ノアの旅路録
庵楽 あかり
プロローグ
星の夜道にカンテラ一つ
夜空に上る十六夜の月に淡く照らされ、緩やかな夜風に吹かれる細道にて、一つの灯りが小さく揺れながらゆっくり進んでいく。
「たまには夜道というものもいいですね、クロ」
『また野党や獣に襲われる危険があるというのに物好きだね、ノア』
灯りの正体は、道行く旅人の持つ古びたカンテラであった。
旅人は身の丈よりも大きなツギハギだらけの小汚いコートを着ていた。澄んだ透明な夜空とは対照的な長い白髪の少女である。
彼女は馬のような真っ暗い塊の背に横向きに座りながら、その深海のような藍色の瞳に月と星々を映していた。
「こんなに良く晴れた夜空なのに、歩かないのはもったいないですよ。降り注ぐような星空と、欠けた月を見れるのならば、野党も獣も些細なことです」
『……ぜんぜん些細なことじゃないと思うけどなぁ』
暗い塊は己の背に座りながら、ときおり夜空に手を伸ばし届きもしない星を掴もうと空を切る主人を少しだけ心配していた。
「いえいえ、とても些細なことですとも。それに、もしもの時はクロが何とかしてくれるでしょう」
『ノアは人使いが荒いなぁ』
「人使いではなく、クロ使いです。そんなことよりもほら、あれとあれとあの星をつなぐとまるでヒマワリのようではないですか?いえ、ヒマワリです、ヒマワリ座と名付けましょう。私が発見したのだから、私が名付けてもいいのですよね」
少し興奮気味な様子の主人が背から落ちないよう、真っ暗な塊は少し速度を落とす。
『星が多すぎてわからないよ。それに星座なんてかなり強引すぎて何が何だか分からないから好きじゃないなぁ』
「想像力が欠けていますよ、クロ。強引で曖昧だからこそ、そこに無限の想像の余地があるのです。面白いと思いませんか、月と星々の楽園に太陽の花が咲いているのですよ。ほら、あれとあれとあの星です、分からないのですか」
『ムリムリ、分からないよ。文字通り星の数ほどあるんだ、探し出せないよ』
少女は口元に手を当て、クスクスと笑っていた。何かおかしい訳でなく、ただただ楽しいだけのようだ。
少女が笑うたびに、左手に持ったカンテラがコトコトと音を立てて揺れている。
「おっと——」
そんなことをしているうちに、少女は不意にカンテラを落としそうになって慌てて持ち直した。
幸いにも灯りは消えることのなかったが、少女は大変なことに気づいてしまう。
「ああっ、大変です、クロ。せっかく見つけたヒマワリ座が分からなくなってしまいました。……どれと、どれとどの星だったでしょうか」
『えー、だから分からな……あっ、あれとあれとあの星じゃないかな。絶対にそうだよ、ほらノア』
「クロ、文字通り星の数ほどあるのに、そんな説明で分かるわけないじゃないですか」
『えー……、さっきノアも同じ説明やったじゃん』
「記憶にございません」
『ひど!政治家みたいなこと言って理不尽だよ』
「世の中の99パーセントは理不尽でできているんだって父さんが言っていましたよ。それよりクロ、星がきれいですね」
『あ、都合が悪くなって話をそらしたね!』
少女は暗い塊の言葉を鼻で笑うと、再び天体観測に戻った。
幾千幾億の星々を見ながら、時折手を伸ばし、指をさしては奇跡を描き、刹那的に浮かび上がる星座を見ては楽しんでいる。
暗い塊は少し不機嫌になりながらも、主人が背から落ちないよう気を使いながらゆっくりと歩いていた。
『……ねえねえ、ノア。世の中の99パーセントが理不尽なら、残りの1パーセントは何なの』
暗い塊は、ふと頭に浮かんだ何気ない疑問を少女に投げかけた。
己という存在を生み出したこの少女の父が、理不尽でないと思えた1パーセントが一体何なのか気になったのだ。
「さあ、なんでしょうね。それはが何なのか、父さんは教えてくれませんでした。だから、私の旅の目的の一つは、途中でその1パーセントを見つけることでもあるんですよ」
少女は星空を見ながら、今は遠い故郷の父を思い浮かべる。
気づけば疲れて寝ていることの多い父だ。もう眠っているであろう。いや、もしかしたらあの姦しい家族に引きずりまわされて、どこかでふと、この星空を見ているかもしれない。
続いて浮かんできた家族も、同じこの星空を見ているかもしれない。そんなことを思うと、少しだけ暖かなつながりを感じて、少女の顔には自然と笑みがこぼれていた。
「……お父さんはその1パーセントがあったから今もちゃんと生きているんだ、と言っていました。私もそんなものが見つかるといいのですが」
『とっても曖昧だね。ちゃんと見つかるかな』
「さあ、どうでしょうか。でも旅の目的なんて、それくらい曖昧なほうがいい。そのほうが旅人らしいじゃないですか」
『ノアらしい考えだね。できればもっと計画的な旅をしてほしいんだけどなあ』
「無理ですねぇ」
『無理だろうねぇ』
少女はその後も星空を見上げては指さして、ケラケラと楽しそうに笑っては、そのたびに消えそうになってしまうカンテラをクロに注意される。
そんなことを何度も繰り返しながら、ゆっくりと道を進んでいく。
『そういえば、ノアはその1パーセントを何だと思っているの?』
「そうですね……、きっとこの星空のようにありふれていてすてきなものでしょう。そして手ではつかめないけど、とても身近なものなのだと思います。だから、次の街でも見つけられるけど、きっと見つからないでしょう、そんなものです。——あっ、クロ。街が見えてきましたよ」
『おー、本当だ。でもまだまだ遠いね。どうする、走る?』
「いえ、まだ街の門は開いていないかもしれません。このままゆっくりと歩きましょう。ちょうど日が昇るころには着くはずですよ」
旅人は遠くに見えた街灯りを目指してゆっくり歩き続ける。
少女の持つカンテラの灯りが少しづつ街へと近づいて行った。
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