第5話


 


 ◇◆



 夜叉先輩に突かれつつも授業終え、2時間ほどガタゴトと電車に揺られてその後。

 大学終わりの俺はそのまま夜叉先輩の家に訪れていた。

 今日は面接やら簡易的な研修を抜けばアルバイト初日、試用期間の一日目である。



「それじゃあ頑張ってね。何かあったらいつでも呼んでちょうだい」



 夜叉先輩はそう言って自室へと入って行ったし、集中して仕事に臨むとしよう。



「それでは早速始めましょうか。明日は雨の予報なので、今日は庭のお手入れをお願いします」

「明日が雨だと庭のお手入れになるんですか?」

「窓の掃除をするなら雨の後が良いでしょう? そのため消去法で庭のお手入れです」



 なるほど。

 確かに綺麗にした窓が一日で汚れてしまってはやるせないし、芦屋さんの言うことも一理ある。

 流石は芦屋さん。中身はアレでもしっかりとメイドなんだな。



「雨の日の後の掃除は面倒ですからね。今日は私が済ませておきましたので、明後日はよろしくお願いします」

「あぁ、そういうことっすか」

「そういう事っす」



 つまりこの人は雨の後に窓掃除をしたくないだけで、断じて俺のために楽な方の仕事を選んでくれたわけではないと。

 バイトの立場なので文句は言えないが、芦屋さんがドヤ顔をしているせいか微妙に腹が立つ。



「それではお仕事を始める前に簡単な法術の確認からと思っていましたが、伏見様は法術が使えないのでしたね」

「はい。残念ながらまったく」

「そうですか。それではスキルの方は?」

「それも同じく」

「………。その歳で法術もスキルも使えないとは……」



 なんだか哀れみの視線を向けられている気がする。

 無表情なので実際のところは分からないのだが、わざわざハンカチを取り出して涙の流れていない目元を押さえているという事はそういう事なのだろう。

 くそぅ。殴りたい。



「あの。それで俺は何から始めれば?」

「あぁ、そうでした。それでは私が法術で芝生を斬り飛ばしますので、散った葉を箒でまとめてください」

「はぁ…分かりました?」



 芝生を斬り飛ばす?

 法術を使えばそんな事も出来るのか。



「それでは……【辻風】」



 そのセリフとともに芦屋さんが手を振る事で伸びていた芝生が見えない刃に切り払われ、ひらひらと宙を舞う。

 辻風って言っていたし、もしかしてかまいたち的な風の刃を生み出したのか?

 すげぇ。



「ほら、さっさと掃除を始めてください。伏見様も斬り飛ばしますよ?」

「いや、マジで死ぬんで勘弁してください」



 斬り飛ばされ、芝生からタイルの上に散らかった葉を箒でまとめながら返事をする。

 どんな原理かは分からないが、風の刃を作るには超高密度な空気の塊を操る必要があるって聞いたことがあるし、そんなものを喰らえばひとたまりも無いだろう。

 ていうか、夜叉先輩は法術には殆ど使い道はないって言ってたけど、芦屋さんはめちゃくちゃ使いこなしてんじゃん。



「なんすか?」

「芦屋さんって法術が得意なんですか?」

「はい。それなりは使えます。まぁ、かのレオナルド・ダヴィンチやエドワード・アレクサンダー・クロウリーに比べれば大した事はありませんがね」

「え? レオナルド・ダヴィンチって法術で有名なんですか?」

「常識だと思いますが、ご存知ありませんでしたか?」

「知らなかったです。そのもう1人のエドワードさんも有名な人なんですか?」

「ええ。法の書の著者ですし、かなりの有名人ですね。アレイスター・クロウリーという名なら馴染みがあるのではありませんか?」

「は、はい」



 知ってる。

 アレイスター・クロウリーなら知っている。

 よくラノベに出てくる実在した魔術師だったはずだ。


 レオナルド・ダヴィンチと比べるとかなりマイナーな人物だと思うのだが、法術が一般化されたこの世界ではアレイスター・クロウリーは大々的に歴史に名を残す様な人物なのかもしれない。

 もしかして、法術という力が加わった事でこの世界の歴史もいくらか変わっているのだろうか?



