3.柿本人麻呂

あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を 一人かも寝む


この歌の作者とされるのは、柿本人麻呂かきのもとのひとまろは古代の歌人、後の世で歌聖などと称えられる人物です。


しかしこの歌は万葉集では、作者不明とされています。

そこで、万葉集を探ってみると、この歌の本文のような長歌が残っていることに気が付きます。


長歌ながうた、というのは短歌を長くしたような詩のような手紙のような形式のものです。


今回の長歌は、万葉集の編纂者へんさんしゃと言われている奈良時代の歌人、大伴家持おおとものやかもちの作、遠く離れて暮らす愛すべき人、大嬢おおいらつめに贈られた歌でした。

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*長歌* 万葉集 巻8-1629

ねもころに 物を思へば 言はむすべ むすべもなし

(最近私はこのどうしようもない悩み事で毎晩毎晩思い悩んでおります)


いもれと 手携さはりて 朝には 庭に出で立ち 夕には とこうちはら白栲しろたえの 袖さし交へて さ寝し夜や 常にありける

(貴方と私は常に共にあって、朝も夕も共に過ごし、夜も共に寝る、そんな生活が普通でした)


あしひきの 山鳥こそば 峰向ひに 妻問ひすといへ うつせみの 人なる我れや 何すとか

一日一夜も さかり居て 嘆き恋ふらむ

(山鳥ならば、山一つ隔てようとその翼でさくっと飛んで行けるでしょう……だけど私は山鳥ではなく人なのです!一体どうしろと言うのでしょうか!この遠い所に在って、毎日毎晩、思いながら嘆くしかないのです。)


ここ思へば 胸こそ痛き そこ故に 心なぐやと 高円たかまとの 山にも野にも うち行きて 遊び歩けど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを

(あまりにも憂鬱なので、気休めでもと、高円たかまどの山や野を遊び歩きましたが、そこにある花の香りで貴方を思い出し、また苦しくなるという……本当もうどうしようもありません。)

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*短歌*

高円の 野辺の香花かおばな面影に見えつつ妹は忘れかねつも 巻8-1630(長歌に併せられている)

高円たかまどに咲く花の香り 貴方の面影がどうしても思い浮かんでしまいます……)


今造る 久迩くにの都に秋の夜の 長きにひとり 寝るが苦しさ 巻8-1631(大伴家持から安倍女郎あべのいらつめに贈られた歌とされている。)

(造りかけの新都で一人過す秋の夜長……寝れない、寂しい、苦しい……)


あしひきの 山辺に居りて 秋風の 日に異に吹けば 妹をしぞ思ふ 巻8-1631(大伴家持が久迩くに京から奈良にいる坂上大娘さかのうえのおおいらつめに贈った歌)

(野山に出かけ、秋風が吹く度に貴方を思い出す)


あしひきの 山鳥の尾の ひと越え 一目見し子に 恋ふべきものか

(私も山を飛び、一目見ることだけでもできたらと思うのだが……)

# 尾とがかけてある。


思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の長きこの夜を 巻11-2802 作者不詳

(夜毎に思い考えるが本当どうしようもない……)


そして、この歌にたどり着くのです。


あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を一人かも寝む (巻11-2802の位置にこの歌が写されている本もあるという)

(今日もこの長い夜を一人嘆きながら寝ることになるのでしょう……)


長歌ながうたと短歌の関係を見ていくと、なんだかもともと本文の後にまとめのようにつける物、あるいは長歌の下書きのような物でもあったようにも見えてきますね。

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百人一首の本当の意味 クララファイ @clarify

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