する。未来を幻視できるようになったのだ。正確には未来に起こりうるすべての事象を計算して、その映像を現実のように見ることができるようになる。俺は神に感謝した。最初は自分の命が危険にさらされたときにしか使えず、対象もその自分に危害を加えようとする相手に限定される。それでも、俺は飛躍的に活躍の場を広げた。いつしか、仲間の中でゴージェと並ぶ二枚看板となる。


 旅の中で、俺はますますミリヤに惹かれていった。誰にでも優しく接する彼女は仲間の中心人物だった。男も女も関係なく、ミリヤのことが気に入っていた。うぬぼれでは無く、ミリヤが俺を見る目には間違いなく他の仲間に向けるものとは違ったものがあることを確信し、俺は有頂天になる。


 だが、ある時に、俺は気づいてしまう。ミリヤが俺に向けているのは敬意に過ぎないのだと。思慕の念を向ける相手はゴージェだった。ゴージェのミリヤへの思いは俺からすれば明らかだったが、なぜかミリヤはそれに気づいていない。武骨で気の利いたことの一つも言わないゴージェの態度ではあったが、ライバル視する俺の目からすれば一目瞭然だった。


 俺はなんとか割り込む隙は無いかと腐心する。ミリヤが気づいていないだけで、実は両想いの二人なのだ。今は魔王から国を守るという重大な任務を帯びているけれども、それが終わればきっと普通の生活に戻っていくのだろう。その時、ミリヤの隣にいるのは俺であるべきだった。世界を救うために召喚された俺こそが相応しい。


 俺はラプラスと名付けた幻視の能力に磨きをかける。そのうちに発動のタイミングも対象も自由に選べるようになり、どれほど先のことまで見通せるかの時間も伸びた。その力を使い、強敵を屠り、仲間を救う。特にミリヤへの危機を何度もはらいのけ、その度にミリヤから熱い感謝の言葉を貰う。


 だが、ミリヤの心はゴージェに向いていた。その眼差し、仕草、すべてがゴージェとその他大勢とでは異なる。あるとき、ミリヤがゴージェの肩で転寝をしているのを目撃する。激戦をくぐりぬけ、誰もが疲労困憊しているときだった。それを見た時から俺の世界は灰色になる。


 そして、約80日間の時が過ぎ、俺達はついに魔王の城を遠望できる場所まで辿り着いていた。ここまで敵の四天王と呼ばれる部下との戦いで3人の仲間が倒れ、2人が離脱している。俺達3人は最後の小休止を取った。あと少しでこの戦いは終わる。俺はラプラスを発動して未来を占う。


 ミリヤは泣いていた。声を出さずに目だけを真っ赤にして肩を震わせる。目の前にはこと切れたゴージェ。魔王と刺し違えて散っていた。白磁のようなミリヤの頬をまた一筋の涙が流れ落ちる。ミリヤの神聖魔法をもってしても一度失われた命は呼び戻せない。


 その様子を眺めながら、俺は心ひそかに凱歌を上げていた。魔王が死に、恋敵も消えた。これで俺とミリヤの間を邪魔する者はいない。きっと悲しみは時が癒してくれるだろう。俺はゴージェの遺体を馬に乗せて近くの村まで運んでいく。翌朝、ミリヤはゴージェの墓の前で冷たくなっていた。


 何度も何度もラプラスを繰り返す。時には俺が命を落とすこともあった。ミリヤは同じように泣いたが、後追いをすることはない。ミリヤが犠牲になることもある。何度も繰り返すうちに、俺の心は冷えていった。俺とミリヤが生き残る未来は無いのだと告げるラプラスが疎ましい。自分の能力を知った時の高揚感は微塵も無かった。


「タクヤ。大丈夫ですか?」

 気づくとミリヤが俺の目をのぞき込んでいた。

「顔色が悪いようです。神の御業を……」

「いや、大丈夫だ。これからの戦いの為にも温存しておいた方がいい」

 俺はミリヤの提案を固辞する。


 立ち上がり深呼吸をする。心配そうに見上げるミリヤの顔を見ながら、俺は心が張り裂けそうだった。こんなに苦しい思いをして孤独に耐えて来たというのに望みが叶うことはない。たぶん、どこかで選択を間違えたのだろう。俺は四天王の最後の一人との戦いで傷つき戦線離脱した男のことを思い出す。


