東雲大和の物語

佐藤一

前編 小さな英雄の物語



どん どん どん どん どん どん————





どん どん どん どん どん どん———



突如街中に、破裂音が響きだす。

「きたんだ……」

真実を知ってから初めての侵入。


負けるわけにはいかない。


戦う意志を、ちいさな結晶に込める。白い光が私を包んだ。

平衡感覚がなくなり、意識が一瞬途切れる。目が覚めると、乃木神社の扉の前についていた。

遅れて、休みなのになぜか制服姿の京ちゃんが現れる。

「ほんとにどんなシステムになってんだ? これ」

「まあ、神様の力だから」

「いや、だから、神なんて居ないんだよ」

「そこ否定してるのに、結晶は使ったんだね」

「うるせえ! それはそれ、これはこれだろ」

「う~~ん、意味わかんない」

くだらない会話で緊張をほぐす。

しめ縄を出ると、自然と戦闘服に切り替わった。

私は日本式の黒い甲冑。

京ちゃんは真っ赤な西洋鎧だ。

 足早に鳥居の下へいくと、異形の怪物がそこにいた。

「相手さんは……あれ、なんだ?」

「熊?」

四足で歩く黒い化けもの——マヨイモノだ。

こちらを認識し、襲いかかってくる。

それをそれぞれ横に飛んでかわし、すれ違いざまに一太刀を加える。

「おい、ほんと何もんだよ、おまえ」

京ちゃんはそんな私の動きを見て驚いているようだ。

「いやぁ、やってみるもんだね」

マヨイモノも、回復が早いだけで、しっかりと攻撃を加えれば多少の隙はうまれるみたい。

「くらえ!!」

刀で熊型のマヨイモノの目を抉る。

暴れて、不釣り合いな爪を振り回すが、全くあたる気がしない。

「一本!!」

背後から京ちゃんが、大きな斧を振るって右腕を落とす。

私も剣撃を残った左腕に集中させる。肘を突くと、ガシュッという骨がひしゃげる音が聞こえた。それと同時に残った左腕の破壊に成功する。



どどん どどん どどん どどん どどん どどん———



『どんどこ』が早まる。

着実にエネルギーは減っているようだ。

「大和、行くぞ!!」

「うん!!」

両腕を失ったマヨイモノは、必死に吠え猛る。しかし、再生よりも私達二人の攻撃の方が早かった。

私の刀はしっぽを斬り、京ちゃんは首をはねている。

マヨイモノは黒い土になって消えていった。



どどどどどどどどどどどどど どん



『どんどこ』が締められ、闘いの終わりを告げる。

こうして私達は、またも生き残ったのだった。




 どん どん どん——



 乾いた、ゆっくりとした破裂音が町中に響いている。

 「あっ、京ちゃん」



 どどん どどん どどどどどん———



その音は、段々に速度を上げていき、私に焦燥感をもたらした。

「ちょ、ちょっと待って! あとちょっと、ちょっとで、悲願のハードモードクリアなんだよ!」



 どどどどどどどどどどど、どどん———



 音は、最高速度に達すると、一拍おき、力強い連打をもって締められた。

余韻がまだ、耳の奧に残っている。

「もう! 鳴り止んじゃったよ! 早く行こうってば!」

「うるさい! ああ~また負けた……くっそ、もう一回だ!」

 綺麗な桜色の髪が特徴の女の子は、私の言葉に一切耳を貸さず、ゲーム台にのめり込んでいる。

そういってはさっきから、負けてはコンティニューを繰り返しているが。

「コンティニューする度に敵の体力、全部回復すんの、気に入らねーよな」

その女の子は、画面から目をそらすこともなく、気怠げにたずねてくる。

「う、うん。そうだね~……」

「あっ! よし、ハメ技はいった! いけるぞ!! よくも俺の小遣いを食いつぶしてくれたな! 死をもって償え!!」

そんな私の返答に反応することもなく、またゲームの中へと没入していってしまう。

 佳境を迎えているのであろう。そういったことに全く興味のない私ですら、息を呑んでしまうほどに激しい戦闘が、画面の中では繰り広げられていた。

「とどめだ! 二年分のお年玉! その重みをとくと味わえ!!」

その女の子の手つきが、さらに速くなる。

 もう私の目では、何が起きているのか把握できない。

 それでも、あと少しで勝てるというのなら……!!

