橋を架ける者たち

桃栗三千之

橋を架ける者たち

 手近にある騎士道物語や勇者の冒険譚――小説でも、漫画でも、なんならゲームでも――に目を通してみると、救国の騎士や伝説の勇者は、魔王の待つ城を目指して苦戦しているかもしれない。魔王の手下が強くて、なかなか城にたどり着けないかもしれない。だが、「道が無いから」城にたどり着けない、なんてことはない。そんな結末を迎える騎士道物語や冒険譚があったら、即刻焚書すべきである。


 魔王は阿呆なのだろうか?例えば、魔王城の周囲に千尋の谷を造り、人間どもが絶対たどり着けないようにしたらいいではないか。魔王の魔力を以てしたら簡単ではないか。いや、魔王は阿呆ではない。魔王は騎士道精神溢れる紳士だから、わざわざ勇者様ご一行のために魔王城までの道を残してあげているのか?それも違う。




 そこに、橋を架ける者たちがいるからだ。






 王国に突如魔物が攻めてきてから数年、王国は徐々に体勢を立て直してきていた。騎士階級が魔物と戦うのは当然だが、一芸に秀でた一般民衆も男女関係なく、魔物との戦いに協力させるための体制ができている。医術の心得がある者は衛生兵に、手先の器用な者は武器職人に、牧畜を生業としていた者は軍馬の生産に。


 そしてナタリアも、父親が大工という単純な理由で工兵に徴兵されたのだった。




 当初は、徴兵されたことが名誉に感じられた。憧れの騎士階級に立ち交じって働けるという期待、自分でも魔物との戦いに貢献できるという自負、そして自分の設計によって橋が架かるという喜び。だが、そんなものは戦地に行った初めの1週間で粉微塵だった。


 それは大きく口を開けた断崖に、大きな橋を架けるという作業だった。工兵の一団が架橋作業の間、周囲に騎士を配置し、魔物の襲撃に備える。工兵はほぼ一般民衆から成っているので、魔物には無力なのだ。


 ナタリアは豊かな黒髪を肩まで垂らし、顔も小さくて目鼻立ちがくっきり、スタイルも良い方だ。当初は橋の設計をしていたが、騎士からのセクハラをずっと無視していると、他の工兵に混じって土木作業をさせられるようになった。騎士階級から作業が遅いと怒鳴られ、俺達が守ってやってるんだと威張られる。魔物なんかほとんど現れやしないのに、一日中作業で疲労困憊の工兵より、騎士の方が遙かに良いものを食べている。その後、他の現場に行ってもほぼ同じことの繰り返しだった。


 ナタリアは決して頭が回らない方ではなかった。だから、このような騎士の態度の理由がすぐにわかってしまうのだった。


(工兵の護衛なんてしてるということは、コイツらは前線に行ける実力の無い、いわゆる落ちこぼれ。その鬱憤を、自分たちより力も身分も下の工兵にぶつけているんだ。しかも私に相手にもされず、プライドがいたく傷ついた、ってわけ)


 こうして、騎士階級に絶大な不信感を持つ工兵、ナタリアができた。




 こんな有様だから、部隊長に呼び出されて「今度は1人で橋を架けに行け、護衛の騎士が1人来る」と命じられたときも、何の感動も無かった。どうせ複数の騎士から工兵みんなが怒鳴られるか、1人の騎士からナタリア1人が怒鳴られるかの違いだけだ。むしろ1対1で怒鳴られる方がつらい気がする。


 部隊長の説明では、2人が行くのは首都から北東方向にある平原だった。その平原が山と接するところに洞窟があり、魔物の根拠地の1つになっているようなのだが、そこにたどり着くまでの道が無い。魔物が深い谷をいくつも造り、道路が途絶してしまったのだ。よって、最寄りの町に宿をとり、橋を架けていくこと。現状、魔物の活発な活動は見られないことから、2人でも大丈夫だろう。




 (要するに私は、騎士サマのお気に召すような従順な人間じゃなかったから、僻地に行かされるわけだ)


 嫌がらせもここまでくると笑えてくる。まったくやる気もわかないまま待ち合わせ場所に行ってみると、護衛というのは女性騎士だった。向こうもこちらに気付いて、笑顔で駆けてくる。


「やあ、私はクラーリエ。よろしくね~」


 ナタリアが一番始めに感じたものは「不安」だった。こんな軽い感じの騎士で大丈夫だろうか。こんなヤツに私の命を預けるのか?

