天才のいた街 b

「壁抜けの原理は実はそこまで問題ではないのですよ」


 場所は変わって再び門の前。

 不審な男の壁抜けを目撃したノアはその後、一刻も早く街の中に入るために急いで門の前まで戻ってきていた。

 街の門が開く時間に近づくにつれて、忙しそうな商人や運び人、冒険者の格好をした人々が表れ始め、門の前に並んでいく。

 ノアはその先頭に立っていた。もうすぐ開門の時間のようである。


『ということは、トリックが分かったの?』

「違いますよ、クロ。重要なのは、壁抜けのトリックではなく、どうして壁抜けをしなくてはならなかったのかということです」

『どういうこと?』

「だってそうでしょう。この街の門、別に難攻不落の要塞というわけではないのですよ。ちょっと時間を待って、きちんと手続きをおこなえば誰でも入る事ができます。わざわざ壁をすり抜けてまで街に入るなんて普通はしないんですよ、おかしいんですよ」

『じゃあ、わざわざ壁を越えようとしたノアも、おかしいってことになるね』

「私は発想がユニークなだけです。不審者と一緒にしないでください」


 ノアがそう言ったタイミングで、ようやく門が大きな音を立てながら開く。

 現れた門番の指示に従い、ノアは街に入るための手続きを行うために受付まで進み、審査のためのため窓口の前に立ち、中にいる役人と向かい合う。


「なんだ君は、不審者かね」

「一言目からそれは失礼じゃないですかね?私のどこが不審だというのですか」

「いや、明らかにその恰好、不審者以外の何者でもないのだが」

「………私は服装がユニークなだけです、不審者と一緒にしないでください」


 訝しむような役人の前には、カンテラ片手に黒猫をつれたツギハギだらけの外套を着た小汚い人物が立っている。つまりノアである。


「そ、そうかい。もっときちんとした服を着たほうがいいと思うぞ。まあ、とりあえず、この街に来たことは?」

「ありません、今回が初めてです」

「そうかい、それでは身分証になるものを見せてくれ」


 言われるがまま、素直にノアは懐から身分証となるカードを取り出す。役人はそれを受け取り、必要な情報を書類に書き込みながら質問を続けた。


「この街に来た目的は?」

「ここに街があったから」

「………ないんだね?」

「しいて言えば休息です。渡り鳥が島を見つければ休むように、私もここに休みに来た次第です。観光でもいいのですが、この街は何か見るものはありますか?」

「ないねぇ。あえてあげるとすれば、水がきれいなことだな。地下にたまった水が豊富でね、街のどこを掘ってもきれいな水が湧く。何ならトイレを流す水だって飲める。この街の見どころといえば、そんなところだな」


 その後、街に入るための手続きは順調に進み、数分もしないうちにノアは街の中へと入る事ができた。

 傍らに猫の姿をしたクロを引き連れ、ノアは街の様子を見渡した。


「なかなかににぎやかな街ですね、クロ」

『副都のすぐそばだからね、むしろこれくらいにぎわっていて当然だと思うよ、ノア』


 門を入ってすぐに見えるのは、栄えた街の光景であった。

 いくつもの屋台が立ち並び、各々売る商品で街が色づいていた。串焼きの店からは香ばしい肉とタレの匂いが漂い、果実を売る店ではたわわに実った色とりどりで豊富な果実が並んでいる。

 そこかしこから客と店主の掛け合いが耳まで届き、また別の場所では、馬車に積まれた大量の木箱を目的の店に運ぶ人の姿も見える。


「行きますよ、クロ」

『何処にだい、ノア』

「決まっているではないですか。探索です」



***



「まず、なぜ犯人はわざわざ門ではなく壁をすり抜けようとしたのか」

『ノア、あの男の人は壁をすり抜けただけだから、犯人と呼称するのはどうかと思うよ』


 せわしなく賑わう街並みの中を、ノアは散歩をするように目的の場所まで歩いていく。朝見た壁の場所にはもう少しばかり距離があった。


「犯人で結構ですよ。手続きもしないでこの街に入るのは犯罪ですよ、クロ」

『犯人って何だか殺人を犯した人間をさす言葉な気がするんだけど、そこのとこどう思う、犯人さん』

「誰が犯人ですか、誰が。推理小説の読み過ぎです、それに私はまだ今日は何もしていませんよ」

『もう言い方が完全に心当たりあるじゃないか、カツ丼でも食べる?』

「記憶にございませんが、クロが奢ってくれるならいただきましょう」

『お金がございませんが、ノアが渡してくれるなら用意しましょう』

「じゃあいいですよ!その辺の店でパンとジュースでも買いますので」


 ノアは近くの店に寄り、いくつかの質素なパンと、少量の果汁が溶けたジュースを買い、また歩き出した。


『アンパンと牛乳はなかったの、ノア』

「ありましたよ、お金と余裕がないのですよ、クロ」


 ノアは無表情のままパンにかじりついた。口いっぱいに穀物の素朴な味が広がり少しだけ幸せになる。味に飽きたころにジュースを流し込み、果物の甘みが足されたパンをよく噛んで飲み込む。

 一つ食べ終えたところでノアは再び会話に戻った。


「さて、話を戻しますが、なぜ犯人は壁を抜けたのかです」

『ああ、結局犯人のていで行くのね………、そうだなあ、街にいることに気づかれたくないというのが妥当じゃないかな』

「妥当ですねぇ、気づかれたくない理由は本人に聞いてみないとわかりませんが、少なくとも前向きなものではないでしょうね」

『後ろ向きなことなら沢山思いつくの?』

「思いつきますねぇ、クロ」


 ノアはそこでいったん二つ目のパンに齧りついた。ジュースと共に咀嚼しながら、思考にふけり始める。

 視線の先には、遠目に街を囲む壁が映っていた。

 最後の一切れを飲み込むと、一度立ち止まって辺りを見渡す。

 にぎやかな街並み、騒がしい声。近くに噴水があったことに気づき近づいていく。

 流れる水を手のひらに掬い、一口口に含む。

 今までたくさんの場所を訪れ、様々な水の味を知っているノアは、これがとても上等な水であると感想を持った。


「壁は高くはないですが、低くもありません。その気になれば超えられるでしょうが、『その気』にならなければ越えられません。ましてや、すり抜けるのはもっと難しいはずだ、ところでクロ」

『なんだい、ノア』

「もし、壁のすり抜けが可能なのが、あの場所だけでなかったら?すべての場所ですり抜けが可能だとしたら、もしくはその方法があるとしたら?」

『………壁が、役割を果たさないね』


 ノアの瞳には再び街の光景が映る。

 人、ヒト、モノ、水、食料、馬車、資源、資材——。街の中は豊かにあふれている。


「もし私が悪人なら、そんなことができれば悪いアイデアが山のように湧いてきます。

 もし私が一国の王なら、これほど奇襲性に優れた武器を使わずにはいられないでしょう。

 もし私が殺人鬼で追われる身なら、この手段は喉から手が出るほど欲しいですね。

豊かで、活気があり、副都が近く、何より水に困らない。この街に忍び込む理由なんて、予想できることが多すぎて予想できませんね」


 その後、ようやくすべてのパンを食べ終わったころノアは目的の壁面にたどり着いた。

 ノアの背丈よりもずいぶんと高いその壁には、灰色の面以外、やはり何も存在しなかった。





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ノアの旅路録 庵楽 あかり @annraku-

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