2000ジュールのささやかな反抗

NkY

2000ジュールのささやかな反抗

 質量の詰まった鈍くて重い音が、私の頭を揺らす。


 確かに『その瞬間』を私はこの目で見た。しかし、私は何が起こったのか一瞬分からず混乱していた。

 こういう時は状況を整理しよう。私は大きく息を吐く。その息は分かりやすく震えていた。けれども、その行動によってそれなりには頭の混乱度合いを落ち着かせることが出来たみたいだ。おかげで私は、ここであったことを何とか思い返すことが出来た。


 そう、私は――私は、物置代わりに使われている4階の狭い教室で、放課後に私といつも一緒にいる可愛い友達と2人きりになってじゃれ合っていたのだ。その過程で友達は、身体をぴく、ぴく……と、まるで天敵に睨まれた小動物みたいに可愛く小刻みに震わせながら、私の手から逃げるように窓際に寄りかかった。

 そう簡単に逃がしたくなかった私は、その友達にぐっと近寄って、ほんのり赤くなったその小さな耳に一言二言愛を囁いてやったのだ。


 すると、普段はじっと俯いて何も反応を示さない友達が、赤く滲んだ目でじっと睨んできて……その表情のまま、ふっと後ろに倒れこんで消えた。

 偶然にも、後ろの窓は全開になっていた。


 そう、消えた。突然、消えたのだ。そして……あの、鈍い音が私を揺らしたのだ。


 私ははっとした。ここは4階だ。そして、ここの真下は確かコンクリートになっていたはずだ。

 事の重大さに気づいた私は慌てて窓から身を乗り出した。目をぎゅっと閉じたまま真下を向く。不気味に高鳴る心臓を感じながら、恐る恐るまぶたを開く。


 コンクリートの上で、私の可愛い愛しの友達が、白目をぎろりと剥いて、小さな口をだらんと力なく半開きにして、仰向けでぐったりと倒れていた。もう、動きそうにない。即死というやつだろう。


 背筋が凍った。人って、こんな、こんな簡単に死んじゃうものなんだ。


 窓辺から離れる。ふらふらとした足取りで部屋の中心に戻り、がくりと崩れ落ちて地面にへたりこむ。足から力が抜ける代わりに、身体はがくがく震えっぱなしだった。

 この私が、愛しい愛しい友達に死を選ばせたのか? たった、たった愛を囁いただけなのに? たった、じゃれ合っていただけなのに? たった、傷だらけの小さな手をぎゅっと強く握って、中々人目のつかないこの場所に連れ込んであげただけなのに……?


 何だか、周りが異様なざわつきをするようになってきた。おそらく私の可愛い友達の死体を見て、生徒たちが反応をして色々と変な話をしているからだろう。……とにかく、私がずっとこの場所にとどまっていることは、非常にまずいことであるような感じがした。


 私は何もしていないのだ。ただ愛を囁いたら、友達が勝手に落ちてしまっただけなのだ。これはまごうことなき不運で不幸で不慮の事故であり、決して私が可愛く愛しく醜い友達を手にかけたわけではないのだ。

 そう、私は人殺しなんかしていない。だから大丈夫だ。大丈夫なのだ。そう私に言い聞かせれば、次に私がどんな行動に出て、どんな演技をすればいいのかが脳内にはっきりと浮かんでくる。


 そう。私は錯乱を装って職員室に駆け込み、友達が落ちたと涙ながらに訴えればいいのだ。友達よりもずっと成績優秀で先生からの評判も悪くはない私の訴えであるのならば、先生たちはちゃんと私に同情をしてくれるだろう。

 もし友達の薄汚い保護者が「私に殺された」なんてほざいてきやがっても、学校は私の味方になって私を守ってくれるはずだ。


 はは、まさにこの時のためなんだろうな。私が真面目なツラ被って先生たちにいい顔しておいたのってさ。骨折り損じゃなかったんだ。愛しい友達社会のゴミは骨どころか命ぶち折って大損こいたのにさ。


 悪態をついて誤魔化せば、私は元気になれた。一度全く仕事しなくなった足もちゃんと私の体重を支えられるし、震えが止まらなかった身体も今ではもう清々しいほどに正常だ。


 演技を打って職員室に行く前に、もう一度あの顔を見ておこう。私は笑みを漏らしながら窓際に立ち、真下を見る。


 白目を剥いて、口を半開きにして。まさかこんな短い生涯の最後の最後にする顔が、こんな……こんなに滑稽でだらしなくてクソ汚くて反吐が出そうなほどに気持ち悪く気色悪い、情けなさすぎる表情をするなんて思いもしなかっただろう。


 なんて、なんて――なんて、愉快なんだ! 我ながら、我ながら最高の幕引きじゃないか!!

 私は笑った。声を上げて、手を叩いて、思う存分、一生分、笑った。笑って、嘲笑って、嗤ってやった。


 さようなら、私の愛しい、可愛い友達。貴女の顔をもう見ることが出来ないと思うと――心から、心底、清々しく清らかで嬉しくほのぼのとした爽快感溢れほとばしるスッキリとして気分になって超最高ですありがとうございますあははははははあああああああ!!!!!!!!!


 ……おふざけはこの辺にしておこうか。頬を叩いて笑いを収めて聞き耳を立てれば、周囲でも私と同じようにくすくすと笑う声がそこかしこで聞こえてくる。なんだ、なんだ、みんなも同じ気持ちだったじゃないか、ということは私はつまり正義の味方、みんなのヒーローということじゃないか。

 そして、今から私は悲劇のヒロインにもなりに行く。一人二役、一石二鳥、一挙両得、二兎を追う者三兎目を得る。なんて最高の役回りなんだ、今日はなんて最高の日なんだ、人生においてこれ以上のエクスタシーを感じる日があるだろうか、いやない!


 私はふっと息を吐いて……友達が落ちた直後の憔悴の気持ちを呼び起こした。身体が震える、足がガクガクとする、呼吸が不規則になって苦しい。

 完璧だ。これだけ演じられれば、もう大丈夫だろう。



 ――私は慌てて部屋を飛び出した。廊下の窓際で愛しい友達の死体を見ていた生徒たちが一気にこちらを向く。時折足が絡まってつまずきそうになる。

 それでも、私は……がくがく震える身体を何とか動かして、職員室に一生懸命に走っていった。

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2000ジュールのささやかな反抗 NkY @nky_teninu

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