旅路録
天才のいた街 a
「少し、早く着きすぎましたね」
ノアたちが街に近づいたころ、朝日はようやく顔を出そうとしていた。辺りはまだまだ薄暗く、時々吹く静かな風音と、早起きな小鳥のさえずりが耳に届いていた。手に持ったカンテラは、少しづつその灯りが目立たなくなり始めている。
遠目に見える街の門を眺め、ノアは少し困っていた。
「クロ、もっとゆっくり歩いてよかったですよ。まだ犬も猫もニワトリも寝ている時間のようです。きっとまだ門番も寝ているでしょう」
『分からないよ、馬は起きているかもしれない。それに案外、門番は働き者かもしれないじゃないか。とにかく行ってみようよ、ノア』
街に入るには時間がまだ早ようであった。とはいえ、特にすることもないため、ノアは真っ暗な猫のような塊を傍らにその足で進んでいった。
***
見上げる程度には大きい石造りの外壁にその街は囲まれていた。
ノアが現在旅をしている国において、その街は副都を守護する拠点となるため、最低限以上くらいの防衛設備を備えている。
そのため、質素で面白みのないが簡単には越えられない壁と、固く閉ざされた門の前に、ノアとクロは立ちすくんでいた。
「どうやら馬も門番もまだ寝ていたようですね、クロ」
『まあ、そんな日もあるさ。おとなしく門が開くのを待っていなよ、ノア』
「おとなしく待つと思いますか?私の嫌いなものの一つは暇な時間です」
『ノアは暇つぶしは得意じゃないか』
そんな会話をしながら、ノアはまだしばらくは開きそうにない門の前で待ちぼうけをくらっていた。
クロの言葉のあと、ノアは辺りを見渡して小さく息を吐き、会話を続ける。
「暇つぶしは得意ではありません。どんなことにも興味と関心を持つのが得意だから、暇な時間ができないだけです……が、あの星空を見た後だと、いささかこの光景が味気なく感じるのですよ」
そこから見える景色は、昨夜の星空に比べれば確かに殺風景に感じるものである。
飾り気のない壁。
門を背に、辺りを見渡せば、ただひたすら広がる草原とノアたちが進んできた道の先に小高い丘のようなものが見えるだけである。
ノアはもう一度、閉ざされた街へと視線を移し、どうしたものかと思案を始めた。
『壁を飛び越えちゃだめだよ、すり抜けるのもダメ。時間を飛ばしたり巻き戻してもダメだよ』
「前二つはともかく、最後のはできるわけないでしょう」
『あれ?できないの……、ていうか、すり抜けはできるんだ』
「当り前じゃないですか、私にできないことはないんですよ」
『じゃあ、時間を——』
「さあて、さてさて。クロ、ちょっとお願いが——」
『やらないよ』
「……まだ何も言ってないではないですか」
『開けない、飛ばない、壊さない。その他、類似したことはボクはやりません。おとなしく待っていなよ、ノア』
クロはそういうと、その様子からあきれたような雰囲気を伝えてくる。
真っ暗くて表情のない猫なのに、器用に感情表現をおこなってくるクロを見て、ノアは強硬手段を早めにあきらめた。
再び、小さく息を吐くと、カンテラのないほうの手でツギハギだらけの外套のポケットの中を探る。
「偶数なら右、奇数なら左」
ノアはそういうと、ポケットから取り出したものを宙向かってはじき、重力に従い落ちてきたそれをキャッチした。
「8ですか。面白い数字が出ましたね」
ノアの手のひらには、木目の目立つ木製の正八面体のダイスが乗っていた。最も上の面には8の数字が刻まれている。
「行きますよ、クロ」
『どこに行くのさ、ノア』
すたすたと門の右側に進んでいくノアの後を、クロが同じペースで追いかけていく。
「散歩ですよ、散歩。遠くから見えた街並みはあんなにキレイだったんです。もしかしたら周りにもそんな光景があるかもしれません。それに一周したころには門も空いているでしょう。どのみち、何もしないで待つのはしょうに合いません」
***
「8という数字はですね、面白い数字なんですよ」
いくら歩いても一向に代わり映えのしない風景を見ながらの散歩の途中、ノアはつぶやくように言った。
「例えば、とある国では末広がりで縁起がいいとされています。しかし、別の国では逆に縁起が悪いとされていたりします。不思議に思いませんか、全く逆な意味とはいえ、8という数字にはほとんどの国で縁起にまつわる話があるんですよ」
『偶然じゃないの』
「確かに、偶然かもしれません。ではこういう話はどうでしょう。
実は8という数字、いろいろな国での共通点として、その国の『夜』という言葉と似た発音をするのですよ。
『どこの言葉?』
「知らない国の言葉です。その国を見つけるのも旅の目的ですよ。
さて、話を戻しますと、面白いことというのはこの共通点、海を越えた国と国の話なんですよ。不思議に思いませんか?全く別の文化が栄えたたくさんの場所で何故か共通しているのは、言葉ではなく言葉の関係なんですよ。似た言葉が使われているなら語源のルーツで説明がつきますが、関係となると説明は混沌を化します」
『何だかSFじみてきたね。少し、不思議』
「私はオカルトの類に感じますが、不思議なことではありますね。不思議で面白いことは大好きで……、おや?」
未だに代わり映えのしない光景の途中、何かに気づいたノアは突然足を止めた。続いてクロも足を止め、ノアの横に並ぶ。
『どうしたの、ノア』
「見てください、クロ。こんな時間のこんな場所に人がいます。怪しいです」
『ボクたちほどじゃないと思うけどね』
「うるさいですよ、クロはともかく私のどこが怪しいというのですか」
『そのボロボロの外套とか。いい加減新しいものに変えなよ、もうなくてもいいじゃん』
「嫌ですよ、これは宝物です。そんなことより今は不審者のほうです」
不審者と間違われた経験のあるノアの視線の先には、同じくらい不審な男性が壁に向かって立っていた。
白いシャツの上にくたびれた朱色の上着を着崩して下には藍色の作業着を着ていた。ちらりと見える横顔には、肩まで伸びた黒い髪に、耳にぶら下がったリングピアス以外に特徴的なものは見当たらないが、どこか疲れや愁いを感じるような無表情であった。
彼はノアの視線には気づいていないらしい。しばらく意味深げに壁を見つめていた。
そしてそっと壁に手を伸ばしたかと思うと、そこに何もないように壁に向かって歩き出し——、そのまま壁の中に消えていった。
その後、駆け付けたノアが見たのは他の壁と全く変わらない質素な壁であった。
「消えましたね、クロ」
『消えたね、ノア』
ノアは男が消えていった壁を調べるが、何一つ変わったものが見つからない。
『魔法じゃないかな?』
「違います、そんな感じはしなかった。透過の類の超能力?」
『違うね、そんな痕跡はない。だとすれば隠し扉は?』
「否定はできません。が、仕組みが分からない」
『……調べようか、ノア?』
「いいえ、結構です。自力で探すほうが面白そうです」
一通り調べつくし、ノアは今現在の場所を記憶する。
『……ねえ、ノア』
「なんですか、クロ」
『楽しそうだね』
「ええ、楽しいですとも。少し、不思議なことがありました。きっと面白いことが起こる気がしますよ」
ようやく昇った朝日に照らされたノアの表情には、プレゼントされた箱を開けるのが待ちきれない子どものような笑顔が浮かんでいた。
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