「京ちゃん、頑張れ……」

 無意識に握りこんでいた両手に、爪が食い込み、鈍痛を感じる。

 じっとりと、額には小さい汗が、無数に浮かんでいた。

「うおおぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ!!!」

 その女の子、桃色の美しい髪を振り乱しながら京ちゃんは、ガタッっと椅子を倒して立ち上がると、渾身の力を込めて、ボタンを叩く。

「これで、終わりだぁ!」

「いけ~!」

 私もつられて立ち上がり、思いっきり叫ぶ。

 金髪のツインテールで、際どい服を着た女の子が、光に包まれ、空高く舞い上がる。そして、黒い巨大な敵めがけて、高速で落下を始めた。光に当てられた巨鳥は、動くことが出来ないらしい。

 大地がめくれ上がり、木々はなぎ倒され、世界がグチャグチャにかき回される。

 そしてついに、少女と、巨鳥がぶつか————

「……あれ、どうした?? なんで画面消えたんだ?」

「どうしてだろう……?」

 ぶつかり合い、必殺技が決まり、ボスが倒されて、エンディング、とかいうやつが流れるはずのゲーム画面には、今、私とその女の子の顔が映っている。

「画面、消えてる??」

嘘だろ……と、さも全財産を火災で失ったサラリーマンの様な声でつぶやく彼女。

テレビ画面はうんとも、すんとも言ってくれない。

「うそだろ……ここで故障か?! ふざけんな! いくらかけたと思ってるんだよ!」

さっきまで、嬉々としながらゲームをプレイしていたはずの彼女の姿はない。

ゲーム台に覆い被さる桃色髪の、男言葉少女。

えっと、ここ日本だよね??

「お、おちつこ~よ! これも、実は演出なのかもよ?」

 私はなだめるために、必死で言葉をかける。しかし、

「んな訳あるか! どれだけのゲームをコンプしたと思ってぃる?! こんな演出、あるわけがねえ!! おい、店長!! ちょっと出てきやがれ!!」

 うーん、逆効果だったみたい。

 顔を真っ赤にしてわめく彼女、黙っていれば普通に美少女なのに。なぜか一人称は俺だし、その乱暴な口調と、粗野な態度が見てくれを台無しにしている。

「まあまあ、またチャンスはあるよ~」

「うるさい! 大変だったんだぞ……やっとだったんだぞ……!!」

ひとしきりわめいたかと思えば、今度は突然泣き出してしまう。

「京ちゃん、泣かないで。飴ちゃんあげるから」

「そんなガキじゃねえよ!! うぅ……」

「もう……ていうか、あれ??」

 なんだか、余りにも人気がないような……??

「ううぅ……うん? 店、長……?」

 京ちゃんも、今の状況の違和になんとなく気づいたようだ。

 いくらゲームセンターといえど、これだけ騒いでいたら、誰かしら反応するはず。

あれ……そういえば、人が……全く居ない??

「やっと、気づいたのね」

「「???」」

 ピコピコと電子音だけが響く店内に、凜とした鈴のような声音が響き、同時にゲーム台の裏から、一人の女の子が姿を現す。

——右手には、なにかのコードらしきものを持って——

「……お、おーい! 雪! もしかして、お前が……!」

 はっ、と何かに気づいた京ちゃんが、顔を真っ赤にさせて激怒する。

 雪、と呼ばれた女の子は、十四歳にしては高身長で、見上げないといけないほどの、すらっとしたモデル体型でありながら、

「相変わらず、大きいよね」

「大和ちゃん?! それはどこのことを言っているのかな!?」

不意の口撃に、胸を押さえ、うわずった声になる雪ちゃん。

とにかく、同じ十四歳とは思えないほどに綺麗でかっこいい、私の親友!

