籠の鳥(衝動続編)

 自殺志願者だった飛鳥は猿渡忍との出会いを機に父親の敷いたレール鳥カゴから逃れた生活を手に入れた。


 思えばあまりにもあべこべな交際だった。

 出会ったその日に恋人になり、同棲が始まった。縁から飛鳥に名前も変わった。ただ、彼女は幸せだった。


 まず、笑顔が増えた。

 作ることなく笑顔が溢れるという体験は彼女にとって初めての経験だった。軽くなった心は、縁であった頃には見えなかった多くの刺激幸福を脳に運んだ。例えば、そう、小窓を越えてベッドに差し込む朝の日差しが暖かいと感じた事さえも新鮮だったし、実のところ食品の買い出しさえ数えるほど経験がなかった彼女にとっては、賞味期限を見たり、鮮度や値段を見比べる様な誰でも知る買い物の知恵でさえ興味深いものだった。


 好きな異性から贈られる指輪や言葉がどれほど嬉しいものなのかなど知る由もない。


 本当に嬉しい時、声が出なくなるということを知ったのもその日だった。


 姓も名も変わり、彼と共に生きる事を誓った。

 彼女は過去の全てを捨て、飛鳥の名の如く鳥カゴを飛び出し、大空へと羽ばたいたのだ。


 ただ、彼女は知らなかった。

 鳥カゴの外の危険理不尽に対してあまりにも無知だった。


……


「……ん、そう……もう朝なのね」


 壁と同じ白を基調としたベッドに眠る飛鳥に小鳥の囀りが朝を知らせる。

 それは決まって早朝で、彼に朝食や弁当を用意するのには都合の良い時間だった。


「よし、今日も張り切って料理をしないとねっ」


 飛鳥は10人が見て10人が感心するほどの働き者だった。

 彼女には厳しい家庭に育ち、時間や作法を苦もなく守る習慣があり、良い意味で欲がなかった。この部屋に住んで1年以上が過ぎて尚、飛鳥の部屋には自分の意思で買い足されたものがほとんど無い。同棲してみれば予想以上に愛妻家だった忍から贈られた沢山の贈り物を収納する為のクローゼットや化粧ダンスこそ大型のものが設置されているが、その他に部屋にあるものなど小型の机と椅子くらいで、それも最後に腰掛けたのはいつか思い出せない。朝早くに部屋を出た飛鳥がこの部屋に戻るのはいつも帰りの遅い夫を迎えた後だからだ。


 その日も、そうなるはずだった。


「ん……」


 いつもの朝日、いつもの囀り、いつもの様に伸びをした時……。


「え……?」


 それは、感じたことの無い身体の違和感。

 怪我の様な痛みは、ない。筋肉痛の様な負荷も、ない。ただ、動かない。


 その時点では焦りはなく、ただの疑問に始まる。

 あまりにも不可解な疑問、いままで当たり前に動作していたもので、思い通りだったもの。どこにでも飛鳥と共にあり、彼女を連れて行ったもの。


 だから、直視までの数秒、

 彼女には自身の身に起きたことが理解出来なかった。


 初めの違和感は膝下。

 いつものシーツに包まれる感触の違い。決定的だったのは両腕と共に伸ばそうとした足がその動きを拒んだ事だった。


ただ、それでもシーツをまくる瞬間まで飛鳥が感じていたのは不信感、純粋な疑問でしかなかった。


「っ……あぁぁぁああああ!!」


 なぜなら、それは想像さえ許されない悲劇だった。


 縁の足は変わってしまった。


 醜悪。

 膝下数センチよりなめらかな皮膚は消え去り、代わりに生えていたのは濃い黄色のゴツゴツとした脚……脚だった。


 おまえの物だと主張するかのように彼女の身体にあつらえた様な大きさの、乾いた皮質の鳥の様な脚だった。


「飛鳥っ!?……な!?」


 妻の悲鳴に駆けつけた忍は、絶句した。

 愛していた妻の悲劇、最初にして最後であるが、忍は本人と同等、或いはそれ以上に嫌悪の目でそれを凝視した。


 結果それは飛鳥にとって自身の脚を嫌悪する要因の中でも根の深い物となり、同時に忍の最大の過ち、後悔となった。

 ただ、それ以上に世間ではこの様な症例『魔物化』を起こした患者を人外として扱う事が浸透しつつあり、それは、この事彼女の脚が世間に気づかれれば、飛鳥は人間だから守られていた『あらゆる悪意』を受ける可能性があり、忍にはそれを守る権利が無い事を意味した。


 それ故、彼は世間から飛鳥を隠す事を決めた。


 窓を閉め、電気を消し、外出を禁じた。

 皮肉にも、彼がとった彼女のための行為はまた、彼女に鳥カゴの生活を強いるものだった。

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魔王の従者ーアンサー 不適合作家エコー @echo777

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