後編 東雲大和の物語

「京ちゃん、おはよ!!」

親の敵の様に、小さな扉をにらみつけている京ちゃんに、手を振りながら近づいて行く。

「ああ、おはよ。ってなんでそんなテンション高いんだ?」

バカにするような、心配するような、どっちにもとれる表情で問いかけてくる。

「え~?? なんでもないよ~」

さっき固めた決意を、今伝える訳にはいかない。

だって、普通に頼んでも、絶対嫌だっ! って言うから。

「そっか……ほんと、お前は強いよな」

「・・・・・・??」

いつもの強気で、勝ち気な京ちゃんじゃない。

変身するための結晶を握る手が震えている。



どん どん どん どん どん どん————



「京ちゃん?」

自虐気味に痛々しい笑みを作ると京ちゃんが口を開く。弱々しい声音で。

「情けないよな。真実を知って、最初はマヨイモノ、許せねえって思ったんだ。絶対に倒してやるって。それと同時に恐怖もあったんだ。怖くないわけ、無いよな?」

京ちゃんが同調を求めてくる。

私は大きく頷き、

「うん。怖いよ、すっごく怖い」

殺意だけが、広い空間で、でも常に向けられている世界。

一瞬の判断が、死に直結する。

怖くないわけ、ない。

「だよな。でも、世界がかかっていることを知って、守りたいって思ったのも事実だ。怖いけど、世界を守れるならって。でも、本当に死にかけて……」

そこで京ちゃんの言葉が止まる。



どん どん どん どん どん どん—————



前回の闘い。

スカンク型のマヨイモノが放った攻撃が、京ちゃんを直撃した。

なんとか防御が間に合ったことで大事には繋がらなかった。

それでも、一歩間違っていれば。

「死んでいたんだ。それで心に身につけたメッキは簡単にはがれたよ」

なにが言いたいのか、なんとなくわかる。

そして、それは絶対に言わせてはならないんだということも。

「京ちゃん、それ以上は……」

言ったらダメだ。そう言おうとして、京ちゃんの視線に封じられる。



どん どん どん どん どん どん————



「世界なんてどうでもいい。自分さえ生きてれば。あの戦闘以来、そんな感情が俺の心を占めた。怖い。死にたくない。……例え世界が滅んだとしても、こんな思いをするくらいなら。なんで俺が命をかけなきゃいけない? 俺が、何をしたってんだよ!!」

語気を荒らげ、心の叫びの強さを、音にして表す。



どん どん どん どん どん どん————



「京ちゃん……」

慰めの言葉が見つからない。

いや、慰められない。だって自分も、そう思ったことがあったから。

結局人って、自分中心なんだ。自分が怖い思いをするくらいなら、世界なんて滅びればいいって。そう思うのが、たぶん普通だ。

「それでも……私達は、選ばれた英雄なんだよ。この世界を守る、義務がある」

「知らない。あんな怖い思いしたくない。……世界なんて、どうなってもいいんだ」

「そんなの、許されないよ。例え命をなげうってでも、世界を守らないといけないんだ」

「どうせ世界は、いずれ死ぬのに……か?」



どん どん どん どん どん どん————



ふっと言葉に込められた力が弱まる。

「な、どう……いうこと??」

「こんな閉鎖された空間で、敵は無限にわき出てくる。こっちは守ることしか出来なくて、その上闘えるのは選ばれた新世代だけ。数は有限だ。放っておいても世界は死に向かう。そんな世界、守る必要あるのかよ?!」

こんなとこで言い合ってる場合でも、言いあう事に、意味が無いことも分かっている。

でも、京ちゃんの真っ直ぐな言葉からは、なぜか逃げる事ができなかった。

「なあ、大和。知ってたか??」

突然声音が優しくなる。

「な、にを……?」

「その腕の怪我、全く塞がらないだろう?」

京ちゃんが私の右腕の、肘辺りを指さす。

初めての戦闘で、マヨイモノの表皮にかすり、擦り傷になっている所だ。

「うん……」

あれから二ヶ月近く経つが、傷は今も赤く煌々としている。

「それな、一生治らないぜ」

「え?」

治らない? こんななんてこと無いかすり傷が??

「マヨイモノに受けたダメージは、体に永遠と刻み込まれる。人間の力では治癒できない」

「そんなこと!」

「あるわけ無い、とは言えないよな。俺も、ずっと気になってたんだ。最初の戦闘で受けた傷が、全く塞がっていないこと。火傷とは言え、軽度なモノにもかかわらず、熱がとれないこと。どれも普通なら二週間もあれば治る。でも、この傷は全く治らない。それで、先生に聞いてみたんだよ」




スカンク型のマヨイモノと戦闘をした翌日の放課後。教材を重そうに運んでいた先生を呼び止める。

先生は、何かを察して、指導室に来るよう促した。


「なあ、先生。この傷、この間の戦闘で出来たんだけど、全然治らなくって……って先生? どしたん?」

険しい顔で、俺の傷を見つめている先生。

「この傷は、どうやって出来たんですか?」

温度のない、冷たい声が俺に向けられた。

不穏な空気を察し、少し空元気を回して答える。

「あいつの表皮がちょっとかすっちゃって。でも、ただのかすり傷だろ? それが塞がりもしないなんてさ、おかしいよな」

しかし、そんな工夫もむなしく、先生は大きなため息を吐くと視線を床へと落とす。

「せん……せい??」

「神巫さん。落着いて聞いてくださいね。……その傷は、二度と塞がりません」

肩を抱かれ、さっきとは一転、穏やかで、その声には温もりが混ざっていた。

「ふさ……がらない? なにを言ってんのさ、ただのかすり傷だぜ?」

うす暗い指導室の中で、不気味な寒気がし、体が小刻みに震えだした。

「……マヨイモノとの戦闘で受けた傷は、人間自身が直すことは出来ない。神様の力によってしか、治すことは出来ないの」

「そ、そんな!! じゃ、じゃあ! 治してくれってお願いすれば」

「無理よ。結界の中が、戦闘によって破壊されても、次の戦闘時には元通りになっていることは、分かっていますよね?」

「あ、ああ。でも、それとこれは!!」

「神様の理なのです。結界が破られれば治す。海が穢されれば清める。山が荒らされれば直す。だが、人間の損傷は治さない。ずっと、古くは多々良様の時代から続く理なのです」

「そんな……なんで!!」

そう叫んで詰め寄る俺を、視線で御す。

また、冷酷な表情が垣間見える。

「それが、神様の道理なのですよ」


先生は、同じ内容の言葉を繰り返す。

「ただし、神様は、治癒を行わないかわりに、『反力』と呼ばれる力を英雄たちに与えました」

「はんりょく……?」

「ええ。攻撃を受ければ受けるほど、傷を負えば負うほど、体内に宿る新世代因子が強固となる。そして、圧倒的な力を手に入れる事ができるのです」

「意味が、わからない」

傷は治さないけど、強くはしてやる?

傷は治癒されないけど、力は授ける?

「そんなのって……」

英雄

新世代

多々良

反力

マヨイモノ

・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・

そんな単語だけが、頭の中をグルグルと駆け回る。

「そして『新』は、その『反力』に着目し、身体能力を引き上げるだけでなく、それに応じた装備の顕現を・・・・」

・・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・・・

先生が一生懸命話しているが、それは意味をなさないノイズにしかならない。

こんなことを隠していた『新』も。

わかっていて、なお闘わせようとする先生も。

英雄という役割に持っていた誇りが、熱が、ろうそくの火の様に、簡単に吹き消された。



もう、嫌だ。



「だから、もう……闘いたくない」

あまりの事実に、頭がついていかない。

神? 理? 『反力』?

「何をいってるの、かな? 私、バカだから、よく、よく……わかんないよ!!」

この場から、逃げてしまいたい気持ちになる。

漠然と感じていた恐怖が、ハッキリと形をなしたようで。

でも、脚が動かない。

そんな話を聞かされた直後だというのに、

心はもう、背を向けて逃げ出したいと、声高に主張しているのに。

なのに、体は意に反し、地上へと向かう小さな扉に向いている。

なお恐怖よりも、世界を守りたいという心が勝ったのだろうか……

自分でも、よく分からない。

それでも一つ言えるのは、雪ちゃんを守るためには、3人でコスプレ写真を撮るためには、闘わないといけないという事だけ。

そんな私の様子を見ていた京ちゃんは、自嘲気味に笑うと、

「ほんとに、なんでお前はそんなに強いんだろうな……俺だって、立ち直るのに少し時間かかったってのに」

「うん。って、え?!」

「な、なんで驚く??」

「え、だって、すっごいセンチメンタルな感じだったから、今から慰めたりしないといけないのかな……って」

「うん、なんでちょっと面倒くさそうなの?」

納得いかない、と口を尖らせる京。

「そりゃ、完全に立ち直った訳じゃ無いし、なんかモヤモヤしてる所はいっぱいあるよ。でも……昨日誕生日会をして、思ったんだ。別に、世界なんか守らなくてもいい。……こいつらさえ、守れれば……って。そしたら、なんか怖いとか、どっか飛んでった!」

そういってはにかむ京ちゃんの笑顔には、迷いや恐怖の感情は、一切見て取れなかった。

「でもさ、いざ闘いが始まるってなったら、やっぱりちょっと怖くって。それで、少し弱音吐いちまった」

「そうだったんだ」

初めてかも知れない。京ちゃんが弱音を吐いているのを聞いたのは。

京ちゃんは、なんだかんだ言いながら、ひょうひょうと何でもこなしちゃうから。

「ごめん、大和。闘いの前に、余計なこと言って。でも、これでもう迷ったりしない!」

真っ直ぐに、暗く、小さい本殿の中で胸をはる。

「やっぱり京ちゃんは、格好いいよ」

「な、いきなりなんだよ……それより、大丈夫か??」

神妙そうな顔になって、私の顔をのぞき込む京ちゃん。

「大丈夫って、何が??」

「何がって……」

さっと京ちゃんの顔が曇ったのが分かる。

いじわる、しちゃったかな?