 だがクラーリエはそんな心配に頓着無く話し続ける。


「ナタリアちゃんでしょ?なんて呼べばいい?ナタリー?」


 背は中くらいで特段目立つ印象はない。数少ない特徴は、外ハネになった赤茶けた髪と、笑うと見える八重歯くらい。だが、そんな八重歯に騙されるまい、とナタリアは思う。コイツだって初対面だから笑顔を作っているだけで、現場に行ったら豹変するんだ。


「ナタリアでいいです」


 目も合わせず無愛想に言った。


 現場の最寄りの町まで移動する間も、黒髪がきれいだね、とかどこの出身?とか無口なタイプなんだね、とか一方的に喋りかけてくる。鬱陶しいことこの上なかった。






 ナタリアの予想に反して、クラーリエは現場に着いても豹変しなかった。それどころか、驚くべき悠長な騎士だった。架橋現場は最寄りの町から歩いて1時間はかかる場所にある。だから朝早く移動するべきなのに、宿の部屋のドアをナタリアがやや強めに叩くまで起きてこない。癖っ毛の外ハネがさらにハネた、とんでもなくボサボサの髪をして目をこすりながら、


「おはよう~。もう朝ご飯食べた?」


 ナタリアが呆れながら、


「とっくに」


 ぶっきらぼうに返すと、


「朝からそんなにカリカリしたら頭の血管切れちゃうよ。ナタリアちゃんは真面目すぎ」


 と、笑ってるんだか寝てるんだかわからない顔をして、頭をフラフラさせながら髪を梳き出す。


 現場に着いても同様で、「おーい、おーい」と手招きするから手を止めて近寄ると、八重歯を出したクラーリエが、


「そろそろ休憩しない?」


 形の上では疑問系だが、ナタリアの返事を待つまでもなく水筒からコップに飲み物を入れ始めている。


「作業始めて1時間ほどしか経ってないですが」


「適度な休憩は作業効率が上がるんだよ」


「過度な休憩の間違いでは……」


「ナタリアちゃんは気を張りすぎなの。こんな所に橋が架かろうが架かるまいが、あんまり影響ないよ、たぶん。気楽にいこうよ」


 身も蓋も無いことを言っている。あんまりすぎて怒る気にもなれない。


 雨が降ると必ず作業を休みにした。「雨が降ると私の視界がきかないから、魔物の発見が遅れてナタリアちゃんが危ない」というのが理由だったが、明らかにウキウキした顔で、


「じゃあ私はショッピングに行ってくる。ナタリアちゃんも何かして気分転換するんだぞっ」


 言うが早いか街に飛び出していく。雨を理由に怠けているとしか思えない。


 夕方に帰ってくると、ナタリアの前に1本の短剣をつきだして、


「見てこれ!すごく良いものでしょ。特に鞘のここの部分の装飾が。目玉飛び出るほど高かったけど、つい買っちゃった」


 とはしゃいでいる。


「あ、でも、こんな良い物を使って魔物の体液かかっちゃうの嫌だな。部屋に飾っとこ」


 ナタリアは深いため息をついた。




 勤務態度はこんな有様だったが、ナタリアが心配していた腕前の方は問題無かった。ときたま魔物の1匹2匹が出ることはあるが、クラーリエが危うげなく退治してくれる。彼女はなんでこんな僻地で私の護衛をしているのだろう。ナタリアには不思議だった。




 この地に来てから1ヶ月経つころには、橋(といっても、丸太を結んで対岸に渡しただけの簡易なものだが)が5本架かっていた。2人はおやつという名目の、本日4回目の休憩を取っている。


 クラーリエがいつもの八重歯を見せながら、


「いやはや、これでずいぶん前に進めるようになったね」


「最終目的地の洞窟はまだ全然見えませんけどね。いったいあと何本橋を架けたらいいのやら……」


 このころになると、ナタリアもさすがにクラーリエに少しずつ気を許し、前よりはまともに会話をするようになった。表情は相変わらず固いままだったが。


「ナタリアちゃんのおかげだよ。いつも力仕事してもらって、なんだか申し訳ないね」


「クラーリエさんも結構手伝ってくれているじゃないですか。それに今までの現場と違って、自分で設計から工事までできるから面白いですよ。むしろクラーリエさんこそ、こんなところにくすぶっていていいんですか」