「ちなみになんですけど、現代で有名な法術使いはいますか?」

「お嬢様です」

「え?」

「お嬢様っす」



 芦屋さん、即答である。

 確かに俺も夜叉先輩が完璧超人である事は知っているけれど、いつの間に法術なんて覚えたんだ?



「夜叉先輩ってどのくらいすごいんですか?」

「少なくともこの国にお嬢様よりも上手く法術を使う方はいないでしょう」

「それじゃあアレイスター・クロウリーと比べると?」

「お嬢様が法術に心血を注げば超える事は可能だと思います」

「へぇぇ。凄そう」



 いくらかは身内贔屓もあるのだろうが、それでも夜叉先輩の法術の腕は生半可ではないのだろう。

 今度俺も法術を教えてもらおうかな。

 そんな事を考えつつ切り飛ばされた芝生を集めてゴミ袋に入れ終わると、芦屋さんから次の指示が飛んできた。



「さて、それでは芝生の手入れも終わったので次は花壇の手入れっす。花壇は法術で雑に手入れするわけにもいきませんので、一つ一つ丁寧に説明していきます」

「分かりました。お願いします」



 さてと、ようやくそれっぽい仕事が始まるみたいだし、気合いを入れていきますか!



 ◇◆



 日が傾くまで花壇の手入れをやって、その後に夕飯の準備の手伝いをした俺は、そのまま夜叉先輩の家で夕飯をご馳走になっていた。

 本日のメニューはカレーとかなり大衆的な料理だったが、芦屋さんオリジナルのルーを作ったりと、メニューに反してそのクオリティはかなり高い。



「あぁぁ。カレーが骨身に沁みわたるぅぅ」

「それは随分と美味しそうな骨身ね。伏見くんをバラして骨髄でも煮込んだらかなり美味しそうだわ」

「や、やめてくださいよ? 冗談ですからね?」

「ふふ。もちろん分かっているわ」



 夜叉先輩が上品にカレーを掬いながらそう言う。

 この人の場合、人間をバラそうと思えば簡単にバラせそうだから、注意だけはしておかないと。

 俺は料理の材料になるなんて絶対にごめんだからな。



「それより、初めての使用人バイトはどうだったかしら?」

「花壇の手入れがあんなに大変だとは思いませんでした。ずっと中腰だったんで腰がめっちゃ痛いです」

「芦屋はそれを今まで一人でやっていたのよ? 伏見くんも慣れればなんて事なくなるわ」

「それは芦屋さんを見くびりすぎな気もしますけど、もうちょっと頑張りますよ」

「ふふ。その調子よ」



 どうやら1日目から使えなさすぎてクビという事はなさそうだな。

 後ろで給仕をしている芦屋さんも何も言ってこないし、一先ずは及第点といったところだろう。

 さて、あんまりバイトの話を突かれても泥臭い話しか出来ないだろうし、折角だし夜叉先輩の得意な法術について聞いてみるか。



「そう言えば、俺もこの機会に法術をちゃんと覚えようと思ったんですけど、何から始めたら良いですかね?」

「そうねぇ。法術は独学で学ぶには多少危険だから、どこか塾にでも通えば良いんじゃないかしら」

「塾ですか?」



 もしや魔法学校みたいなファンタジー施設を紹介してもらえるのだろうか?

 動く絵画とか、マンドラゴラとかがいっぱいあるのか?

 そう思っていたのだが……



「ええ。駅前にもあったはずよ。確か東京アカデミーといったかしら」



 --テレビのCMでよく宣伝されている普通の学習塾を紹介された。



「それって小学生の通う塾じゃないですか?」

「伏見くんは小学生レベルから始めないとでしょう?」

「それはそうですけど………」



 だからと言って流石に小学生に混じって勉強するというのは気が引ける。

 これなら独学の方がかなりマシじゃないのか?



