事実と真実


 喫茶店に戻ると温かい飲み物が待っていて、いつも食べるときに使う机に座ってご飯を食べ始める。少し食べたところで華さんが手を止める。

「颯太くん。この前の話なんだけど……」と言いかけた所で

「僕、別に聞かなくても大丈夫ですよ」と言ってしまった。

「え?」

「やっぱり人間触れて欲しくないところってありますよね」

「そうたくん?」

「すみません。何も考えずに」

 そう言って僕はまたご飯を食べ始める。僕は聞きたくなくてその過去について知りたくなくなってそれ以上を求めていない素振りを見せた。華さんも友子さんも僕の様子を窺ってお互いで目を合わせていた。それから沈黙の中ただお皿とカトラリーが触れて鳴る音だけが部屋に響いていた。

「ごちそうさまでした」そう言って僕は自分の皿をもって華さんの部屋を出る。

「そうたくん」

 華さんは僕の顔を見て少し言葉を詰まらせた後

「私は待ってるから。いつでも」

 僕はその言葉を聞いてさらに自分に情けなくなった。

「すみません。おやすみなさい」

「うん」

 僕は一階に皿を置きに行って大きなため息をこぼす。そして嘘ばかりつく自分に嫌気がさした。そして二階に戻って自分の部屋に入る。しまっておいた本を取り出して書かれていた文章を辿る。

「選択……判断……か」

 僕は宗一郎さんの言葉を思い出す。華さんの過去について僕が知っていることは今は何一つない。少ししか知らない華さんの一面に僕は恋をしてしまったらしい。

「どう頑張ってもその未来しか待ってない」

 大雅と椿と話した時のことを思い出した。僕はこの世界でノートを見つけて常に未来のことばかり見てきた。この先がどうなっていくのか知ってしまった以上未来のことしか頭に残らない。だけどそのとき不意に二人の会話を思い出して今まで見落としていたことに気づく。未来を知っているなら過去も同じように知っていけばいいのだと。僕は思うと同時ぐらいに部屋を飛び出していた。すぐ横の部屋に向かい扉をたたく。

「はい」

「すみませんでした」華さんは驚いた表情を見せた。

「颯太くん?」

「怖かったんです。華さんの口から本当のことを聞いてしまうのが。だけど知らないままでいればもっと後悔するって」

「うん」

「だから少しずつですけど」

「うん」

 二回目の華さんの頷きには優しさが含まれている気がした。

 僕が部屋に入ると友子さんは笑顔を見せて待ていた。僕はその時何となくこれからの未来が少しでも変わってくれていたらいいと強く願った。

「改めてお願いします」

「うん。少し長くなるからもし聞きたくなくなったら言って」

「はい」

 そう言ってから華さんはゆっくり話し始めた。



 私がその男の子と出会ったのは喫茶店の買い出しから帰ってきた時だった。お店の前でおばさんと見かけたことのない男の子が言い合ってた。私は慌てて二人のとこに行くと

「だから嫌だって言ってんだよ」

「だからなんでだよ」

「あたしはお荷物なんでごめんだよ」

 その頃のおばさんは気が強くて常連さんですら怖いというぐらいだったけど、よくしゃべって笑ってはいた。

「どうしたの?」

「あー。華こいつが働きたいっていうんだよ」

「え?ここで?」

「そうだよ。それの何がいけないんだ」

「ここは小さな喫茶店だ。あんたなんかを雇ってなんになるのさ」

 その男の子は身なりはこの辺の人達とはまた違う感じだった。おそらく品位の高い家のご子息なんだろうと容易に予想が出来た。おばさんはそれを見た目で判断して断っていることも理解した。

