毒女の姉

もなか

野菊と蓮世

「藤白兵長。ご報告があります。」

 副長のノアから報告を受け、すぐに現場へ向かった。


 その部屋の主人は侍女だった。

 勤務態度は真面目。ミスもない有能な侍女だったらしい。朗らかで優しい人だったと。

 そんな彼女が__________。


 惨殺されていた。

 切り刻まれていたと言ってもいい。

 そして遺体の一部が欠損していた。


「……指が、ない。」


 左手の指が全て切り取られていたのだ。

 私は知っている。知っている知っている…

 ゆっくりと、血液が足元へ下がっていくのが感じられた。震えが止まらない。息が、上手くできない…


「蓮世?顔色が…おい!?」


 ノアの焦ったような声が聞こえ、そこで私の意識は途絶えた。


 ___________________

「ねぇ、蓮世…?」

 身体を這う指はどこまでも甘く、確固たる意志を持っていた。


 たった一人の私の姉。名前は藤白 野菊。

 いや、今は…


 藤ノ宮 野菊だ。


 私と姉は、とても仲の良い姉妹だった。

 朝から晩まで離れる事はなく、ずっと一緒だった。これからもそうだと、疑わなかった。


 あれは、そう。11歳の頃だったはず。

 その年はとても暑くて、陽炎が揺らめく日々だった。


 姉は17歳で、進路の話をよく父や母としていた。その頃からだろうか。

 いや、もっと前からだ。


 姉がじっとりと、なまめいた視線を私の左手の指に注いでいたのは。


 私がピアノを弾いている時、本棚へ手を伸ばす時、姉と手を繋いだ時…


 気付かないふりをしていた。だって、言ったら何かが壊れてしまうから。得体の知れない恐怖に囚われ、私は口を閉ざしていた。


 姉の進路は某国の兵士に希望することになった。父と母、共通の知り合いが姉を是非にと言ったらしい。


 そして、姉がイギリスへ飛び立つ3日前。

 私達の全ては変わってしまったのだ…

 ___________________

「蓮世っ!!大丈夫か!?」


 ゆっくりと目を開けた私に、駆け寄るノア。

 その顔は青く、心配の色を濃くしていた。


「大丈夫…なんともない、から…」

「大丈夫じゃないだろ!?」


 やはり、彼の目はごまかせない。


「あのね、ノア。私、あの侍女を殺した犯人の事を知っているの。」


 私は、彼に話すことにした。


「は!?嘘だろ…あの後の捜査で、殺人は確定だが、証拠も遺留品も、何も無かった。痕跡がなかったんだよ。まるで、勝手にズタズタになって死んだようだった。」


「そうでしょうね…あの人が、そんなヘマするわけないもの。」


「犯人は私の姉。藤ノ宮 野菊よ…」


 そうして、私はあの恐怖を話し始めた。


 ___________________

 いつもどおり姉におやすみのキスをし、自分の部屋で眠りについた。なぜかある日、父と母が別々の部屋で寝なさいと言ったからだ。


 ふと夜中に、目を覚ました。

 何かが身体を這っている…!!

 その何かは、頬から首、胸、腕…そして、指へと辿っていった。


 それは、指をねっとりと絡ませ、包み込んだ…


 目を開けた。そして見たものは…


 つり上がった唇。毒々しくも甘い瞳。

 姉だった。いや、姉の姿をした、おぞましくも美しいバケモノだった。


「あらぁ…起きちゃったのぉ…??」


 怖い!声が出ない。怖くて仕方がないのに、その視線に囚われ、身動きが取れない。


「ずぅっと…好きだったの。蓮世のこの指が」


 そう言って私の指を一本一本ねっとりと舐め、口付けた。


 背筋が凍る。怖い…きもちわるい…誰か…!


「我慢してたのよ…?見るだけで、ちょっと触れるだけで。でも、気付かれた。そして、あいつらに邪魔された。」


 あいつら…??


「ねぇ、おかしいと思わない?知り合いが偶然、遠くの国へ招くなんて。あれはね、嘘なのよ。私を遠くへおいやり、あなたと一生切り離すための、ね。」


 確かによく考えるとそうだ。日本の女子高生にそんな話がくるのは。


「どうせ、何もしなくても分かたれてしまうわ。だから、ねぇ…??」


 そこで、視線が、触れる手が、気配が、全てが一層甘くなる。


「ねぇ、蓮世…あなたの指、私にちょうだい?」


 言い終わるやいなや、私の指にどこから出したのか、ナイフを向けた。


「イヤァァァァァァァァァァァァァ!!」


 そこでようやく悲鳴を上げた。

 姉を振り払い、背を向けて逃げる。

 扉を開ける。父と母が廊下から走ってくるのが見えた。安堵した瞬間…


 熱い。背中が焼け付くように熱い。

 ……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…


 私の意識はそこで途切れた。


 ___________________


「目が覚めた時、私は病室にいた。」


 ノアの顔色は、紙のように白くなっている。


「姉はあの後、家から飛び出して…ビルから飛んだと聞いたわ。」


 父と母をナイフでズタズタに切り裂き殺し、姉は裸足に真っ白なワンピースで燃え盛る火事の高層ビルの屋上へ向かい、落ちた。


 そして燃えた。


 葬儀は挙げず、無縁墓地へ葬られたらしい。墓参りは誰も1度もしていない。


「でも、その話だと姉は死んでいるだろ…?なんでだよ…?」


「ええ。でもね、遺体は酷い有様で、本人確認も出来なかった。裸足に白いワンピース、長い黒髪、同じくらいの背格好の女の遺体で偽装すれば、どうにでもなるわ。火事だってね。」


 そう。どうにでもなるのだ…


「だが、そんな都合のいい死体なんて「姉と同じクラスの女の子が行方不明なの。その人は、姉と同じ黒髪、似た背格好だったわ。」


「……」


 ノアは色のなくなった唇を噛み締めた。


「私が姉が生きていると確信している理由は、もうひとつあるの。」


 震える手。未だ消えない背中の傷。

 全て背負って私は戦わなくてはならない。


「書かれていたの。私の部屋の窓に血文字で『藤ノ宮 野菊』って。あれは、姉の字だった。」


 藤ノ宮。本家の氏だった。


 …あの時と同じ気配を感じた。

 戻ってきたのだと。もう、これまでの時間は終わるのだと。


 俯いた。涙が見えないように。

 ___________________


 暖かな腕が私を包み込んだ。


「俺も一緒に戦う。」


 その一言に、また涙が出てきた。頷きたかった。飛びついてしまいたかった。でも。


「だめ。あの狂気の姉に近付かせたくないの。貴方が死んでしまう。」


 それは絶対に避けなくてはならない。

 彼が消えた世界で生きていけないから。

 この腕の暖かさを知った。もう戻れない。


「こんな仕事してる相手に、なんつーこと言うだよ、お前は。もちろん、死んでもいいなんて思ってない。まだ生きていたい。でもな、ここで逃げてお前を失って後悔しながら生きていくなんて、そっちの方が痛いんだ。」


 涙が溢れて止まらなくなる。


「蓮世。お前のためなら、砂利を舐めてもいいぜ。お前の姉が持たないカード全部きって、俺はお前の姉と戦う。」


 そして、と彼は続けて言った。


「必ずお前を貰う。誓を解いて、故郷へ返してもいい…答えは?」


 初めて彼を抱き返す。それが答えだった。

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毒女の姉 もなか @huwahuwa_yuttari

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