魔に魔にカタルシス

浅葱いろ

語る。

 北の森の沼地には、それはそれは恐ろしい魔女が住まうと言う。

 魔女はげに醜い顔をしていて、腰を曲げて歩く姿は実に見窄らしく、汚い。これを哀れな老女と見紛い、情けをかけること無かれ。

 この世成らざる技を使い、命を、魂を、食われてしまうよ。


「あれあれ、こんな処に迷子かね?」

 それは、樹齢300年は経っている大木の根元に蹲っていた。

 擦れて布切れのようになった衣服を身に纏い、覗いた手と素足は木の枝に劣る程に細く、泥と垢に塗れている。同じように汗と脂にべたついた髪の毛の合間から、怯えた瞳が覗いた。唯一、そのヘーゼルの双眸だけが汚れを知らず、輝いている。

 まだ十にも満たない子供だった。


「……魔女?」

 男児とも、女児ともつかない高い声で、子供は呟く。ざんばら髪は刈りそろえられてはいなく、髪型からも、服装からも、性別を判断することは出来かねた。


 北の森の沼地に住まう魔女の話は、広く伝聞されている為、子供の耳にも入っている。

 その通り、老婆は噂の魔女だった。

 遠慮なく上から覗き込んでくる老婆の姿に、抱えていた膝を、子供は更に強く握っている。伸びた爪が皮膚に食い込み、痛そうだ。


「お前のようなひ弱な子供は、ここでは生きていけないよ。早くお帰り」


 沼は、まだ遠い。だが、毒を吐く沼の瘴気は森を覆い、この土地の空気を汚している。初めて北の森に足を踏み入れた子供には、沼の場所も何も分からなかったが、これ以上に深入りをすれば身体に害が出ることを、痛い程に魔女は知っていた。

 簡潔に忠告を促すと、魔女は森の奥に歩いていく。木の根元にいる子供は、その後ろ姿を呆然と見送った。


 翌日、まだ日も昇らない内に目覚めてしまうと、魔女はどうにも昨日の子供が気になった。いつもなら、人間とは極力関わり合いにはならず避けて通るものだったが、自分のテリトリーである森の中で、子供の死体が出ることは気が進まない。

 町に帰っておれよとの願いは虚しく、大木の根元に来ると、まだ子供は蹲っていた。


「おやおや、まだ生きていたのかい」


 この森には、充満する毒気と共に、その瘴気に耐えられる魔物が息を潜めている。感心するように言って、魔女は子供を覗き込んだ。一晩を真っ暗闇の森の中、獣の息遣いを感じながら過ごし、元から健康体であるようには見えなかったが、窶れた印象を強く受けた。


「お前は捨てられたのかい」

 この子供の姿を見た時から、薄々と勘付いていたことだった。怯えた瞳で魔女を見上げ、子供は小さく頷く。

「恐ろしいかい」

 顔を近付けて、ニイと魔女は笑った。息を飲み込んだ子供が、弾かれたように首を振る。否定であったが、それは偽りであると分かりきっていた。


「着いておいで」


 魔女は、手に持っていた二つのランタンから、明かりが灯っていない一つを子供に渡した。魔女が手を翳すと、息を吹き返すように微かな明かりが揺らめく。不思議な青白い炎は、ランタンの中央でゆらゆらと玉を作り、魔女と子供の足元を照らした。

 魔法だ――子供は乾いた唇を引き結んだ。

 魔女の後ろを着いていくと、やがて拓けた場所に出た。空を覆い尽くすように、鬱蒼と生い茂っていた木々が突如として途切れ、円形の広場が姿を表す。


 夜明け前の涼やかな空が目に映ったせいか、苦しかった息が楽になったような気がした。

 広場の中央に、小屋がある。小屋の隣には、ささやかな畑があった。小屋の前にある井戸に誘われると、子供は冷水を浴びせられた。冷たい。「あ」とも「う」とも子供が言えぬまま、魔女は乱暴ともとれる手つきで体を、髪を洗っていく。よほど汚れが酷かったのだろう、欠片になった石鹸は泡立たなかった。