大丈夫じゃ無い。

闘いたくない。

怖い。

逃げたい。

のどまで出かかった弱気を、つばと一緒に飲み下す。

「大丈夫だよ。だって、怪我しなきゃ、良いんでしょ?」

笑顔と一緒に強気な言葉で心を奮い立たせる。

どのみち、やられる訳にはいかないんだ。

「ていうか、京ちゃんがあんなこと言うとは、驚きだな~」

すると、京ちゃんは、ボッと顔を赤くして、

「う、うるさい!! 忘れろよ!!」

テンプレな反応を返してくる。

「こいつらさえ、守れれば……って」

「お前、マジで覚えとけよ??」

「いや、ほんとごめんなさい。調子のりました。ほんとすんません」

「とにかく、そう思ったもんは、思ったんだよ。文句あっか!」

「ううん。嬉しかったよ。これからも、よろしくね」

そっと、背中を向けている京ちゃんに抱きつく。

「や、やめろ! うっとうしい!!」

「とかいいつつ、全然引き剥がそうとしないんだから~」

「う、うっさい!」

「ごめんって~……さあ、そろそろ、行こっか」

なんだかんだで、ここに来てから結構な時間が経ってしまっている。

マヨイモノの進撃も始まっているかもしれない。

「ああ」

京ちゃんの短い返事が聞こえる。

右手に持った結晶に、闘う意志を込める。

瞬間、先ほどの様に、世界が眩く光り、平衡感覚が失われる。

光がおさまり、目を開けると、そこはもう四度目、見慣れた景色が広がっている。

「本当は何度も見てる景色だってんだから、驚きだよな」

横には、真っ赤な西洋式の鎧に身を包んだ京ちゃんの姿がある。

「うん。ここが、オリジナルの神村街なんだよね」

木々が生い茂り、所々は絶壁に。

険しい山々と、穏やかで壮大な海とのコントラストに心が揺さぶられる。

生まれ故郷ながら、なんて美しい風景だろうか。

「化けものに、壊させてたまるか!」

「いや、わりと毎回ぶっ壊されてねえ?」

「そこは空気読んでよ、京ちゃん」

「え?」

ほんとに、この人は……

神様が毎回治癒してくれているというのには、薄々気づいていた。

だって、毎度毎度抉られたはずの木や、削られた崖が、次の戦闘にはまるで差し替えられた様に、綺麗さっぱりしているのだから。

あれだけの戦闘の痕跡を、「なかったこと」にするなんて、さすがに人間の力とは、思えない。

その代償が私達の治療だとは思わなかったけど……

とにかく、闘うしかないんだ。

一度目を瞑り、弱い私を心の外に追い出す。

ふっーっと息を吐き、崖下、小さく見える、黒い鳥居を見据える。

必ず、生きる。




黒い鳥居の下、海を見通していた空間に突如大きな波紋がうまれる。

いつもの通り、殺意を宿した化けものが、黒い瘴気を伴って現れ……

「出てこないな」

困惑したような声を隣であげている京ちゃん。

いつもなら波紋が生じてすぐにマヨイモノは姿を現す。

しかし、今回は、もう数分が経過していた。

最大に張り詰めていた緊張が、少し綻ぶ。

「どうしたんだろうね~結界やぶってる最中に疲れて寝ちゃったとか?」

「だとしたら、助かるんだけどな」

軽いジョークを飛ばしつつ、もう一度集中を整える。

真っ白に輝く太陽が、容赦なく気力と体力を奪っていく。

「夏って休みがいっぱいあって、海に入れて山に登れて、たくさん皆と遊べるから、大好きだったんだけど、本当はこんなに過ごしづらい季節なんだね」

「ああ、そうだな」

二人同時に右手の平で、おでこの汗を拭う。

『新』と、神様によって、全てコントロールされた世界。

そこは、行き場を無くした人類を、押し込めた箱庭のようなもので。

ただただ、終わりに向かう、仮初めの世界。

だからといって、そう易々と壊させる訳にはいかない。

だって……

横を見ると、京ちゃんは、ただ大きく波打つ景色を必死の形相で眺めている。

「京ちゃん、頑張ろうね」

「なんだ? いきなり」

「ううん。何でも無いよ」

「なんだよ、気持ち悪いなぁ」

「眉間にしわ寄せてると、可愛い顔が台無しだよ」

「うるさい! しゅ、集中しろ!!」

「は~い。あっ、きた!!」

「?!」


鳥居の下の、空間に発生した大きな丸い波紋から、黒い瘴気が流れ出てくる。

そして——

ガンッ、という地響きが発生し、鳥居が右に傾いた。

結界の役割を果たしているはずの鳥居が……

瘴気の中からは、鋭い鎌のような物体が見える。

それも体の一部のようだけど、私達の体よりも遙かに大きい。

「今までのとは、桁違いに大きそうだぜ」

なおも、ガンッ、ガンッ、という音が響く。

体長よりも、波紋の方が、いや鳥居の方が小さいのだろう。

「鳥居ごと結界を破壊するつもり?!」

鎌のような体が、不規則に暴れ回り鳥居に激突する。

その度に鳥居は大きく削れ、傾いていく。

「ど、どうする?」

「どうするも、全体が見えてないのに近づくのは危険なんじゃ」

「でも! このままじゃ結界が!」

迷っている暇はない。でも、なにかを決めるにしては、材料が少なすぎる……

どうしよう。

どうすれば。

「な、なんだ?」

どうするべきか決められず悩んでいると、その鎌のような何かがピタッと動きを止め、すっと結界、鳥居の外へと下がっていく。

「どうしたんだ?」

「諦めたのかな?」

強固で狭い結界にさすがの化けものも疲れてしまったのだろうか。

「でもよ、熊やライオンはすんなり通ってきた。で、今回のでかいのは入ってこられない。いったいどうなってんだ?」

小首を傾げて疑問を口にする。

「あの鳥居をくぐれるレベルのマヨイモノなら、英雄で迎撃出来るから、神様も結界は手抜きしてるのかも~?」

実際、死と隣り合わせという恐怖はあるが、マヨイモノとの戦闘自体はそれほど厳しいことではなかった。

ならば、あの程度のマヨイモノは、敢えて結界の中に侵入させ、私達に始末させた方が、常時結界を張り巡らせておくよりもずっと楽かもしれない。

そして、もしその基準が、あの鳥居をくぐれるか、くぐれないか、だとしたら……

そう考えると、本殿側の鳥居と比べて、小さい理由が説明できる。

でも、だとしたら……

「きょうちゃ……」

「やま……」

同時に同じ予想にたどり着き、互い顔を合わせようとしたその時だった。

音もなく鳥居が、私達の方へと倒れ込んでくる。

思いっきり後ろへ跳躍する。

派手な映画のように、ゆっくりと、ゆっくりと鳥居が倒れていく。

その瞬間、ズドンッッッッという地鳴りと、とてつもなく大きななにか、が私の眼前を通り過ぎていった

突風を感じ、さらに後ろへと加速する。

あまりの暴風に目も開けていられない。

「一体何が……うっ!」

突風によって、バランスを崩し、そのまま木々の中へと突っ込んでしまう。

幸い、寄り集まっていた葉っぱがクッションとなって、怪我はない。

何があったのかを確認しようと、上に跳躍する。

「・・・・・・・・なっ」

『それ』は、体長がゆうに百メートルは超えているだろうか。

東郷神社の鳥居と比べても、大差はない。


「大和!! 無事かー?!」

すぐ近くで呼び声がする。

「京ちゃーん!! たぶん、近くに居るよ!!」

すると、すぐ後ろの木々から京ちゃんが飛び出てきた。

「よかった……無事で」

「うん、京ちゃんも」

「あれって、鯨・・だよな」

「うん。でも、あんなサイズ聞いたことない」

世界最大といわれるシロナガスクジラですら、四十メートルは超えないらしいけど。

あんな巨大な鯨……

尾びれや背びれは鎌のように先端が鋭く、見るからに鋭利になっている。

「さっき見えてたのは、胸びれだったのか」

そこだけでも私達よりも何倍も大きい。

「こんなの、どうやって倒せば」

圧倒的なスケール感。

質量差は絶対的だ。

「くっ、ひるんでてもしかたねえ! 動きは緩慢なはず。連撃で一気に弱らせる」

そう言うと京ちゃんは、地面を思いっきり蹴り上げ、その巨体に突っ込む。

空中で横に回転しながら、早業を繰り出すが。

しかし、全く効き目はなさそうだ。

「ハァ、だめだ。表、面は削れても、ハァ……全然、深く届かない」

やっぱり……

一通り攻撃を加えて、私の横に降りてくる。

息は上がりきっていて、相当な体力の消耗が見て取れた。

なぜか空中で静止している鯨型のマヨイモノ。

今のうちに、攻略法を考えなきゃ……

「とにかく、いろんな攻撃を加えてみよう!」

二人で散開すると、私は頭部から、京ちゃんは尾びれ部分から上に乗り込み、攻撃を開始する。

「うりゃあぁあああぁあ!!」

京ちゃんが斧を突き刺し、背骨にそって体を開こうとする。しかし、一切の反応をしめさない。

私は、ひたすら刀を差し込む。

万に一つ、その一撃が中枢に響けば、勝ちなのだが……

「あさい……」

刀身全てを差し込んでも、ダメージをくらっているようには見えない。

「くっそ、どこをやれば……」

テンプレ通りなら目を突きにいく所だが、そこに向おうとすると、胸びれで邪魔されてしまう。

鋭いヒレと、この体格差。

被撃は、死を意味する。


いちど、マヨイモノから降りて京ちゃんと合流する。

「全く通じないぞ」

「うん。これは……」

ただの疲労だけではなく、何をしても無駄……そんな徒労感が、精神をもむしばんでいく。

追い打ちをかけるように、今まで静観をとってきたマヨイモノが、行動を開始した。

「やばい……こっちにくるぞ!」

「・・・・!!」

百メートルを超える巨体が、ただ、私を殺すためだけに迫ってくる。

まだ距離は遠い。逃げられる位置なのに。

視界が真っ黒に覆われる。

脚が言うことを聞かない。

「大和!!」

射程圏に入る直前、体がふっと浮き上がり、空に出たのが分かった。

その数秒後、マヨイモノが、私のいた場所を、土塊へと変化させる。

一瞬にして、緑の木々が乱立する生の場所が、地獄へと変貌した。

そして、地震を感じ、地上に戻っていたことに気づく。

「おい大和、しっかりしろ!!」

「ごめんね。ありがと」

京ちゃんが私を抱きかかえて、逃がしてくれたのだ。

一人だったら、今頃あの土塊のなかで、跡形もなくなっていただろう。

「大和、デカいからって何か特別な訳じゃ無いんだ。ただ、デカい。それだけだよ。速さはいつものマヨイモノと比べても遅いし攻撃も突進くらいしか無いはず。落着いてやれば、勝てるよ」

京ちゃんは諭すように優しく語りかけるが、

「うん……」

その言葉は、私の頭を素通りしていった。

デカいだけ。

ただ、それだけが、今までに無い恐怖を運んでくる。

自分の力では、もはやどうすることも出来ない。

攻撃は全く通じず、一撃を食らえばゲームオーバーだ。

そんなの、ムリゲーじゃん。

倒せっこない。

「ダメだよ……京ちゃん、こんなの、勝てっこない。もう、終わりなんだ」

「何言ってんだよ。俺らが終わっちまったら、この世界は、雪はどうなる? さっき言ったじゃねえか! 守りたいって!!」

「でも、あれに、どうしろって言うの??」

一度でてしまった弱音は、自分の意志に反してどんどんと溢れ出る。

私が持っていたのは、勇気でも何でも無かった。

本当に勝てない相手、死に直面したとき、逃げる事すら出来ないのが、私の本性なんだ。

「もう、無理だよ……」

「・・・・!!」

私をにらみつけ、何かを言おうとするが、マヨイモノの突撃に邪魔をされる。

またも動けなかった私を、京ちゃんは抱えてくれている。

「とにかく、止まってたらダメだ! 逃げるぞ!!」

大きな体を強引に回転させ、私達を執拗に追い回す。

突進により、地面はえぐれ、強引な回転は、木々をなぎ倒す。

初めて見たとき、荘厳で、優雅に感じた『本物』の世界が、化けものによって崩壊していく。

京ちゃんの肩越しに、壊れていく世界を眺める。

ああ……終わるんだな、この世界も。私達の世界も。


そう思った瞬間、ズキッという痛みが頭に生じた。


それは、マヨイモノが木々を払い、土塊を積み上げる度に生じた。

なに、これ……なんなの……!!

必死に頭を抑え、痛みに耐えようとする。

しかし、その痛みは、徐々に大きくなっていく。

それと同時に、

「ゆ、きちゃ、ん……??」

透けるような、今にも消えてしまいそうな雪ちゃんが視界に映る。

そんな!! ここに、居るはずがないのに。なんで……

「雪ちゃん!! ゆきちゃん!!!」

痛みが増すのに比例するように、目の前の雪ちゃんは、はっきりと、くっきりと像を結んでいく。

雪ちゃんが、何かをつぶやく。


そして、マヨイモノが、あるところを土塊へと変えた瞬間、目の前にいたはずの雪ちゃんが姿を消した。

「あそこは————」

強く、強く下唇を噛む。

血が京ちゃんの鎧に垂れてしまう。

私が困ったとき、いつも雪ちゃんは助けてくれる。

くじけそうな時、雪ちゃんはくじけても良いんだって言ってくれる。

無理をするなって。

私が力になる、って。

ありがとう。雪ちゃん。


京ちゃんは、いつも私を守ってくれる。

どんなときも、私の傍に居て、虚勢をはって。

ぎゅっと私を抱いている腕は小刻みに震えていた。

「ごめん。ありがとね、京ちゃん」

「ああ? なんだって?」

勇気なんて要らない。

支えてくれる親友がいて、

心が折れても、一緒に立ち上がろうとしてくれる親友がいる。

闘うために、他に何が必要だった??

勇気なんて要らない。

恐怖だって、持っていればいい。

とにかく、闘わなきゃ。




十分に距離をとり、マヨイモノの出現地点へと戻ってくる。

倒されてしまった鳥居の残骸が散らばっていた。

東郷神社の方を見ると、そこには変わり果てた世界があった。

唯一無傷なのは、仮初めの世界へと通じる通路と結界、そして大鳥居のみ。

鮮やかな緑の木々も、人を寄せ付けない神秘的な山々も、みな平等に破壊されていた。

「あいつが俺らになんか構わずに、東郷神社を壊しに来てたら、やばかったよな」

「うん。絶対に止められなかった」

人を殺すことと、東郷神社の破壊——それが謎多きマヨイモノという生物の行動目的。

でも、こいつは不自然なくらいに私達に執着してる……

「まあ、おかげで助かってんだからな」

京ちゃんが自分に、言い聞かせるようにいう。

「そうだね。とにかくこいつが目的を変える前に、なんとか倒さないと」

私達が効果的な一手を打てない以上、いつ狙いを東郷神社に移すかは分からない。

「といっても……」

会話に一瞬気をとられていた私達は、そいつの不自然な行動を見逃してしまっていた。

「おい?! マヨイモノは!!?」

京ちゃんが先に気づく。

思考を中断し、視線をさまよわせ、今までとは段違いの高度へと飛び上がっていた事に気づく。

幸い距離はつめられていない。

「まだ体全体は見えてる。何をしてきても大丈夫だよ」

京ちゃんが言葉とは裏腹に、緊張のこもった声音で言う。

「なにを……」

その瞬間、マヨイモノは、重力に引き込まれるように地面へと猛スピードで落下した。

想像もつかない質量をもった巨体が地面に激突し、視界が上下に歪む。

立っている事ができず、危険と分かっていながらもその場にしゃがみ込む。

揺れる視界のなか、ポルターガイストがおきたように飛び上がる岩や、木や、砂や……

「マヨイモノは?!」

それらおびただしい数の飛沫によってマヨイモノの姿が見えなくなる。

すると土塊のカーテンの内側に、それらが集まっていくのが見えた。

京ちゃんと顔を見合わせ、困惑する。

「なにが、起こるんだ?」

「マヨイモノが空気を、ため込んでる……?」

もしかして!!

「京ちゃん、横に!! 全力で飛んで!!」

言い終わったかどうか、というタイミングで、世界を振るわす、甲高い咆哮が放たれた。

感じた事もない風圧が体を吹き飛ばす。

私達に向けて放たれた『それ』は、一瞬で世界を塗り替える。

「うぐっ」

受け身もとれず、地面に思いっきり体を打ち付ける。

 かすむ視界に映ったのは——

「地獄……?」

さっきまで私達が居たところ、がどこだか分からない。

子供が押し倒した、おもちゃ箱の様に、辺りは秩序を失っていた。

それでも、結界を示すしめ縄は、ちぎれも、揺らぎもせず、変わらずそこにある。

その様子がなんだか滑稽で、思わず笑ってしまう。

「な、なにこれ……」

おそらくは、地面への体当たりで舞い上がらせた土砂や岩、大木を、その桁外れの肺活量で方向付けし、押し出したのだと思う。

それと似た「竜巻」なるものを神話で聞いたことがある。

「そうだ!! 京ちゃんは?!」

「おう、なんとか逃れたよ。お前の声のおかげでな」

「京ちゃん……よかったぁ~」

京ちゃんも私と同じで受け身に失敗したのだろうか、右半身が酷く汚れ、脚も引きずっている。

「さすがに直撃してたらやばかったけど、なんとかなるもんだな」

口を開け、豪快に笑う京ちゃん。

なんだか、そんな京ちゃんを怖く感じてしまう。

「いよいよじり貧だな。ほんとに危なくなってきた」

言葉は絶望的なものなのに、京ちゃんからは、そんな雰囲気は一切感じない。

「ふう……」

大きくため息を吐き、笑う。

それを見て、ひどく心がざわついた。

「ねえ、京ちゃん、何をする気なの? 危ない事じゃ、ないよね?」

目を真っ直ぐに捉えて、問いかけるとふいっと視線を逸らす。

「京ちゃん!! ダメだよ!! 京ちゃんがいなくなったら」

そこで京ちゃんは遮るように、

「仕方ないじゃん? どう考えても、犠牲無しにあいつを倒すのは無理だ。今の戦力じゃ、傷一つ負わせられない」

「で、でも!」

言葉を遮り、強く私の両肩を掴む。

「だから、『反力』ってやつに賭けようと思う。鬼が出るか、蛇がでるかわかんないけどさ、このまま手をこまねいてたら、俺たちも、雪も、世界も死んじまう」

ものすごい突風が私達を襲う。

また、あのマヨイモノが、大きく飛び上がっていた。

また、あの攻撃が、来る……!!

