なんか悟った気になったクソがナルシシズム全開で抽象的な批判を美化するまごうことなきクソな自分語り~チラシの裏に書いてろカス~

白川津 中々

 休日にやることもなくツイッターなんぞを見ていると知りたくもない左右の主張が目に入る。


 国の憂い。


 将来に対する不安。


 分かる。実に分かる。

 世に蔓延る不公平と理不尽を許しがたく、受け入れがたく、己が義憤を見せてやりたいその精神、まったく共感を得る。


 かくいう私もその口だった。若い時分はやれ政治が悪い。やれどこの国が悪いなどと口にし、あるいは文にし、知りもしない政治に対して下品なほど辛辣な評をに下し正義を執行した気になっていた。それはまったく手軽で容易な自己表現であり、筆舌に尽くしがたい高揚感と快感を得られる行為であった。絶えぬ怒りの炎を不愉快だと思っていながら浅知恵を披露し、くだらない一般論を吹きまわる愚行に悦を感じていたのだ。


 しばらく私は吹き溜まりの中で、時に晒され、時に称賛され、正負の垣根なしに人の感情を呑み込んでいった。

 極論と暴論をたらふく貪った精神は不健全と言わざるを得ず、すくすくと育つはずだった性根の幹はどんどんと明後日の方向へと延びていく。そうしてねじ曲がったまま自我は肥大化していき、私は自分に稀有な才があり、慎ましく思慮深く、慈悲深いと錯覚し、それでいて羽ばたけぬのは世界が悪いからだと勝手な事を思っていた。


 論ずるまでもないが私は特別な人間ではない。才もなければ徳もない。浅ましく短慮で俗の衆に混じるぶつである。羽ばたけぬのは自分のせいだし、身に起こる不幸も誰かのせいではない。大方の事は身から出た錆。つまることろ、今の生活苦は過去の行いが今降りかかってきているに他ならない。そんな現実から目を背けるように、私は常に敵意をばら撒き、薄い正論で何かに勝った気でいたのだったが、いつの間にか誰も私を批判したり賛同する者はいなくなっていた。毒を吐く案山子になっていたと悟った時には、既に手遅れだった。


 ツイッターを見ていると、誰も彼もが敵を探しているように思える。自身に起因する不遇を、堕落から生じた不利益を誰かの、何かのせいにしているように感じてしまう。当然例外も数多にあるだろうが、しかし、それでも私は怒り狂う彼らを見てかつての自分を重ねてしまうのだ。努力も精進もせず、批判を繰り返すだけで得意になっていた、愚かな自分と。


 他を卑下したところで自分の位が上がるわけではない。

 何を変えたいのであれば力を付けなければならない。

 Webの片隅で呟いたところで何にもならない。


 そんな当たり前のことを皆知らぬふりをする。かつて私がしていたように。




 さて。

 偉そうな事を書いたがこれも愚物の戯言である。

 本当の事を述べれば若さに対するやっかみだ。恥をかいても許される世代にいる人間への羨望に過ぎない。


 そもそも未だに物事の成否が分からない私がこんなことを書くべきではないと思っている。

 ではなぜ書いたのかといえば、自身への弁明をしたいだけであるように思う。愚かで無能だった過去を引き摺りながら、今でも愚かで無能である事への達観と諦観を見せて、自分は馬鹿だが悟ったのだと示したいのだ。


 この行いも近い未来の自分が嘲笑するだろう。

 だが今は、これでいい。

 未来の私よ、この駄文を見たらどうか、大いにわらってくれたまえ。

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