 端正な顔つきの男だった。貴族でもあり、性格も良かった。だが、今では片腕を失い、左頬には大きな傷が残っている。俺がその男を庇えば、今ここには4人居たはずだ。魔王を倒すのに死者を出さずに済んだかもしれない。幻視で引き換えに俺の額に醜い傷跡が残ることになることを知り、俺はその男を見捨てた。その報いなのかもしれない。


 ***


 俺達は遂に魔王の間にたどり着く。魔王は幻視の中で何度も聞いた言葉を放った。

「よく来たな。お前たちのお陰で我が計画は打ち砕かれた。いや、別に恨みはせぬ。我が力が及ばなかっただけのこと。さあ、始めようか」


 金色の鈍い光を放つ背の高い椅子から立ち上がると、魔王は腰から剣を引き抜く。

「3人まとめてとはいかぬかもしらぬが、誰かひとりは我が死出の道行きに付き合ってもらうぞ」


 次の瞬間、魔王の姿が消え、ミリヤの背後に現れて首に刃を振り下ろそうとする。キーンという高い音が響いた。間一髪でゴージェの盾が受け止める。ジャリっという音がしてゴージェの後ろ脚が下がった。押されている。ミリヤはぱっと後ろに飛ぶと右手に握った杖を突きだし、その先端から眩い光が迸って魔王の鎧に当たった。


 怯んだ魔王にゴージェの大剣が迫るが、魔王は身を捻ると自分の剣を合わせる。再び高い金属音が響き、火花が呼び散った。

「タクヤ!」

 ミリヤの声が俺の体を打つ。彼女の澄んだ目が真剣に俺を見つめている。


 くそ、くそ、くそっ。俺は両手を前に出し、人差し指を魔王に向けて、魔導書を思い浮かべながら、発動の為の言葉を紡ぐ。指から青白い光が放たれて、ゴージェとつばぜり合いをする魔王の背中に命中する。魔王は力を込めてゴージェを押しのけると俺の方に向き直った。


「ふふ。今のチャンスにそのような小手先の技など、どういうつもりだ? そうか、お前は我が呪いのことを知っているのだな。我が命を奪いし者現身を失わん」

 魔王の高い声に嘲弄の響きが混じる。

「本気で来ぬならそれでもよい。私が勝つだけの事なのだからな!」


 魔王が剣を振りぬくと黒い円弧が飛び出し俺を襲う。横に飛んで避けたつもりだったが、脇腹に激痛が走り、鎧の裂け目から血が噴き出した。ゴージェが魔王に肉薄するのを見ながら俺はぐらりと倒れそうになる。不意に痛みが消えて体が温かいものに包まれた。


 俺の傷を塞いだミリヤと目が合う。暖かく慈愛に満ちた瞳。俺が心を奪われた輝きがそこにあった。決して手に入らないと知っていたが、渇望してやまない女性。俺は心を焼き焦がす炎に無言の咆哮をあげる。どうせ手に入らないなら……。


 俺は走り出した。膝をついたゴージェの前に立ちはだかり剣を振りかぶった魔王に向かいながら、魔導書の最後のページを思い出し、短い言葉を吐く。俺の全身からあふれた光が鋭く尖りながら短い槍の形をとり、魔王の背中を貫いた。魔王は振り返る。顔全体を覆う黒いマスクの下から血を吐きながら笑った。

「我が連れはお前か」


 魔王は剣を離すと両手で俺の肩をつかむ。両手の力が萎え、凍えるような冷たさが体に広がっていった。冷たさが心臓に届くと俺の意識が落ちてゆく。ああ、俺は死ぬのか。まあ、いい。これでミリヤが泣く姿を見ずにすむ。あんな光景は幻だけでたくさんだ。意識がもうろうとするなか、ミリヤの笑顔が目蓋に浮かんで消え、ミリヤの悲痛な声が耳に届く。


「タクヤ!!」

 俺は最後の力を振り絞り、ほんの僅かだけ口角をあげた。ミリヤの記憶に残る俺の表情は笑顔にしたい。年に一度ぐらいは思い出してくれよ。カッコつけて勇者として死んでいく愚かな男のことを。これで灰色の時間から解放される。ミリヤ……。

 

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