第三話 旅の始まり

 車が停まったのは民家の庭先だった。

 石積の門柱に書かれていた「黒岩」という表札に、佳奈が気づいた様子はないけれど。

「ねぇ、ここって……ウソでしょ……」

 続く言葉が彼女の口から出てこない。

 大きく開いた瞳は心なしか潤んでいるようだ。

 翔太の言葉を、ただただ待っている。

俺んち実家だ」

 なおも言葉のない彼女へ車を降りるように促す。


 出迎えた女性が近づいてきた。

「はじめまして、翔太の姉の麻衣です」

「あ、あの……はじめまして、三木です」

 あわててお辞儀をする。

 顔を上げるとすぐに隣の翔太へ小声で文句をぶつけた。

「もぉどうしてちゃんと言ってくれなかったのよ。いきなり連れて来られたって……こんな格好で来ちゃったし」

「嫌なら帰るか」

「そういうことじゃなくって……」

 二人のやり取りを伺っていた麻衣が口をはさんだ。

「翔太、彼女に何も話さずにつれてきたの?」

「あぁ」

「まったく。三木さん、ごめんなさいね、こんな気の利かない弟で。中で準備しておくから、ちょっと三木さんと話してから来なさいよ」

 二人へかわるがわる話しかけると、さっさと家の中へ入ってしまった。


 取り残された二人の間に白い息が浮かんでは消えてゆく。

 先に口を開いたのは翔太だった。

「ごめん、驚かそうと思って……」

「ほんと驚いたよ! こういう大事なことはちゃんと話してくれなきゃ」

「ごめん」

 むすっとした顔をしている彼を見て、佳奈は泣き笑いを見せた。

「お姉さんが言うとおり、一人で突っ走っちゃってまわりへの気が利かないのよね」

 彼女の涙と笑顔を見て、翔太は鼻の下を人差し指でかいた。

「ご両親は――知ってるの?」

「知ってるはずだよ。直接は言ってないけど姉貴には話してあるから」

「お姉さんは結婚してるって言ってなかったっけ」

「姉貴は婿養子を取って同居してるんだ。お義兄さんはいい人だし、後を継ぐためにこっちへ帰ってくる必要はないよ」

「そんなことは聞いてない……」

 佳奈が両手で包み込んだ翔太の右手は暖かかった。

「聞きたいのはそんなことじゃないよ」

 翔太も左手を添える。


「俺と結婚してくれ、佳奈」


 翔太の胸に飛び込み、泣きじゃくる佳奈。

 そんな彼女を優しく抱き寄せた。

「二年も待たせて悪かったな。これからも一緒に――」

「そろそろいいかしらー」

 麻衣が玄関から顔を出して声をかける。

「いま行くっ」

 苦笑いしながら、翔太は佳奈の手を強く握った。


   ― 了 ―

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