第4話 邯鄲之夢

 

 

 

 「助けてください……!!」


 私があの子に出会ったのは、バカみたいに土砂降りの雨の日だった。

 死体だと思って通り過ぎようとしたら、白衣の裾を引っ張られて死ぬほどびっくりしたのは今でもはっきり覚えている。

 なんだってもう本当に死体みたいだった。

 血塗れで服の色なんてなくて。瞼の落ちた顔なんて青いを通り越して白い。マネキンの色。死体の色。今どきの路地裏ストリートは死体なんてありきたりだったから。踏んでたら気づいたかもしれないけど、流石の私も性悪ではない。


 「離してもらえる?」


 だけど『はい』と一言返事で助けるほどお人好しでもない。


 「助けて、ください」

 

 必死な顔だ。とても必死。よく見たらこの子のは返り血だ。傷らしい傷はない。だとしたら隣の子――あら、もう殆ど人じゃなくなっている。もうすぐ物体、もしくは肉塊になる。私の仕事も意味を成さなくなる。完全に止まった生き物を私は引き戻せないもの。機械や医療にはそういう事がまだ出来ないから。

 そんな事は子供でも分かる。しとどの雨が冷やし、抜けていく熱量は致命的。今も今も命の炎は雨に消されていく。

 

 「助けて……下さい……!!」

 

 だから必死。死なせたくないから必死。どうしようかしら。面倒ではある。お金にもなりそうにない。得体が知れない。素性が知れない。見たことのない顔。私にとって何か利益になるか。

 

 「どうしても、助けたいの?」

 

 「助、けて……!! 先輩を、助けてください!! 私を、私をかばって、先輩は……!!」

 

 裾を握る手が強くなった。すると顔も持ち上がる。私はそこでようやくその子の顔を見た。へえ、なるほど。ちょっと口元が緩んだ。悪くない。最近、肌寂しくもあったから。弱みに付け込むのも悪くない。嗜虐心を擽られる。我ながら最低ね。

 

 「そうね。どうしようかしら」思わせぶりに答え「ちょっとかじかんできたから、早めに答えは欲しいわね」

 

 言葉を作りながら私は、その先輩と呼ばれている子の傷に目をやる。鋭い傷跡。深い。等間隔に並んだ様子は爪痕に思えた。肉を抜いて、骨……この出血量は臓器もやってるかしら。傷跡からして人じゃない。ならエイリアン……細菌とか毒とかも入っている可能性は高い。すると時間はかけられない。既にリミットオーバーかもしれない。

 

 「……私は、」だから、何事か言いかけたところに私は、口を挟む「一つ、事前に言っておくわね」

 

 「私はまあ、一応医者よ。だけど絶対じゃない。『なんでもする』、なんて言われても私には確証は約束できない」

 

 それでも良い? 言外に訊いてみる。さあ、どうする? どうでる?

 

 「なんでも……しますっ……!!」

 

 雨に、負けない声を私ははっきりと聞いた――それが、私とあの子達の出会い。

 

 

 

 +++

 

 

 

 「…………雨」

 

 目を開いて雨音に気づく。いつの間に降っていたんだろう。ああ、寝てたんだ。だから気づかなかった。ディスプレイの中で、デタラメなキーが入力されていたのを見て、私は思い至る。指を走らせ、ぱぱっと修正。ディスプレイ上で乱れた文章は、元の整然とした様を取りした。

 

 「懐かしい夢を見たわ。ねえ?」

 

 側で浮かぶ彼女を見る。あの子が先輩と呼ぶ子。今は、私の研究室の隅で、淡い青の液体に浮かんで眠り続ける彼女。

 だからあの子は、何体も何体もエイリアンを殺して維持費を私に払い、この子を取り戻す術を探している。涙を誘う献身ぶりだこと。全く、本当に。

 

 「貴方が見せてくれたのかしら?」

 

 問いに答えはない。穏やかな雨だけが答えの代わりに屋根を打つ。後は、小さな駆動音が何処かでするだけ。

 

 「……ま、そうよね」

 

 肩を竦めて、私は腰を上げた。返ってくるとは思っていない。なんとなく聞いてみただけ。私はこの子の事はあまり知らない。名前も、生まれも、口調も声も。何も何も。人づてに聞いた断片的なエピソードしか知らない。