「ねえ、君名前は?」

「え? ……貴臣」

「なんでここで働きたいの?」

「……ここの……」

「え?」

「ここのナポリタンが美味しかったから!」貴臣くんはそう言うと顔を伏せてしまった。だけどそれがすごく嬉しくて

「少しの間だけどう?」そう言っておばさんを言うと顔をしかめる。

「身の回りのこととか仕事は私が教えるし」

「だけど……」

「とりあえず中に入ろ」

 二人を扉を開けていれるとおばさんは厨房に行き、貴臣くんは喫茶店の中を見渡す。

「適当なところに座って」私は厨房に行って飲み物を用意する。

「話はあんたがやるんだよ」

「はーい」

「まったく」そう言いながらナポリタンを作り出す。

 厨房から出ると貴臣くんはテーブル席にさっきまでの威勢が嘘のように静かに座っていた。

「貴臣くんは多分だけど位の高い家のご子息だよね」

「……」下を向いて顔をこわばらせていた。

「私ね。ここの喫茶店大好きなの。落ち着くし良い人がたくさんこのお店に足を運んでくれるから」

「それはこのお店を見てた時にわかった」

「え? どうして」

「この店から出てくる人はみんな笑顔で店を出ていく」

「そっか。それは良いことだね」

「俺は幼い頃から限られた場所でしか遊べないし、遊べてもそれは将来のことを考えられたことばっかり。爺は今は分からなくてもいつかわかるようになるっていうけど、俺にとって今やりたいことをやりたいんだ」

「……今やりたいこと……か」

 私はこの男の子の抱える思いとかに全て応えることは出来ないかもしれないけれど、今やりたいことを精一杯やりたいと思った。

「よし! じゃあ。一つだけ条件だしてもいい?」

「うん」

「多分ご家族が心配してると思うから隠れるのは禁止。見つかったら素直に帰る事。見つからない限りはしっかり守るから」

「ここは爺にも話してないからかなり見つからないと思うけど」

「うん。その代わり見つかって迎えが来たらこことの関りは一切話さないこと」

「どうして。そんなことしたら」

「その方が私たちにも君にも良いことなんだよ」

「……わかった」少し納得のいかない表情を見せながら頷いた。

「じゃあ、条件も理解してくれたことだしさっそく君の部屋に案内してあげる。君のいた部屋よりだいぶ狭いけど文句言わないでよ?」

「それは覚悟してる。爺に前聞いたんだ」

「なにそれ。失礼しちゃう」

 案の定部屋を案内したら驚いて開いた口が塞がらない様子で私は思わず笑ってしまった。

「まあきっと慣れるようになるよ」そう言ってから正面の窓を開ける。

「朝の起床は六時半ね。起きたら開店までの間準備をしなきゃいけないから。開店してからは一緒に食事を運んだりするの」

「六時半……」

「起きた事ないでしょ? でもいい経験だよ。朝にしか見れない景色もあるから」

「わかった」

「じゃあ、夕飯食べよっか」

 私と一緒に一階に降りた貴臣くんはその料理を見るなり目を輝かせて席に座った。

「いただきます」

「いただきます」

 貴臣くんは一口口に運ぶと口角を上げて目を見開いてナポリタンを口に次々に入れていく。その姿におばさんも思わず笑っていた。貴臣くんと打ち解けるのに時間はかからなかった。

 その日から貴臣くんは必死でお店の流れや仕事を覚えていった。洗い物どころか台所に立ったこともないから失敗はすごかったけど、それでもそのひたむきな貴臣くんの姿にあんなに嫌がってたおばさんが構うようになっていた。元々いろんな勉強をしてきてるからか才能なのかはわからないけど上達は私でも驚くくらいだった。そんな日々が何日か続いたある日一緒に買い出しに出かけてみることにした。貴臣くんは屋敷をたまに抜け出してはお店で買い物はせずに並んでいる商品をよく見ていたらしい。そのなかでも行ったことのないお店に行ってみることにした。貴臣ッくんが行ったことのないお店は駄菓子屋と酒屋だった。酒屋は当然ひとりでは行けないのは納得がいくけど、駄菓子屋に行ったことがないのは少し意外だった。お店を回るぐらいだから見に行ってると思っていた。一通りの買い出しを終えて駄菓子屋に行ってみると貴臣くんの目はナポリタンを目にした時と同じぐらいに輝かせていた。駄菓子屋を一通り見てまわると一つの所に立ち尽くしていた。