「やっぱり独学の方が良くないですか?」

「法術はある程度法術が使えるようになるまでは独学で学ばないのが普通よ。もしも一人で炎の球を出そうとして失敗した時に、法術が使えないと咄嗟に自分の身を自分で防げないじゃない」

「法術ってバリア的な事も出来るんですか?」

「ええ。法術は万能ではないけれど、大抵の事は出来るわね。人間は物理学を使えば大抵の事が出来るでしょう? それと同じことよ」

「あぁ、なるほど…」



 今のところ火の玉だったり風の刃だったりしか見ていないから分からなかったが、法術は様々なことに応用が効くのか。

 思っていたよりも奥が深いんだな。



「兎にも角にも、法術が全く使えないのなら独学で学ぶのはやめておきなさい。私はそんなつまらない事で伏見くんを失いたくないわ」

「そこまで念を押すならやめておきますけど、小学生でも使える力で大怪我する事ってあるんですか?」

「そりゃそうよ。人間は軽く炙られただけでも死んじゃうのよ? 法術を使えれば小学生ごときの法術は不意をつかれても余裕で防げるでしょうけれど、法術の使えない伏見くんは小学生と喧嘩しても3秒で瞬殺されるでしょうね」

「そんな馬鹿な」

「事実そういうものなのよ。だから夜遅くに出歩くのもオススメしないわね。いつもなら鬱陶しいだけの酔っ払いも、法術の使えない伏見くんにとってはM416を装備したテロリストと何ら変わらないわ」

「そ、それは怖いっすね」

「むしろこれまでよく死なずに生きてこれましたね。伏見様の運の良さに驚きを隠せません」



 俺のグラスに水を注いでくれた芦屋さんがわざとらしく驚いた顔をしながらそんな事を言う。

 昨日まで法術が無かったから楽に生きてこれたのだが、思っていたよりも世界の変化は俺にとって大きな意味を持ちそうだな。

 少なくとも小学生に絡まれるだけで死にそうだって事は、俺はこの世界でトップクラスに弱いという事だ。

 法術の習得が急務となった。



「まぁ、伏見くんには誰も手出しできないようにしてあるから、そこまで心配する事はないわ。自分から面倒ごとに首を突っ込もうとしなければ、何の問題もないはずよ」

「それはそれで怖いですけど、問題が無いって言うのなら安心しておきます」

「本当なら私が伏見くんに法術を教えてあげればそれで済むのだけれど、残念ながらそれは出来ないの」

「そうなんですか?」

「ええ。どうしてもと言うのなら私が指導してあげられなくも無いけれど、出来れば一にのまえさんあたりに習ってちょうだい」

「よく分からないですけど、分かりました」



 夜叉先輩が迂遠な表現をする時は大抵どんなにしつこく聞いてもそれ以上は詳しく話してくれないし、おそらく今回も話すつもりはないのだろう。

 ここは夜叉先輩に言われた通りに、近いうちに八葉さんにでも法術を教えてもらうとするか。



「あぁ、そうそう。それと伏見くんにプレゼントがあるの」

「プレゼントですか?」

「ええ。芦屋、持って来てちょうだい」

「ちくと待っとうせっす」



 ちょっと待っててくれか?

 相変わらず芦屋さんの方言は分かり辛いな。

 土佐弁は語尾に「ぜよ」ってつける関西弁って言っていたやつを殴りたい。



「お持ちしました」



 そうこうしているうちに芦屋さんが持って来たのは、黒い革の手袋だった。

 手袋は割と薄めでシックな大人っぽいデザインであり、そしてかなりお高そうである。

 こんなに高級なもの貰っても良いのか?



「この国で刺青はあまり良い印象を持たれないでしょう? だからそれを隠すための手袋よ」

「そのためにわざわざ用意したんですか?」

「ええ。私が心を込めて取り寄せたのだから、私の前では出来るだけそれをつけるようにしてちょうだい」



 取り寄せに心を込めるも何も無いだろうと思いもしたが、折角先輩が俺にプレゼントをくれたのだから、大人しく受け取っておくことにした。

 デザイン自体はかなりカッコいいし、特に文句もないしな。



「それじゃあ早速……似合いますか?」

「ええ。大分マシになったわね」

「マシって……せめて似合うか似合わないかで感想をくださいよ」

「ふふっ、欲しがりさんね。カッコ良いわよ伏見くん。よく似合っているわ」

「………ども」

「ふふふ。赤くなっちゃって可愛い。これはフェイスマスクも用意した方が良いかしら?」

「カレーが辛かっただけなんで結構です。それとこれ、ありがとうございます。大切にします」

「お礼は言わなくて良いわ。私のためのプレゼントだもの」



 先輩のためのプレゼント?