 何気なく外を見る。春雨がぽつりぽつりと雫となって屋根伝いに落ちていて、その向こうに広がる色彩豊かな街並みと、雨に濡れた銀色がある。

 私の世界を、人生をめちゃくちゃにした憎むべき銀色。できれば壊してしまいたい。絶対に壊せないし――壊せるなら誰かがやってる――壊しても意味がないのも知っている。

 過ぎた事は戻らない。時間も命も。何もかも

 

 「妬いちゃうわね、ホント」

 

 ぽつりと思う。一度、二度と何度も肌を重ねれば嫌でも情の一つが出てしまうもの。私の中でのあの子はそんな一つ程度で収まるものではなくなりつつあった。

 だから、そう思ってしまう。

 

 

 

 ++++

 

 

 

 『魔法使いについて、いくつか分かったことがある』

 

 先生から告げられた手がかりを手に、私は今、魔法使いを探している。


 『一つ、魔法使いは、銀色の円盤の近くに現れる。ほら、画像見て。全部円盤写ってる。結構な近距離よ、これ』

 

 『二つ、魔法使いは、何らかの物証を残す。画像がそれね。人の記憶もそう。掲示板とか個人ブログに証言が載っていた』

 

 『三つ、魔法使いは、願いを完璧に叶えない。何かしらの欠陥があるのよ。蘇ったその人が貴方を憶えていなかったのはそのせいかもね。金持ちになったはいいが代わりに家族を失う人もいれば、何かを取り戻したら何かを失った人もいる。偶然かもしれないけどね』

 

 『このことから、今できる事とすれば――』

 

 「円盤近くの仕事を受け続ける……」

 

 東京都墨田区押上一丁目、スカイツリー跡地。現在、スカイツリーを垂直に割って、横入りしたように銀色の円盤は突き立っている。

 この辺り一帯の立ち入りは制限されていて、普通の人は入れない。円盤に近づけば近づくほどエイリアンは多くなるし、行き場のない人たちのスラムとかがあって、危険だからだ。入れるとすれば、〈保健所〉へ登録してあるハンターで、関連の仕事を受けた人とか。

 それの一人が私。駆除の仕事を休んで、今は〈保健所〉から直接出てる調査とか護衛のお仕事をしている。

 今日もそうだ。エイリアンの調査。『銀色の円盤周辺のエイリアンの生息マップの作成』とか〈保健所〉の人は言っていた。それが何に役立つのかは知らない私の後ろでは色んな機材を持った人たちがキョロキョロしながらその辺りをうろついている。この人達を私は、他のハンターと一緒に守ればいいのだから。

 しかし、暇だね。欠伸を私は噛み殺した。カッパを打つ温かい雨が私の瞼を下ろそうとしてくる。

 

 「暇ですね」

 

 「……暇だね」

 

 「……今、寝てました?」

 

 「寝てないよ」

 

 寝てないよ? と私は言い張る。言い張ってる相手は、最近知り合って、同じ仕事をよく受ける女の子。黒髪をポニーテールにした大人しそうな娘。胸が大きい。私と同じ黄色のカッパ姿なのに胸部だけ盛り上がりがすごい。私より年下で、後輩力が高いせいかなんだか親近感。なんていうか子犬みたいな絡み方をしてくる。ハンター業って、正直、男ばっかで、女の人は珍しかったから話しかけました!! なんて言ってたっけ。まあ、可愛らしくはある。モテるだろうなって思った。実際モテたらしい。

 

 「いつもの人達は?」

 

 いつもの人達。取り巻きだ。オタサーの姫なんて言葉があったなぁと、最初は思った。珍しくはない。そういう人は多い。

そういえば、初めて会った時も居たな。

 

 「今日は皆、置いてきちゃいました」


 テヘペロ。若さと可愛さの特権だよね。

 

 「へえ、どうしてまた。便利でしょあれ」

 

 「先輩と二人っきりになりたくて……」

 

 「へ、へえ、そうなんだぁ……」

 

 言っちゃった~~!とくねくねする後輩ちゃん。可愛い。可愛さを理解してくるから容赦なく武器にしてくる。ぐいぐいとこんなふうに突きつけてくるから、とても強い。取り巻きの視線は怖い。たまにぐらついてしまう。こんな弱い私を許して先輩……。


 「そうですよ~~。今日は、朝から受付に居て、視線が痛かったんですからね!」


 ぷんすこぷんすこと効果音がしそうな怒り方。怒ってはないと思う。そういうモーション。エフェクトは出てないかな、うん。


 「あっ、自覚あったんだ……」

 

 「そりゃありますよ! 私、視線には敏感なんです! 可愛いので!