「……ごほん。とにかく、『どんどこ』が鳴っていたの、まさか気づかなかった、とは言わないわよね?」

咳払いでまだ赤みがかった顔を隠して平常を装うと、いつものようなクールで凜とした、でもちょびっとだけ怖い声音に戻る。

「ああ? 鳴ってたっけか? 大和、聞こえてた?」

雪ちゃんの問いかけに京ちゃんは、全く気づいていなかったと、悪びれもせずに言い放つ。

「いちおう、京ちゃんにも言ったんだけど……」

「そうだったっけか。すまんすまん、聞いてはいたけど聞き流してた!」

ははは、と大きな口をあけて、笑う京ちゃん。

そんな楽しそうな京ちゃんを見ていたら、自然と私も笑みをこぼしてしまう。

「あのね、黙って聞いていれば……」

ただ、とうぜん、おもしろく無い人だってこの場には居るわけで。

「あなた、『どんどこ』がなったら、東郷神社、礼拝堂に集結。神村街の一番の掟でしょう!! なに平然とゲームなんてしているの!」

話している内に、雪ちゃんの怒りはどんどん強くなる。

「学校の掟を破ってまでゲームがしたいですか! このもやしっこ!」

「ああん?! 聞き捨てならねーな! どう考えても最後の一言は余計だろうが!」

京ちゃんがゲーム台の椅子から飛び降りて、雪ちゃんの方へとずかずか歩いて行く。

「ていうか、あなたなんかどうでも良いのよ! 『どんどこ』が鳴ったところで礼拝堂に来ないことは当たり前ですし。でも、大和ちゃんを巻き込むのはやめなさいよ!」

「あわわ、私のために争わないで~」

「「やかましい!!」」

 ちなみに、『どんどこ』はこの街に神様が舞い降りて来たことを知らせる合図のこと。

そこで、『どんどこ』がなったら街の人は、近くの神社の礼拝堂に、感謝を伝えるお祈りをしにいかないといけない。

そうすることで神様からいろんな御利益をいただくみたい。

 「ていうかよ、雪さんさ、あんたもここに居るって事は、礼拝堂に行くのサボっていたわけだろ? なら俺らと同罪じゃねーか!」

京ちゃんが勝ち誇ったようにニヤケ顔で告げる。

「ち、ちが! 私は、礼拝堂にいったらあなた達が居なくって、それで心配で……それで!」

雪ちゃんの言葉がつまる。

「ほほう、私たちが居ないから、探しに来たってぇ? だれも頼んでませんけど~? さては、友達居なくて寂しかったんだろ?! このかまってちゃんが!」

さっきのお返しとばかりに、盛大に煽る京ちゃん。

「そ、そんなわけ、ないでしゅ!」

これまたクリティカルヒットらしい。雪ちゃんは、手を胸の前でバタバタ振って必死に否定。

「ほらほら、かまってちゃんの雪ちゃんよ、遊んでやるからこっちきな~」

調子に乗った京ちゃんの悪ふざけはどんどんとエスカレートしていく。

「ちが、ほんとに違いますから!」

「ほらほ~ら」

「ほんとに、ほんとに!」

「かまってちゃ~ん」

「あの、ほんとに……」

ブチッ。何かが切れる音が突然、私の耳に飛び込んできた。

「ほら、かまってちゃ……」

「何回言わせたら分かんねん。おいこら。はげ」

「ちょ、雪さん……?」

下を向いた雪ちゃんの表情は分からない。それでも、すっごく怒っている事だけは、わかる。

「京!!」

「はい!!」

もはや逆らう余地は残されていない。圧倒的覇気が雪ちゃんから発せられている、気がする。

「お前よう、黙って聞いてりゃピーピーピーピーよく鳴きよって。ああん?! 黙らせたろか?!」

「ほんとすんませんでした!」

雪ちゃんが、ドスをきかせた声で、怒鳴るのと同時、京ちゃんはピシッと綺麗に三つ指を立てて謝罪を入れる。

「やまとちゃんも、このバカの手綱、しっかり握っとかんかい!」

 ここで私にも怒りが飛び火。

「ええ~! 私にもくるの?!」

あっ! こころの声がつい!

「当たり前じゃい! あんたがこいつ見とかんで誰が世話すんねん」

ぐいっと一歩、さらには顔を突き出して接近してくる。

「私しか居ないですね……」

そんな、あまりの剣幕に気をされ、半ば強引に同調してしまう。

「やろ。だから、しっかり頼むで」

「は、はい。すみません」

あれ?? なんで私が謝っているんだろう……?

雪ちゃんは、いつもはおしとやか? というか、丁寧というか、そんな感じのしゃべり方だけど、怒ったり、興奮したときは、なんだか分からない言葉になる。大昔の方言ってやつらしいけど。

「とにかく、あなた達に何もなくて良かったです。サボる口実にもなりましたし」

そんなこんなで落着いたのか、やっと口調が元のものに変わる。……うん? ていうか!

