第3話 wild turkey

 1回目のおさわりタイムが終わり、場は高揚した空気に包まれていた。


 一方、俺たちの席では、俺の行動を各々が分析しだす始末。

「タッキーは、ガタイいいくせにウブだからねー」

「アタシ、おっぱい拝んでるひと、初めて見た。アキナのおっぱいって、なに?ご利益あるの?キャハハハッ」

“クリスマスイブにおっぱいを揉む”。

 目的は果たしたはずなのに達成感よりも羞恥心のほうが強い。もちろん、拝んだ俺が原因なのだが。

「人から拝まれるって、なんか私、すごいもん持ってんのかな、って思っちゃった」

 野口とミホの馬鹿笑いに比べて、アキナはどこか神妙な顔をしていた。

「あんた、いい奴なのか、馬鹿なのか……」

 アキナが俺の顔を覗き込んで真顔で呟く。照明が暗い中、視線の鋭さが一際目立った。俺がこいつを初めてみた時に感じた違和感は、心を読まれそうなその視線なんだと確信する。


 俺が言葉に詰まっていると、店の男がテーブルに近づいてきた。ソファから見上げたその表情に、俺はヤバいものを読み取っていた。

「お客さん、ナツキから招待されたって?」

「そうだよ。服部のダチだからね」

 酔った口調で野口がそう答える。

「いやー、あいつ、お客さんのこと、全く覚えてないっていうんですよ」

「服部はいろんな奴連れてくるから覚えてないんじゃないかなー」

 野口がしれっと反論した。

「ウチの嬢は、客の顔を絶対に忘れない」

 ドスの利いた声で男は言った。野口の顔に焦りの色が浮ぶ。

「それに、」

 野口の鼻先に顔を近づけた男の低音が響く。

「お客さんみたいなダサい奴は服部さんのツレにはいないってさ」

 野口は当然、言葉もでない。かくいう俺も同じことだ。今まで俺を茶化していたムードとは一転、ミホとアキナも深刻な空気を読み取って、俺らから体を離して、ただ黙って座っている。

「まあ、服部さんの名前を知ってることだし、こっちも忙しいんで、確かめてどうこうしよう、なんてことはしませんけどね。帰ってもらいましょうか」


「は、はい」

 うなだれて顔もあげられずにいる野口を見て思う。

 結局こいつは学園のフィクサーでもなんでもなかったわけだ。



「ゴメンな、タッキー」

 1時間後、俺たちは近くのコンビニ前で飲みなおしていた。

「いいじゃねえか、目的は果たしたんだ」

 席代チャージは取られたものの、結局は無料タダみたいな値段でおっぱいが揉めたのだ。野口は十分、俺の期待に応えてくれた。

「そうだね、ちゃんとおっぱいはからね」

 野口が皮肉を言って、へへへと笑った。立ち直りの早い奴だ。


 俺たちが軽口を叩きながら、駅への道を歩いていたその時だった。ふと目端に見覚えのある顔がよぎる。俺は大通りを折れて細い路地に入った。その先に、あいつの姿を見かけたような気がしたのだ。

「急にどうした?」

 追ってきた野口が不思議そうに尋ねる。


 いた。

 やっぱりあの女アキナだ。


 キューピーハニーにほど近い裏道で、彼女は三人の男に絡まれている。

 野口にそれを顎で促し、俺たちはその場でしゃがみ込んで様子を伺うことにした。

「アレ、どう見ても絡まれてるよな」

 小声で野口に尋ねた。

「だね」

 何かが起きそうな気がする。いや、何も起きなくても、すぐにぶん殴りたい気分だったが、店でのトラブルもあるし、素顔は晒したくない。

「グッチー、なんか顔を隠せるものを探してきてくれ」

「顔を隠せるもの?どういうことだよ?」

 訝る野口を説き伏せるように俺は言った。

「いいか、俺はあの女に、一宿一飯ならぬの恩義があるんだ」

 野口は、俺の顔をまじまじと見た。それからニヤリと笑った。

 俺が何をしようとしているかはっきりとわかったらしい。呆れたようなため息をつくと、うなづいて、大通りへと駆け出していった。



「こういう仕事しといて、簡単に抜けられると思うなよ」

 背の低いリーダー格らしい男がアキナに凄んだ。

「お前もけっこう乗り気だったじゃねえか。いい金にもなるだろ?なんなら、手っ取り早く本番アリの店で稼がせてやるから、来いよ」

「離して」

 アキナはひるまずに抵抗する。店で見たような鋭い視線。毅然として戦う女の顔をしていた。だが、自分よりも体格のいい、しかもカタギとはいいがたい奴らを前にして怯えているのがわかる。