 あ、勿論、他の色々なところも感度良好ですよ?」

 

 「……色んなとこ?」


 しまった。思わず食いついてしまった。


 「そうですよ~~先輩~~。毎晩毎晩、一人で慰めた続けるしかないお陰で感度だけうなぎのほりです……!」


 「ふ、ふーん……」


 今日はなんだか普段よりぐいぐい来る気がする……。


 「…………試してみます?」


 「ごくん……」


 思わず生唾を呑んでしまった。掌で踊らされている。小悪魔系か……! 小癪!


 「そうそう! 話変わるんですけど、先輩に聞きたいことがあったんです!」


 変わるんだ……あっ、嫌な予感。びんびん来てる。これは中々大きいやつ。


 「この前、街を一緒に歩いていた女の人ってどなたです?!」


 うわ、面倒くさい。

どうしようかな。詳しい話はあんまりしたくない。なんだか面倒くさいことになりそう。いや、絶対になる。


 「えっと、あれは……」


 でもどうしよう……。


 「あれは……?」


 じっと真剣に見上げてくる後輩ちゃん。うーん、どうしよう。無碍にするのもちょっとカワイソウ。さて、しかし、どうしよう。

 

 「姉、かな!」

 

 「かな!ってなんですかかな!って。実際のとこ!」

 

 こういうところは面倒くさい。面倒くさい系後輩。可愛くはあるけど面倒くさい。可愛いと面倒くさいは同居可能だと思う。

 先輩はどうだったのかな。私も面倒くさいとこあったのかな。

 

 「んー、そだね」

 

 「はい!」


 まつ毛なっがいなぁ。目、すごい大きい。羨ましい。

 

 「あっ、待って」


 「え?」


 ナイスタイミング。私は、腰のホルスターからハンドガンを引き抜いて。


 「きゃっ!」


 後輩ちゃんを抱き寄せると撃った。空薬莢が撃った分だけ飛びだして、下に落ちていく。


 「え……?! え?!」


 腕の中で後輩ちゃんが困惑して驚いてと表情を変えているのが分かった。けど、私は銃口の向こうを見ている。


 「よし」


 「せ、先輩……?」


 「ほら、見て」


 「あっ……」


 と、振り返った後輩ちゃんは、目を丸くした。建物の隙間。人は通れないほどの隙間から得体のしれない生き物、つまりはエイリアンのことだけど、それがぐしゃぐしゃに潰れて死んでいた。勿論、潰したのは私の弾丸だ。周りには、赤い肉片と銀色の体液が飛び散っている。銀色は、エイリアンの証。エイリアンの体液は皆揃って銀色だ。円盤の影響を受けたせいだって、先生は言ってた。

 

 「そういえば」

 

 雨に流れていく体液を見ながら、ふと私は思い出す。あの魔法使いの持っていた杖も銀色だったなと。

 

 「……あれはエイリアンなのかな」

 

 「どうかしました? 先輩」

 

 「あ、はは、なんでもないなんでもない」

 

 ああいけない。仕事中なのをすっかり忘れていた私は、笑って誤魔化す。

 

 「なんだか珍しいエイリアンだなって、思ってただけ」

 

 真っ赤な死体をつま先で突っついてみる。ぶよぶよだ。大きなカエルみたい。反射的に撃ってしまったから元の姿を憶えていないけど。

 

 「はは、確」

 

 「……ん?」


 会話が急に途絶えたから、思わず振り返った私は固まった。


 「っ!!」


 後輩ちゃんの口から何かが飛び出ていた。赤くてぶよぶよしたもの。首にも巻き付いているから、絞め殺されないよう必死に後輩ちゃんはぶよぶよと首の間に指を挟んでいる。さっき私が殺したのと同じだと直感的に分かった。喋れない後輩ちゃんが助けてと訴えてくる。


 「ちょっと待って……!」


 ナイフを取り出す。分厚くて長い。エイリアンの喉を掻っ捌いたりするもの。これなら多分……。

 気付けば周りも騒がしくなっていた。皆、似たようなエイリアンに襲われている。対応に困ってるのも同じみたいだ。

 いや、それだけじゃない。

 爆発音。爆風。ぶよぶよにナイフを差し入れて、四苦八苦している中、私の背中をそれが叩いた。振り向いて分かった。急がないといけない。

 血の海。銀色と赤色の斑模様がそこら中に出来ていた。何人生きているかなんてもう分からなかった。雨脚も強まって、悲鳴と爆発がそこら中にあって、もう地獄同然だった。


 「すぐに、助けるから……!」

 

 中々刃が通らない。切れ味は落ちていない。この滑りのせいだろうか。ああ、もう……!! どうして通らないの……!! 

