しきそくぜくう

@Mei_T

第1話

『虎視眈々と寝首を描く機会を窺うルサンチマンが、己の荏苒な日々に哂笑している』

 平日の昼下がり、自室の布団で春巻きのように包まってベッドの上で転がるナトゥーアが呟いた。

 これは、ナトゥーアの生態である。

 学校に行かず、働きに行かず、ただ、飯を食らい、水を飲み、呼吸をして、世界に革命を巻き起こすことを目論んでいる。

 そんな自分に辟易としている。だが、変えない、変わらない、変えようとしない。

 案外居心地が良く、春巻きのまま死にたいと考えている。

 それがナトゥーア・ヴィラージュ・ドルフである。

 それがナトゥーア・ヴィラージュ・ドルフである。

 コンコンッ

 ナトゥーアが住むアパートのぼろい扉が2度音を立てた。

 『あいつか、扉はボロいからノックをするなと言っているのに』

 ナトゥーアが住むアパートは築1000年の木造である。

 布団にくるまった春巻きのまま、3畳の距離を飛び跳ねて、玄関に辿り着いた。

 ナトゥーアの息は切れている。

 『合言葉』ナトゥーアが雑に聞いた。

 『安逸、安閑、安気、安息、長閑で暢気な悠然、悠長、悠々自適なスローライフに万歳』

 扉の向こうにいる男が答えた。

 『入れ』

 ナトゥーアがあまり歓迎していない声音で言った。

 『失礼』ガチャと音を立ててドアノブを開けた。

 『音を立てるな。ドアノブを壊したら弁償だぞ』

 『1100円だよな』

 友人のプレスベウテースがナトゥーアのワンルームの部屋に腰を下ろした。

 『落ち着くなぁ、ここは』

 プレスベウテースはグルンドシュティックの袋を勢いよく開けた。

 『今日も僕の下馬評でも仕入れてきたのか、悪趣味なやつめ』

 『ナトゥーアが世間から白い目で見られてることなんて、もう聞き飽きたさ。そんなことより2つ程、君に話しがあってきたんだ』

 舌舐めずりをかましたプレスベウテースが捲し立てた。

 『悪いニュースか、もっと悪いニュース。どっちから聞きたい?』

 『どっちも悪いんかい』

 『どっちだ?』

 『悪いニュースから』

 窓の外に浮かぶ碧空を見上げ、プレスベウテースは、ふっとため息をついた。

 『今朝方、俺の頭に鳩の糞が落ちた』

 そう言ったプレスベウテースが、ゆっくりとあぐらをかいたまま後ろを向いた。

 惨状と呼ぶべき後頭部が、ナトゥーアの言葉を剥奪した。

 『お前...の悪い話かい』

 『あぁ...』

 プレスベウテースは、鎮痛な表情で思い詰めた声を吐き出した。

 『それは、お気の毒に。もう一つのもっと悪い話は?』

 『ナトゥーアの耳に、少々金の匂いがする話を入れておきたくてな』

 『ほほぅ』

 若干鼻息が荒くなったナトゥーアが、ほんの少し前のめりになって話を聞き始めた。

 『ナトゥーア、君には魔王を試してきてもらう』

 『魔王を、試す?』

 『魔王の試験運用、プレイヤーとなってもらう』

 『それはゲームのテストプレイヤーということかい?』

 『それは、ゲームではない。リアルだ』

 『実在するこの世界に、もう一度魔王を召喚する。来るべき勇者を追い返してほしい』

 『勇者?』

 『預言者シュタットツェントルムが予言した。間も無くこの町、ウルプスは勇者によって侵略される、と。それに対抗しうる者は、いにしえより語り継がれる魔王のみ』

 熱がこもったプレスベウテースの目は、魔王の逸話を聞いて胸が熱くなった少年の頃のように輝いている。

 『かつて侵略する者、勇者がやってきたときに、魔力と呼ばれる奇怪な力を操り、街の魔物を従え、追い返した伝説の魔王。

 現在は、動かなくなった魔王が街のどこかに眠っている。目撃した人間によると、どこか魂が抜けてしまったような魔王の寝姿を入れ物と比喩した』

 『話が早い。その入れ物の中身にナトゥーア、君がなるんだ』

 『僕が?』

 信じられない、といった様子でナトゥーアが自分を指差した。

 『伝説の魔王が、元は人間だったのかも解明されていないけど、日進月歩、魔力の扱い方の研究は進んでいる。すでに魔王の入れ物に入ることは理論上可能なんだ』

 『それのどこが悪い話なんだ?鳩の糞が頭に乗るよか全然いい話じゃないか!しかも金になるだって?最高じゃないか』

 久しく興奮したため少しふらついているナトゥーアに、プレスベウテースはそっと告げた。

 『魔王の魂となった者の末路は、死ぬ』

 ナトゥーアは、絶句した。

 『...死ぬ?』

 『伝説の魔王の最後は、今しがた、君が口にしたじゃないか』

 『はぁ』

 『どうだ?』

 少しナトゥーアは思案した。まとめた考えを口に出した。

 『でもさ、いずれは僕たちも死ぬじゃん』

 プレスベウテースはナトゥーアの目を見て話を聞いている。

 『どうせ人間でいても、最後は死ぬし、どこにいくかもわからない。そんな曖昧なあたりなんて何も違いはないし、明確なことは多少死期が近くなるだけでしょ?それなら僕は、春巻きとして長く人生を全うするよか、魔王として死ぬよ』

 プレスベウテースの手は既にナトゥーアの手を引いていた。

 揚げたてのころものように、長い間パリパリに絡みついていた布団は、築1000年のアパート、ワンルームの部屋、その万年床の上に置き去りとなった。

 

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