第4話
なんでだ。疑問形。
疑問形は頭の中を跳ねまわった。一つ一つに答えを出している暇などあるはずがない。なにせ、ほんの数秒の間に夕樹の頭の中に浮かんだ疑問形はあまりに数が多すぎた。
なんでタトゥーに著作権が―
なんで男はこの場所が分かった―
なんでドアが開いた―
なんで………
なんで友人の上半身が部屋にぶちまけられている!―
凄いことだ。きっと、この様子を誰かが観察していれば夕樹を褒めたたえたに違いない。友人の上半身が吹き飛ばされ、赤黒い鮮血が部屋を染め切って尚、彼の精神状態は極めて冷静であった。
辰也に向けていた、おもちゃの銃―尖ったドリルのような先端に半透明の本体。くるくる回転している光った何かが透けて見えている―をズボンに閉まっている男を平常心のまま見つめている。放心している訳では決してなかった。
頭の中では友人の身体が風船になって破裂する様子が何度もリプレイされている。破裂する風船というのは比喩だが、まんざら間違った描写ではなかった。
司令塔を失った下半身がドサリと地面に倒れ、そこからはみ出した腸が見えても夕樹には辰也が死んだという実感が湧かない。
友人はどこへ消えたのだろうか―
「あなたは馬鹿な真似はしませんね」
男は言いながら、眼鏡にへばりついた血を丁寧に拭き取る。全身に鮮血を受け、赤と黄色のコントラストが夕樹の目を惑わせた。目がちかちかする。
「まあまあ、まずはそこにおかけになってください」
男はリビングのダイニングテーブルを手で指しながら言う。ガービン・ヴァイパーの格好をした男の声は優しく、微笑んでいるような口調だったが顔は動いていなかった。筋肉一つさえも。
男に促される様に立ち上がり、持っていたタバコを消そうとして、血で火が既に消えている事に気が付いた。
生ぬるい血が付いた椅子にためらいなく座る。不思議にも尻が濡れるという不快感はなかった。
男は冷蔵庫にあった牛乳を取り出し二人分のグラスに注ぐ。
夕樹は初めて来たかのようにゆっくりと部屋を見回した。壁には友人に肉片が張り付いてレバーを思わせる。液晶テレビには辰也が着ていたヒステリックグラマーのTシャツの一部がぶら下がり、血をしたたらせていた。
唇に苦い感覚が広がって、吐き気がした。
「どうぞ」
男が机にアタッシュケースを置きながら片手でグラスを差し出す。牛乳はやけに白く見えた。
黙って半分ほど飲んだ。鼻から牛乳の香りが抜け、漂っている鉄臭さが大分マシになった。
「改めまして、わたくしガーデン・カンパニー・ジャパンの著作権管理セクションから来た者です」
男は椅子に姿勢よく座ったまま深々と頭を下げた。
「既にご存知の通り、当社のキャラクターの無断使用に関しまして、使用料の徴収に参りました。督促状に記しました通り、本日が支払い期限となっております」
「待って、待ってくれ………なんで、タトゥーに使用料なんか払わなきゃならない」
話すと再び吐き気がした。口の中に鉄の香りが分け入って来て血を呑んでいる気分だ。
夕樹はそれでも続けた。
「そ、そんな、そんなのおかしい。俺はこ、このタトゥーで……金儲けをしたり、何かを売ってるわけでじゃない。個人で、そ、そうだ! 個人で楽しんでいるだけだ!」
男はへぇよく知っているねと言わんばかりに頷き、息を漏らした。
「では、平田さん。あなたは当社のキャラクターをダシにしていい思いをされているのではないですか? 」
反論する隙も無く、男は続けた。やけに聞き取りやすい声だった。
「タトゥーを見せるから、などと言って女性を誘ったのではないですか? それは充分な宣伝行為にあたると当社では判断しています。もっとも、我々にとって不名誉な宣伝ですがね」
「で、でもそれは………」
「それに、今あなたがおっしゃった、キャラクターでお金儲け、それは違います。我々ガーデンカンパニーが何を売っているかあなたはご存知ですか?」
「は、はぁ? あ、アニメや映画だろ!」
「違います。我々が売っているのはイメージです。エリオット・ガーデンが作り上げたキャラクター、そしてガーデンというブランドが持つイメージを我々は売っているのですよ。分かりますか? 今やガーデンのアニメーションは世界的です。
子供達はジャックを見て育ち、ガーデンパークでデートをし、ガーデンの音楽を聞きながらセックスをする。家族的で平和的なイメージは世界中の人間の中に深く根を張っていく。これは他のどんなものを売るよりも高尚で高邁なことです。一度受けたイメージは中々壊れません。亀を見ればわが社のキャラクターを思い出すように、幸せを求めれば人は、自然とガーデンを思い浮かべるようになる。
それを。あなた達のような無神経で下劣極まる人間に犯されてしまうというのは一体どういうことなのでしょうか? クリーンで穢れの無いイメージを保つためにもあなたのような不当な利用者には厳しい罰則が必要なのですよ」