「やっぱりお前もサボり目的じゃねぇか! 土下座返せ!!」

「ひどいよ雪ちゃん!」

「あはは、ごめんなさい。つい二人の反応がおもしろくて」

大人びた顔立ちで、クールな印象の雪ちゃんだけど、たまにみせる、いたずらっ子な、クシャッとした笑顔は、女の私ですら見ほれてしまうほどに可愛らしい。

だから、ついつい何をされても許してしまう。

「ふざけんな! ただのサボり女にお年玉と命かけたゲームの電源落とされたってのか?! 納得出来るかぁ!」

しかし、京ちゃんは納得いかないようで、狂ったように叫ぶ。

「ごめんなさいって。また、やれば良いじゃないですか」

あ、雪ちゃんそれは……

「か・ん・た・ん・に、いうなぁぁぁ!!」

地雷だよ、さっき踏み抜いたから分かるんだ。

「おいおい、どうした?! 何があった?!」

すると、その叫び声を聞きつけたのか、ひげを蓄えた四十歳くらいの、愛想の良いおじさんが店の中に飛び込んできた。

「なんだい、礼拝にいっとるあいだに……って、またお前か、京」

そのおじさんは、京ちゃんの顔を見るなり、ため息をついて、やれやれ、という顔をする。

「そんなんじゃ、神のご加護を受けられないぞ?」

「いらないもんね。神なんて信じてないし。それより店長聞いてくれよ! 雪がさあ、このゲームせっかくクリアしたのに、エンディングの前で電源落としやがったんだぜ?」

「なんだと?! あの、幻のエンディングへたどり着いたというのか?! お前、よくぞ、よくぞ……!!」

京ちゃんの話を聞いて、うっすらと涙を浮かべる店長。

「だろだろ? ほんとに苦労したんだからな!」

京ちゃんが誇らしげに腕を組み、胸を張る。

「うんうん。お前なら、出来ると思っていたよ。本当にすごい奴だ……なんて言うと思ったか! 雪ちゃん、ナイスプレーだよ」

途中で声が大きくなり、おじさんが、親指を立てて雪ちゃんを褒める。それに応えるように、雪ちゃんも親指をたてて応える。

「そりゃないぜ! 店長。いくらつぎ込んだと思っている?」

まさかの裏切りにあい、京ちゃんは怒っているが、

「学生が、街の掟も守らずに遊んでるんじゃないよ。ったく、今回は見逃してやる。次はもう、本当に出禁だからな」

店長は厳かに京ちゃんへ宣告をし、バックヤードへと入っていってしまった。

しかし、意に介していないように京ちゃんは、こんなことを言う。

「店長、今の言葉十回目。なんだかんだで毎回見逃してくれんだよな」

うん、そりゃそうだと思う。お年玉全額を寄付してくれるような、貴重なお客様だ。むげにはしまいだろう。

そんな損得勘定、あの優しそうな店長はしてないと思うけど。

「さあ、ゲームも飽きたし、そろそろ日も暮れてくる。帰るべ」

唐突に京ちゃんが号令をかけ、それに黙ってしたがう私と雪ちゃん。

ゲームセンターをでて大通りをひたすら真っ直ぐ歩いていく。

私が真ん中に入り、右に京、左に雪が定位置だ。

空を見上げると、カラーフィルムを貼り付けたかのように鮮烈な夕焼けが広がっている。

横では、私を挟んで二人が、アイスクリームはカップ派か、コーン派かでケンカを始めた。

まったく、二人とも。

「じゃあ、また明日」

いつもの十字路へとさしかかる。私は真っ直ぐ、京ちゃんは左、右には雪ちゃんが行く。

私と二人は手を振りながら。京ちゃんと雪ちゃんは、互いにあっかんべーをしながら、見えなくなるまで三人向き合って歩いて行く。




「おはようございます。日直は、号令をかけずに待ってください。まず、神巫京さん、東雲大和さん、乃木雪さん。ホームルームを始める前に、なぜ昨日、礼拝堂に来なかったかを説明しなさい」

東郷神社での礼拝をサボった翌日の朝。私達は、窮地に立たされていた。

大ピンチだよ……昨日のサボりバレてたんだ……

「当たり前よね。クラスごとに礼拝をするのだから。気づいていなかったら、あの女教師はあまりにも無能ね」

隣に座っている黒髪のかっこいい少女が、教師批判を始めるが。

「雪ちゃん、自分のこと思いっきり棚にあげているよね。もう少し悪びれようよ」

しかし、それこそ、いまの言葉が思いっきりブーメランだ。

私のどこに雪ちゃんを注意する資格があるだろうか。

「いや、無い」

「やまとちゃん? なぜ突然反語?」

私のつぶやきを聞いていたのか、雪ちゃんが怪訝な顔で聞いてくる。

「ううん、なんでもないよ!」

「乃木さん、東雲さん、こそこそ喋っていないで、説明をしてください。それと神巫さんも、なぜ知らん顔してゲームをしていられるんですか。というか、そもそもゲーム機は持ち込み禁止のはずでしょう?」

全く反省の色が見えない私達に対し、先生は声を荒げてしまう。

慌てて私は立ち上がるが、あとの二人はどこ吹く風で座っている。

ちょっとこの二人と同罪だと思われるのは、嫌だ……

「あ、えっと、昨日はですね……」

さあ、どうやって誤魔化そうか。なにせこういった事で怒られるのは初めてだから。

でも、正直にいったら、やばいよね……どうしよう。

「大和とゲーセンでゲームしていました」

「私の逡巡を返せ!」

私の右隣に座る京ちゃんが、窓の外を見ながらぶっきらぼうに答える。

「ねえねえ、京ちゃん、バカなの?」

「え? どうした大和?! そんな怖い顔して!」

私の不穏な雰囲気を感じ取ったのか、京ちゃんはこちらを向き、私の顔をみて、自分が何をしたのかに思い当たる。

「そうなんですか? 東雲さん、神巫さん」

逃さないとばかりに、先生の追求が強まる。

「え、ええっと……」

私が回答に困っている横で、京ちゃんは、よどみなく……

「違います、先生。私たちはゲーセンには居たけどゲームはしていません。ましてや、お年玉も全額使うようなことはしてません!」

「わかりました」

全ての罪を自白したのだった。

「京ちゃんって人は……」

顔を覆ってうつむく。

「なあ、大和? どうしたんだ?」

「ううん。無邪気は凶器だなって」

「なに難しいこと言ってんだ?」

本気で首を傾げる京ちゃん。 

ああ、終わりだ……街一番の掟を破るなんて、どんな処分が……

「乃木さんは、なぜ居なかったのですか? クラス委員として仕事をこなすあなたが、サボりとは考えられませんが」

雪ちゃんへの追求は、なんだか、私たち二人に対する追求の声音よりも、幾分か声に柔らかみがある気がする。

それもそのはず。なんせ雪ちゃんはクラス委員にして、我らが神村中学の生徒会長でもあるのだから。

サボりよりも、なにか、のっぴきならない理由があったのだろう、と考えるのが自然だ。

その実、サボりもサボり、私たちを追って、ゲーセンに来ていたとは、だれも想像してないだろう。

「雪ちゃん、私たちの事は気にしないで……」

でも、立場が違いすぎる。ここでサボりを認めれば、彼女の地位も危うくなってしまう。

思いっきり嘘をつけばいい。その隠蔽にはいくらでも手を貸すよ!

しかし、雪ちゃんは意外にも、

「いえ、先生。私も彼女たちと一緒にゲームセンターにいました」

「え、そうなのですか……」

先生も若干ショックを受けたようだ。優等生であるはずの雪ちゃんがサボりをしていたなんて。

これは、学園を揺るがす大問題になりかねない。ましてや雪ちゃんは……

雪ちゃん、大好きだよ! 私たちと、心中してくれるなんて!!

「なぜ、そんなことに……」

先生が、か細く消え入る声で問いかける。

「それは、サボりではありません。この二人が悪いんです」

……はい???