「……男の子かい」


 三度目にしてようやっと泡立つようになった石鹸を洗い流すと、濡れ鼠になった子供の姿を見て魔女は言った。無遠慮な視線を裸体の隅々にまで受けて、居心地の悪さから子供は顔を伏せる。

 子供の身体には大小様々の傷跡があった。どのような生活をおくってきたのか、傷を見るだけで窺い知ることが出来る。その中でも最も古いであろう首筋の傷跡を認めると、魔女はぎょろりと落ち窪んだ目を細めた。


「おいで、まずは服を仕立てにゃいかんね」


 それから、魔女と子供の奇妙な同居生活は始まった。

 森の中での生活は質素なものだ。小屋の隣に設けられた畑で野菜を育て、自炊をして過ごす。沼の毒気のせいで、生き物は魔物しか生息してはいなかった。魚や肉と言ったものはたまにしか食せなかったが、一日一度の食事にも困る生活をしていた子供には満足だった。

 たまのご馳走は月に一度だ。ローブで深く顔を隠した魔女が、近隣の町や村に買い出しに出かけるのである。魚や肉と言った森ではとれない食料と、石鹸などの日用品を調達してくる。合間、子供の為の本も、数冊持ち帰ってきてくれた。


 魔女と暮らすようになって三月もすると、マッチ棒のようであった子供の体は、ふっくらと肉をつけてきた。土色の悪かった顔色も、生きた体温の赤みを差している。

 子供は広場から出ることを禁じられていた。広場には特殊な結界が張ってあり、沼の瘴気の介入を閉ざしているらしい。清浄な空気を吸えるのも、水を飲めるのも、野菜が育つのも、この広場の中だけだ。魔女の言いつけを子供は素直に聞き、外に出て行くことはなかった。


 ある日のこと。畑でトマトの世話をしていると、魔女が誤って指を切った。青く、小さく実ったトマトを、栄養が十分に行き渡るように間引いている最中、鋏で指先を切ってしまったのだ。魔法が使えるのだから、手間のかかる畑仕事などせず、楽に作物を育てたらいいのに――子供がそう零した時のことだった。

「ここは暇だからね。時間はたっぷりとあるし、丁度いいんだよ」

 魔女は指から滴る血を眺めて、物思いに耽るように言う。放っておいたら手当ても何もしなそうだ――堪らず思って、子供は魔女の皺に塗れた手を取った。


「痛い?」

 加齢と共に肉が落ち、骨ばみ関節が目立つ手は、まだ子供のものよりも大きい。小さな両手で包み込むと、子供は魔女を見上げた。

 鷲鼻は大きく、目は骸骨のように落ち窪んでいる。だが、そこに覗く瞳は、子供と同じくヘーゼルの色で美しい。

 ぎゅうと子供が手を握り締めると、ほんのりと熱がこもった。指先を刺激していた痛みが引いていく。そうして子供が手を開くと、魔女の指先からはパックリと口を開けていた傷口がなくなっていた。

 治癒の魔法だ。

 すぐに魔女は分かった。


「これは他で、誰かに見せたのかね」

 少しばかり期待の滲む目で魔女を見ていた子供は、その声音の固さに顎を引く。この力をうっかり使ってしまったが為に、父と祖母に恐れられ、村八分に追い出されてしまったことを思い出していた。

「二度と、使うんじゃあないよ」

 強い口調で魔女は言った。子供は小さく頷いた。



 更に数年が経つと、子供は大きく成長した。歳の頃は十四、五だろうか。以前までは斧の使い方に難儀していた薪割りも、今では魔女よりも上手にこなすことが出来る。

 立派に成長し、逞しい青年への道を歩んでいる子供とは違い、魔女の老いによる衰退は著しかった。

屈みこんでの作業が多い畑仕事も辛くなり、ほとんどの泥仕事は子供の役目になっていた。魔女はと言うと、魔法の力を借りて、ささやかなアクセサリーや帽子や手袋などの服飾小物の製作に勤しんでいる。これを売って、二人は金に変えているのだった。


 畑仕事を終えて小屋に帰宅すると、魔女の姿がなかった。いつもならば、この時間になると魔女は竃の前で鍋を掻き回している。野菜の出汁がたっぷりと出たスープは定番メニューで、子供の大好物でもあった。