 

 「あっ……!!」

 

 汗と雨で滑ったナイフが土砂降りに消えていった。ああ、くそっ!! ハンドガンを引き抜く。さっきの通りにいくなら銃弾は通るはずだからと銃口を向ける。角度を気をつけなきゃ当たってしまう。だから、慎重に……。

 

 「ッ……!!」

 

 悲鳴と息の詰まったような異音を私は聞いた。すると、後ろへ体が飛んでいた。どうして? 何が? 頭の中に無数のはてなマークが浮かんだ。私は吹き飛ばされる中、後輩ちゃんが立っているのを見た。手を首から離している。私を突き飛ばしたからだ。

 次の瞬間、光が私を焼いた。それから、何度か硬いのもに体が叩きつけられて、真っ白な世界は真っ暗になったと思うと、私は、どこかに落ちていった。



 

 +++



 

 「君ってさ、嫌いなものある?」


 今日の料理当番は、先輩だ。先輩の作るものはなんでも美味しいけど、私はシチューが好き。野菜が大きくて食べごたえがある。なにより先輩の愛情がこもってるような、そんな気がする。


 「嫌いなもの……食べ物とか?」

 

 ポテトサラダ美味しい。しゃきしゃきの玉ねぎがいいよね。できたてのポテトサラダは、冷えたのとは違う美味しさがある。私は、どっちかっていうと温かいほうが好き。


 「んーなんでもいいよ」


 「なんでも……」


 そんな先輩の料理を味わっていると先輩にそう聞かれた。嫌いなもの……難しい。私、嫌いな食べ物ないし。


 「あ、勉強は嫌い」


 「勉強か。私はルーチン化して、生活リズムにたからな。しないと落ち着かなかった」


 「さらっと出てくるできる系人間発言……! ぬぬ、うらめしや……うらやましや……」


 「なにそれ」と先輩は笑って「君だって最近、勉強頑張ってるじゃないか」


 「だって、私は吹き飛ばしたりとかエイリアンの位置とか分からないから……」


 私は、銃に頼るしかない。銃とか手榴弾とか動きとか予想とか。超能力があれば、私だってもっと先輩のために動けるのかな。


 「嬉しいよ。君がそんなに頑張ってくれて、私は、嬉しい」


 テーブルの向こうで先輩が微笑う。尖らせていた私の唇がだらしなくなったのが分かった。その顔はちょっとズルい。


 「それで、嫌いなものがどうかしたの?」


 「いやね。君と暮らし始めてそれなりに経ったわけじゃないか」


 「うん。そうだね」


 シチューを一口。鶏肉がジューシー……。美味しい。ちなみに私はシチューもご飯で食べます。美味しい。


 「その……なんというかね」


 歯切れが悪い先輩だ。もぐもぐ。髪をイジってる時は大体、照れてたり、心配事があったりだ。もぐもぐ。


 「私は、君が嫌なことをしてないかなって思って……」


 「私、居候なんだよ? 先輩」


 「いや、そうは言ってもね……」

 

 ゴニョゴニョとはっきりしない。なんかちょっとムカつく。


 「……あ、一つあった」


 なので一つイジワルしてやろう。


 「な、何?! 何何?! 直す! 私絶対に直すから!!」


 予想通りに食い付いてきた。食いつき方がすごい。ぐいっとくる。しかも顔がすごい。悲壮感っていうかちょっと扱い間違えたら自殺しかねない感じ。正直、ビビった。


 「私を気にし過ぎるとこ」


 「でも、それは……私は、君がいないと駄目なの……」


 あ、困った顔可愛い……顔が良いとどんな顔してもいいよね……。そういう場合じゃなかった。


 「私がいない頃は、どうしてたの?」


 「勉強は、得意だったから……」


 「ずっと勉強してたの……?」

 