「昨日、『どんどこ』がなり、家から東郷神社に向かう途中で、この二人がゲームセンターに居たのを発見したのです。しかし、この二人はゲームに夢中で全く気づいていませんでした。私は、クラス委員として、見過ごすことが出来ず、二人に声をかけにいきました。それでも二人は意に介さずで、ゲームセンターから動くこと無く、気づいたときには礼拝が終わってしまっていたのです。すみません」

次から次へと、平然と嘘をならべる親友。

「そうだったのですか」

先生が、神妙な面持ちで雪ちゃんを見つめる一方で、私たち二人には、

「ゴミを見る目だな」

「うん」

「ていうか、おい! てめえふざけんな! なに一人だけ言い逃れしようとしてんだよ!」

「そうだよ、雪ちゃん! あんまりだよ!!」

まさか、私たちを見捨てるだなんて!

すると、雪ちゃんは私たちの方に体を向け、口パクで何かを言っている。

「うん? なになに……ゲーセンに誘わなかった罰、だああぁ?! ガキかてめえは!!」

「そんなことで?!」

「そんな事ってなによ!! 三人いつも一緒なのに、一人だけ誘われてなかった事を知ったときの心情が、あなた達に分かる?!」

「なに言ってやがんだ!! しょうがねえだろ! おまえ委員会あるから、先帰っててって言ったじゃねえかよ!」

3人の言い争いがヒートアップする。

「だからって、二人でゲーセン行くのはおかしいやんか!」

「ちょ、雪ちゃん、方言でてる! 落ち着きなって!」

「せやからしい! そうやって、うちだけハブこうって言ってんのやろ?!」

「そんなことないから、落着いて! 皆居るんだよ?」

「うるさ……あっ、」

やっと状況に気づいたようだ。初めて見る、雪ちゃんの姿にクラス一同が驚いている。

雪ちゃんは顔を真っ赤に染めて、机に座り顔を突っ伏してしまった。

「落着きましたか? とりあえず、三人とも放課後、原稿用紙十枚分の反省文を課します。出来なければ、この街に居られないと思ってください」

レンズの厚い、めがねをかけた、柔和そうな担任が、颯爽と冷酷に、死の宣告を行う。

「「「ええ~そんな~!!!……」」」

私達の絶叫がこだまするなか、先生は、淡々と朝の会を始める。

「では日直さん、号令を」

そう言うと、窓際最後列、京ちゃんの後ろに座る女生徒が、元気な声で音頭をとる。

「きをつけ~礼」

「「「おはようございます」」」

クラス三十人分の、元気な声が、初夏の、重ぐるしい灰色をした空に溶けていく。

「東郷神社、多々良様にむけて、礼」

全員が、右手の小指で、左から右へと横に一本線を引く。それから両手を合わせ、拝をする。

「東雲さん、左手で右から左に引くのは、異端者のサインですよ」

「あれ? 間違えました~」

ぼーっとしていて、自分が今、何をしていたのかも分かっていなかった。

「ほんと大和は、天然バカだな」

左隣で、立ってすらいない京ちゃんが、注意された私を見て笑っている。

「いいのよ。そういうところが、やまとちゃんの魅力なんだから」

今度は、右隣の雪ちゃんが訳の分からない事を言った。

いや、それよりも———

「ねえ、二人とも、さっきのさっきで、その態度はどうなのかな?」

雪ちゃんも立っておらず、礼や、拝をするつもりはないようだ。

「神巫さん、乃木さん。なぜ儀礼を行わないのですか?」

先生も呆れた様に疑問をとばす。

最初に答えたのは、先ほどから、全く反省の見えない京ちゃんだ。

「神様なんてもん、信じているほうがバカらしい」

何の気無しに京ちゃんが放ったこの一言。場合によっては処分対象になる。

「ちょっと、京ちゃん。それはまずいんじゃないかな?」

「はっ、たかが一女子中学生の戯言だぜ? 『新』だって、出しゃばりゃしねーよ」

「でも……」

「先生が『新』の構成員であることを、お忘れ無く。神巫さん」

『新』とは、この神村街を治める宗教組織だ。東郷神社の管理もしている。

色々歴史とかもあるらしいけど、良く覚えてないや。

「どうでもいいですよ。処分するならすれば良い。でも、神様なんて、いやしない。そこは、絶対に曲げない」

京ちゃんが、そんな圧を気にもせず、勢いよく言い切る。

すると、周りの生徒達が、ざわつきだす。

「また神巫さん、あんなこと言ってる」

「怖いよね」

「この街で、そんなこと言えるなんて……」

神様はいない、なんて異端も異端だ。なにせこの街は、名前の通り、神様に作られた街と言われているから。神への信仰心、特に多々良と呼ばれる神様への信仰は、生きるために、息をするのと同じくらい、当たり前。こんな事を言う人は、怖がられ、避けられてもしょうがない。

でも———

「「「神巫さん、かっこいい!!」」」

このクラスは、なんか違う。

「ええ? な、なんだよ??」

京ちゃんは、しばらく顔を赤らめて、手をバタバタと振っていたが、

「ま、まあ俺様ぐらいになると、『新』だって、容易に手は出せないからよ」

すぐに調子に乗って騒ぎ出す。

さっきは一中学生とか言っていたくせに。

「皆さん、静かにしてください」

しかし、先生が、厳かにそう言い放つと、ピタッと喧騒が止む。

「神巫さんの考えを、粛清しようなどとは全く思っていません。生徒一人一人の価値観は尊く、決して他人に干渉されるべきでは無いからです。しかし、社会には、しきたりや、掟というものがあるのです。そして、それを大切に思っている人も」

そこで先生は、窓に目を向け、少し遠くを見つめた。

窓からは、人間の建築物とは思えないほど、神秘的な朱をまとった、百メートルはゆうに越えるであろう、巨大な鳥居が見える。

先生は、その鳥居の先にある、ここからは見えない、東郷神社に視線を送っているのではないか。

なんとなく、そう思った。

「だから、そういった本心は、なるべく言葉に出さないようにしましょう。あなたの言葉で、大切にしているものを、傷つけられる人がいるかもしれない」

先生の言葉が、なぜか心に迫った気がする。このときばかりは、さすがの京ちゃんも、

「はい……すみません」

素直に先生の言葉を聞き入れた。

「偉いね、京ちゃん」

らしくない態度の京ちゃんに、小声で話しかける。

「ああ、なんか、こればっかしは、茶化しちゃいけない気がしてよ」

「やっぱり? 京ちゃんも、そう思ったんだ」

なぜだろう。いつもなら、聞いても三歩いけば消えてしまう先生の言葉が、妙に引っかかる。

「そうか。三歩歩いてないからかも」

「……どうした? 大和?」

「ううん、なんでもない」

「それで、乃木さんは? なぜ儀礼を行わないのですか?」

やはり京ちゃんへの追求とは打って変わって、雰囲気が変わる。

しかし、当の本人は、全く反応を示さない。

ここまで先生に、いや、『新』という組織に雪ちゃんが背いた姿を見せるのは、初めてかも知れない。

実際、私も、雪ちゃんがこんな態度をとっていることに、とても驚いている。

「あなたも、神はいないと、そう言うんですか?」

先生が、違うと言ってくれ、そう願うように、質問をぶつける。

すると、雪ちゃんは、キッと目を見開き、饒舌に語り出す。

「そんな野蛮人と一緒にしないでください。私は、神はいない。などとはのたまいません」

それを聞いて、先生は、胸をなで下ろしたようだ。

だけど、雪ちゃんは、私達の予想の、遙か上をいく回答をした。

「神は……死んだのです!!」

「……?!?!?!」

クラス全員の頭上にハテナマークが浮かぶ。

「えっと、なにを言っているのですか?」

先生も、ずれてしまった眼鏡をかけ直しながら、なんとか声を発する。

「だから、神は、存在しない。のではなく、死んだのです」

堂々と、自信たっぷりに、謎の思想を暴露した雪ちゃん。

神が死んだ?? さっぱり意味が分からない。

クラス中に困惑が広がる中、泰然とたたずむ雪ちゃん。

机の下で、きちんと整えられた脚、その上に置かれている手には、一冊の本が握られている。

タイトルが目に入った。

『悦ばしき知識 著作ニーチェ』

うん、全く知らない人の本だ。

でも、分かった。

雪ちゃんが突然こんなことを言い出したのは、確実にこの本の影響だ。

雪ちゃんは、熱心な勉強家で、特に今から五百年前の、西暦時代についての知識に関して右に出る者はいないと言われている。

しかし、勉強熱心な反面、読んだ本に影響されやすい。

よく、哲学がどうの、極楽がどうのと、難しい言葉を仕入れては、私達に押しつけてくる。

今回も、その本の中に、神は死んだ、だのなんだの書いてあったのだろう。

私は、あまりの事に整理が追いついておらず、ショートしてしまっている先生に対し、