「少なくとも、『新』が切り札って言ったんだ。すがるには……これしかないだろ?」

「で、でも!」

「もう、選択肢はないんだ。大丈夫、無理はしないって」

そう言って、見たことのない、笑顔を浮かべる。

「京ちゃん……」

「大和は万が一に備えて遠くに離れててくれ」

瞳には強い光がともっている。

いやだ、そんなの……

止めたい。でも、京ちゃんが言うとおり、雪ちゃんを、世界を守るには、それしかない。

でも!! 世界なんて、どうでもいい!! 京ちゃんを失う方が、よっぽど!!

のどまで出かかった言葉を、強引に飲み下す。

その言葉を言ってしまえば、京ちゃんの決死の覚悟すらも、冒涜することになるから。

ここは、信じるしか

「わかったよ……無理は、しないでね」

こんな言葉しかかけられない。

それでも、京ちゃんは、さっきとは違う、本当の笑顔を向けてくれる。

その言葉を交わし、京ちゃんから離れようと地面を蹴った直後、音の爆弾が破裂し、

世界を一変させた。




砂煙が収まり、次第に視界が開けていく。

二度目の、私達にはどうすることも出来ない脅威。

もはや勝つ事を信じている自分など、どこにもいなかった。

京ちゃんが怖がって、逃げてくれていれば……

直撃さえしていなければ……

そんな思いばかりが心を占めている。

マヨイモノは、疲れたのだろうか、地面に着陸すると、ぴくりとも動かない。

……力を使い果たして、死んでくれていれば。

そんな淡い願いを打ち消すように、



どん どん どん どん どん どん————



一定の破裂音が辺りにこだましている。

「きょう、ちゃん……京ちゃん!!」

マヨイモノが動かないうちに京ちゃんを見つけないと。

あれだけうっそうと生い茂っていた木々はその痕跡を一切残さず、周囲は見晴らしのいい平野となっている。

だからこそ、親友の姿を見つけるのには、数分とかかりはしなかった。

たとえそれが、どんな姿であっても。

「京ちゃん!! きょうちゃ……ん……」

京ちゃんは、私と別れたときに立っていた所と、寸分違わぬ位置に立っていた。

顔だけは守ろうとしたのだろう。

腕が交差され、かばうように覆われている。

あの一撃を受けた腕は、鎧ごとえぐれ、赤一色に染まっている。

脇腹の辺りは、鎧が裂けており、そこからは鈍く広がった傷口が見えた。

「京ちゃん……! 京ちゃん!!」

何度呼びかけても、返事はない。

そこにあった、かすかな望みも消える。



どん どん どん どん どん どん————



再び怪物が動き始める。

悲しむ時間など、くれる気は無いらしい。

もう、逃げる力も残ってない。

「京ちゃんの居ない世界なんて。もう——」

黒い化物が、真っ直ぐに向ってくる。

次第に視界は黒く染まり、髪が暴力的な突風に煽られてなびく。

目は、真っ直ぐに黒い化物を捉えている。

そらすことも、瞑ることも許されない。




これで、世界が終わる。

 

 

 

「なに、諦めてんだよ! 賭けは、成功みたいだぜ!」

「え?!」

もう、その声を聞くことは、永遠に無理だと思っていた。

私自身、生きることを、諦めた。

なのに、なのに!!

「どうして?!」

気づけば、辺り一面が、強烈な赤い光に照らされている。

目前まで来ていた化物も、この中にはいない。

「ていうか、京ちゃん、どこにいるの??」

声はするし、近くに気配もある。でも、肝心の姿がみえない。

そう言った矢先、その赤い光が、急速に一つの所へ収束していく。

外にはじかれた私は、その赤い光に目を奪われていた。

やがて、集まった光は、何かを、というか、京ちゃんを包み込む。

なにが起こっているの??

その光が、静かに消えていく。

そこには、傷だらけの京ちゃんが立っているはずだけど……

「!?!?!」

何度も、何度も目をこすり、頬を引っ張って夢ではないことを確認する。

だって、そこに立っている京ちゃんは、この闘いが始まる前の、可愛い、「傷一つない」姿だったから。

それと。

「なんか、装備えげつなくなってない?!」

「え、本当だ……。それに、なんだかさっきまで以上に、力を感じる」

鮮烈な赤の西洋鎧だったはずが、落着いた赤になり、それでも、厚みは数段増している。

相変わらず、兜はないようだけど。

なにより。

「でかい……これ、振れるのか?」

身長の倍近かった武器である斧は、形状はそのまま、大きさだけが、十倍程にもなっている。

「すっごい、重そうだけど……」

「うん。見た目だけはね。でも、ぜんぜん感じない。これなら——」

マヨイモノは、先の光を警戒し、大きく距離をとっていたようだ。

そのマヨイモノを、京ちゃんは強く睨み付ける。

「ねえ、京ちゃん、さっきの傷は痛くないの?」

今にも駆けだしてしまいそうな京ちゃんに、これだけは聞いておかないといけない。

「うん? ああ、全然痛くない。平気だよ。直撃は回避したし、それに、神様が治してくれたのかも……なんてな」

そう言われれば、顔の傷も無くなっている。

……よかった。やっぱり神様は、私たちを助けてくれる。

京ちゃんの、神妙な顔が一転、茶目っ気いっぱいの表情に変わった。

「いや、これも、俺の日々の筋トレの成果だな」

「そこまでして認めたくないんだね!!」

いっそ清々しい程に神様の存在を否定する京ちゃん。

それにしては、もう色々証拠がそろいすぎてるんだけど。

「じゃあ、行ってくるな」

また、声に緊張感が戻る。

「これなら、対等にやれるはずだ」

右手に持つ大きな斧を見上げて言う。

なにも出来ない、無力な自分が情けなくなる。

京ちゃんは、命を賭けて、皆を、私を守る力を手に入れた。

私は?? 怖くて、ただ逃げて。

無責任に、親友を見捨てて……

「大和、一つ仕事、頼めるか?」

「え?」

そう思い詰めていた私に、京ちゃんから、思いもしない提案が為される。




「はあぁぁああ!!」

地面を大きく蹴り上げ高く、高く跳躍し、一直線に、鯨の化物へと向っていく。

マヨイモノは私に気づくと、大きく旋回し、その鎌のような背びれで斬りかかってくる。

大きくて、鋭い切っ先ではあるが、動きは緩慢だ。

落着いて、身をよじり、かわす。

効き目のない一太刀を加え、その巨体をバネに、今度は、地上へと戻る。

同じ事を、何度も何度も繰り返していく。


そして——

マヨイモノとは、生物である。しかも、相当な知能をもった。だから、感情だって、もちろんある。


例えばハエにブンブンたかられた時、人間が抱く感情とは何だろうか。

答えは一つ。イラつき。

イラつけばイラつくほど、それはもう、ハエの術中だ。

狭まった視野ならば、簡単に外せるから。


bぴぎゃあああ!! そんな、この世のものとは思えない声を聞いたのは、こんな攻撃を数十回ほど加えた後だっただろうか。

とうとう、マヨイモノが私めがけて突進を開始する。

「こっちだよ!! ほ~らほら!」

普通に逃げていれば、やられる事は絶対無い。

でも、それじゃあダメなんだ。

たまにスピードを落としては、マヨイモノとの距離を縮め、縮めては離し、離しては縮めてを繰り返しながら、平野と化してしまった、オリジナルの神村街を駆け回る。

「京ちゃん、どこに隠れてんのよ! もう!!」




「大和、一つ仕事、頼めるか?」

「え?」

京ちゃんが優しく微笑んで頼み事をするときは、決まって良いことではない。

でも、今はそれでも良い。とにかく、役に立てるなら!

「うん、なんでも言って」

「大和……」

それを聞いた京ちゃんは、泣きそうに、笑いながら、こんなことを言う。

「おとり、やってくれ」

「嫌だよ?! またそれー?!!」

前言撤回。さすがにそれは嫌だよ。ていうか、その役回り多くない?

「なんでも言って。っていったじゃんかよ!」

「言って、とは言ったけど、やるとは言ってないもん!!」

それを聞いて、かあぁと顔を赤らめながら怒り出す京ちゃん。

「ばか! 屁理屈言ってる場合じゃないだろ!!」

「嫌なものは嫌なの!! あんなの相手におとりなんて、絶対、嫌だ!!」

「ああ!! ふざけんな!! ほんとは俺がやりたいけど、こんなの持って、おとりなんか出来ないだろ?!」

京ちゃんは、あまりにも大きくなりすぎた武器を睨んで叫ぶ。

「じゃあ、私がその武器持つよ」

「え、持てるのか? お前が?」

心底驚いたようで、語順がばらばらになる。

「バカにしすぎじゃない? 私だって英雄なんだから……って、おっもーい!!」

その斧を受け取るが……倒さないように抱えるので精一杯だ。

悔しいけど、持ち上げて振るなんて、とんでもない。

京ちゃんが倒れそうになる私を支え、片手で斧を持つ。

「俺は反力で筋力も強化されてるから使えるけど……これで、納得か??」

「嫌だ。嫌だ……けど、やるしかないんだよね」

「ああ。頼む。もう、それしか」

京ちゃんが、頭を下げて頼み込んでいる。

「そこまでされちゃあ、しょうがないなぁ……って、もとから断る気なんて無かったけど」

なんだか、このやりとりが懐かしいような。

「は、はあぁ~?? ふっざけんなよ?!」

「その反応が面白くって、つい」

「つい、じゃねえ! ふざけてる時間ないんだよ!!」

「ごめんって! でも、なんだか負ける気しなくって……」

だって、

「だって、京ちゃんが命を賭けて手にした力だよ?? それが、あんなのに負けるはずがない!! 絶対勝てるから!!」

「と、突然シリアスになるな……分かった分かった。大丈夫だよ。絶対に倒せる。俺たちは、負けない」

「うん」

「とりあえず、おれはこいつが隠せる所に居る。ひとまず大和は、あいつをむちゃくちゃ挑発して注意を引きつけてくれ!!」

「え、挑発するの……?」

なんだかハードル上がってない?

「機が熟したら、俺が居るところまで誘導してきてくれ! そこで一気に叩く!」

早口にそれだけ言って、颯爽と飛び出していってしまう。

「はあ。おとりか……っていうか、どこに隠れるつもりなの?! それに、どうやって挑発すればいいの?!」

肝心な所で抜けている、京ちゃんらしいと言えばそれまでだが、これは命に関わる。

「どうしよう、どうしよう。あっ!!」

悩んでいる間に、マヨイモノが休息を終え、動きを見せ始めた。

「まずい。ええい、とにかく気を引くんだ!!」

さきに京ちゃんが見つかることだけは避けないと!




「まあ、隠れると言っても、もう場所は限られるよね」

後ろに猛烈な殺気を感じながら、なんとか頭を動かす。

平野になってしまった山々。

なぎ倒され、見る影もない森林。

荒々しく打ち付ける波と断崖。

そして、滑稽な程に戦闘開始前から変わらない、大鳥居と周辺の景色。

「あそこしか、ないよね」

 簡単にあたりをつけ、その場へと全速で向う。

そして、大鳥居の真下で止まる。

今度は、マヨイモノと正面から向き合わないといけない。

 手に汗がじわっと広がる。

「もう少し。まだ、まだ、まだ、まだ。……ここだ!!」

マヨイモノとの衝突直前。

大きく後ろに飛んでそれを回避する。

大鳥居の下をくぐったところで、マヨイモノは旋回を開始し、自身の胸びれで、やっと捉えた、とばかりに渾身の一撃を私に放つ。

旋回に伴って、辺りの枝や石が舞い上がり、私の身を削る。

傷が増える。しかし、その度に、力が増していくのを感じた。

そして、暴風を伴った刃が、私の命を刈り取る——寸前。

「よそ見、してんじゃねーよ!!」

そんな声が聞こえたと同時に、迫っていた刃が、突然方向を変え、私のすぐ脇をすぎていく。

「京ちゃああん!!」

「ごめん、ごめん。待たせたな。でも、よくやった。後は、任せとけ」

突然自身の一部を損壊したマヨイモノは、パニック状態になり、無差別に、意志なく、ただただ暴れ回りだす。

「まずいな。大和、お前はとりあえず距離をとれ」

「で、でも!」

納得出来ず、すがろうとする私を、強い口調で制する。

「大和が命賭けて作ってくれたチャンスだ。無駄には出来ない。でも、いまのお前が居れば、このチャンスは無に帰すんだよ」

確かに、この会話の間にも、暴れ狂うマヨイモノの攻撃から、私をかばうように振る舞っている。これでは、攻め込めない……

「わかった。でも、危ないと思ったら、すぐに止めるからね!!」

「ああ!」

この戦いの中で何度目だろうか。

自分が死から逃れるために、京ちゃんに全てを背負わせるのは。

「さすがに自分のことが嫌いになりそうだよ」

逃げるしかできない自分の無力さにも、それを受け入れてくれる京ちゃんに甘える弱さも。

「もっと強く、ならなきゃ」

京ちゃんを、雪ちゃんを守るために。もっと、もっと。




「おらおらおらぁぁ!!」

力一杯に大斧をマヨイモノへと叩きつける。

攻撃を加える度に、黒い歪な液体が噴き出してくる。

でも、それを気にしている暇はない。

大和が作ってくれたチャンス、ここで仕留める!!

