Xジェンダーを主張しない

千夜

Xジェンダーは主張しない

 もし私が知り合いに「私はX(エックス)ジェンダーです」って言われたら、まず最初に『うわっ、面倒くさ』って思うと思うんです。


 Xジェンダーは、男性とも女性とも言い切り難い、性的少数者の性別の一つです。中性だったり、無性だったり、気分で女性的か男性的か変わったりと、個人個人によって多様に違います。


 だから、その人にXジェンダーとは何かという説明から始まって、性の対象、恋愛の対象、性別的にどういう風に接して欲しいのか、何がタブーなのか、どう言われるのが嫌なのか、最終的に

「気を使わないで今までの様に普通に接して欲しい」とか言われそうで。


 ほら面倒くさい。

 なら最初からそう言ってください、と。

 今まで通りでいいなら、それを私に言う必要はなく、私は理解できない自分に悩まなくていい。


 それを言うという事は、あなたは私に何かを求めていて、変化を要求している。

 それなのに気にしないでってどうしたらいい訳?


「男のくせに、女のくせにって言葉は拒絶反応起こるくらい好きじゃないから使わないようにして」

とか、

「何で可愛い服着ないの、似合うのにって言われるの辛い」

とか。


 嫌だと思った時にその都度こうして欲しいと教えてくれれば少しずつ、あなたに合わせて覚えていきますよ。


「顔がひどい」って言うな、みたいにね。


 ちょっと理解力とか記憶力が弱いので間違えたり、繰り返したりしちゃうのはごめんね?

 怒らず、そんな私にあなたも理解を寄せてくれると嬉しいです。


 そしてそう。私は自分がその面倒くさい Xジェンダーだなあ、と思う訳ですよ。


 小学一年生の時から一人称は僕。

「女の子らしくしなさい」「女の子なんだからスカート履きなさい」って言われるのが凄く嫌で、「女らしく」って言葉にも引っかかってたんですけど、それ以上に、スカート履くと走れないし、寒いし、

スースーするし、捲れるし、パンツ見えるし、

スカートの中触ってくる人いるし、

変質者寄ってくるし、

スカート履くのやだ、ズボン好きって思ってた。


 それで、今その子供の頃の自分の気持ちを言葉にするなら、

「女の子らしく」「可愛い服着ろ」って言う人たちは、変な人の寄ってくる自分になれ、抵抗するな、身を守る術を使うなっ、って言ってて気がおかしいんじゃないかと感じていた。

 この人達は自分を守ってくれない人だと判断した訳です。


 子供の頃はこの心の中にあるモヤモヤグチャグチャした気持ちを言葉に変える事も出来なかったし、変える言葉も持っていなかった。


 大人になって、Xジェンダーって言葉を知って、男でもあり女でもある、また男でもなく女でもない、そんな性別を知って、「ああ、これ」って物凄く納得してストンと胸に落ち着いた。


 でもXジェンダーですって名乗るのには、強い違和感を覚えて。

 私が『僕』と思うこの心は、精神科医に解離が強いと言われた、自分の『別人格になり損ねた感情』なんじゃないかとも思ったりする。


 ああ、でもそれも何か違う。

 私にとって一番「違う」と感じることは、自分の性別を主張しないといけないって思う事なのかな。


「女の子なんだからスカートを履きなさい」そう言われた時に、『私は女の子に見られたくないからスカートは履かない』そう思っていた。


 『女に生まれなければよかった』『男に生まれたかった』『男の子になりたい』、そう思う内に、誰かに被害を与えていたかもしれないから『男じゃなくて良かった』とも思った。


 これも、今になって気付けば『性被害に遭うならば、女に生まれなければよかった』って思いから始まってるなあって。


「女の子ならスカートを履きなさい」。だから? 男の子はスカートを履かない?

 いいえ、私の中では男だってスカートを履く。


 私はXジェンダーだからズボンを履くんじゃない。ズボンが好きだからズボンを履くんだ。

 だぼっとした大きめの服が好きだし、ブラジャーをするよりTシャツの下にタオルを挟む方が好きだ。

 防弾チョッキのような服が売ってたら「買いたい!」と飛びつくほど好きだろう。


 性別欄に男か女かしかなければ女性に丸を付けるし、父と母の娘ですとも名乗れるし、子供たちの母親とも夫の妻とも言える。


 それで何が言いたいんだっけ?

 私はXジェンダーです。

 私がそれを積極的に言わない理由、だったかな。違和感を覚えるって言う。


 なんか、人間として扱ってもらえたらそれでいいよって言う。そういう気持ち。


 恋愛の対象は旦那様だけ。性的な対象は三次元にないし。


 女としても、男としても旦那様に惚れこんで、


「自分が男でも、あなたのことが好きになったよ」


そう告白した時には


「お前が男だったら好きになってない」


なんて、バッサリ切られた私ですが、頼りになる相棒だと旦那様のことを思い続けています。


 男性恐怖症と人間不信、外出への恐怖やら鬱病、PTSD、体力のなさなど人間社会で生きていくにはいろいろ困難があるけれど、結局、面倒な事を考えるのが私には向いてない。


 中性的な人や性別の分かりにくい人は、あの人、男の人かな、女の人かな、間違えたら気を悪くするかも。そう思うのが話しかけるのを苦手にする理由かも。


 女性か男性か分からない中性的な人はあえて中性に見せてるかもしれないけど、素でおじさんかおばさんか分からないとか、おじいちゃんかおばあちゃんか分からないとか。


 お姉さんを「おばちゃん」呼びして怒られるような怖さがある。


 私自身は『見た目不明? ふふふ、どちらでもいいですよ』と思うけど、相手にしたら「どっちでもいいって何?」「どうすればいいの」、ってなる気もします。


 それなら、私は子供たちの親の主婦として扱ってください、って言うのが今の自分の決着ついたところだろうか。


 私は子供たちと話している時の自分が一番好きだから。


 だから。私は自分が主張するべきは性別ではなく好みだと思うんです。

 好きな服装、好きな歌、好きな作家、好きなゲーム、好きな小説、好きな物語、好きな創作の事。


 好きな人の惚気話や、日常の愚痴だって溢れる程度にはいいと思うんです。


 それぞれの個人を形作るもの。


 私はそれと向き合いたい。


 そう、つまり……創作はいいですよ!

 美少女にしか見えない主人公の中身が男でも。

 少年にしか見えない勇者の中身が、格好いい服の好きな女の子でも。

 空想は自由ですから!

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