第4話 いつかのメリークリスマス

「タッキー、あの界隈で“Wild Turkey”って噂されてるって」

 冬休み明けの学食で、野口が言った。

「は?」

 被り物ならニワトリだったじゃねえか。それを言うならWild Chickenじゃん。

「まあ、いいじゃない。チキンよりサマになる。それに、通り名がつくなんてカッコいいよ」

 俺たちはあの時を思い出して笑いあった。

“クリスマスイブにおっぱいを揉む”。

 今後、そういうことはあるだろう。

 だがあの店で、ではない。ないことを願う。


 それから俺は相変わらず平凡な学生生活を送っている。ただ以前より、目の前のことを必死でやるようになった気がする。アキナの真剣さを見習おうと思ったのは間違いない。

 学びたかった「政治学」のゼミをとったのもそういう理由だった。



 3月も半ばになり、来年度選択したゼミの事前説明があるというので、俺は教室に一人座っていた。


 二人の女生徒が入ってきた時、俺は心臓が止まるかと思った。

 そのうちの一人が、誰あろうアキナだったからだ。向こうも俺に気づき、驚いた表情で足をとめる。


「なに?知り合い?」

 彼女の表情に気づいて、連れの女がアキナに尋ねた。

「まあね」

 アキナはそのまま俺の方に向かってきた。あの日と雰囲気はまるで違うが、心を見抜くような視線は変わらない。彼女が一歩、一歩近づく。

 何を言おうか、何を言われるのか。俺は緊張しながら、ただ黙って座っていた。


 俺の前に立つと、彼女は微笑んで言った。

「こんなとこで会うなんてね」

「まさか、ここの学生とはな」

 俺は動揺を隠して返事をした。


「あ、一応言っとくね」

 一息ついてから彼女は言った。

「ありがとう」

 自分の顔が赤くなるのを感じた。多分、今、俺はとても腑抜けた顔をしているのだろう。

「ずっと気になってたんだ。御礼、言えなかったからね」

 照れているような、はにかんだような表情は、とても魅力的だった。


「でも、」

 突如、真顔に戻って彼女は宣言する。

「感謝はしてるけど惚れてないから」

 ポカンとする俺に向けて念を押すように付け加えた。

「ゆめゆめ私に惚れるなよ」

 そして思いっきり笑った。

 俺はこの時初めて、女の本当の笑顔を見たのだと思う。


 照れ隠しに俺もニッと笑う。

「おっぱい揉ませた仲だろ?」

「拝んでた男がよく言うよ」

 それを言われるとぐうの音も出ない。


「あ、名前?なんていうんだ?」

「ナオ。シジョウナオ」

 四条尚。まるでピンとこない名前だが、アキナではない、それが本当の彼女の名前なのだ。じゃ、と軽く言って、尚は友人の待つ席に戻ると、思い出したように訊ねた。


「タッキーって呼ばれてたよね。滝沢くん?滝本くん?」

「滝田」

 ふぅーん、と尚は意外そうな顔をしてみせた。


「じゃあ、タッキー!これからよろしく!」


 瞬間、あの日の彼女の胸の、そしてつないだ手の温もりが濁流のように蘇った。


 一人また一人とゼミ生たちが教室に入ってきて、尚はその他大勢の一部となる。

 俺には華やかなキャンパスライフはきっと似合わないだろう。

 ただ、平凡な学生生活の明度が少し上がったような、そんな予感がしていた。

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Wild Turkey 高野ザンク @zanqtakano

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