地に伏した大鯨。

背びれをそぎ、さっきとは反対の胸びれも切り落としてやる。

なんども、なんども斧を振る。

武器自体の重さはほとんど感じない。

でも、抵抗する化物の肉を、無理矢理にそぐのは結構な重労働だ。

筋肉は想像以上に弾力にあふれ、引き裂かんとする刃を平然と押し返そうとする。

それでも、何度も何度も斧を振るい、腕に力が入らなくなっても、それでも、打ち付ける。

ときおり、ぴぎゃあ、という不快な悲鳴を上げるが、それすらも心地よく感じてしまう。


もっと、もっとだ!!

俺が、大和がうけた恐怖はこんなものじゃ無い。

痛みは、絶望は、この程度じゃ分からない!!

「お前に、知能と感情があって良かったよ」



どどん どどん どどん どどん どどん どどん————



「『どんどこ』のリズムが、速くなってる!!」

遠目から見ていても、京ちゃんのすさまじい連撃が、マヨイモノを苦しめていると分かる。

「このまま行けば……!」

帰れる。雪ちゃんの所に。日常に!!

「あっ、れ??」

休むことなく自身の数十倍もある巨大な斧を振るっている京ちゃん。

マヨイモノは苦しみもがき、暴れ回っている。その巨体が、京ちゃんを容赦なくはじき飛ばした。

「京ちゃん!!」

しかし、『反力』によって防具も、基礎筋力も桁外れに強化されている京ちゃんは、全く意に介さず、再び斧を構えてマヨイモノへと突っ込んでいく。

「あんな戦い方……まるで」

一年の夏頃だっただろうか。

雪ちゃんが教えてくれた西暦の時代の歴史書、『葉隠』。

「この本は、武士道とは、死ぬことと見つけたり。そんな一節から始まるの」

「へえ~ どういうこと??」

私は全く興味が無くて。

でも、

「武士道? なんだそれ。詳しく聞かせてくれよ!」

珍しく京ちゃんが、雪ちゃんの話に興味を持っていた。

「武士とはね、古くはこの日本、神村街で始まったとされている、闘う事を職業にしていた人々のことを言うの」

「闘うことが、職業??」

そんな物騒なフレーズに、私もつい聞き耳を立ててしまう。

「そう。昔は今のように神様の加護はなかったのよ。だから人間は領土を争って常に闘っていた。その中で台頭したのが、戦闘のプロ、武士と言われる職業よ」

「はあ。そんな時代があったなんて、信じられないね」

神様の加護無しに、ってどうやって生活していたのだろうか。

水も、光もない世界?? それって無理ゲーってやつだよね。

「やまとちゃん、昔はね、宇宙には太陽ってものが存在していてね? それが地球全体を照らしていたと言われているの」

「なおさらうさんくさいような……」

そんな会話をしていると、しびれを切らした京ちゃんが会話に割り込んでくる。

「で、武士道ってのは一体何なんだよ?」

その問いかけに対し雪はちゃん、何かを考えるように黙り込み、数秒の後、口を開く。

「それはね、上手く説明出来ないの」

「はあ?! なんだよ、興味持って損したぜ」

ワクワクを隠せていなかった京ちゃんの顔が、その言葉を聞いて急速に色あせていく。

「まって、京。何か勘違いしているわ」

「ああ? なんだよ」

もうさっきまでの興味は微塵も残っていないのだろう。

心底興味なさそうに、それでも雪ちゃんの言葉を待つ。

「ええ。武士道とはね、これといった一つの答えが決まっているものではないの。武士という、命を賭して戦う人間の、生き様それぞれを示す言葉であるから。つまり、千人の武士が居れば、千の武士道が存在する。歴史には様々な武士道を貫いた人間が居る。その中でも、異彩を放っているのが、さっき話した、『葉隠』を書いた人物の武士道なのよ」

「おお、なんだかよくわかんないけど、長台詞お疲れ様です!!」

「あ、ありがとう? といって良いのかしら」

「で、その『葉隠』ってやつの武士道が、死ぬことだってのか?」

「そうよ。いついかなる時も、戦いに身を置く者は命を落とす選択をも、迷わず行え。むしろ、死んでこそ武士なのだ。それがその人の武士道」

「それって、なんだかおかしい気もするけどなあ」

「そうね。例え戦いに勝っても、誰かが死んでしまうのならば、それは勝利とは言えないわ」

何の気も無しに、旧世紀の人を否定する雪ちゃん。

そもそも、戦闘なんて、起こるはずないし。

「うんうん。自分が死んじゃったら、なおさら意味ないじゃん。ね、京ちゃん?」

「え? あ、ああ。そうだな」

「???」


なぜだかその時の、京ちゃんの顔が浮かぶ。

「まさか!!」

はじかれた様に、激しさを増す戦線へと割り込んでいく。

あの時の、あの表情。

京ちゃんは、明らかにあの話に、惹かれてた……

そして一人、マヨイモノに立ち向かっている今の京ちゃんは、あの時と同じ顔をしている。

京ちゃん、一体何を考えているの……?

「え、嘘でしょ……?」

力尽き、飛べなかったはずのマヨイモノが、京ちゃんの攻撃から逃げる様に、大きく飛び上がった。

「そんな! せっかく地上に墜としたのに。まだ、あんな力が」



どどん どどん どどん どどん どどん どどん————



「逃がすかよ!」

飛び上がったマヨイモノを追い、京ちゃんが躊躇なく跳躍する。

このまま行かせちゃ、いけない!

間に合って!!

思いっきり地面を蹴り、京ちゃんに続く。

「待てよ!! 逃がさない! 絶対に、殺すんだ!!」

斧を構え、突撃する姿勢をとる。

しかし、京ちゃんがマヨイモノの待つ、高度の半分に達した辺りでなんとか私の体も追いついた。

そして、勢いそのまま抱きつくことで特攻を中止させる。

「な、なんだよ、大和??」

「京ちゃん、ダメだよ!! 絶対、ダメなんだよ!!」

頭の中に浮かぶ、とにかく伝えたいことが、そのまま口からこぼれ出てしまう。

「お、落着けって。意味がわかんないぞ?」

空の中、抱き合った状態で会話をする私達。

「だって、『葉隠』、特攻、マヨイモノ……!!」

「とりあえず、単語で喋るのやめようか!」

ことさらに明るくツッコミを入れて、話題を逸らそうとする京ちゃん。

でも『葉隠』という言葉を聞いた途端に、表情が歪んだところを私は見逃さなかった。

「やっぱり、京ちゃん、死ぬ気だよね?」

「な、大和まで?」

「え? まで、って?」

「あ、なんでも……ない」

バツが悪そうに頬をかく。

「とにかく、絶対死ぬなんて、ダメなんだからね!!」

「いや、大和にまであの時の、バレていたとは思わなかったけどさ。別に俺、死ぬつもりなんて全くないぜ?」

あっけらかんという京ちゃんに、思わず面をくらってしまう。

 でも確信をもって、その言葉は嘘だと言える。

「うん。死ぬつもりは、全くないよ。でも」

そこで声音がさらに明るくなった。

「この選択が、死に繋がる可能性が高いことも、分かっている」

「や、やっぱり! さっきとは言っていることが!!」

「自分でも、矛盾しているのは分かっているよ。だけど」

そこで言葉を区切り、私の目を覗き込む。

「今回ばっかしは、賭けているものが大きすぎるんだ」

そう言うと、今度は自分の体に視線を移し、

「たぶん、次はないんだろうね。ここで倒せたとしても」

「なにを言っているの?」

快活に笑って京ちゃんは、

「だから、悪い。今回ばかりは、死ぬ可能性が高いとしても、やらないといけないんだ!」

と、答えにならない答えをよこす。

「分かってくれ、大和。……武士道は、死ぬことと見つけたり。良い言葉、だよな」

 一番の笑顔で、私にそう言うと、力ずくで私を引き離し、優しく突き飛ばす。

私の体は重力に負けて、地面へと落下をはじめる。

京ちゃんとの距離は、もう絶望的だ。

「京ちゃん!! 京ちゃん!!!」

のどが張り裂けそうになるほどに呼びかける。

その声が、耳に、心に届くのを信じて。




「大和、ごめん。でも、もう……」

『反力』のことは、正直今も良く分からない。

それでも、もうこの体が使い物にならないっていうのはよく分かる。

さすがにあれだけの攻撃を受けて、無傷で、そのうえバージョンアップまでなんて、虫が良すぎる。

なにが起こるかは分からないけれど、もう、大和と共に、闘う事はできないだろう、という予測も、おそらくはあたっている。

だから、だからこそ、俺が闘える最後のチャンス。

大和にはもう、傷一つつけさせない。

俺が……俺が!! 

「絶対に、お前を倒す!!」

マヨイモノは、俺に標準を合わせて、横に旋回を開始する。

このまま突っ込めば、巨体の回転に巻き込まれて挽肉にされてしまうだろう。

「でもね、そこまで死にたがりじゃあ、ないんだよ!!」

右手に持つ斧を、マヨイモノにめがけ投げつける。

回転しながら繰り出されたそれは、マヨイモノの頭部をはね上げた。

一瞬、旋回が止まる。

「ここだぁ!!」

素早くマヨイモノのざらつく背中を蹴り上げ、さらに上へと跳躍。

空中で斧を掴み、なお上へと飛んでいくそれを引き戻す。

そして、柄を両手でしっかりと握り、頭上にかかげる。

風に煽られ、体が後ろに倒れそうになった。

「こらえろ~おれ~!!」

それでもなんとかやり過ごす。

そのタイミングで上昇が止まり、今度は重力による落下が始まった。

「わわ、こんな速いのかよ?!」

落下速度はどんどん増していき、目もまともに開けられない。

「・・・・・!!」

視界の端に、まだ、動き出せていないマヨイモノの姿を捉える。



どうやら、この戦闘は俺らの勝ちらしい。



「これで、幕引きだよ!!」

背筋を大きく伸ばし、思いっきり後ろにそる。

巨大な斧の質量によって、体が後ろ向きに回転を始めようとするが、今度はそれを腹筋で制し、重力に逆らいながら、斧を眼前に振り下ろす。

「うりゃああぁぁぁああああ!!」

めっちゃきつい!! けど!!

体が前に一回転。遠心力を加えて。

目を見開く。

目の前には、マヨイモノの黒い表皮。

「く~らぁぁあ~えぇぇぇぇぇ~!!」

振り下ろした刃。

途端に痛みが、柄を握る両手に走る。

固い表皮と、無数の骨、圧倒的な筋力が、刃をはじこうとする。

それでも——さらに力を込めて。

「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」

ぶちぶちっという音が不規則になる。

「くう、前が見えない。でも!!」

黒い体液が、視界を遮る。

開いても、斬ってもどこまでも黒い体。

本当に、ダメージ、通じている??

変わらない視界、痛み、苦しみが不安をかき立てる。

しかし、気づけば手に感じた抵抗が少しずつ弱まっていた。



どどどどどどどどどどどどどど



『どんどこ』も、終局へと向う。

そして、完全に抵抗が消える。

同時に、青い空が、黒い世界の代わりに現れた。

へそのあたりから、真っ二つになったマヨイモノ。

体内にあった、おびただしい程の黒い液体が、いつもの様に砂へと変わる。

それが、滝のように、地上へと降り注いでいく。

それは地面ではね、辺り一面を黒いもやに包んでしまった。

手には心地良い痛みだけが残っている。

「よかった。倒せたんだ。大和を……雪を、守れた」

薄れていく意識。

その砂が、身動き出来ない俺の体を飲み込む。

なんとか、倒せたよ、大和。後は……

消えゆく意識と視界の端、青い空に——・・・・

「?!?!!!」




小さい体から、振り上げられた大斧が、マヨイモノに向っておろされる。

その魂の一撃は、マヨイモノの表皮を砕き、真っ二つにした。

ダムが決壊したかのように流れ出てきた、黒い液体は、

見慣れた、そして、安心をもたらす、砂へと変わっていく。

それに、自由落下を続ける京ちゃんが飲み込まれていくのが見えた。

「京ちゃん、大丈夫かな……?」

とにかく、戦闘は終わったんだ。

早く京ちゃんを救出して帰らないと。

遙か頭上、すでにマヨイモノの姿はない。

しかし、滝の様に流れているそれには、近づくことも出来ない。

それでも、飲み込まれた京ちゃんが心配で、霞の中に踏み込んでいく。

「京ちゃん、大丈夫かな……?」

そんなつぶやきが零れると同時、

「大和!! 逃げろ!!!」

切迫した京ちゃんの声が響く。

「京ちゃん、大丈夫??!」

「大和、いいから、逃げろ!!」

言葉だけが響いているが、状況はまったく掴めない。

一体、なにが……

事態を掴めず、その場で立ち止まってしまう。

ただ、中で明確に何か、やばいことが起きているというのは分かる。

……今逃げたら、本当に役立たずだ。

京ちゃんが困っている。何度も助けられた。

「今度は、私が助ける番だよ!!」

黒い靄のなか、一歩、また一歩と力強く進んでいく。

目も開けられない、すさまじい圧力が私を包み込もうとする。

「京ちゃん!! どこに!?」

目も開けられない、方向も分からないなか、不意を突かれたような、震える声がすぐ近くから聞こえてきた。

「な、なんで……?! はやく、とにかく、早く外に!!」

「京ちゃん! 私は、あなたを守りたいの!! ただ、それだ……」

秘めた思いを、言い終わらない内に、何かが私に向けて飛んできていることに気づく。

機械的に、ただ重力に従って落ちている黒い砂とは違う、明確に、私にだけに向けられた殺気とともに来る、何か。

とっさに鞘に収めた刀を抜く。

そして、正体の分からないそれを、寸でのところで叩く。

キンッという甲高い音が響き、そして……

世界が、景色が、色を変える。

近くで、何かが爆ぜた。

と同時に、だれかに抱きかかえられ、重力に押しつぶされる感覚を得る。

ピンクの、綺麗な髪が視界に入る。

「あっ、京ちゃん……」

また、助けられちゃった……

霞がかる意識を、温かみのある体に預け、目を閉じる。

鼓膜を引き裂く爆音と、生き物の様にうねる烈火が、私達を包み込んだ。






どどどどどどどどどどどどど どどん——



およそ一時間ほど。

街中にけたたましく響いていた『どんどこ』が、やっと鳴り終わる。

やまとちゃん、京。二人とも……

二人が英雄になってから、一番長い戦闘だった。

つまり、それだけ手強いマヨイモノが出現したということ。

やまとちゃん、京……まさか、やられて。

「雪ちゃん?? 大丈夫? 顔色が悪いけど」

深刻な表情で考え込む私を、心配したクラスメイトが声をかけてくれる。

「ああ、大丈夫。あまりにも長い間お祈りしていたので、少し、疲れているのかも」

それなら、といって、かわいいピンクの水筒を私に差し出してくれた。

口をつけて冷えた麦茶を流し込む。

自分の頭が少し冷静になったのが分かる。

そうだ、もう『どんどこ』は鳴り止んだのだから、二人は無事のはず。

心配しなくても、二人は————



どん どん どん どん どん どん——



……なんで??