「それきになる?」

 目の前にあったのは金平糖とグルグルキャンディーだった。

「これはどんなものなんだ?」

「うーん。食べてみるのが早いかな」

 私は二つを手に持って会計に行った。外に出て金平糖を渡す。貴臣くんは金平糖をじっくり観察してから口に入れた。口の中からカリカリと音が聞こえて甘さを堪能しているのがわかる。それを見て私も金平糖を口に入れる。

「グルグルキャンディーは家に帰ってから食べよ」

 そう言うと貴臣くんは小さくうなずいた。小さな金平糖をまるで大きな雨のように舐めながら家までの道を歩き始める。

「ねえ。どうしてナポリタンが美味しかったなんて嘘ついたの?」

「え……」顔は固まり驚いた表情を見せた。

「さすがに小さな喫茶店なんだから毎日みんなを見てればわかるよ。友子おばさんは厨房から滅多に出てこないから気付いてないけど」

「……笑顔で出ていく姿を見たのは本当だ。だけどそれ以上にあんたが幸せそうな顔をしてたんだ」

「確かにいい人たちばかりだから幸せだけど……」

「俺の屋敷であんな笑顔を見せる奴は一人もいないんだ。毎日父上におびえながら業務をこなしたり、俺の機嫌を窺いながら身の回りのことをしたり。窮屈だった。外に出れば世間の目を気にして行動しろってそればかり。お母様は父上の怖さにおびえて部屋から出て来ようともしない」

「そんな感じなんだね」

「え?」

「私両親に会ったことがないから。友子おばさんの話だと母は元々病弱で私を生んで亡くなったの。父は私が生まれてすぐに事故で亡くなった。その後母の姉の友子おばさんが私を育ててくれたの。私喋ることがすごく苦手だったの。だけど今はすごく大好きになった。気持ちとか感情とか目には見えないものを伝えられる唯一の手段が会話。そう考えるとすごいことだと思わない?」

「……会話」

「そう。口にするのが難しくても文にすればそれでも伝えられる。本当に大切なのは相手にどう思って欲しいのか、自分はどう思っているのかそれを知ってもらう事。それでもお互いが納得がいかない時はとことんお互いを知って理解していく。きっと人とのかかわり方ってそういうことの繰り返しで成り立ってると思うの」

「人との関わり方」

「いいこと言ったかな、私」顔を窺いながら笑って見せると

「うん」これまでに見た顔と似ていたけれど全く別物の笑顔で頷いた。


 それから一週間が経った頃、貴臣くんは突然お店から姿を消した。私は最初自分の家に帰ったのかもしれないと思ったけど、どうしても腑に落ちなくて喫茶店周辺で見かけた人が居ないか聞いて回ったけど何一つわからなかった。その日貴臣くんの部屋に入って部屋を整理していたら、日記のようなものを見つけた。中を開けてみるとそこには喫茶店に来てからのことが詳しく書かれていた。そして私たちの知らないことも書かれていた。彼は私たちが寝たころに同じ場所に何度も通っていた。それはある小さな神社だった。彼は幼い頃に自分の屋敷から追い出された親子を探して生活の手助けをしてあげていたらしい。彼が屋敷から何度も外に行っていたのもそのためだった。この喫茶店で働きだしたのも屋敷ではお金をもらっていたのではなくこっそり盗っていたのだ。私は慌てて神社を探し始めた。だけどどこに行っても姿は見つけられなくてその場で泣き崩れた。彼の抱え込んでいた過去や辛さに気づいてあげられなくて助けてあげることもできなくて。その日から何日か経った頃貴臣くんのお父さんらしき人が喫茶店を訪ねてきた。私たちは知らないと嘘をつくことしかできなかった。



 華さんはそこで大きく深呼吸をした。僕は何も言えずただこぼれていく涙を頬をつたわせることしかできなかった。

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万華鏡〜君と僕をつなげるもの〜 七瀬 ナツ @nanase_kei

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