歪な赤の世界
城崎
醒めないから夢じゃない
パチリと目を開ければ、外は既に日が暮れかけていた。真っ赤な夕焼けが、薄暗い室内を照らしている。だからこそ、視界に映るものもこんなに真っ赤なのだろうと思った。しかし、鼻をつんざくようなきつい匂いで、すぐに認識を改める。
床や壁に塗られている赤は、誰かが流したそれらしい。
外観からして、元は教会だっただろうこの場所。それが今や、正面の扉は切り刻まれ、窓という窓は粉々に割られてしまっていた。あちこちに破片が転がっている。そこには、神聖さの面影すら見当たらない。なんて酷い光景なのだろう。顔を覆うはずの手すらも真っ赤であり、覆うどころの話ではなかった。
ふと、視線が自らの服装へ向く。そこには、いつもなら着るはずのない、ふんわりとしたドレスがあった。綺麗な装飾のなされたそれにも、これでもかと言った具合に赤が散りばめられている。元が白かったのか、余計に滲む赤が痛々しい。
「……ひどい」
発した言葉は、自分にも聞き取れないほどにかすれていた。
それにしたって、ここで何が起こったのだろう。何故、自分はここにいるのだろう。なに一つ分からないこの状況。やけに冷静な思考回路で、とにかく、ここから逃げなければならないと考える。見たところ、拘束はされていないようだ。ならばと足を踏み込んだところを、狙ったように声が邪魔をした。
「あ、目ェ覚めちゃった? おはよぉ」
声の主は、なんでもないように笑いながらこちらへ近づいてくる。
それは、仲間と旅をしてきた中で見慣れた人物であった。だからと言って、安心感などはない。むしろ、トレードマークとも言える帽子と、軍の支給品である制服。白かったはずのそれらが赤に染まっていることを見るに、思いつくことはただ1つ。どう考えても、彼がこの惨劇を作ったのだろう。そうとしか思えない。そんな彼から、逃げなければならないと、本能が叫んでいる。しかし、こんな時に限って、膝が笑い出して動けない。
「大好きだよ、愛してる……じゃ、足りないくらい好きだよ。アイ」
それをいい事に、彼は私を包み込むようにして抱きしめてきた。彼にとっては力の加減をしているつもりなのだろうが、充分痛いほどに力が入れられている。抵抗しようにも、私の細い腕が敵うわけもない。
「やめてよね、エドウィン! なにが愛してるよ! この惨状はなに!?」
それでも抗わなければと、乾き切った口を開いて声を零す。思った以上にかすれており、今にも消え入りそうな声だったが、彼には届いたようだ。ごめんと謝られ、ゆっくり離れると一定の距離が作られる。なんとか、立つことも出来た。
「いやぁ、大変だったよ?」
いつにも増して狂気を孕み、全身を這うような声が耳へ流れ込む。
「25人もぶっ殺してから、そこの谷に落としてくるっていうのはサ」
一瞬にして、全身に鳥肌が立つ。
そうだ。彼は、はじめはこういう人だった。
出会ったばかりの頃、彼に君を気に入ったから連れ去りたいと、笑顔のままに言われたことを思い出す。それを拒絶しようとすると、その笑顔のまま刃を向けてきたから、カイが必死に庇ってくれたんだっけ。あの時のカイの今までにないほどの真剣な顔と、場に不釣り合いな彼のよく分からないといった顔はよく覚えている。
それからは、戦いの中で徐々に成長し真っ当に私へ想いを伝えるカイを見直したのだろう、私へ向けていた想いを振り切り、国の騎士として全うすることを誓ってくれた、そう思っていたのに。
「どうして、今さら」
ようやく落ち着いてきた声で、そう問いかける。彼は少し悩む仕草を見せたが、すぐになんでだろうねと首を傾げた。
「アイがカイと結婚するって聞いたら……なんて言うか、身体が勝手に動いてたんだよね」
『結婚』。
その単語に、私の頭の中で目を覚ます前までの記憶が鮮やかに駆け抜けていった。
そうだ。私とカイは、ようやく落ち着いた世界で、結ばれようとしていたのだった。この教会で、親交の深い人たちを呼んで、こじんまりとした結婚式を執り行うはずで、これはそれの為のウェディングドレスで。
そして、愛の誓いをしようとした時に彼が現れて……そこからは、意識がない。余りにも悲惨な出来事は、自然と記憶から消えるという。人間の防衛本能からだろうか。なんて理解したくない出来事なんだろうと思っても、実際に起きてしまったことに変わりはない。