どうして、どうしてどうしてどうしてなんでなんでなんで・・・・・・・・・・・・・・・・

「乃木さん、これって??」

「雪ちゃん、なんなの、これ……」

「なんだよ、帰れると思ったのに」

東郷神社に集まっていた、神村中学校の生徒達が口々に不安や、不満を漏らす。

さすがに、何かがおかしい、と思い始めているようだ。

戦いは、終わってない?? 二人は、地上は、どうなっているの……??

「あ、あれ!! なんだ?!」

喧騒のなかから、一際大きい、何かを促す声が聞こえてくる。

まさか!!

あり得ない想像、しかし、この異常事態を説明するのに、もっともなそれ、が脳裏に浮かぶ。

「あれ、俺の父さんだ」

「わ、私のお母さんもいる!」

振り向くと、東郷神社の入口から、『新』の職員に率いられた大人達が続々と入ってくるのが見えた。

人の波は途切れることなく、東郷神社へと向っている。

おそらく、街の人全員がここに集まるのだろう。

想像した最悪の事態、ではなかったけど……



どん どん どん どん どん ど・・・・——————



「『どんどこ』が、鳴り止んだ??」

しかし、それは余りにも突然で、明らかに正常な理由で消えたとは思えない。

幾分かの静寂の後————

けたたましいアラーム音が東郷神社、神村街全体に鳴り響く。

「皆さん、落着いてください。これより、皆さんを東郷神社、本殿へとお連れします。急がず、慌てず、素早く移動を開始してください」

アラーム音と同時、他の神社から街の人々を連れてきた『新』の職員が、先頭に立って私達を本殿へと誘導する。

「本殿って、『新』のトップしか入れないんじゃ」

「というか、この酷い音、一体なんなの??」

しかし、普段とは大きく違う状況に戸惑っている街の人達はなかなか動き出せない。


 私だってバカじゃない。何が起きているのかは、なんとなく分かる。


恐らくは、マヨイモノの、街への侵入。すなわち英雄二人の、敗北。

「……とにかく、この街を、守らなきゃ」

二人がどうなっているのか、わからない。

もしかしたら、もう……いや、そんなことは絶対にない!!

「私は、やまとちゃんを、京を信じる。だから、二人が帰ってくるための、この場所は、この場所だけは」

「乃木様、乃木雪様」

決意を決めて動きだそうとした瞬間、聞き馴染んだ声に呼び止められた。

「先生?? どうしたんですか」

「『新』からあなたへ、勅令が下りました」

抑揚のない、機械のような話し方をする先生。

「勅令……? 私に、ですか。こんな突然に?」

そう聞き返すと、小さく無言で首肯される。

「乃木奏様が直々に下したものです」

「お、お父様が、私に……」

 今さら、あの人がなにを?

「はい。街の人々の殿となり、侵入したマヨイモノから、無事に本殿まで避難させるように、と」

先生の言っている言葉の意味が、上手く飲み込めない。

「え、それはつまり、マヨイモノと、戦えということですか?」

そんな、私にその力が無いことは分かっているはず……

「はい。現状、戦っていた英雄二人がやられてしまったにも関わらず、新たな英雄が出現する気配がありません。となると、英雄ではなくとも、もっとも強い新世代因子を繋いできた、乃木家の子孫であるあなたしか、奇跡を起こせる可能性がない、と」

 事務連絡のようにさらっと伝えられた二人の負け。目の前が霞んでいく。

「そんな、だとしても……」

何か言わなければ、と焦る私の言葉を遮るように、話し出す。

「そして、これを渡すようにと」

先生が、後ろ手に隠していた右手から、かなり重そうな、黒い何かを差し出してきた。

「これは、刀……ですか?」

「ええ。初代の英雄、乃木真冬様が使っていたと言われます」

「そんな物を、私が」

「はい」

相変わらず、感情を一切感じない。

カチャっと音を立てながら、刀身を鞘から取り出してみる。

「!! これ、さび付いて」

「五百年、本殿で祀られて居ましたから。仕方が無いのかも知れません」

「こんな刀じゃ……」

それに、やまとちゃんと京を、そいつは……

「・・・・!!」

思考がそこに至った瞬間、体が芯から熱くなっていくのが分かった。

頭の隅にあった恐怖や、体を走っていた震えが消える。

そのマヨイモノが二人を傷つけた。

許せるはずがない。

「戦えないんじゃない、戦わないと、いけないんだ」

あの時の、乃木の重みにつぶされていた、臆病な自分にまた負ける所だった。

二人が連れ出してくれた世界。

二人が見せてくれた光。

強い自分だから、見ることの出来た、楽しい日常。

目を瞑って、大きく、深く、一度呼吸をする。

「わかりました。先生、やります」

「っ、そうですか。よろしく、お願いします」

何か言いたそうに、悲痛に顔を歪めながら私を見て、それを隠すように下を向く。

そして、深々と一礼をして、移動を開始した街の人々の、列の後ろについて、去って行く。

「先生、避難のほうは、お願いします。私は、マヨイモノを、討ちます!!」

そう告げるが、先生は私の方を振り返ることもなく、行ってしまう。

その後ろ姿から、先生の思いを読み解くことは出来なかった。


大鳥居の真下に立ち、真っ直ぐに乃木神社へと伸びた道を見やる。

この大鳥居から始まる御前通りは、街の枢軸で、商店が居並ぶ通りは常に活気にあふれている。

しかし、今この街に人の気配はない。

それどころか、虫の声や、風の音すらしない。

それは静謐さではなく、圧迫感からくる畏れにも思える。

「さあ、どんなバケモノが……」

決意は変わらない。

やまとちゃんと、京を傷つけたバケモノを許せるはずがない。

それに、ここを食い止めることは、乃木の一員として、誇りを全うするという事だ。

常に英雄達の先頭に立ち、最も多くのマヨイモノを打ち倒してきたという、乃木家の娘として。

「初めて、乃木家の一員として、役割を務められる!!」

強い敵意と、激しい高揚感が私を支配していた。

だから、絶対に決意が鈍ることはない、はずだった。

『それ』を見てしまうまでは。

「あれって、ヒト……??」

全く人気の無い、神様の通り道を、ゆっくりと、歩く、黒いバケモノ。

『それ』は紛れもなく、ヒトの形をしている。

やまとちゃんから、聞いてはいた。

マヨイモノは元々、地上で人間と共に暮らしていた生物であったと。

熊やライオン、スカンクなどの個体が今まで観測されてきた、とも。

体型的に、特に変わった所は見えない。けれど、右手には真っ黒で、でも一目で刀と分かるものが握られている。

「背丈は私と同じくらい? もしかしたら私と同じ中学生かもしれない……」

だとしたら、なんて悲しい運命なのだろう。

微かに、絶対に倒そうという決意が鈍ってしまったのが分かる。

ヒトを斬るなんて……

「でも、やらないと。時間もないんだから」

のっぺらぼうのように、顔の中心は黒いもやに覆われていて、認識出来ない。

近づいて、血の気がひいた。その異形には呼気も、吸気もなかった。

「もう、バケモノ……なんだ」

声が震えてしまっている事に気づく。

生まれている時代が違ったなら、私がこうなっていたかもしれないのだ。

たまたま、この時代に、この世界に生まれたから、こうして自分の意志で立つ事ができる。

人として、戦う事ができる。

人々を、守る役目がある。

だから————

あらためて、この、ヒト型のマヨイモノと対峙する覚悟を決める。

「人も、マヨイモノも、もとを辿れば被害者同士なのだから。いずれ、わかり合える日がくるはず。でも、今だけは、絶対に許せない。ここだけは、絶対に通させない!!」

親友を傷つけたこのバケモノを、人類を滅ぼさんとするこのバケモノを。

「乃木の誇りのもとに、必ず、討ち取る!」

 鞘から刀身を抜き、正眼に構える。

ここにおいて、マヨイモノも、私を明確に敵と判断したようだ。

 やまとちゃんの言ったとおり、このバケモノには、知能がある。

だから、私が視野にいても、敵意を向けるまでは無視していた。

「一番の目的は、東郷神社の破壊。一体誰が何のために……」

注意が途切れた一瞬、マヨイモノが距離を一気に詰めてくる。

刀の攻撃範囲外にいたはず。

横薙ぎにしたそれを、屈んでかわすが、長い髪を刈り取られてしまう。

鈍痛が髪の先から、体全体へと広がっていく。

すぐに次の一撃が。

やばい、受けたら!!

横に大きく飛び、追撃をかわす。

何度も、何度も。

「はあ、はあ、距離がとれない」

休む暇を与える事無く、ただ、私という敵を排除するためだけに動くバケモノ。

でも、動きは普通の人よりも、はるかに遅い。

その代わり、一度でも太刀を受けたら……死ぬ。

血の気がひいていくのが分かる。

————こんな経験を、二人は何度も、何度も。

恐怖と疲れからか、脚が上手く動かなくなる。

唯一勝る機動力すら失ったら。


「ああ!! 怖くない! 私は、日本一の名家、乃木の血をひく女なんだ!!」


大げさに声を張り上げて、四肢に力を込める。

バケモノは淡々と、ただ私の命を奪わんと動き出す。

「走れ……走れ!」

とにかくがむしゃらに、不規則に動き回り、的を絞らせない。

「英雄の力が、なくても。私は、乃木の娘なんだ!!」

逃げているだけじゃダメだ。

マヨイモノの左側から、距離を詰める。

それに気づく寸前、懐に入りこむ事に成功する。

「ここだぁ!!」

袈裟切りのように、左肩から斬撃を加えるが。

「あっ、そんな」

強い抵抗が、刀身を伝って腕に伝わる。

黒い液体が僅かに顔をぬらす。

しかし、さび付いたそれが、バケモノに与えたダメージは、ない。

マヨイモノは、すぐさま体をひねり、打突で私を捉えにくる。

なんとか後ろに飛んでかわすが、一度近づいてしまった距離。

逃してくれない。

横に、縦に豪快に薙ぐ一撃を何度もかわす。

走って、走って、走って————

こけたりはしない。

捕まる事も、一撃を食らう事も恐らくはしない。

でも、勝てない……

頭よりも先に、体がその事を悟ったようだ。

泥沼を走るように、脚は重く、水の中に居るかのように、呼吸もままならなくなる。

刀は、一度の衝突で、今にも壊れてしまいそうになっている。


 もう、疲れた……こんなの、勝てない……


追い打ちをかけるように、強い頭痛や、強烈な吐き気を感じた。

このマヨイモノと対峙してから、ずっと感じていた違和。

微かに発せられていた、人類を滅ぼす黒い瘴気。

それらが、私の体を蝕み始めたようだ。

「いや、ここまで持ったこと自体、奇跡に近いのかな……」

視界に激しい揺れが生じ、次第に平衡を保てなくなっていく。

「もう、ダメなのかな」

マヨイモノの刀が目前に迫っていた。

運良く倒れ込んだ事でその刃をかわすが、同時に放たれた蹴りを、真っ当に食らってしまう。

受けたことのない衝撃に、体が宙を舞う。

大鳥居をくぐって、すぐの竹林がクッションになって私を受け止める。

「いま、私は立っている……のかな」

それすらもわからない程に、脳は仕事を放棄し、体の感覚は麻痺してしまっている。

それでもなんとか、右手に力を入れる。

冷たい革張りの柄はまだ、右手の中に収まっているようだ。

左手も、なんとか動く。

両手を通して伝わる、温かい土の感触が、うつぶせに倒れている事を知らせてくれる。

「まだやれる。いや、やらないと。私は、乃木の娘、なんだから……」

窮地に追い込まれた時、浮かんだのは私を『呪い』から解き放ってくれた二人ではなく、知らず知らずにまた、私を縛っていた『呪い』そのものだった。

「乃木の娘は……英雄として、一番多くのマヨイモノを討つのが役目。それができないのなら……私に価値はない」

 やまとちゃんに話を聞いた後、母が私に、乃木の本当の役目を教えてくれた

やっと、やっと巡ってきたチャンスなのだ。

本当なら、こなかったはずの。

こんなところで、寝ている場合じゃ無い。

あのバケモノを、倒さないと!!

「乃木の娘として、誇りを見せて死ねるなら!!」

ふいに、旧世紀の本『葉隠』が思い出される。

「武士道とは、死ぬことと見つけたり」

力に恵まれなかった私が、乃木の誇りを貫くには。

頬や掌から血が流れていることに気づく。

「これも、名誉の負傷、になるのかな」

私の願いを、想いを。

全て叶えるには、何を失っても、あのバケモノを倒さなければいけない。

ほんの少し、めまいや頭痛が治まる。

視界に、大鳥居の真ん中を堂々と渡るバケモノが入る。

「なんで、あれだけの結界を、すんなりと……まあ、そんなこと関係ない」

どちらにせよ、倒せば良いだけの事なのだから。

でも、立っていることもやっと。

武器も全く通じない。

こんな状況、どうすれば。

体が熱くなり、思考も閉じていく一方で、冷静に戦況を俯瞰する自分の存在にも気づく。

よくマヨイモノを観察する。

……様子が、おかしい??