 あぁ、俺をからかうためにプレゼントしたのか。

 相変わらず手の込んだちょっかいを出す人だな。



「はぁ、なんかドッと疲れました」

「あら、それなら泊まって行っても良いわよ?」

「俺は自分のベッドじゃないと眠れないんで結構です」

「そう。残念ね」



 そんな感じで俺の始めてのバイトの日の夜は過ぎて行き、カレーを食べて食後のお茶をいただいた俺はそのままお暇した。

 先輩からのプレゼントだなんて初めてだし、一応大切にしよっと。



 ◇◆



 さて、ここ数日日常生活を送って分かったというか目を背け続けてきた事だが、この世界は俺だけを残して毎日少しずつ変わっている。

 少しずつというとかなり語弊があるかもしれないが、毎日何かしらの変化が起きている事は言うまでもない。


 俺がその変化に気がついた、というか日常に違和感を感じたのは一昨日の朝、左手の甲に見慣れぬ紋様が浮かんだあの時からだ。

 この紋様のせいで書店でのバイトをクビになり夜叉先輩の家でバイトをする事になったのだが、未だにこれが何のための紋様で何故俺の左手の甲に浮かんだのかちっとも分からない。

 しかし、そこまでは然程大きな問題ではなかった。

 手の甲に紋様があっても何ら生活に不自由しないし、今まで通りに過不足ない生活を送れる。


 だが、世界の変革はそれだけに留まらず、神秘やギフト、果ては法術やスキルなんてものを生み出した。

 それらが一体何なのかはまだ掴めていないため内容については保留とするが、神秘とギフトは昨日から、そして法術とスキルは今日から追加された概念だと思う。


 世界の変革が一体いつから始まったのかは分からないが、俺が左手の甲に紋様が現れたのに気がついた日を1日目とすると、今日の3日目でその変革が終わるとは考え辛い。

 となるとあと10分後に来る4日目にも何らかの新しい概念が追加される筈だ。



「あぁぁ。なんか緊張してきた。アニメの内容が全く入ってこない」



 テレビのチャンネルを回してたまたまやっていたアニメの再放送を眺めているが、今度はどんな変化が訪れるのか気になって全く集中できない。

 新しい概念が追加されるのが日本標準時で0時であるとは限らないのだが、それでも深夜0時が気になって全く眠れなかった。



「はぁ。あと5分。長ぇ」



 今日が残り10分になってから1秒ずつカウントダウンをしているのだが、なかなか明日が来ない。

 だが、それでも何かしらに時間を費やしたかった俺はそのままカウントダウンを続け……



 --ようやく4日目がきた。




 ◇◆◇





 ……………【4th reconstruction】開始。



 【法術】の読み込みを開始。

 …………………完了。


 続いて【法術】の分化を開始。


 …

 ……………

 …………………成功。


【聖法術】と【魔法術】の概念固定を確認。




 ◇◆◇………《day4》




「何か起こったのか?」



 分からない。

 肉体的精神的な変化は何も感じられないし、俺の部屋の中にも窓の外にも目立った変化は認められない。



「昨日まで実際に目の当たりにするまで何が変わったのか分かんなかったんだから、分からなくて当然か」



 なんて口には出してみたが、一体何がこの世界に追加されたのか気になる。

 ソシャゲのアップデートだったらホームページのニュース欄を見れば何が変わったのか一目瞭然なのだが、この世界の運営がどこにWebサイトを開いているのか検討もつかない。


 他に出来る事と言えば、このまま外に繰り出して実際に新しい概念が見つかるまで深夜徘徊をするか、誰かに電話して聴き出すかなのだが……



「夜叉先輩に夜遅くは出歩くなって言われてるし、この時間に電話してまともに受け答えしてくれそうな奴がいない」



 こんな時間に夜叉先輩に電話したら迷惑になりそうだし、八葉さんは酔っ払っているから真面目な話はできない。

 父さんと母さんはおそらく仕事中だろうし、俺の大学唯一の男友達は多分徹夜麻雀に興じている。

 高校の頃の友達はもう一年以上連絡を取っていないから論外。


 俺の交友関係の狭さを実感してしまった瞬間だった。



「はぁ……もう良いや」



 なんだか全てがどうでもよくなってしまった俺は本棚からエロ本を引っ張って来て、ベッドの上でそれを読みながら寝た。

 はぁ、友達100人とは言わないから10人は欲しいなぁ。

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美人で魔王な先輩を救うために勇者な俺は魔王と戦う がいとう @gaitoou

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