最終話


「しかし、動けるようになって家の中を探しても、サイコロはどこにも見つからなかった」


 私の言葉に茶太は「その通りです」と頷いた。


「実際は穢鬼を封じ込めたサイコロを手に入れたところで、どうにか出来るわけではありませんでしたが誰もいない場所まで持っていって、そこで満月の夜に出てきたところを殺すつもりでした」


「しかしあの化け物は昨日、つまり満月の前夜に復活しましたが」


「まさかもちづきに復活できるほど回復しているとは予想外でした・・」


 それでも目の前にいる神の使いは私と正人の命を救ってくれた。そして茶太にもう一つ伝えることがあった。


「茶太、あなたは士蔵のことを悔やんでいましたけど、あいつは本来なら二年前に不治の病で死んでいるはずだったんです」


 茶太が不思議そうな表情をした。やはり知らなかったようだ。


「しかしあいつはそこから二年も生きた。それはあなたの神力を浴びていたからでしょう。あいつは間違いなくあなたに感謝している。今も、あの世から感謝し続けているはずです」


 茶太はうつむいて、小さな声で「ありがとうございます」と言った。


「茶太、これからは私の家で一緒に暮らそう。正人も喜ぶ」


 隣で静かに聞いていた正人も激しく頷いた。しかし茶太は首を横に振った。


「ありがとうございます。しかし残念ながら私はもう長くはありません」


 気づくと茶太の腹部が真っ赤に染まっていて、それは畳にも広がり始めていた。


「茶太・・・」私は溢れ出す涙を止められなかった。


 不意にすぐ近くで猫の鳴き声が聞こえた。


 縁側に目を向けると、真っ白い子猫が居間に入ってきたところだった。子猫は泣いている正人の膝の上に跳び乗って体を丸めた。正人は突然のことに目を白黒させている。


「これはあなたの・・・?」


「はい、娘です。良かったら私の代わりに、こいつのことをお願いできますか」


 もちろん、と私は頷いた。茶太は満足そうに頷いてからゆっくりと立ち上がった。


「そろそろ時間のようなので、これで失礼させてもらいます」


 茶太、と私は呼び止めた。


「士蔵がいなくなってから、もう出来ないと諦めていた民棋をあなたのおかげで打つことができた。ありがとう、とても楽しかった」 


 茶太は立ち止まったまま、しばらく何か考えている様子だったが、振り向いて笑った。


「大丈夫ですよ、またすぐに、打てますから」


 それが私の見た茶太の最期の姿だった。


 ※ ※ ※


 帰りの山道、正人は子猫を抱きながらずっとうつむいている。


「おじいちゃん、茶太はもう死んじゃうの?」


 どう答えようか散々考えたものの、結局は「そうみたいだな」とだけ言った。


「僕たちをあの蜘蛛から助けようとして・・・?」


 先ほどと同じく「そうみたいだな」としか言えない。正人は声を出して泣き始めた。


「正人、茶太は自分の命と引き替えに、私達を助けてくれたんだ。茶太のためにも、精一杯生きていかなきゃな」


 正人の泣き声が一段と大きくなった。しばらく放っておくと、顔を上げて私を見つめてきた。


「ぼく、明日から学校に行くよ・・。それで学校終わったら毎日おじいちゃんちに寄ってこいつの面倒を見るから!あんなに怖い目にあったんだから、学校なんか全然怖くないよ!」


 子猫がニャオンと一鳴きした。まるでこちらの言葉が分かってるようだ。


 私が正人に何か言おうとしたその時





 急に周辺の空気が変わった。





 森の中の鳥が一斉に飛び立ち、獣たちの悲鳴のような遠吠えが聞こえる。


 何が起きたのかと思った矢先、横の木々がなぎ倒されて巨大な何かが現れた。とんでもない大きさだ。何本も生えてる長い足を動かしてこちらに顔を向けた。複数の目に巨大な牙、蜘蛛の顔に間違いないが昨日のモノとは比較にならないほど大きい。そして内臓の奥まで響くようなうなり声を発した。人の言葉だ。


【お前等は我が子のカタキだ、すぐには喰わん、じっくりいたぶり殺してやる】


 昨日の化け物はこいつの子供だったのか!?咄嗟に正人に向かって叫んだ。

「逃げろ!走るんだ!」

 しかし孫は子猫を抱いたままその場に座り込んでしまった。私は足もとに落ちていた枝を拾うとその切っ先を蜘蛛に向けた。こんなものでどうにかなるとは思えないが、孫を逃がすための時間稼ぎをしなければならない。

不意に、先ほどの茶太の言葉が脳裏に蘇った。


―――大丈夫、民棋はまたすぐに打てますから。


 あれは私の顔に死相が出ていたからか。あの世ですぐに士蔵と茶太に会えるから、なにも心配いらないという意味だったのか。 それなら別にいい、私の命などいくらでも差し出す。その代わり孫だけは、正人だけは助けてください、お願いします、神様―――


 その時、私の横を白い塊がものすごい速さですり抜けていった。

 あれは猫かと思った瞬間、それは高々と飛び上がり、一瞬にして二回りほど膨らんだ。尻尾はさらに倍ほどに伸びて、ものすごい速さで縦回転しながら蜘蛛に突っ込んでいった。丸めた体を軸に回転する尻尾が蜘蛛の顔面に触れた瞬間、黒緑色の液体が周囲に飛び散った。純白の回転体は向きを変えて蜘蛛の首を切り落とした。転がった蜘蛛の頭部は縦一本、真っ二つに切り裂かれていた。


 蜘蛛は悲鳴の一つも発さずに絶命した。


 気づくと転がった頭部の横に、正人よりいくらか年下に見える童女が立っていた。一糸まとわぬ姿で腰からは白い尻尾が生えている。


蜘蛛の体液で黒く染まった負けん気の強そうな顔がこちらを見て二カッと笑った。


「善一さん、言っておくけどあたいの民棋の強さはこんなもんじゃないよ!なんせあたいは豊前国の獣神にして光岡士蔵の飼い猫、茶太の一人娘なんだからね、早く帰って一局打とう!それと正人!お前にも民棋を一からたたき込んでやる!学校なんかよりよっぽど楽しいから覚悟しておきな!」


 童女の声が森中に響き渡った。




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透明猫と三面のサイコロ みかくに @tyanai

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