私を追っているのだから、すぐにでも追撃を加えたいはず。

なのに、大鳥居をくぐってから、歩を進めようとしない。

「私の姿が、見えてない?? 警戒しているってこと??」

いや、ちがう。飛び込んだ衝撃で竹林にもゆがみが出ているはず。

どこに居るかなんて、すぐにわかる。

じゃあ、なんで。

……いや、まさか!! だって、それは……

一つの仮説に行き当たり、あまりに荒唐無稽なそれをすぐに否定しようとする。

でも、できない。

この仮説が当たっていれば、逆転の切り札になるはずだから。

一つ、大きい呼吸を挟み心を整える。

「オリジナルは、こっちだったのね……」


ここが分水嶺。


覚悟を決めるところでしょ。

といっても、とっくに出来ている。

「乃木のためなら……」

竹林から飛び出し、本殿へと続く道をゆっくりと歩く、マヨイモノの前に立つ。

獲物を見つけたバケモノは、しかしすぐには襲ってこない。

この行動も仮説を裏付ける証拠になる。

「やっぱり、神様の力は偉大です」

人智を越えたそれへと畏怖の念を示す。

と同時に、人がこの力を御しきることなど不可能なのではないか、とも思う。

だから、これから私がすることは、神の領分を侵す行為になる。

「お願いします。一度だけで良い、いま、この瞬間だけ、その力を」

視界の焦点を、いまだに動かないマヨイモノへと合わせる。

そして、力強く一歩を踏みだし、真っ直ぐに突撃。

左腰の鞘に収めた刀の柄に指をかけ、タイミングを計る。

距離が近づくごとに、乃木の家で過ごした、苦しくて辛い日々が次々に記憶の波となって蘇る。

全ては、今日、この日のために準備されていた。

幼少期に教わった居合の技術を反芻する。

「絶対に、ここで討つ!!」

あと二歩————

あと一歩——

「くらぇぇぇぇ!!」

タンッと何の細工も無しに、正面へと踏み込む。

渾身の力で、鞘から刀身を剥き、斜めに切り上げる。

マヨイモノも、思わぬ突撃に対応出来ず・・・・————

「ッッッッッッッ!!」

これまでにない激痛が、刀をもつ右腕を襲い、一瞬でその感覚が宙に消える。

肉を斬り、骨を断つ感触は一向に訪れない。

鮮血が踊り、重力を無視するように、はね上げられた自身の右腕が視界を横切っていく。

紅い斑点が視界を汚し、痛みのない右腕は、反応を示さない。まるで、なにも存在していないかのように。

「何百年も前から繋いできた想いが、あなたという、負の存在を断ち切った。これが、人々が紡いできた、想いの糸の力です」

大きな犠牲。それでも、この街を、人々の願いを守る。

それが、「私達、英雄」の仕事。

でも、それだけじゃない。

繋がってきた想いを、見つけ、届けること、それも「英雄」の大きなお役目なのだ。

持ち主を見失った右腕は、地面にさみしそうに転がっている。


一方で、左腕は、青白く輝く何かを、マヨイモノの、

のど元へと突き刺している。

マヨイモノが、黒い砂となって消えていく。

支えを失った私はうつぶせに倒れ込んでしまった。

少しずつ、右腕の存在していた所から、耐えがたい痛みが送られてくる。

吐き気や頭痛も、より一層強くなる。

マヨイモノが竹林を恐れたのは、大鳥居よりも強力な神の力を感じたから。

東郷神社、この、仮初めの地下世界が生まれてからできた大鳥居と、旧世紀の頃から、神を祀る社の近くにあった竹林。

それならば、後者のほうがより力を灯すのは当然のことだ。

つまり、多々良様についていた神様は、オリジナルの土地そのものを地下に遷し、地上に仮初めの世界を構築したと言うことだ。

だからこそ、マヨイモノを打倒する力に成り得た。

そして、もう一つ。


「マヨイモノはね、武器をとことん壊そうとしてくるんだよ!!」

「そ、そう。ストーカーみたいね」

「ほんとだよ! あの執着心、変態の域だね!」

「へ、へえ~」


やまとちゃんから聞いていたマヨイモノの大きな特徴。

肉を切らせて骨を断つこの一撃は、やまとちゃんの助言なしには考えられなかった。

「あれ、やまと……ちゃん。そうだ、わたし……」

乃木の誇りを——

私を奮い立たせたのは、乃木の家名を汚してきた過去への憎悪だった。

「私は、乃木の娘じゃない。乃木、雪なのに……」

思考が鈍っていく。

強まっていたはずの痛みも、いつの間にか消えていた。

泥の沼に埋っていくように、体は重く、うつぶせから動くこともできない。

呼吸がゆっくりになっていく。

まぶたが自然に閉じて、暗闇が私を包む。

「ああ……わたし、死ぬんだ。こんなに、あっけなく」

名声が欲しいわけじゃない。

ただ、少しでも、英雄になれなかった乃木の落ちこぼれである私が、役に立てれば。

それだけだった。

戦闘が激しくなるにつれて、マヨイモノを倒すことが目的になっていった。

死ぬことすら怖くない、むしろ、ここで死ぬことこそ、私にとって、最善であるのだ、とすら……

「いやだ……まだ、死にたくない。京とも、やまとちゃんとも、もっと、もっと一緒にいたい!! 死にたくない!! 死ねないよ!!!!」

想いとは裏腹、次第に体が機能を失っていく。

暗闇に、ぼうっと浮かんでいた微かな光が消えていく。

ああ、本当に……終わるの。いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ!!!!

「・・・・??」

光が完全に消える寸前、背中に弱くて、淡い衝撃を感じる。

それはどんどん強まっていく。

温かい、シャワーを浴びているような、心地良い感覚。

ほんの少し、体に力が戻り、刀を支えに、体を引き起こす。

「これが、雨」

強さは増していき、目を開けている事もできなくなる。

だけど、おかげで……

東郷神社、大鳥居、御前通り、神村中学校————

思い出は蘇らない。

はるか先、こっちに駆けてくる、一つの影が霞む視界にうつる。

やまとちゃん、京。やっぱり……

嫌だ、まだ生きたい……死にたくない……

「まだ、死にたくない……でも——」

 あの二人が生きているのなら……

そこで、糸の切れた操り人形のように、体がふっと力を失い、後ろに倒れ込む。

土を叩く雨音だけが聞こえる。

いや、だ、よ……

遠くで輝く、淡い光が消えていった。




「こら! やまとちゃん、そんな姿勢じゃ綺麗な声は出ないよ!」

「ご、ごめんなさい~……」

 朝日が差し込む教室に一人の女の子の怒号が響く。

「京! せめて口を動かしなさい!!」

「うるせえなぁ」

「もう、歌えとは言いませんから。口パクくらいはしてください。点数に響きます」

 はいはい、と口だけで返し、

「なあ、大和。なんであいつ、あんな張り切ってんだ??」

 京ちゃんが、雪ちゃんの目を盗み、小声で隣に立つ私に話しかけてくる。

「なんでだろうね……」

 でも、なんとなくは予想がつく。

 入学から六ヶ月たち、色々ありながらも、私達のクラスは雪ちゃんを中心に、やっとまとまりだしていた。

 そのタイミングでの合唱コンクール。

 それに、指揮者なんて役割をあの子に与えたら……

「ほんと誰だよ、あいつを指揮者にしやがったの」

「それ、京ちゃんだよね?」

「え? そうだったっけか」

「うん」

 はじめは雪ちゃん、乗り気じゃなかったのに。

「あっれ~? 乃木家の一人娘ともあろうお人が、指揮者やらなくていいんですか~?」

 放課後のホームルーム。静まりかえった教室に、人を小バカにしたような、ぬけた声が響く。

 その声に、ビクッと小動物のような反応を示す名家の一人娘。

「ど、どうしたの? 雪ちゃん?」

「い、いや、なんでもないの」

「この話題になってから、随分と影薄くしてたよなぁ? お嬢様?」

「い、いいでしょ? 合唱コンクールなんてそう、頑張るものでもないですし」

 予想とは余りにもかけ離れた答えに違和感を覚える。

 京ちゃんも同じようで、

「そんなこと言っていいのかよ。生徒会長ともあろう人間がよ?」

 少し意地悪な返しをしてみる。

 雪ちゃんは、ぐっ、と呻き、それでも、

「関係ありません。第一学校とは勉学に励むためにあるところですし、それに、合唱コンクールなどという催しに力をさく暇もありませんから」

 がんとしてこっち側に視線を送らない雪ちゃん。

 いつも自信満々に話す人の目を見ながら喋る雪ちゃんのこの態度……

京ちゃんと目配せし、共に確信する。

『このひと(こいつ)なにか隠してる!』

「そんなこと言わないで~みんなで思い出作りたいなぁ~」

 何を隠しているのか分からない以上、慎重にいかないと……

「うぅ、確かにやまとちゃんと良い思い出、作りたいけど……」

 あ! 効いてる!!

「そうだなぁ。せっかくの学校行事なのになあ~俺も……」

 追い打ちをかけるように、京ちゃんも……

「あなたは学校行事とかほとんど参加しないじゃない」

 バッサリと切り捨てられた。

「京ちゃん、いまのは悪手だったね」

「う、うるせえ!」

「と、とにかく! 私は合唱コンなんて……ましてや指揮者なんて絶対にやりません!」

 普段の雪ちゃんなら、みんなを引っ張る立場、絶対に引き受けるはずなのに。

 なんで……

「そっか。お前は乃木の娘でありながら、クラスの人間を引っ張る役目を放棄するんだな。それだけじゃない。生徒会長でありながら、学校行事を軽視して。きれい事を並べるだけなんだ」 

「ど、どうしの京ちゃん??」

「そんなやつだとは思ってなかったよ。お前がそんなに自己中なやつだったなんて、がっかりだよ!」

 そんなに煽ったりしたら、またケンカに……

 しかし、ここまで言われながら、雪ちゃんは俯いてなんの反論も返さない。

 どうして? なんで??

「大和、俺分かったぜ。あいつがなんで指揮者を嫌がるのか」

 困惑している私に、小声で話しかけてくる京ちゃん。

「そ、そうなの?! なんで、どうして……?」

 私も小声で、雪ちゃんに聞こえないように聞き返す。

 京ちゃんはニヤリと口角を上げると、悪魔のような笑顔で、

「それはな、あいつが……」

 ここまで言ったところで、意を決したように視界の外で、雪ちゃんが、机を叩いて立ち上がる。

 クラス中の視線が雪ちゃんに集まる。

「分かりました。そこまで言うならやってやりますよ! ただし、覚悟はしておいてくださいね。私が指揮者をやる以上、みなさんに楽はさせません」

 そこで息を吸い、胸をはって、堂々と、声高に宣言する。


「だって私、音痴ですから!!」


 あれ、聞き間違いかな?

 まさかの一言に、唖然とするクラス二十八名。

「ねえ、雪ちゃん? いま、なんて?」

「聞いていなかったの? だから、私は音痴。たぶん、想像を絶するほどの音痴だけど、あそこまで言われてしまっては逃げられないでしょ? だから、私が指揮者をやります」

「いや、だったらやめよう?!」

 指揮者が音痴なんて前代未聞でしょ!

「おいおい、音痴を隠したいがために、生徒会長があんなこといってたのかよ~」

 いや、なんでさらに煽るの??!!

「乃木さん……どんなことからも逃げずに立ち向かうなんて。さすがです」

「雪ちゃん……格好いい……」

 雪ちゃんを褒め称える声があがる。

 いや、だからおかしいでしょ! 

 ほら、伴奏の子をみて!

 雪ちゃんがやるって言ってすっごい安心した顔してたけど、想像を絶する音痴って言葉聞いて目がチカチカしちゃってるよ!!

「はい、指揮者決定! よし解散!!」

 まってまって、なんでみんな素直に受け入れてるの?

 やばいでしょ、これ!


「そうだった、早く帰りたいがために、あいつに押しつけたんだった……」

 今更後悔しても、遅いよね。

「雪ちゃん、ちゃんと楽譜観て!!」

「雪ちゃん、ちょっと早い!!」

「雪ちゃん、なんでそうなるの!!」

 練習開始から小一時間。

 まだ出だしの一小節で、伴奏と指揮者がかみ合わずに止まっている。

「まあ、まさかここまで酷いとは思ってなかったよな」

「うん……なんでもこなせそうなのにね……」

 でも、また少し、雪ちゃんとの距離が縮んだようにも感じられて。

「あっ! やまとちゃん、また姿勢が!!」

「もう、分かったから! ごめんなさいだから、少しは歌わせてえ!」

 ガラガラっという扉の開く音がして、先生が教室に入ってくる。

 教壇で作ったひな壇からみんなが降りて、練習が終わる。

 また、一小節も進まなかった……


「やっぱりダメだったねえ……」

「マリオネットの糸が絡んだみたいな動きだったな」

「言わないで……」

 合唱コンクールの帰り道。

顔を覆い、しゃがみ込む雪ちゃん。

「会場もなんと言えない空気だったもんなあ!」

「京ちゃん、やめたげて!!」

 これ以上は……

「ぷっふふふ」

「やまとちゃん、なにを笑ってるの?」

「い、いや、なんでもないです……ふふふ」

 真っ赤な顔でドタバタ動く雪ちゃん。思い出すだけでも……

「やまとちゃん、ほんとひどい……」

「ええ、泣かないで! ごめんって~」

 私と雪ちゃんを見かねてか、優しい声をかける京ちゃん。

「まあ、あれだ。来年頑張ろうぜ」

 私達の学校はクラス替えがない。

「だね。来年はリベンジだよ」

「うん……二人とも、ありがとう。来年は、絶対!!」

 いつもの三叉路にさしかかった。

 三人、それぞれの道の入口に立って向き直る。

 京ちゃんも、雪ちゃんも、穏やかな笑みを浮かべていて。

 雲が夕陽を隠す。

 辺りに静寂が満ちる。

「「「じゃあ、また明日」」」




 冷水のシャワーを浴びているような、そんな不快感で、目が覚める。

 なんで、こんな夢を……?

