第6話 産まれるか、産まれぬか
親に対し「産んでほしくなかった」と主張する人がいる。
それに対し、「数ある精子の中で他との競争に打ち勝ち、着床したのはあなた自身だ」という人がいるが、それは只の生物的な本能だ。精子に自我があるはずもない。
なら、仮に自我があったとして、生まれるか否かの選択ができたとしたら、その人は否を選ぶだろうか。
考えてみると、主張の根元となっているのは、その人の今までの経験だとわかる。
過去に得た知見での判断によって、「今」置かれている状況を鑑みて、自分は生まれたくなかったという主張をしている。それは生があったからこその思考、主張だ。
生まれていない状態だったら、自分がどうなるかなんて、わかったもんじゃない。空っぽなのだ。始まっていないから、得ているものもない。正しく「無知」の状態。
だから、最初に生の選択の権利があったとしても、生が何なのかを知らないため、自我があっても判断できない。
よって、産んで欲しくなかった、などと不満を言ったところで、「今」の人生を変えないことには、何も良くならないのだと思う。
なんだか教訓めいた結論になってしまった。
泡を飛ばす凡人 千木束 文万 @amaju
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。泡を飛ばす凡人の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます