第3話 結末


「ってなわけで、案外簡単に収まっちまったわけなンよ」

 ふふ、と笑いながら夕月は囁き、塗の小さな椀に口づけた。朱塗りの椀に注ぐ水は、あの男が持ってきた一等良い酒である。ハチはため息をこぼしながら、空になった春の猪口にそっと酒を注ぐ。

「本当に、二人とも何が楽しいのやら」

「お前も楽しかったんだろう、ハチ。わざわざ女を見に行くくらいにはなァ」

 ケタり。春はいつものように口元を歪ませながらハチを見る。その目に、ハチは何も言えなくなって喉の奥で呻いた。その様子を肴に、夕月はもう一口と酒に口を着けた。

 質素な晩酌だが、今宵は月が美しい。縁側で酒に月を浮かべながら春は楽しそうにその瞳を緩めた。

「にしても、いい絵だったねェ。画商も悔しそうだったわよ」

「まァ、あの絵に値段はつけられンよ。俺の自己満足で描いただけだ」

「そうだねェ」

 夕月の頭が春の肩に落ちる。春も、それを受け止めるように軽く笑った。諦めるように、ハチも自分の猪口に自分で酒を注ぎ、ずず、と口を着ける。文句なしのいい酒だ。一瞬熱くなった喉を通りぬけると、口の中には爽やかな辛さだけが残る。

 朝餉用の白菜の糠漬けをアテとして口の中に放り込む。


 こんこん。

 小さく春の咳が空気を揺らす。ハチはいつものように白い羽織をその背中にかけた。

「いい夜だなァ」

 春の呟きに、三人でぼんやり浮かぶ春の月を見上げた。

 こん、こんこん。

 軽いその空咳を聞きながら、ハチはぼんやり考える。次に春が描く絵は、どんな美しいものなのだろう。この月も、きっと春が描けばもっと美しいものになる。きっとそれは、春の命と引き換えに。


 こんこん。

 空咳が、静かな春の夜にふわりと浮いた。


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筆が描くは現か夢か 妹蟲(いもむし) @imomushi

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