「うん?」


「クラーリエさんの腕前なら、もっと最前線で大きな働きができるんじゃないですか」




 いっとき、間があった。


 クラーリエがナタリアから視線をそらして下を向き、言った。


「……伸び代が無いんだ」


「え?」


「私には伸び代が無い。今の自分、これが自分の限界だって分かってしまっているんだ」


 クラーリエは再び顔を上げ、いつものように笑おうとした。が、笑顔は現れず、口角が引きつったように上がっただけだった。


「毎日朝から晩まで練習した。休日も返上した。でも、ダメなんだ。同期の1番、練習場で見たことなんか無いんだけどね、こないだ部隊長になったってさ」


 それだけ言うと、クラーリエは顔をまた下に向けた。顔に赤茶けた髪がかかって、表情が読み取れない。


「私、きっと何かの手違いで騎士階級の家に生まれたんだろうね。神様が誰かと取り違えて、母の胎内に入れちゃった」


 ははは、と乾いた笑い。ナタリアはもう彼女を正視できなくて、目をそらした。


 気まずい沈黙。


「もう正直に言うね」


 クラーリエはもう顔を上げなかった。下を向いたまま喋っている。


「私が強いヤツに見えているのかもしれないけど、あんな魔物は騎士を3,4年やっていれば誰でも倒せる雑魚なんだ」


 また沈黙。


「お小水してくる」


 クラーリエが座を立った。




 彼女は長いこと戻ってこなかった。その間、ナタリアは飲み物の入ったコップを持ちながら俯いていた。騎士階級にも、階級として固定されているが故のつらさ、苦しさがあるのだと気付いた。ナタリアが父の仕事を手伝っていた頃、才能の限界なんて考えたことは無かった。今はまだ造れないけれど、将来は父のように大きな建物を造ってみたい、それを目標に仕事に励んだ。だけど早くもこの歳で、自分にそんな才能は無いと知ってしまったら?それを知りつつ、大工を続けるしかなかったら?なんだか物悲しい気持ちになってきた。


 気を落ち着かせようとコップに口を付けたとき、


「ごめん、お小水だけじゃなくて大きい方も出ちゃってさ~」


 ぶふッ!という音とともに、ナタリアは飲み物を盛大に吐き出し、むせ込んだ。咳と笑いがいっぺんにこみ上げた。


「うわ、汚な!大とか小とか言ってる私が言えることじゃないけどさ……。というかナタリアちゃん、私の前で笑うの始めてじゃない?」


 八重歯を見せながら目を輝かせているその口調は、いつものクラーリエだった。


 ナタリアにはわかっている。大きい方なんて嘘なのだ。おそらく、小ですら嘘だ。この人は、自分の弱さを認めた上で、それに真正面から立ち向かっている。強い人だ、と思った。




 それからナタリアは、クラーリエと普通に話すようになった。自然と2人の連携もうまくなり、作業も捗った。






 その日は朝から曇っていた。ナタリアは橋杭を打つため、縄を腰に巻き付けて谷を少し下り、穴を掘っていた。


 突然クラーリエが上で叫んだ。


「上がってきて!早く!」


 いつものどこかヌケたような声とは違う。ただならぬことが起きたのは明らかだ。


 地上に出てすぐにわかった。2人を3匹の狼のような魔物が取り巻いているのだ。今までは、魔物は出ても1匹2匹で、しかも知能があるんだか無いんだかのものばかりだった。しかしこの3匹は、明確に知能を持っている。3匹連携して2人を噛み殺そうとしている。いつもとはまったく違う、鋭い眼光を宿したクラーリエが対峙している。


「ちょっとマズいかも。一応剣抜いて」


 そう言われてナタリアは剣を抜いたが、工兵に貸与される護身用の短剣だ。剣をまともに習ったこともないし、役に立つとは思えない。手がブルブル震えた。


「私の後ろにいて」


 3匹はじりじり間合いを詰めてくる。クラーリエとの距離は3メートルほどになった。


 ぱッ、と右手の1匹が飛びかかる。その顔面にクラーリエが剣を突き刺す。その時にはもう残りの2匹が跳躍していた。返す刀で中央の胴を袈裟切りに、だが左手の1匹には対処できなかった。牙がクラーリエの左脇腹に深々と食い込む。


「あぐッ」


 激痛にクラーリエの顔が歪む。


「クラーリエさん!」


 ナタリアの身体が勝手に動いた。


 魔物が左脇腹の肉を食いちぎるのと、ナタリアが魔物の頭に短剣を叩き込むのが同時だった。






 応急処置はしたが、クラーリエはもう歩行不能だった。ナタリアが背負って町まで撤退を始める。ナタリアは力の限り早く進もうとしたが、普通に歩いて1時間かかる道のり、町はまだまだ先だ。ナタリアの左手にぬるっとした生温かい血が触れ、1滴1滴、地面に落ちていく。落ちれば落ちるだけ、クラーリエの死が近付く。