「あれ、もしかして気絶しちゃっていたのかな……?」

体を起こそうとするが、隅々に痛みが走った。

それでも、なんとか無理は効き、立ち上がることは出来た。

すでに変身は、解除されている。

「これって、雨??」

よく見ると、制服は、そのままお風呂に飛び込んでしまったかのようにずぶ濡れだ。

雨降って地固まる、雨垂石をも穿つなど、雨を用いたことわざはいくつもあるらしいけど、地下の神村街では、雨が降ったことは三百年、一度たりともない。

それでも、神様の加護によって、水に困ることはない。

雨の描写は、旧世紀の神話にもたびたび登場する。

他にも、雪や虹といった天候もあるらしいけど。

「本当に、空からシャワーが降るんだ。温かく出来たら良いのに。不便だね」

夏とはいえ、ぐしょ濡れの状態で外に居れば、さすがに体は冷えてしまう。

気づけば、私達を包み込もうとしていた炎は、跡形もなく消え去っている。

周囲は焼け野原と化し、美しい景観は影も形もない。

「まあ、次来るときには元通りなんだろうけどね」

険しい山々も、生い茂る木々も、全ては誰かの力でつくられたもの。

どれだけ破壊しても、次には寸分も違わない、同じものになっている。

それを知ってしまうと、壊されたこの景色のほうが、なぜだか魅力的に見えてしまう。

「とりあえず、早く戻んなきゃ」

私のすぐ足下には、まだ目を覚していない京ちゃんが倒れていた。

見るだけでも痛々しい生傷と、火傷。

すぐにでも病院に連れて行かないと。なのに、なんで……

「今回に限ってワープしないの??」

いつもなら、戦闘が終わると、淡い光が私達を包み、乃木神社まで戻してくれる。

しかし、今回は変身が切れているうえに、気絶した私達を雨の降る地上に置き去りである。

しかも、いつもより明らかに厳しい戦闘の後だと言うのに。

「ほんと神様も意地悪だね」

痛む体をなんとか扱い、京ちゃんを背中におぶる。

「京ちゃん、意外と重いんだね……」

こんなこと聞かれていたら、ぶち切れるだろうけど。

倒れていた所は、大鳥居のすぐ近くだった事もあり、すぐ通路に到着する。

しめ縄をまたぎ、暗い通路を降りていく。

すぐに地上の光は遮られ、足下も確認出来なくなる。

背負っている京ちゃんに、負担がかからないよう、慎重に歩を進める。

体の痛みは、徐々にひいてきていた。

おそらく、炎を飛んで逃げた際に、着地を失敗したのだろう。

ただ、京ちゃんが私を守ってくれていなかったら、怪我はこの程度では済まなかったと思う。

京ちゃんの苦しそうな吐息が耳をかすめる。

「すぐに病院、連れて行くからね」

なおる見込みはない、それでも、治療を行うことは可能だし、痛みを和らげることも出来る。

マヨイモノに食らった傷は一生消えない。それでも……


 そろそろ、乃木神社に入る扉が出てくるはずだ。

あれ……でも、

「なんで、ここ、明るいの??」

乃木神社に通じる扉は、厚い結界が張られていて、頑丈に閉ざされているはずだけど。

かくゆう私も、初めての時に一回使っただけだから、記憶違いをしているのかもしれない。

歩を進める度に、光は強さを増していく。

そして、扉が認識出来る距離にたどり着き、

「え、これ……は??」

マヨイモノの侵入を防ぐため、厳重に閉ざされているはずの扉が、開け放たれていることに気づく。

しかし、壊されている形跡はない。

子供が閉め忘れてしまった後のように。

「なんで……ここは」

瞬間、最悪の想像が浮かぶ。

「でも、マヨイモノは、入れないはずだよね。上にも、ここにも結界は張られているんだし」

先生だろうか、それとも、『新』のだれかが……

考えても仕方ないか。

その扉をくぐり、乃木神社へと入る。

地下に戻ってきたのは、何時間ぶりだろうか。

それほど経過している訳でも無いと思うけど、やたらと懐かしく感じる。

「なんとか、戻ってこられたよ」


非日常から、日常へ——


そんな晴れがましい気分も、外の光景を目にして消え去ってしまう。

「雨……?? なんで!!」

五百年という、人間には途方もない時間の中で、一度も記録されていない現象が、起きている。

地上で見た本物の雨とは少し違う、何かを流して、けしてしまおうとするかのような、強い、強い雨が降っている。

さきの扉といい、この雨といい、何かが、確実にこの街に起きているんだ。

様々な神話が浮かぶ。



雨は、必ずしも縁起の良いものでは、ない。



水たまりを蹴り上げ、御前通りを駆ける。

おぶっている京ちゃんは、時折苦しそうに息をつく。

視界がふやけるほどの雨が降り続いている。

「どうして、だれも居ないの?」

いつもなら、『どんどこ』が鳴り終わり、各々礼拝堂から帰宅している人とすれ違う。

でも、今は。

いままで経験したことのない、雨という天候を差し引いたとしても、余りにも人気を感じない。

焦燥感に駆られ、気づけば痛みも気にならなくなっていた。

「雪ちゃん、無事でいてね」

やがて、右に曲がれば神村学園に着く路地が見える。

雪ちゃんと会うなら、ここが一番だけど……

しかし、やはり人気を全く感じない。

「どうなっているの? みんなどこに」

答えはおそらく一つだろう。

東郷神社——

なにが起きているのかは分からないけれど、異常事態であるならば、『新』の本拠であり、神の眠る東郷神社に集まるのが普通だと思う。

どちらにせよ、京を『新』にある、専門の治療機関に連れて行かないといけない。

神村学園をすぎれば、東郷神社はすぐそこだ。

雨脚はさらに強くなり、いよいよ目も開けられなくなってくる。


だからだろう。


東郷神社の入口である、大鳥居をくぐるまで、気づかなければならない、なにか、に気づかなかったのは。

いや、見えていたそれを、無意識的にさけていたのかもしれない。

だって、それは。

絶対に、あってはならないことだったから。

絶対に、否定されなければいけないことだったから。

絶対に、信じられないことだったから。



「なんで、雪ちゃん。こんなとこで寝ていたら、風邪、ひいちゃうよ?」



辺りには、どこかで嗅いだことのある、すえた空気が漂っている。

でも、不思議と匂いのもとは周囲にない。

雨で流されてしまったのだろうか。

というか。

どうしたんだろう。

「なんで雪ちゃん、返事してくれないの?」

少し、すねた感じで聞いてみる。

「ねえ、雪ちゃん……雪ちゃ……ん。なんで……」

今度は少し、切実に。

「なんでよ、雪ちゃん。返事してよ!!」

最後はちょっと、怒ってみせる。でも……

耳元で何度名前を呼んでも、

こっちを見てくれない……

返事をしてくれない……

「なんでこんなに傷だらけなの?!」

って、怒ってもくれない。

ただいまって言ってない。

おかえり、って言われてない。

なんで、なんで、なんで、なんで——……

涙なのか、雨なのか。もう分からない滴が頬を流れる。

抱きかかえた雪ちゃんは、小さくて、軽くて、冷たくて。

肘より先を失った右腕からは、もう、血が流れていない。

苦痛と、後悔の見える悲痛な表情が、さらに私の胸を締め付けた。




……気がつくと私は、病院のベッドの上に居た。

「あれ、どうやって、わたし」

心を刻むような雨の中。

あの光景は、今もまぶたに焼き付いて消えない。

激しい頭痛を感じる。

「京ちゃんは、雪ちゃんは……」

分からないことが多すぎる。

何が起きたのか、全く整理が出来ていない。

それなのに生じる、絶望が、失望が、うざったくて、むかついて……

布団を頭からかぶり、光を遮る。

このまま、暗いところに引っ張られていきそうで。

それがなぜか、心地良い。

「どうして、なんで。私もそれなら死んでいれば」

「東雲さん、目を、覚したんですね」

そのつぶやきに、反応する声があって、胸がきゅっと苦しくなる。

聞き覚えのある、優しい声だ。

布団から頭だけを出して、声の持ち主を探す。

部屋の入口に、白いローブのようなものを羽織った女性が居た。

「せんせい」

「東雲様、まずは無事に生還したことを」

先の投げかけとは打って変わり、冷えた、感情のない言葉と共に、恭々しく頭をさげる。

「そんなの、嬉しくありません。先生、一体なにが……」

あれから、どれくらいの時間が経ったのか……

一日? 一週間? もしかしたら、一時間も経っていないかもしれない。

体の痛みはかなりひいている。

となると、やっぱり長い時間が経っているのか……

わずかに思案する表情を作ると、先生はさらりと説明を始める。

「ここは、東郷神社内にある『新』の英雄専用治療施設です」

それは理解出来ている。

もう、何度もここで治療を受けているから。

先生は、特に私の表情を伺うことなく、淡々と話を進める。

「東雲様、目を覚されたばかりですが、早速新しい任務を遂行していただきたく……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

この状態をみて、新しい任務を、って。

「時間がないのです。神巫さまの結晶は粉々に砕かれてしまい、再構築に時間がかかります。

もう、任務につける当代の新世代は、あなたしかいないのです」

「だ、だから、ちょっと待ってよ! 先生!!」

こちらを顧みない先生の言動に、思わず声を荒げてしまう。

それでも、先生は話すのを止めない。

「先の戦闘で、地上の結界が大きく破損。さらに、乃木神社の結界に不備が見つかりました。早急に手を打たねば、この神村街が……マヨイモノに破壊されてしまいます」

「京ちゃんは、雪ちゃんは、どうなって……何があったんですか?!」

とにかく、この答えが、まずは、それだけが知りたい。

雪ちゃんは……京ちゃんは……

「神巫様は、生きています」

先生が、機械のように無感情に告げる。

それでも、その言葉がもたらした安堵は大きい。

「よかった、京ちゃん、助かったんだ」

私でも、危険な状態であることは分かっていた。

だからこそ、助かったと聞いて、本当に。

「あれ、なんで……」

突然、視界に水の幕がうまれる。

「しかし、疲労や、致死レベルの損傷、高所からの落下で生じた脳へのダメージなど、もはや……」

先生の言葉が、初めて詰まる。

その先は、なんとなく理解出来た。

だから。

「分かりました。それで、雪ちゃんは……」

話を変える。しかし、それは、さらに残酷な役割を、先生に求めてしまう事となった。

分かっていて聞いたのだから。自分で自分が嫌になる。

どう答えようか、逡巡するような、厳しい顔つきになる。

そして、重ぐるしく、口を開いた。

「乃木様は、戦死、いたしました」

予想通りの回答が、なんのひねりもなく返ってくる。

だからこそ、背くことのできない悪夢が、いっそう私を取り囲む。

「そう、ですか……」

右腕を失った少女の、悲痛は姿が浮かぶ。

彼女のいろんな表情を見てきたつもりだったのに、最後にみたあの姿が、他の彼女を塗りつぶしていく。

「意外と、冷静なのですね」

雪ちゃんの死という、知らせを聞かされてなお、冷静に振る舞う私に、先生は感心したように言う。

褒めているようでさえあった。

「そう、みえますかね」

「ええ。少なくとも戦闘と雨で、疲弊しているとは思えないほどに暴れ回っていた、失神直前のあなたからは、今の反応は予想出来ませんでした」

「そ、そんなことを……」

まったく記憶になかった。雪ちゃんのあの姿をみて、気づいた時にはもう、ここに居た。

確かに自分でも、妙に落着いているところがあると思った。

「乃木様は、マヨイモノと戦い、最後に、英雄となられました」

それだけ言うと、先生は、話を元に戻そうと話を転換させる。

「そして、あの戦闘のなか、唯一まだ力を残しているのが、東雲様、あなただけなのです」

その言葉に、身を引き裂かれるよりも酷い痛みを感じる。

京ちゃんは、私を守るために、力を失うほどに戦い、

雪ちゃんは、力も持たないなか、文字通り、命を散らしてマヨイモノを討ち取った。

それに比べて私は、対等な力を持っていながら、怖くて逃げ、京ちゃんに負担を強い、雪ちゃんを見殺しにした。

そして、のうのうと生き残り、力を維持している。

落とし穴に落ちた時のような、世界が暗転していく感覚。

何で、私が生き残ったのか。

雪ちゃんは、乃木家の一人娘で、生きていれば、その力で、数え切れない程の人々を助けていたはずだ。

京ちゃんも、この世界において、英雄として私よりも多くのマヨイモノを討っていたはず。

なんで、私が生き残り、雪ちゃんが死なないといけない?

なんで、私が軽傷で済み、京ちゃんが生死をさまよう程の怪我を負わないといけない?