 この小屋には、入室を禁じられている地下室がある。ここに居ないとすれば、魔女は地下にいるはずだった。――倒れているのではなかろうか。近頃の覚束ない魔女の足腰を思い、子供は焦燥に駆られた。そして、地下室の扉を開けてしまう。

 なんてことはない、本が沢山あるだけの部屋だった。


 一階にも本がある。魔女が買ってきてくれた本は、絵本や歴史書などが多かった。そうやって魔女は、子供に教養を与えてくれたのだ。子供は読み書きも問題なく出来るようになっていた。

 地下室にある本は、どれも子供が見たことがない難しい本ばかりだ。

 魔術書の類なのだろうそれらに埋もれるようにして、椅子の上で魔女は眠っていた。

 魔女が覆い被さる机の上に、写真立てを見つける。古く、埃を被っている。思わず手に取ってしまうと、子供は食い入るように写真を眺めた。


 美しい女性が、産まれたばかりの赤ん坊を抱いて、四角い平面に捉えられている。醜い魔女とは似てもなつかなかったが、幸せそうに微笑む女性が、この魔女なのだと子供は強く思った。ヘーゼルの瞳には変わりがない。


「此処には入るなと言ったはずだよ」

 子供の腕が不意に掴まれる。いつの間に目覚めたのか、魔女がぎろりと子供を見上げていた。瞬きもせずに凝視してくる眼を前に子供は息を飲むと、持っていた写真立てを落としてしまう。床に落下した写真立ては、鋭い音を立てて割れた。

 謝罪を口にする間も許さず、魔女は子供を地下室から追い出した。



 やがて、魔女が杖をついて遠出が難しくなると、月一の買い出しは子供の仕事になった。当初、子供が「自分が行く」と言い始めた時には渋面を作った魔女だったが、自らの役に立たない足腰を慮り、嫌々ながらに首を縦に振る。

 最近の魔女は、寝床に伏せることが多くなっていた。体の節々が痛み、上手いように関節が動かないのだ。それ故に、渋々ながら子供に瘴気を祓うまじないを施し、町に送り出した。


 久しぶりの外界は、子供にとって新鮮そのものだった。醜い魔女が売っていた時よりも、アクセサリー類も子供が売り子になった方が売れる。買い物もおまけを付けてもらえることが多かった。そうして、前よりも少しだけ豪華になった食卓のお陰で、伏せがちであった魔女の体調も少しだけ回復の兆しが見えていた。

 いつも通り買い出しを終えて森へと帰る途中、子供に魔が差した。

 多少なりとも売上金を手に持ち、食糧もある。

 森に帰らず、逃げ出すことはいつだって可能だった。

 暫し、立ち竦んで考えると、子供は足を進めた。それは、北の森への帰り道だ。年老いた魔女を一人きりで置いて行くのはあまりにも薄情に思え、何より子供は、魔女との二人暮らしが嫌いではなかったのだった。


 また時が経ってくると、町の情勢があまり芳しくないことが分かってくる。

 魔女と暮らす前の少ない知識と、魔女と知り合ってから教えられた知恵と見聞、買い出しに出るようになり知った情報を精査すると、近々大規模な戦争が始まるらしい。


 この世界には、いくつかの大きな国が存在している。魔女と子供が住まう国は、魔法の力を恐れ、忌み嫌い、魔法を使うことを最悪の背徳行為と禁止し、魔女や魔法使いを取り締まっては処刑をしていた。反対に、魔女や魔法使いの権利を認めている国もある。宗教や倫理観の違いから前々からして不仲であったその隣国と、領土を巡り正に一触触発の状態に陥っていた。