「私には、伸び代が無い」


 背中で、クラーリエが力なく話し始めた。


「だけど、騎士道だけは失うまいと思ってた。剣を恃んで傲慢になったら、騎士として、人間として終わりだって」


「分かってましたよ。私が気付くのが遅すぎたけど。クラーリエさんは立派な騎士です。私が保証しますよ」


 そう言いながら、この騎士道の体現者が永遠に触れられない所に行ってしまうのではないか、という非常な恐怖が彼女を襲った。


 クラーリエは背中でふふ、と小さく笑ってから、途切れ途切れ話し続ける。


「私が倒しているのは雑魚だって告白したとき、とても怖かった。せっかく仲良くなりかけているナタリアちゃんに軽蔑されるんじゃないかって。でも騙すのは嫌だったから。だから逆にナタリアちゃんが心を開いてくれたのが、不思議だったけど嬉しかったなあ」


 聞いているうちにナタリアの目に涙が浮かんできた。強いて陽気な声を出して、


「ちょっと、なんでそんなこと話してるんですか。治った後思い出して恥ずかしくなりますよ、絶対。やめましょうよ」


 その言葉がクラーリエの耳に届いているのかいないのか、彼女は自分の話を続ける。


「私、ここに来てからが騎士になって一番楽しかった。2人で一緒に橋架けて、休憩して、たまにナタリアちゃんに怒られて……」


 んぐっ、というくぐもった声がナタリアの口から漏れた。泣き出すのを懸命に噛み殺した声だった。


「やめてください、そんな話。こんな怪我、すぐ治ります。治ったらまた橋を架けに行きましょう。また楽しくなりますよ」


 もちろん嘘だ。ナタリアにも、命に関わる怪我であることは分かりきっていた。


 クラーリエの声がだんだん小さくなっていく。


「申し訳ないんだけど、1つお願いを聞いてほしい。ナタリアちゃんにしか頼めないから。部屋の机の2番目の引き出しの奥に、お給金が隠してあるんだ。それを×××の街にいる両親に……。家は私の名前を出せばわかる」


「やめてくださいって、お願いだから」


 ナタリアはもう泣いていた。涙が後から後から、溢れてきて止まらなくなった。


「ナタリアちゃんには、私の部屋に置いてある短剣をあげるよ。売ればそれなりのお金にな……」


「うるさいッ!!」


 とうとうナタリアが泣き叫んだ。悲しさと怒りがごちゃまぜになって、もう自分でも何がなんだかわからなくなって、叫び続けた。


「そんなもの、欲しくない!やっと本物の騎士に巡り会えたのに!精神は誰よりも、誰よりも強い人だと思っていたのに!それなのに、こんな怪我で弱気になって!こんな程度の、こんな、こんな……」


 あとはしゃくり上げて声にならない。いつの間にか降り出した霧雨がナタリアの顔を濡らして、自分の顔を流れるものが雨なのか涙なのかわからなかった。背中のクラーリエはもう口を開かなかった。ナタリアの左手を相変わらず流れる生温かい血だけが、クラーリエがまだ生きていることを証していた。






 クラーリエを病院に担ぎ込んでから何日経ったのか、ナタリアにはわからなかった。毎日宿の部屋に閉じこもり、ベッドに仰向けになっているだけだ。食事にはほとんど手を付けなかった。無理して食べれば吐いた。もう起き上がる気力さえ無かった。


 不思議と涙は出なかった。あのとき出し尽くしたんだ、きっと私はもう涙が出ないんだ、と思った。






 だから、部屋のドアが開いて、


「ただいま~」


 と聞き慣れた声が聞こえたとき、なんだ、私の涙は涸れていなかったのか、と妙に冷静に思ったのだった。そしてベッドから跳ね起き、相手に飛びつくだけの力が残っていたのにも驚いた。


 自分にしがみついて、胸元を涙と鼻水でべちゃべちゃにしているナタリアを見下ろしながら、クラーリエはいつもの笑顔になって勝ち誇ったように言った。


「あのとき意識が朦朧としてたけど、ナタリアちゃんの言ってたことは不思議と全部覚えてるんだよ。特に、また橋を架けに行きましょう、ってところをね!嘘だとは言わせないよ?」


 返事の代わりか、クラーリエを抱くナタリアの手に一層の力が込められた。






 そして今日もどこかで、彼女たちは橋を架けている。まだ見ぬ未来、救国の騎士や伝説の勇者が、そこを通る日のために。

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橋を架ける者たち 桃栗三千之 @momokurimichiyuki

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