折口信夫「神道の新しい方向」
折口信夫が唱えた神道の宗教化についての議論が気になっていたので読んでみた。ここで折口は「一体、日本の神々の性質から申しますと、多神教的なものだといふ風に考へられて来てをりますが、事実においては日本の神を考へます時には、みな一神的な考へ方になるのです」と語っているのだが、この引用部分をとある方から教えてもらい、とても興味深かったのである。
確かに私は、以前から、「日本人の思考は本当に多神教的なのだろうか」と疑問に思っていた。私がカミを思う時、やむにやまれず縋る時、そこには「八百万のカミ」のような思考は存在していなかったのだ。この私の疑問が折口の文章を読んで正しかったのだと知ることができた(あくまで折口信夫的思考の中では、という可能性は否定しきれないが)のは大きな収穫であった。「その時代々々によつて、信仰の中心は、いつでも移動して」いるというのは、なるほどその通りである。
折口は「高皇産霊神・神皇産霊神」の名前を挙げ、古代人は次のような信仰を持っていたという。
「生きる力を持つた体中へ、魂をば植ゑつける、或は生命のない物質の中へ魂をば入れる、さうすると魂が発育するとともに、それを容れてゐる物質が、だん/\育つて来る。物質も膨れて来る。魂も発育して来るという風に、両方とも成長して参ります。その一番完全なものが、神、それから人間となつた。それの不完全な、物質的な現れの、最も著しく、強力に示したものが、国土或は島だ」。「つまり霊魂を与へるとともに、肉体と霊魂との間に、生命を生じさせる」力を持った神なのだという。よって、日本人に霊魂を与え成長させたのが産霊神となるので、産霊神は「われ/\人間の祖先」ではないということになる。この産霊神の働きによって、山川草木、母なる大地、動物、そして我ら人類は魂を与えられ生きているのである。
この本居宣長、平田篤胤の流れを組む所謂「産霊神道」とどのように向き合っていくべきか。まだ知識も少なければ手元にある資料も少なく、私なりの意見・解釈を持つには時間がかかりそうである。
書評集 火野佑亮 @masahiro_0791
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