「戦争が始まるみたいだよ」

「そうかい」

 食後の一服時に、子供は町で仕入れてきた話を魔女にも聞かせた。しかし魔女は、俗世のことなどには興味がないようで、暖炉の前でのんびりと紅茶を啜っている。


「ねえ、隣国に行けば、魔女の権利も保障されてるんでしょう? そうしたら、こんなところに隠れて暮らさなくても大丈夫なんじゃないの?」

「私はね、魔女狩りが恐くて、ここにいるんじゃあないんだよ」

 暗に、子供は隣国に逃げようと提案したのだったが、魔女の意は介さずであった。



 直に戦争が始まった。国境から程遠い北の森や周辺の村、町には大した被害は出ていなかったが、国境近くの村々は、それはもう酷い有り様のようであった。

 鉄砲や槍、剣と言った物理的な攻撃しか持たない国に対するのは、魔女や魔法使いも兵に持つ隣国なのだ。歯が立たないことは目に見えて分かる。

 戦火が首都にまで及ぶと、いよいよ森の周辺の町にも不穏な空気が満ちる。足りなくなった兵の補充に、農夫だろうが老人だろうが少年だろうが、使える人員は全て引っ張っていかれたのだ。

 陰鬱な雰囲気が漂う町に下りると、子供は何も売れず買えずのままで、森に帰ろうとした。その時、噂話をしていた女たちの会話が耳に入る。


「北の森の魔女、討伐隊が出るんだって」

「ありゃ伝説じゃあないのかい」

「本当に魔女が居るのかは分からないけど、居たら捕まえて、戦争に駆り出すんじゃあないのかね」


 子供は転げるようにして、慌てて小屋へと帰った。

 小屋の扉の把手を捻ることさえ煩わしく、蹴り破るように中へ入ると、暖炉の前にあるロッキングチェアに腰を掛けた魔女が、つうと顔を上げる。炎が爆ぜる音が聞こえていた。


「なんだい、五月蝿いねえ」

 魔女の声は呑気で、間延びしている。

「討伐隊が出てるって」


 隠さない焦りを存分に出した声の子供とは違い、やはり魔女には慌てた様子は見受けられなく、驚きも、何も感じられなかった。欠伸を噛み殺して「そうかい、そうかい」と言ちる。それは、子供が初めて一人だけで育て上げたじゃがいもを、自慢げに魔女に披露した時にかけられた声色と似ている。一瞬、虚を突かれ、子供は押し黙った。いやいやと頭を振ると、討伐隊が出ていること、捕まったら処刑か戦争に出されてしまうことを、改めて説明した。


「逃げるなら、お前だけ逃げな」

 子供の必死の説得を振り払い、魔女は素っ気なくもそう言った。



 それから数日、子供は魔女と小屋に引きこもって過ごした。討伐隊が来るのは今か、今かと怯えながらも、子供は魔女を置いて逃げ出すことを出来ずにいたのだ。


 窓から見る畑の作物が萎れてきたのを確認し、子供は痺れを切らして荷造りを始めた。魔女が繕ってくれた服、靴下、帽子に手袋。魔女が買ってくれたお気に入りの本。――魔女の着替えや、残り少なくなってきた食糧も詰め、ぱんぱんに膨れ上がった鞄を背負う。

 椅子に座っている魔女の手を意を決して掴むと、子供は力一杯に引っ張った。


「行こう」

 だが、魔女の体は椅子に張り付いたように動かない。あれだけ大きかった魔女の枝のような手も、今や子供の片手の中に悠として包まれていた。もう一度、強く、ぎゅうと握る。


「お前だけでもお逃げ」

 尚も、魔女はまた同じ台詞を呟いた。

「置いて行けるわけがないだろ! 母さんなんだから!」

 しんと小屋が静まり返る。「……ほう」と、魔女が片眉を上げた。


 それは、長年一緒に暮らしたから母親のように慕っているという意味ではない。

 同じヘーゼルの瞳。地下室にあった写真。

 傷を治す力を祖母に見つかってしまった時に言われた「やっぱりお前もあの女と同じ穢れた血か。出て行け! お前の母親が逃げ込んだ北の森にでも行って、二度と帰って来るな!」という言葉。

 魔女に背を向けた子供の目に、じわじわと涙が滲む。


「……知っていたのかい。知っていて、此処に来たのかい」

 魔女の声は、今まで聞いたことがない程に優しかった。


 昔々、一人の美しい魔女が居た。魔女は一人の人間の男と恋をして、男の子を身篭った。しかし、魔女の力を恐れた村人と男の家族に、子供を奪われて、引き離されてしまう。

「あんたが魔女だと知られたら、私たちも疑われて、家族全員が拷問を受けるんだよ! あんたの愛するこの息子もだ! 魔女の子として、不遇に育てたいのかい!?」

 離れ離れになるくらいならば、と愛しき我が子を手にかけて自分も死のうと思ったが、寸前のところで手が動かなくなる。か弱い首筋に押し当てたナイフを、引くことは出来なかった。


