グ・ラブ・ティ

真賀田デニム

グ・ラブ・ティ


「入植が期待できる惑星が見つかったの」


 葡萄酒を喉に通してからジェシカは言った。となりに座るジョシュが肩をびくつかせ、分かりやすい反応を示す。なのにジョシュは、なんてことはないとばかりに「そうなんだ」と不自然な笑みを浮かべた。


「惑星への出発は明日よ。ベントリー博士が善は急げって興奮しちゃって。なにも惑星は逃げないのにね」


 ジェシカがそう口にすると、ジョシュはその顔に今度こそショックの色を浮かべた。口元に持って行ったオレンジジュースを震える手でテーブルに置くと、その童顔を悲痛に歪めた。


「行くなよ。ジェシカ、行くなって」


「宇宙飛行士の私にそれを言う? その惑星に送られた『ADAM06アダムシックス』を回収に行くのが私の責務なの。あなたが宇宙船の整備に一生懸命なのと一緒よ。やるべきことはやらなくちゃ」


「そ、それはそうだけどさ。長くなるんだろ?」


「別銀河に繋がるワームホールまでが八か月。そこから惑星までが四か月。だから行きと帰り合わせて二年かな」


「二年、かぁ」


 切なさを隠そうともしないジョシュは俯くと、黙り込む。そんなジョシュの態度はあまりにも分かりやすくて、それは半年前にこの食堂で出会ったときから変わっていなかった。

ジェシカは逡巡したのち、沈黙を破る。


「あなたが私に好意を抱いているのは知っているわ。でも私は二十六であなたは十八。はっきり言って歳が離れすぎ。だからそうね、ずっといい友達でいましょ。だったらそんなに悲しむ必要なんてないんじゃない?」


「し、知っていながらずっと友達とかないだろっ。大体、年齢なんて関係ない。俺はジェシカが好きなんだっ」


「ワオっ。お姉さん告白されちゃった。嬉しー」


「ちゃかすなよなっ。――なあ、ジェシカ」


 テーブルに置いていたジェシカの手をジョシュが握る。その手は骨ばっていてとても男らしい。


「なぁに?」


「行くのはしょうがないと思ってる。そこが第二の故郷になるかもしれないから。でも――俺じゃ駄目なのか?」


 ドキっとするほどの真摯な瞳。年上だったら良かったのにという思いがジェシカの脳裏を過る。でもジョシュは年下であり、ジェシカに熱を上げているのもおそらく若気の至り。恋愛にウブだから年上のお姉さんの色香に惑わされているだけ。そんなジョシュとはやっぱり本気では向き合えない。

 

 ジェシカはそっとジョシュの手を脇によけると立ち上がる。そして彼の頭を撫でると食堂をあとにする。


「ごめんね。私は撫でるほうより撫でられるほうが好きだから」


 背中越しに「二年後にまた告白するからっ」というジョシュの声が聞こえる。

 ジェシカは「さようなら」と答えた。

 小さく、ジョシュに聞こえないように――。



 ◆



「ウェス、ジェシカ、ティモシー、準備はいいか?」


 コクピットに座るベントリー博士が、三人の乗組員に確認する。ジェシカ、そして残る二人が頷くと、惑星探索用小型シャトル『ブルーホープ』は惑星への着陸を試みる。


 まだ名前のない別の銀河の惑星――。いやもしかしたらなんらかの知的生命体がいて当然のように名前があるのかもしれない。しかしジェシカ達にとってそれは今気にする問題ではない。可及的速やかに行うべき任務は『ADAM06アダムシックス』の回収だ。


 大気、重力、平均気温、平均表面温度が地球に近いと判断された惑星。その判断を下したのは前以て惑星に送られていた人工知能ロボット『ADAM06アダムシックス』だが、彼がその目で録画したであろう様々な映像は回収後にしか見れないのだ。


