番外編『なんでもない日のティーパーティー』

「おや、君が来るなんて珍しい。 歓迎するよミス・シイナ」


 聞くに耐えない騒音と飛び交うカップやソーサーを背景に優雅にお辞儀をするペストマスクの帽子屋。いつ見てもカオスなこの空間に今はすっかり慣れてしまった。


「やっほー遊びにきちゃった! まだお茶とお菓子あるかな?」

「勿論だよ。 アールグレイにダージリンにアッサム……なんでもどうぞ」

「ロイヤルミルクティー!」


 帽子屋ことノストラダムスは手慣れた様子で紅茶を淹れ始める。しばらくすると紅茶の良い香りが辺りを漂い出した。


「いつものマシュマロ入りロイヤルミルクティーでいいんだね?」

「わーい! マシュマロ入りロイヤルミルクティー大好き! ……あちちっ」

「ゆっくりお飲みなさい」


 ほんのり温かいカップの口にそっと唇をつけて少しだけ傾ける。口の中に広がる優しいマシュマロの甘さと濃厚なミルクの味、その後にほのかに茶葉の深みのある香りが鼻腔を通り抜ける。


「美味しい! 流石ノストラダムスさんね」

「お褒めの言葉、誠に光栄ですね」


 普段よりも柔らかい口調で軽く会釈しながら答えるノストラダムス。表情は相変わらず見えないが、ペストマスクの奥は優しく微笑んでいるんだろうか。


「シイナ?! 来たんだね?! 君も遊ぶかい?!」


 耳を劈く声に思わず肩を竦める。声の方を見ると食器の数々を両手いっぱいに抱える兎の耳を生やした青年がいた。三月兎ことニコラスだ。


「あのねー声が大きいよ君! 近いんだから叫ばないで!」

「あはははははは」


 ケラケラと笑い続けるニコラスに半ば呆れるように溜め息をつく。実をいうと毎回同じやり取りをしている。この男はわざとしているのだ。一度ハマるとこの男は飽きるまでその『挨拶』をやり続ける。前は背後から驚かされるという行為をされていた。


「ほんとニコラスさんも相変わらずだね!」

「お褒めの言葉、誠に光栄だね!」

「褒めてないよ?」


 再度深い溜め息をつき、ロイヤルミルクティーに向き直りちびちびと飲む。するとスコーンが乗ったお皿がふらふらしながらこちらに向かってくる。皿の下を覗くとフードを被ったネズミがいた。眠りネズミことエミールだ。エミールは私の前にそっとスコーンを置いて『食べて』と言いたげに見上げてきた。


「ありがとうエミール」


 エミールはもじもじとした後忙しなくポットの中へ潜り込んだ。そんな彼の様子を見て思わず笑みが溢れる。


「そういえばシイナ。 最近はどうだい?」


 ノストラダムスが丁寧にカップを磨きながら声をかけてきた。私は一口サイズにちぎったスコーンを口に放り込むと軽く咀嚼して、ロイヤルミルクティーと一緒に飲み込んだ。


「んー特に変わりはないよ」

「そうかい。 変わりないのが一番いい」


 私は再びスコーンをちぎり、それを眺めていた。少ししてノストラダムスが二言目を発する。


「……あの件だが、本来はタブーなのだよ」


 ノストラダムスが小さく息を吐きながら首を振る。


「分かってる。 もうしないよ」


 ノストラダムスが言っている内容は分かっている。現実世界に手を出す事はこの世界では禁忌なのだ。


「まぁ君はこの世界にきてまだ間もなかったからね。 一度のミスはここも目を瞑ってくれる」

「追放されるかと思ったけど」

「幸い第三者には目撃されなかったからね」

「タブーがあるなんて変だよね? 狂った鏡の国の癖にー」


皮肉たっぷりにそう答えるとノストラダムスが含みのある笑いを溢した。


「だからこそだよ。 もし本当にやりたい放題だとしたら現実世界との境目が曖昧になって大変な事になってしまうからね」

「ふーん」


 あの時の部屋いっぱいの夕日の色とそれとは別の朱が脳裏に過ぎる。


「どうしてあんな事を?」

「どうしてって……」

「カタルの為かい?」


 私は少し考えるように目を伏せ、カップの縁を人差し指でなぞって答えた。


「うーんなんとなく、かな」


 笑みを浮かべてそう答える。


「君もなかなか狂ってるよねぇ? 流石、鏡の国の住人になれるだけある」


 ニコラスがいつも通りの胡散臭い笑みをこちらに投げかけながら楽しそうに言う。


「そうだねぇ……多分もう私も染まっちゃってるんだろうね」


 前の私であればきっとあんな事はしなかった。これも鏡の国の住人になったからなのかそれとも……


「本当に良かったのかい? これで」

「後悔はしてないよ」


 ノストラダムスの問いに即答する。嘘偽りない言葉だった。私の記憶はここにきてから曖昧になっていた。あの頃いじめていたクラスメイトの顔も大好きだった母の顔も思い出そうとしても今はぐちゃぐちゃともやがかかっている。いずれ私は現世で生きた記憶を忘れてしまうのだろう。漠然とそう感じていた。そしてカップの底に僅かに残っていたロイヤルミルクティーを飲み干したのだった。

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銀のナイフとアリスの鍵 seras @pippisousaku

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