「ナイトレイとバレット……あと女狼は、俺に備えてたのかな。いつもの獲物、隠し持ってて苦戦したけど、俺、頑張ったよ」
まるで幼い子が、テストで良い点数を取ったから褒めて欲しいとでも言うような口調で、最悪なことを言った。あの3人ですらやられたということは、それ以外の人が敵うわけがない。彼は、それだけでも私が絶望していくのを見て、薄い笑みをこぼす。更に口を開こうとするのを、私は手で制した。
「やめて。もう、分かったから」
ええーと気の抜けた、残念そうな声を漏らす。それでも笑みの変わらない彼は、口を開いた。聞きたくない。出来る限りに耳を塞ぎ、その場にしゃがみこむ。
「やっぱりアイは、絶望してても妙に大人びて冷静だよね。あ、もう大人なのか。だから結婚しようとしちゃったのか。うーん、今のアイの方が好きだけどなんか複雑……」
それでも、静まり返ったこの空間では全て筒抜けだ。まぁいいかと、彼が頭を掻く音すらも聞こえる。更に耳を塞ごうとした時、彼の手が私の手首を掴んだ。無理矢理引き寄せられ、彼の呼吸が耳元で響く。
「カイはね、最後までアイを守ろうとして死んだんだよ。バカだよね。俺がアイを傷つけるワケがないってのに」
手なんて千切れてもいい。そう思い、ひたすらに抵抗をする。無意味だと分かっていても、これ以上は何も聞きたくない。何故コイツはこんなにも、愉快な口調をしているのだ。楽しそうに笑っているのか。どれも理解出来ずに気持ちが悪い。口からは、やめろと呪いのように零れ続ける。それに逆らい、彼は饒舌に続けた。
「カイ、絶対に絶望しないって目で俺に向かって来てさ……やっぱり、世界を救ったりすると恐れなんて無くなるんだろうね。イラついたからさ?」
私がどんなにやめろと叫ぼうが、嫌でも耳に流れてくる声。それはいつの間にか、苛立ちを含んでいた。思い出すだけでも腹立たしいというのか。私の気も知らないで。
「1番! ぐっちゃぐちゃの見るに耐えない姿になるまで切り刻んで!! そこの谷に捨ててきたよ!!! 」
彼にかかれば、そんなところだろう。それでも、聞きたくなかった。その時の光景が、ありありとまぶたの裏に蘇ってくる。悲しみを通り越し、もはや何の感情も湧かない。一瞬にして全身から力が無くなっていく。それを狙ってか、奴は私の体を再び抱きしめた。
「あぁ、良かった! その顔だよ。俺が見たかったのはさ……!」
呼吸が荒い。一瞬見えた顔は、この上ないくらいに恍惚の表情を浮かべていた。
「これからアイは、最愛の人を殺した俺と生きていくんだよ。絶望に打ちひしがれながらも、死ぬことも出来ずに、生きていくしかないんだよ」
そんなこと絶対にするものか。反発心で我に返った私は、人は舌を噛めば死ねる事を思い出した。こんな世界で、もはや生きる必要など一切ない。実行しようとしたその時、ぬるりとした感覚が口の中を襲う。
「んぁッ……んん!」
突然のことに、思わず目を瞑ってしまった。そんな私に構わず、口の中を掻き回される。何をされているのか理解した時には既に、後頭部に手を回され、自分では離れることすら出来ない。徐々に、深々と侵食され、歯と歯がコツリと当たる度に、脳内を揺らされる。何も考えられない。
しばらくして、私が苦しがっているのを察したのか。彼は名残惜しそうに、私から離れる。口の端からどちらのものかもわからない唾液がつうっと伝った。それを、彼が舐めとる。抱きしめる力も強くなった。意識が朦朧としていて、避けることすら出来ない。
「死なせない。ずっと俺の側に居てもらうよ。多分カイは天国に行っただろうけど、俺とアイはこーんなことしちゃってさァ、多分地獄行きだよねぇ。つまり、死んでも一緒なんだよ……さいッこうだよねェ」
すっかり乾いた血が付いているせいだろう。ガサガサした手で、それでも優しく私の髪を撫でた。ゆっくりと落ちていく意識の中で、愛する人の姿が霞んでいく。代わりに刷り込まれる、歪んだ彼の姿。
「カイの……バカ」
それでも発した言葉が、とても愛おしい。自分は、決して変わることは出来ないのだと分かり、安心して闇に身を任せた。出来ればもう、目を覚ますことがないようにと祈りながら。
歪な赤の世界 城崎 @kaito8
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