「私はね、自分の気持ちに正直でいたいの。だから気が乗らない仕事でも、決めたからにはきちんとやった。おかげでアンタたちも潤ったわけでしょ」

 アキナは男たちを睨んで啖呵を切った。

「でも、もうやめると決めたの。その気持ちに正直でいる。借金も返した。文句ある?」

 彼女のしっかりとした口調だけが夜の街に響く。三人はただ黙っていた。


 自分の気持ちに正直に、か……

 青臭いが、俺にそんな考えがあるだろうか。ただなんとなく日々を貪ってるだけの俺と、物事に真剣に向き合う彼女の差に痛みを覚えた。


「確かにそうだけどさ……」

 男の一人が言った。

「でも、アキナちゃん。この世界はそういう理屈は通用しねえ」

 そういうと部下の男がアキナの腕を強引につかみ、店に連れ戻そうとする。


 俺は無性に腹が立った。

 いや、初めから頭にはきていたが、彼女の覚悟を聞いてなお、暴力でねじ伏せようとする理不尽さに我慢ならなかった。


 その時、背後から勢いよく覆面が差し出された。見るとパーティーで使うニワトリの被り物だ。

「タッキー、これを使え!」

 自信ありげに言う野口は、すでにサンタのつけ髭と赤い帽子をしている。そっちのほうが良さそうだが、交換している暇はない。

「ちきしょう、よりによってこれかよ!」

 俺は、頭をすっぽりと覆うニワトリのマスクをかぶった。案の定、ものすごく視界が悪い上にゴムくさい。

「グッチー、援護頼むぞ!」

 そう言って、俺は奴らに向かって走り出した。


 突如ニワトリの被り物をした得体のしれないヤローが襲ってくる。奴らがビビったのも当然だ。その動揺に便乗して、最初の一発がアキナを抑えていた男にあたる。

 もう一人のいる方向へ足を蹴り出すが、これはスカした。だが、僅かな視界でそいつの位置を捉えると、今度はおもいっきり両腕を振り回す。そいつの顔面にあたる鈍い感触がした。

「な、なんだよ、お前」

 リーダーの男の声が聞こえたほうに顔を向ける。近くで見るとその背格好の低さが際立つ。ニワトリ顔のシュールさと身長差も手伝ってか、奴がビビっているのがわかった。


「タッキー!後ろ!」

 ふいに野口が叫んだ。

 すぐに振り向こうとしたが、マスクが邪魔でバランスを崩した。そこに誰かの拳が飛んでくる。直撃は避けられたがマスクがずれて俺の視界を塞いだ。

「目の前だ!」

 野口の叫びがまた聞こえた。俺は反射的に足を高く繰り出すと、誰かにクリーンヒットする感触があった。

 野口に体力勝負は端から期待していないが、援護しろ、ってそういうことじゃないんだけどな。まあいい、今、昂ぶっているのは俺の方なんだから。


 最後に残ったリーダーの男が、混乱しつつもファイティングポーズで対峙してきた。

 なぜこのひ弱そうなリーダーに屈強な奴らが従うのか。それはきっと、立場やら権力やら、別の力が働いているからだろう。

 だか、俺には関係ない。

 今この場では俺のデカイ方が強い。


「あんたさあ」

 俺は男に向かって言った。

「なんだよ!」

「最高にカッコ悪いわ。うん」

 不意をついて胸を突き飛ばすと、奴は簡単に尻もちをついた。

「まあ、ニワトリの俺に言われちゃ世話ないわな、うん」

 そのまま、俺は覆面をそいつの頭に力任せに被せてやった。


 動揺しているアキナの腕をつかみ、そのまま駆け出す。

 野口も続き、俺たちは夜の街を駆け抜けた。


 走りながら、俺はアキナの手を掴み直した。彼女もグッと力を込め掴み返す。当たり前のことだがおっぱいとは感触が違う。でも、確かに俺はこの手に、生きている女の暖かさを感じた。



 繁華街を遠く離れた公園で、俺たちはようやく走るのをやめた。

「なんで助けてくれたのよ、正義の味方のつもり?」

 アキナが呆れた口調で言った。

「そういうんじゃねえよ」

 正義感とか、そんなんじゃない。ただ、虫が空かなかっただけだ。


 俺は息を整えて続けた。

「いや、さ、今日はクリスマスだろ」

 答えになっていない答えに、彼女は困惑した表情を浮かべた。

「あんた、頭大丈夫?」

 アキナが自分の頭を人差し指で指しながらくるくると回す。

 いや、俺の言いたいことはそういうんじゃない。つまりだ、

「クリスマスに困っている女を見かけたら……しかもそれが知ってる女なら無茶しても助けたいじゃんか」


「はしゃぐのが許されるだろ?クリスマスってさ」

 アキナは不思議そうな表情で聞いていた。

「クリスマスイブに無料タダでおっぱいを揉みに来るってこと自体、相当はしゃいでる。じゃあ、はしゃぎついでに嫌な奴をぶっとばしたって許されるんじゃねえか?」


 しばらくしてアキナは吹き出した。

「それ、全然理屈になってないんだけど」

 そう言って、さらにクスクスと笑った。

「ま、それもそうか。クリスマスだからね」


「そう、クリスマスだから」

 俺はバカみたいに繰り返した。


 ふふんと笑って、アキナは言った。

「あんた、どっかでになってからまたおいで。一回ぐらい胸でシてあげてもいいよ」

「うるせー。お前みたいな商売女お断りだよ」

 そんなわけがない。だが、そこで素直にそうですか、と言わないのは、なんというか、男の……いや“俺の矜恃”だ。


 俺の答えがわかっていたかのように、アキナは鼻で笑った。

「そ。じゃ、メリークリスマス!」

 そう言って手を上げて挨拶をすると、彼女は大通りへと消えていった。


「タッキーはつくづく惜しい男だねえ」

 野口は、自分のことのように残念がった。

「うるせぇ、興味ないんだよ」

「なんていうか、お前のそういう硬派なとこ、嫌いじゃないよ」

 野口の慰めを聞きながら俺はアキナが去っていった方向をただ眺めていた。


 こうして俺たちのクリスマスイブは終わった。

 確かに答え方が違っていたら、今頃はアキナと楽しくはしゃいでいたかもしれない。だがしょうがない。それが俺という男なのだ。


 ただ、


 もう少し自分の気持ちに正直でいれば良いのかもな。

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