第5話
平田 夕樹は考えていた。
あのギター(正式名は最後まで分からず仕舞いだったが、限定10本だけ製作されたもので価値にして300万は下らない代物)が、誰に貰ったものだったのかという事を。
大学時代の先輩だったような気もすれば、父親の知り合いだったような気もする。しかしそれが誰に貰ったものであるにせよ、彼のイチモツを救った救世主に変わりはなかった。
フッとタバコから口を離し、顔を上げると駅の喫煙所にいた。
自分がどうやってここまで来たのか全く覚えていなかった。夢かな、と思う。全てが夢。あの黄色い男を見た瞬間が夢の始まりで、このまま友人の住むマンションへ行けば彼が居て、一緒にタバコを吸う。
残念ながらそれは紛れも無い事実だ。黄色い男が現れたのも、友人が風船の如く吹き飛ばされてしまったのも。手の中にはくしゃくしゃになった契約書のわずかばかりの重み(今の彼にとっては世界中のどんな金属よりも重く感じられた)があり、全てが起った後だと教えてくれた。
ほんの数十分前まで自分は男性器を切除するかどうかに震えていたのだ。
タバコを口に咥え、片手でグッと股間を握りしめる。
確かにある。それは確かにそこにあった。柔らかく、芯の通った肉の塊はしっかりと自分の身体からぶら下がっている。
危機から逃れようとする時、人間は突飛なこと、普通ならあり得ない物に助けを求めてしまうものだ。多くは助かるはずも無く、(むしろそれによって)無残な最期を遂げる。
しかし、夕樹に限って言えば正に危機一髪だと言えた。女が言った高いギターの話を思い出したのだ。それまで自分の使っている貰い物のギターが珍しい物かどうかなど、考えても見なかったが、藁にもすがる思いでギターを担保にすると男に頼み込んでみた。
ギターを男がしばらく鑑定し、電話のやり取りを終えると300万という破格の値段を夕樹に伝えた。それで、夕樹は今までの使用料、加えてこれから一年間の使用料を払い、解放された。
これで一年間、亀のジャックが入った相棒を誰に咎められるでもなく使用できる。が、明日にでも夕樹は病院へ行くつもりだった。こんなもの、見たくも無い。
終わりかけたタバコを消し、次に手を伸ばす。(まさか、一本で気が休まるわけもない)
箱は空だった。
箱をぐしゃっと握りつぶすと、夕樹は喫煙所を出る。
外にはでかでかとガーデンパークの広告。その隣には亀のジャックを使った飲料水の広告。ジャックのTシャツを着た子供が走り、ジャックのスマホケースを持った女が電車を待ちながら通話している。
身震いしそうになるのを抑え、眼を逸らすとタバコの自販機まで速足で進んだ。
「イメージ………イメージ…………」
口の中で男が言っていた言葉を繰り返す。
至る所にガーデンがいる。大切なイメージを持ったガーデンの商品たちが。
自販機の前に立つと素早く、ブルーラグーンのボタンを押す。溢れ返るガーデン、そしてジャックの持つイメージ。ニコチンを肺へ、血液へぶち込まないとどうかなってしまいそうだった。
取り出し口からタバコを取り出すと、その場でフィルムを無造作に剥いだ。
と―
「平田 夕樹さんですね」
人ごみの中、その声ははっきりと聞こえた。例の男の声ではない。もう少ししゃがれた声だった。背筋が凍り付き、タバコを開けようとした手が止まる。
振り返る。そうしなければこの恐怖は延々と続くように思われた。
男が立っていた。
肩パッドの入った黒いスーツにブーツ。髪はツンツンと逆立った放射線状のリーゼント。
既視感、などなかった。すぐに何者か分かったからだ。
「ひ、ヒムロック………?」
顔は違う。だが背格好すべてが、BOOWYのボーカルそのままだったのだ。
肩から指先まで、意識や感触が全て抜け落ち、買ったばかりのタバコがホームに落下する。電車の風で契約書が宙へ噴き上げられた。
「我々の曲を無断で演奏していますよね?」
男が笑った。
おわり
追跡者X 諸星モヨヨ @Myoyo_Moroboshi339
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