人間の爆発を見た直後は思考が鈍くなるようだった。もっと、もっと何かを反論したい気持ちに駆られたが、その度に吹き飛んで行く友人の身体が網膜に映し出され、それを阻んだ。
しばらく俯いて、深呼吸をしてみた。そのまま目を開けると床に友人の小腸が踊っている。
「分かった………金を払う…… それしかないだろ? だけど、今日は無理だ。せめて、せめて明日まで待ってくれ。今日今すぐってことはないんだろう?」
男は少しだけ眉を動かし
「いいえ。それは出来ません。今日が期限です」
「なんで! あと1時間足らずのうちに金を払えって言うのか! そんなこと、出来るわけが―」
叫ぼうとした時、男がスッと指を一本立てた。
「私達もそこまで馬鹿ではありません。あなたに返済能力が無いことは承知の上です。それに、これまでの使用料に関しては無理のない返済プランをご用意しております。私達が望んでいるのは、タトゥーの即刻たる除去。それのみです」
「な、なに? 今日中にタトゥーを取れっていうのか?」
「本社の決定ですので」
「そ、それこそ無理な―」
「では、一年間の契約金を払いますか?」
男は静かにそう言うと、アタッシュケースを机の上に置き、鉄錠を勢いよく開けた。夕樹はまだグラスに少し余っていた牛乳を口に運び、チラッとベランダを見た。カーテンを押し潰すようにギターが寄り掛かり、その向こうには夜の街が広がっている。
「逃げようという考えは捨ててください。平田さんは著作権がどれだけ続くかご存知ですか? 一般的には作者の死後50年。つまり、ジャックに関して言えば、あと5年足らずで著作権は失効する………ですがね、平田さん。我々が法律を変えたんです。ジャック、いえ、ガーデン社のキャラクターに関しては失効後さらに80年間著作権が守られると。こんなことができるのも、全てはイメージです」
「イメージ…………イメージ……」
復唱してみた。男の言葉の後に―じゃあお前は80年も逃げ続けるつもりか―と続くのは明らかだった。
「俺は………どうすればいい………?」
「簡単なことですよ。この場でタトゥーを除去して頂く。ただそれだけです」
何を言われても驚かなかった。タトゥーを入れる時、その除去については色々と聞かされていた。レーザーで色素を焼いたり、皮膚を移植したり、兎に角時間がかかるが消えないことはないと。
男の口調が落ち着いた物になったせいで幾らか安堵して来た。同時に、友人の血なまぐさい香りと死んでしまったという事実が重くのしかかって来る。夢かこれは? なんどか自分に問いかけたが答えはノー。
男はアタッシュケースの中を弄り、机に並べ始めた。
清潔に纏められた一束程の脱脂綿。(パッケージには亀がプリントされている)
ガーゼ。(これも亀のプリント)
包帯が1ロール。(これも)
消毒液のボトルが二本。(これもだ)
そして―
そして、医療用のノコギリ。(持ち手の所にニッコリ笑った亀)
脳が理解するよりも早く、体が震えた。
平静を保とうと牛乳を飲みたかったが、もう残ってはいない。(たとえ、牛乳が残っていたとしても手の震えが激しく、飲むことは叶わなかったはずだが)
友人の死や著作権、の事が全て頭から吐き出された。胸が締め付けられるように痛み、涎が意味も無く口元から垂れる。
「ご自身の手で、タトゥーを除去していただきます。除去というよりは、切除と言った方がいいですか?」
男が手に拳を強く押しあてて下を向いた。表情は一切、動いていなかったが、夕樹にはそれが笑っている姿なのだと分かった。
男が笑っている。
目の前に並んだタートル・ジャックを切り離す道具たち。
「大丈夫です。私は医療の知識もありますので、死にはしません。これぐらいの痛みは大したことありません。脳がね、激痛をシャットアウトしてくれますから。ただ、今日中にという事ですので、お早めにお願いします」
聞こえない。これから起こる。いや、自分が起こそうとしている事を考えるととても人の話など聞いてはいられない。
数時間前まで女体に入り、快楽を貪っていた相棒。25年間、連れ添った相棒。それが今、消え去ろうとしている。
なんで、こうなった。自分は数時間前に引っ掛けた女と愛し合い、別れた。そして、そのまま家に帰り酒とタバコを煽りながら、アメトーークを見るはずだったのでは?
脂汗がぽたぽたと股の仇に落ちる。
金玉の裏を何かがもぞもぞ動き回っている気色の悪い感覚。
ハァッ………はぁッ………はぁッ………― 喉が異常に乾き、呼吸が荒く。
なんでだ。
なんでだ。
なんでだ。
自分に問いかける。
時計は23時47分を指していた。
つづく
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