 嘘でしょ……? 勉強だけの青春……? 駄目じゃん。タピオカ抜きのタピオカじゃん。


 「私、見た目だけは良くて、なんか孤高の存在みたいに扱われてたのよ。だから、クラスメイトと打ち解けられなくて……」


 「そんな漫画みたいな人、存在するんだ……」


 「だけど、君は違ったから……私は、そんな君を、君が居ないと……」


 ――落ち着いて私。今、そういう時じゃない。深呼吸。深呼吸するの。落ち着いて。興奮したら駄目。

 

 「……? どうかした? 具合でも悪い?」

 

 「え。あ、全然! 大丈夫大丈夫」

 

 笑って見せて、私は誤魔化した。大丈夫かな? 先輩はたまにメンタル弱々になるけど、基本私より強いからこういう下手くそな演技は見抜かれてしまいそう。私は、単純に図太くでしつこいだけ。

 

 「まあ、そっか。なら私が最初の友達なわけか……」

 

 それはそれでめちゃくちゃ嬉しい。最初ってのはなんでもドキワクで嬉しいものだと思う。


 「友達なんかよりずっとずっと上だよ?」

 

 「……ああ、もう! とりあえず、私は食べます! ほら、先輩も食べようよ! 冷めちゃう!」

 

 これだから先輩は……! 若干の怒りと嬉しさを鶏肉にぶつける。美味しい!!

 

 「え、え……?」

 

 困惑する先輩も可愛いなって、私はご飯を一口食べた。

 

 

 

 

 +++

 

 

 

 「…………っ」

 

 そこで目が覚めた。ぼうっとする。体が、全身が痛い。泣いちゃいそうだ。多分、泣いてる。視界がぼやぼやするのはそのせい。硬い。道端に私は転がっていた。どうしてこんな事になっているのか。私は困惑して。

 

 「そっか」

 

 と、思い出す。私、爆風に吹き飛ばされたんだ。体痛いけど、折れたりとか何か刺さったりはしてない。大きな怪我はない。多分、打ち身くらい。なら動けはするはず。

 

 「むう……」

 

 ふらふらする……。多分、今すごいしかめっ面だ。でも立ち上がれた。動ける。銃はどうだろ。ハンドガンは、行方不明。PDWは肩がけしてたから大丈夫。歪んでもない。壊れてもなさそう。撃てる。

 

 「なに、これ」

 

 それから、私は思わず絶句した。酷い様子。こんなにもあの爆発は大きかったのかと見た今、実感したんだ。一面炎の海。廃墟は、皆壊れて燃えていた。吹く風は、温かく、血の匂いが濃い。もしかして私以外、皆死んじゃったのかな?

 

 「そんなこと、あるわけ……」いい掛けた私の頭に「あ、後輩ちゃんは……!」あの子の顔が浮かんだ。

 

 忘れちゃいけない。確かめないと。私は、おぼつかない足に鞭を打って、引き摺りながら歩いていく。確かこっちの方だ。私は、真っ直ぐ進む。吹き飛ばされて来た方は、こっちのはずだ。

 瓦礫や死体を跨ぎ、エイリアンの影に怯えながら、私は進んで。

 

 「あっ!」

 

 見覚えのある後ろ姿を見つけた。後輩ちゃんだ。大きな瓦礫の中に横たわっている。無事だったんだ! 

 

 「今、助けるから……!!」

 

 駆け寄るのもやっとだった。足、いや、体は思うように動いてくれないから、もどかしく思いながらも走る。足を前に動かして、この短い距離を急いで縮めていく。早くここから逃げないと。そういう気持ちでいっぱいだったの。

 

 「大丈…………ぁ…………」

 

 私はもう、何も言えなかった。

 

 「ぁぁ、ぁぁあああ…………」

 

 慣れない。決して慣れることのないものが私の前にはあった。後輩ちゃんはもう、血を流すことはない。横たわった体のほとんどは焼け焦げていた。顔なんて、もう無い。

 私を庇ったからだ。でも、あのエイリアンが爆発するなら最初から……。

 