 広大な草原に着陸が成功したのか、ベントリー博士が「よしっ」とガッツポーズを上げる。しかし喜んだのも束の間、すぐに険しい顔で3人のクルーに命令を下す。


「『ADAM06アダムシックス』の回収を始めろ。ここは俺達だけでいてはいけない場所だ。一分一秒も無駄にするなよ」


 言われるまでもないと、ジェシカとウェス、ティモシーの三人が地上へと降りて、『ADAM06アダムシックス』の回収へと向かう。しかし彼の居場所を示す信号は、勾配の急な下り坂の下方から発信されていた。見ると、確かにそこには横になって動かない『ADAM06アダムシックス』がいた。


「くそ。滑って落ちたか。あれを回収となる相当な時間を食うことになるな」


 ウェスがジェシカとティモシーに視線を送る。その視線の意味を理解したジェシカとティモシーは迷わず頷いた。


「時間が掛かっても回収するしかないわ。彼が長い年月で録画した映像は入植するか否かの判断に必ず必要になるのだから――」


 予想していたことだった。これほどのミッションが思った通りスムーズにいくはずがないと。


 ふと、ジェシカの脳裏にジョシュの顔が過る。それはもう見ることのできない幼くて血気盛んな顔。ジェシカが再びスペースコロニー『アーク』に戻ったとき、ジョシュはもうジェシカに対する興味など失っているだろう。


 伝わらなくとも、さようならと言っておいてよかった。

 

 ジェシカの頬に涙が伝った。



 

 ◆



 「おい、『アーク』との無線が繋がったぞっ」


 ベントリー博士がサムズアップして、無線での交信が可能なことを教えてくれる。早速『アーク』の人間と交信を始める、ジェシカを除いた三人のクルー。嗚咽の混じった歓喜と驚きの叫び声がモニターの向こうから聞こえてきて、それがいかにこの旅が長かったのかを如実に表していた。


 着陸した惑星は、超大質量ブラックホールの周りを公転していた。

 そしてそのブラックホールの超重力が時間の流れを歪めていて、惑星での一時間が『アーク』での六年間に相当していることは周知の事実だった。

 

 惑星で『ADAM06アダムシックス』の回収から出発に掛かった時間は二時間。つまり『アーク』での時間は十二年分ということになり、そこに行き帰りの二年をプラスすると、計十四年の経過年月ということになる。


 しかしその経過年月は『アーク』に住む生物に適用されるものであり、『ブルーホープ』のクルー達は二年と二時間分しか人生を過ごしていない。約十二年先に進んでいる『アーク』の人達、或いは約十二年遅れている『ブルーホープ』のクルー達の間で、さきほどの狂騒のような感情が沸き起こっても不思議ではなかった。


「ほら、ジェシカ。次はお前だ。どうやらこの人がお前と話がしたいらしい」


「私……?」


 ジェシカに家族はいない。ならば一体誰がモニター越しに自分と対面してくれるのだろうか。友人なら数人いるからおそらくその誰かだろう。


 ジェシカはモニターの前に座る。

 そのモニターには精悍な顔立ちの男性が映っていた。

 例え十四年後の姿だとしても、ジェシカはそれが誰かすぐに分かった。


「ジョシュ――」


 果たして十四年後の彼は自分に対して何を言うのだろうか。

 おそらく、聞きたくはない現実を耳にすることになるかもしれない。しかしそれもしょうがないことだ。なにせ十四年なのだから。十四年あれば人間は変わる。


 彼がもしも幸せを手に入れたのなら、そのときは笑顔で祝福してあげよう。

 そのジョシュが先に満面の笑みを浮かべて口を開いた。



「お帰り、ジェシカ。君のことをずっと待っていたよ。必ず戻って来ると信じてずっと。まさか俺のほうが年上になるなんて思ってもいなかったけどね。重力ってやつはとんだ魔法を使うらしい、ハハ。……ジェシカ、俺はあのとき言ったね、二年後に君に告白するって。それは結局出来なかったけど、君への気持ちは十四年経った今でも変わらない。だから今ここで言わせてもらうよ。俺はジェシカのことが好きだ。だから、だからそうだな、もしも俺の気持ちを受け入れてくれるなら、再会したそのとき君の頭を撫でさせてほしい――」

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