 最愛の我が子を殺すことはどうしても出来ず、全ての俗世を捨てて、魔女は北の森の毒気の強い沼池に引きこもったのだった。

 瘴気は肌のハリをなくし、吹き出物を大量に発生させてはシミを作り、髪からは艶を奪った。更に肺を蝕み、歯を衰えさせ、身体を衰弱させる。美しかった魔女の見る影はなくなり、醜い老婆が北の森の沼地には誕生した。


「お前の首の傷を見た時、そうじゃあないかと思ってたんだけどね。やっぱりかい」

 子供には、強い加護のまじないをかけている。広場の結界もより強固なものにした為、魔力の消費が激しく、魔女の体力の低下は早いものだった。だが、二度と会えないと思っていた我が子の為と思えば、自分のことはどうでもいい。

「だから早く逃げよう。隣国に行けば、魔女裁判を受けなくてもいいんだ」


 子供は流れる涙を頻りに拭いながら言った。このまま我が子と離れずに居られるのなら、それは夢のような提案であると魔女は思う。しかしながら、魔女にはもう、戦火を潜り抜けて隣国に辿り着くための体力は残っていなかった。子供に手を引かれて着いていったところで、足手纏いになることは分かりきっている。


「お前を捨てた私を、恨んではいないのか」

 子供は首を振った。

 物心ついた時に母親がいないことで寂しい思いをし、家を追い出されてからは、母の面影だけを追ってこの北の森に行き着いた。

 見るに恐ろしく、醜い老婆が母親だとは最初は思いたくがなかったが、拙いながら、不器用ながらも魔女は子供を育ててくれたのだ。

 美味しい! と言ったスープをよく作ってくれた。

 怖い夢を見て眠れない時は、その嗄れた声で絵本を読んでくれた。

 畑仕事で汚れ、破れてしまった服を縫ってくれ、冬になれば寒いだろうと帽子や手袋を贈ってくれた。

 子供はしっかりと、魔女からの愛情を受け取っていたのだった。


 嬉しそうに微笑み、魔女は立ち上がって子供の手を取ると、おもむろに後ろ手を纏めて縛り上げた。そのまま子供の体を床に転がして、魔法の力を使って両足も縛り上げる。

 始終、子供は「何するんだよ!」「痛い!」などと喚いていたが、「全く、体力だけは一人前だね」と、渾身の力を振り絞って魔女は手を緩めなかった。


「お前は此処で、恐ろしい魔女に捕らえられていた〝可哀想な子供〟だ。分かったね」


 魔女の言わんとしていることを悟り、四肢を拘束された子供は床に着けたほおを涙で濡らした。

 魔女は最初から〝こうする〟つもりだったのだ。


「二度と魔法を使ってはいけないよ。忘れるんだ。お前は平和に、幸せに、暮らしていくんだよ」


 優しく子供の頭を撫で付けると、魔女は扉を開けて小屋から出て行く。杖をついて歩くのは、本当に難儀だ。だが、それも我が子の為と思えば、嬉しい苦痛であった。


 広場のすぐ近くで、討伐隊と会うことが出来た。魔女の身なりを確認しただけで〝北の森の魔女〟と判断した兵士たちは、手際よく魔女の体を締め上げる。老人なんだから手加減をしてほしい――強がりの小言も漫ろに、両膝と頭を地べたにつけられた魔女は静かに微笑しながら、泣いた。


「小屋に、子供を置いてきた。後で食べようと思ってたんだが……こんなことなら、早く食べてしまえば良かったね」


 魔女の言葉を聞き、討伐隊が小屋へと向かう音を聞く。これで安心だと目を閉じると、裁判や拷問を待つ前に、魔女は憑き物が落ちたかのよう安らかに、永遠の眠りについたのだった。

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魔に魔にカタルシス 浅葱いろ @_tsviet

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