 「ぁぁぁぁぁぁああああああっっっっ!!!!」


 叫んでいた。膨れ上がる感情の出口は、一つしかなかった。私は、叫んで。

叫んで。叫んで。口の中に血の味が滲むくらいに喉を震わせた。

 長い時間をあの子と過ごしたわけではない。けれどあの子の好意は知っていた。私が向き合わなかった好意。私は、もう二度と答えられない。酷いことをしてしまった。だから耐えられず叫んだ。泣く権利はない。私には、無いんだ。


 「っ……!」


 けど、そんな中でも私の耳は聞き逃さなかった。体は、いつも通りに動く。痛みで少し鈍いかもしれない。だけど慣れ親しんだグリップを握って、抱え込むように持ったPDWを音の方に向けた。足音だった。今も明瞭に、私の耳に届いてる。

 誰か生き残っていた? 騒ぎを聞きつけたスラムの人間? 嫌だけど、エイリアン? 

 そうやって、私の中に浮かんだ可能性は、


 「嘘……」


 一瞬で消えてなくなった。あまりのことに指から力が抜けて、PDWを取り落としてしまいそうになる。握り直して、銃口を向け直し、私は叫んだ。

 

 「止まって!!」

 

 私の目の前。炎と瓦礫の間。煙が酷くて立ってなんていられないそこに、私の捜し物は現れていた。

 魔法使い。フードとコートに体を隠して、銀色の杖を持っている。私の見た画像の通りだ。

 なぜ、こんなタイミング……? 首を捻りそうになる。けどそんな場合じゃない。


 「魔法使い、で間違いないよね?」


 「そう呼ばれている」

 

 女の声で、魔法使いは頷いた。低くもなく高くもなく。ただ、なんとなく女の人だと思った。


 「なら……!」


 「望みがあるならば、叶えよう」


 「……本当に、叶えられるの?」


 「私はそういうものだ。だが一つだけだ。人類一人に一つ」


 一人に一つ……だけど、これで私の願いは叶う。先輩に会える。先輩とデートができる。先輩と喧嘩ができる。先輩と笑い会える。キスだって、唇にもどこにだって。先輩のシチューも食べられる。なんだってできる。どこにだって行ける――。


 「ぁっ……」 


 転がる後輩ちゃんが視界に入った。

 人を蘇らせることがこの魔法使いにはできる。

 もし今、先輩を取り戻して、私は、先輩と普通に笑えるだろうか。

 私は、彼女のことを切り捨てて生きていけるだろうか。


 「私の、願いは……」


 私は、私は、私は…………。


 「何を願う」


 魔法使いが私に訊く。黙ってて、黙って

てよ。今、考えているんだから。私の我儘を通す願い事を考えて、考えて。


 「あっ……」

 

 私は、気づいた。視界に入っていたそれに、気づいた。そうだ。そうすればいいんだ。あれがなければいい。無いだけじゃない。無かったことにすれば良い。


 「決まったか」

 

 「決まった」


 これこそが最も冴えた方法だと、私は自分を信じて。


 「私の願いは――――」



 

 +++


 


 何もかもが元に戻った。

 銀色の円盤は、消え失せて、もたらされた破壊も混乱も死も綺麗さっぱりと。

 誰もがごく普通に、円盤ない五年を過ごしてきてように振る舞う。いや、そうなんだろう。まるで、私だけ夢を見ていた気分。


 けれど、私は今も何かが欠けているのを感じている。何かが足りない。心に大きな穴ができてしまったかのようで。どこか空虚を感じてしまう。


 分からない。私は、何を失ったんだろうか。


 誰かといたはずの部屋。冷たいシーツには誰かの痕跡があった。衣装棚には誰かの生活痕が明確に残されていた。

 だけど、それが誰のものか思い出せない。

 大きな培養槽。誰かがここで眠っていた。誰かの命がここで保たれていた。何も思い出せない。

 

 日に日に、この違和感も消えつつある。私の生活もまた、世界と同じように元に戻りつつあった。五年の間、私がしてきた仕事。見慣れないのに見慣れた仕事。忙殺していると心の空白も溶けて消えてしまうようだった。忘れたくなくてもきっと、忘れてしまうだろう。

 眠りから覚めれば、夢は残らないから。

 あの全てをあの子は、私が忘れたくなかった誰かは、きっと、夢にしてしまったんだ。

 日々は続き、私は、ここを去った。違和感も空白も欠落も忘れた思い出も置き去りにして。



 

 

 

 

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起きて夢見る、邯鄲の君 来栖 @kururus994

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