第3話
しかし、その大事件が起きてしまった。朝の通勤快速電車の中で、なんと一分前のオレがチカン扱いされたのだ。もちろんオレも一分前のオレもチカン行為など天地神明に誓ってやってない。けれど、若い女子大生ふうの女性が、満員電車の公衆の面前であいつの右手をいきなりつかみ、そのままたかだかと上にあげ、「このひとチカンです!」とさけんだのだから絶体絶命だ。
オレはいまこそ回避行動を実行するときだとおもった。しかし、すし詰め状態の快速電車の中には逃げる場所などどこにもない。そこでオレは身の潔白を体で表すため、体を反転させとっさに両手を頭上にあげた。我ながら妙案だとおもった。
ところがそのとき急に別の手がオレの腰に伸びてきた。しかもその手は、やにわにオレの股間をまさぐりはじめるではないか!
じっと立っていると一分前のオレの姿はオレと重なっているため、オレの視界からははずれているが、あいつに触れたものはあたかも自分に触れているように見えるのである。つまり一分前のオレの股間をまさぐるチカンの手を見たのだ。いや、正しく言うと、一分前のオレはオレとは反対方向を向きながら立っているため、一分前のオレはお尻を触られていることになる。しかもごっついオッサンの手でだ。まぼろしとはいえ、見ず知らずのオッサンの手で自分の股間がいじくられている様子を見るのはあまりに気色悪く、見るに耐えない光景だった。それでたまらず両腕を上げながらまた体を反転させた。
するとさらに驚いたことがおきた。目の前の女子大生が、さっきまでの乱暴な扱いとはうって変わり、まるで哀願するように両手で一分前のオレの両手をやさしく握ってきたのだ。しかも頭を下げて謝っている。どうやら隣に立っていたボーイフレンドがふざけてチカンのふりをしたようなのだ。とにかく誤解は解けたらしい。となればすみやかに回避行動は解除されなければならなかった。しかしあまりの突然の展開にオレは呆然としてしまい、一瞬行動が遅れた。
そのとき、電車が突然急ブレーキをかけた。オレはバランスをくずした。そして不覚にも女子大生の体に背中から抱きついてしまった。
....オレは三鷹駅のベンチに座っている。あのあとオレは女子大生に頬をぶん殴られて意識を失ったらしい。しかも気がつくとお尻のポケットから財布が抜き取られていた。股間をまさぐっていたオッサンの手はチカンではなくスリだったのだ。殴られた左頬がまだヒリヒリした。
目の前をたくさんの通勤客や学生が濁流のように行き交う。オレは中洲にぽつんと取り残されているような気分だった。一分後のオレも一分前のオレももうどこにもいなかった。
(了)
一分後のオレ 床崎比些志 @ikazack
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