私が、私が……雪ちゃんの代わりに死んでしまえば良かったんだ。

私が、私が……京ちゃんの代わりに傷つけば良かったんだ。

ふと、ベットの脇に視線を移すと、そこには、ブドウやリンゴといったフルーツのバケットが置かれているのが見える。

ガタッと音を立てて、ベッドから起き上がり……

「・・・・・・・!!」

「先生、手を離してください。私なんかが生きていても……生きていても意味が無いんです!! だから、ここで、ここで!!」

のど元まで迫っていた果物ナイフを、先生が掴んで止める。

刃先を素手で握っている先生の手からは、綺麗な紅い血が流れていた。

「なんで、なんでとめるんですか……もう私は、生きている価値なんて」

ぽつりぽつりと漏れるつぶやきに、無言で頷きながら、私の手をナイフからほどく。

「先生、もう……耐えられないよ……」

雪ちゃんの笑顔が、京ちゃんの背中が、薄い影になって、変わる変わり現れる。

現れては、消え、消えては、現れて。

この影は、一生消える気がしなくって。

「東雲様、今あなたに死なれてしまっては困るのです。結界の復旧は、速やかにこなさないといけません。本当は、今すぐにでも。いつマヨイモノが侵入し、世界を壊すか——」

「関係ないです!! 雪ちゃんが死んで、京ちゃんも、もう……私にとっては、そんな世界、壊れてしまったのと一緒なんですよ!!」

言ってはならないことを、言ってはいけない人に向けて言う。

先生は、相変わらずの無表情のまま。

「だとしても、です。これは、あなたが英雄として選ばれた以上、やらなければいけないことなのです」

「そんな正論、聞きたくない。もう私は、英雄なんて名乗ることは出来ませんから」

二人の親友は、敵わないはずの敵に、逃げずに立ち向かい命を賭けて世界を守った。

まさしく、英雄という称号にふさわしい。

雪ちゃんは、やはり英雄だったのだ。

私は……力だけを保持しながら、死ぬことを畏れ、戦いから逃げ出した。

英雄の力を持たない親友は、命を賭して全てを守り、英雄であるはずの私は、恐怖から逃げて、全てを失った。

こんな皮肉があるだろうか。

ふと思う。なんで神様は、雪ちゃんに力を与えなかったんだろう。

どうして、私なんかに。

「私は、もう、この壊れた世界で生きていくなんて、出来ません……だから」

そこで、頬に強い衝撃を感じた。

「……??」

眼前には、やはり無表情な先生の顔が。

「東雲様……いや、東雲さん。そんなこと、言わないでください」

「先生、声が……震えて……」

俯いてしまって、表情はうかがえなくなる。

でも、声には、優しい温もりが戻っていて。

「乃木さんは……例え自分が世界から消えたとしても……あなた達のために、この世界を守ったんです……それは、神巫さんも、同じはずです。東雲さんが、あなたがいるから、あなたがいるなら、この世界は……守る価値があると。命を……全てを賭ける意味があると。その想いを、踏みにじるんですか?!」

徐々に、感情が昂ぶったのか、少し語気が強くなる。

それでも、そんな声も気弱に震えていて……

ついには、泣き始めてしまう。

「苦しくない……悲しくないわけ……ないじゃないですか……」

雪ちゃんの最期をみてから、おそらくずっと言えなかったであろう本音がこぼれる。

「それでも、私は『新』の職員なのです。毅然と、あなたを任務に向わせないといけなかった。それが、辛くて、辛くて。本当に、ごめんなさい……」

「なんで……なんで先生が、謝るんですか」

 


どん どん どん どん どん どん…………



「こんな、時にまで……なんで、なんで!!」

もう、戦いたくなんてない。

もう……

しかし、私の意志に反して結晶は白く輝き、戦場へと送り出す。

あの戦いの惨状が、まだそのままに残っている。

いつもはすぐに、元通りになっているというのに。

……あの戦いで失ったものは、もう取り戻せない。

雪ちゃんはもう……

「…………!!」

背後に凄まじい殺気を感じ、反射的に前へ転がり込む。

首を狙った必殺の剣。

振り返ると、私と同じほどの背丈をした、ヒト型のバケモノが立っていた。

今までで、たぶん一番弱い。

鞘にいれた刀の柄に手をかけて、ゆっくりと、ゆっくりとマヨイモノに近づいて行く。

すれ違いざま、マヨイモノの刃を屈んで交わす。

そして、がら空きののど元を、力一杯に打突。

マヨイモノは、「うぅっ」という人間のようなうなり声を上げて、膝からくずおれていく。

「なっ……雪ちゃ……!!」

砂に変わっていく直前。瘴気が晴れていく。

そして、瘴気をまとったバケモノが、艶やかな黒髪と凜とした雰囲気の漂う少女の姿に変わる。

その少女は、ほんの少し口角を上げて笑みを作ると、

「あり……が……とう、……生きる、勇気……をもって……」

そう言い残し、砂となって消えてしまった。

「い、いまのって……」

あの面影を持つ少女を私は知っている。

涼やかな表情と、それに似合わない温和な笑み。

私の、大好きな、大好きな…………

零れる涙を拭い、顔を上げる。

泣いている暇なんて、ない。

雪ちゃんが命を賭して守ってくれたこの街を、壊させるわけにはいかない。

京ちゃんが私に託した想いを、途切れさせてはいけない。

そして……

この世界を守れるのは、この世界を救えるのは、私だけだから。



「東雲さん!!」

 乃木神社へと戻ってきた私に、先生が駆け寄ってくる。

「ありがとうございます、先生。あの……確かに頭も、心もぐっちゃぐちゃですけど」

 今だ整理のつかない頭のなかで、それでも一つの決意を口にする。

「でも、雪ちゃんを、京ちゃんを、先生の言葉を、信じてみようと思います。とにかく、今死んだら、雪ちゃんに顔向けできないし、それに、京ちゃんだって、まだ助かるかもしれない」

また私は、逃げ出す所だった。

「生きていないと、京ちゃんを助けられない」

生きる理由はもう一つある。

「京ちゃんは、まだ、雪ちゃんが死んだ事を知らないですよね……」

あの戦闘以降、目を覚さず、闇の中に眠るらしい京ちゃん。

「そんな彼女が目を覚したとき、真実を伝えるのは、私の役目だと想うんです」

私のせいでこうなってしまったのだから——

これは、決意のようなもの。絶対に、叶えなければいけない。

目を逸らしてはいけない。

背負わなければいけないんだ。

「だから、私はまだ、生きていきます。この、壊れた世界を」




街を混乱に陥れたあの戦いから数日。

『新』に託された任務のため、地上にでる。

一つ、あの戦闘の後に改善されたところがあった。

それは、英雄の身体刷新機能。

簡単に言うと、前回の戦闘で負った傷を、神様が完全に治してくれる機能のことだ。

ただし、地上での活動時、それも、変身している時限定で。

だから、今は傷一つ無い綺麗な体でも、ひとたび地下に、日常に戻れば、戦闘のダメージが顕現する。当然、新しい戦闘で負った傷も、反映される。

「日常を犠牲にして、日常を守る、か。本当に、何のために戦っているんだろう」

しめ縄を越え、熱い太陽の光が身を焼こうとする。

前回の戦闘で大きな被害を受けたはずの世界は、たったの数日で、もとの姿を取り戻していた。

「この体も、この世界も、さながらゲームの一駒でしかないんだね」

あるいは、木々や花、それこそ、いまから修復に向う鳥居などは、壊されても、何度でも治して元通りだ。

でも、人間は、そうはいかない。

壊れても、生き返らせて元通り、などというわけにはいかないんだ。

そもそも、生き返らせる、なんてこと、絶対にあってはならない。

でも、今の私はそれに限りなく近い存在で……

「考えても仕方ないか! とにかく、結界を直さなきゃね」

初めて、京ちゃんとこの世界を訪れた時の様に、真っ直ぐと木々の間を歩いて行く。

本当に、一回目と、この間と寸分違わない景色を見ながら数分。

視界の先に、無残にも倒れて、砕けてしまった鳥居がある。

それを、丁寧に起こし、一つ一つ欠片をくみ上げていく。

倒れないように、所々を縄で結び、最後に祝詞をあげて終了だ。

この結界は、神様と初代の英雄が共に作ったものであり、神様だけの力では修復が出来ないらしい。なんとも不便ではあるけど……

「これでいいの、かな?」

できあがった張りぼての結界を見て、若干不安が起こるものの、眺めていたって仕方ない。

やれと言われたことはやったのだから、もう良いだろう。

「さあ、京ちゃんの所に戻らなきゃ」

全ての修復作業を終えると、淡い白の光が私を包み、乃木神社へと戻してくれる。

「つっ……」

突然、体中に痛みが走り、思わず倒れ込んでしまう。

動ける、とはいっても、まだまだ痛む体に鞭を打って動いている状態だ。

それでも……

「やらないと、いけないことが……あるんだ」

昨日の戦闘で、この街の現状、マヨイモノの存在、大災害の真相、それらが明るみになった。

街の人々はパニックに陥り、暴動などが発生。

街は大混乱。そして、地下は混迷に落ちる、はずだった。

しかし、『新』は、雪ちゃんの、まさに英雄たる死に様を巧みに利用し、街の人々の混乱を収めた。

神に力を授かった英雄が、人知れず世界を守っていて、そしてこれからも守り続けて行くのだと、英雄は絶対に負けないのだ、と声高に叫ぶ。

すると、一夜明けた今朝。

地下は再び、静けさを取り戻していた。

こんなにも恐ろしいことはない。



英雄は、簡単に負ける。


簡単に傷つく。


簡単に——命を落とす。


しかし、その事実は伏せられ、仮初めの希望だけが、与えられている。

そして、私は、この任務から逃げ出すことも出来なくなってしまった。

世界を守る英雄として知られてしまえば、戦いを拒否し、世界を壊すという選択など選べない。

『新』は、街の人々の命を賭けに出し、私をこの任務に縛り付ける事に成功したのだ。

「でも、いいんだ。どっちにしろ、逃げるつもりなんてもう、ないから。昨日、決めたんだ。もう、あんな思いはしたくない。大切な人を今度こそ、自分の手で守るんだ、って」

ベット脇の、面会者用丸いすに腰掛け、眠っているはずの京ちゃんの手を握って話す。

少し、笑った様に見えたのは気のうせいだろうか。

もし、この間のようなマヨイモノが現れても、今度は一人で戦わないといけない。

怖くて、怖くて……想像するだけで、脚が固まってしまう。

それでも、この子を、大切な、この街を、自らの力で、守ってみせる。


「それが、あなたへの、あなたたちへの贖罪——だから」




「友奈、回避遅い!! マヨイモノを相手にするときはとにかく捕まらないことが最優先!!」

「はい!!」

「結衣も、楓も!! 囲いが甘い! それじゃあマヨイモノの動きを制限できない。片腕で、右目の見えない私も捕まえられなかったら、マヨイモノなんて倒せない!!」

「はい!! 大和先生!!」

あの鯨との戦闘から4年。私は『英雄』の任務から解放された。右目はあの戦闘直後に現れたコウモリ型のマヨイモノにやられ、失明し、左腕は三ヶ月前のシャチ型との戦闘で食いちぎられてしまった。もう、お嫁さんにはいけないくらい、ちいさな傷なら無数にある。

それでも……それでも、なんとか生き延びた。

今は私達の次に選ばれた英雄の、戦闘指南役なんてものに任命されている。なんでも生きて任務から解放された英雄は10年ぶりらしく、また、戦闘経験を直接話す事ができるほど、元気な状態で解放された英雄は前例が無いという。

「大和先生、先生は……どうして独りでも戦うことが出来たんですか? わたしは……皆といても、怖くて怖くて……」

鍛錬が終わり、東郷神社内にある修練場を片付けていると、一人の生徒にそんな質問をぶつけられる。

土居友奈――鍛錬では真っ先に私に斬りかかり、先頭に立つことで、味方の士気を高める、そんな勇ましい姿からは想像もつかない、震えた弱々しい声をかけられる。

「なんで、独りでも……か」

鯨型との戦闘で負った傷が癒えず、未だ目を覚さない京ちゃん。

その混乱に乗じて街に侵入したマヨイモノを討つために命を落とした雪ちゃん。

「独りなんかじゃ、ないから、かな」

 窓から見える、夕陽にも染まらない朱い鳥居を眺めながら答える。

2人のいない世界、自ら命を絶つことすら考えた。でも……

「京ちゃんは、まだ死んでない。この世界が続いて医療が発達すればマヨイモノとの戦闘で負った傷も治せるようになるかもしれない」

目を覚した京ちゃんに、私の口から雪ちゃんの死を伝える。それが、親友としての務めだと思うから。

「でも、やっぱり、独りじゃないですか」

友奈は不安そうに、眼に大きな滴を溜めながら、もう一度疑問をはき出した。

「独りじゃない」

今度は振り返り、友奈の眼を真っ直ぐに見据え、強い口調でそれを否定する。

「独りじゃ、無かったんだ。雪ちゃんから、この世界を、想いを託されたから」

雪ちゃんが守ったのは、紛れもなく、この世界だ。

私がまた、英雄として立ち上がることが出来たのは、雪ちゃんが守った世界を、託された想いを、繋がなければいけないと思ったから。

「じゃないと、雪ちゃんの死は……」

雪ちゃんから、託されたから。

「そういう、託されたものが、先代の英雄さん達が繋いできた想いがあったから、私は一人でも、独りじゃなかった。だから、戦えたの」

「繋いできた、想いですか」

首を傾げ、まだ少し不満そうな表情をみせる友奈。

「うん。命がある限り、繋いでいくの。そしてね、その想いが繋がって繋がって、連なっていって、きっと誰かが、この世界を変えてくれるんだ」

人類滅亡に向っていくだけの世界。

「ううん。きっと、じゃない。必ず、私達の想いは叶う。だから、友奈も、怖くていいんだよ。その時は、逃げてもいいんだよ。生きて生きて生きて、私達の、人の想いを繋いでさえくれれば、その想いを受け取った、誰かが想いを形にしてくれるから」

力が無くて、弱い私達にできることは、とにかく希望を、想いを途絶えさせないことだけ。いつか、必ず。紡ぎつづけた想いだけが、災厄を打倒する力になり得ることを、京ちゃんが、雪ちゃんが教えてくれたから。

「今の私では、マヨイモノを倒すことは出来ない。その力を持つのは、友奈達だけなんだよ」

そう言って笑うと、友奈は寂しそうに、でも強く何かを決するように口を強く結んだ。

「英雄には、たくさんの想いが、私達の希望が託されてる。英雄の任務はマヨイモノを倒すことじゃないんだ。届かなかった想いを、託されたものを、次の者へ繋ぐこと。だから、怖くてもいい。生きて」

英雄とは、神の力の依り代なんかじゃない。

英雄とは……想いを形にする人でしかない。

だからこそ、それは時に、神の力を上回り、マヨイモノを打倒する力になり得る。

「あとは、託します。あなたたち、次代の英雄に」


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東雲大和の物語 佐藤一 @gambaosaka

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