「本の影響だよ~ただの戯言で~す」

というジェスチャーを送る。

何回か送ったところで、先生が気づき、今度は本当に胸をなで下ろす。

本の影響なら、飽きればすぐに直る。

「何が戯言ですって??」

「え?」

ジェスチャーに込めた思いが、声に出てしまっていたようだ。

氷の様に冷たい視線で、私を射貫く。

「ええっと、何でも無いよ~」

なんとか誤魔化そうとするが、

「ニーチェバカにしとんのか?!」

またヒートアップしてしまう雪ちゃん。

ここはひたすら謝ろう。

「ごめん~よく知らなくって~今度、教えてよ~」

「ニーチェ先生バカにしよったらな……って?」

「だから、その雪ちゃんが尊敬する、ニーチェ先生、私にも教えてよ」

それを聞いた雪ちゃんは、みるみる顔をほころばせていく。

よかった~怒りもおさまったみたい。

それに、雪ちゃんに西暦の話をしてもらうのは、楽しいから嬉しいんだ。

「とにかく、二人とも、いろいろな考えがあるのは分かります。だけど、決まりや掟は、先人達が築いた未来への礎でもあるのです。どちらも、大切にしましょう。では、今日、昼に避難訓練がありますので、お弁当の後は、教室に居てください。これで朝のホームルームを終わります」

先生が、締めの言葉を告げ、教室から出て行く。

それに合わせて、クラスの皆が一限の準備を、雑談混じりに始めた。

退屈で、のんびりした日常が、今日も始まる。




放課後。二人がけの長机に、パイプ椅子を強引に置いて、三人で座る。

「こんなに狭かったんだ……空気、重くない? 窓もないのね」

左隣にすわる雪ちゃんがぼやく。

「そりゃこんな狭い部屋に、三人も居たらそうなるだろ」

右隣の京は、机に肘をついている。

「しょうがないよ~そういう部屋なんだから」

拷問部屋のような、狭い部屋。そう、今私たちが居るのは、生徒指導室。その名の通り、生徒を指導するための教室だ。

「反省文なんて、初めて書くわ」

「私も~何を書けばいいんだろう?」

雪と二人でため息を吐きながら、それでも、なんとか書き進める。

生徒指導室も初めてなら、反省文だって初めての経験だ。

そんな私たちとは対照的に、京ちゃんはスラスラと書き進めていた。

「お前ら、反省文書いたことないのか……? そんな人類が存在するなんて!!」

私たちの顔を見ながら驚愕とする京ちゃん。

「いやいや、書いたことのある人の方が少ないんじゃ無いかな~?」

「ええ、やまとちゃんに同意ね。そうとうのバカじゃない限り、反省文なんて書かないわ」

「また雪ちゃんはそうやって……」

普段なら、雪ちゃんの挑発にのって、暴れ始めるはず。でも、今の京ちゃんは、なぜか不敵に笑みを浮かべるだけで、反論の一つも言ってこない。

「どうしたの、京ちゃん? バカにされてることにも気づいて無いの??」

「おい大和、お前が一番バカにしてねーか?」

「やまとちゃんって、たまに素で、ぶっ込むわよね」

二人から、非難ともとれる眼差しを向けられる。

「ええ~?? そんなつもりじゃ」

なんで京ちゃん怒ってるんだろう?

「ったく。まあ、そこのキャワふわバカは後でお仕置きするとして」

「ええ?! それ私のこと?? あんまりだよ!!」

キャワってなに?!

そんな私のリアクションも無視して、話を続ける。

「この場で、反省文を書いたことがあるのは、誰だ?」

「あなただけでしょ」

さぞつまらなそうに、それでも律儀に質問に答えを返す雪ちゃん。

「ああ、そうだ。この俺様だけだ。そうだろう?」

「ええ、そうよ。ねえ、だから、何が言いたい……」

回りくどい京ちゃんの言い回しに、さすがに雪ちゃんが怒りかけて、何かに気づく。

「ど、どうしたの? 雪ちゃん?」

「大和、まだ分からないか?」

「そんな、アホの子を見るみたいな目で見ないで!」

ちょっと悩んでるだけで、分からないとか、そんなわけじゃあ!

「よし、もう一つヒントをやろう」

京ちゃんは、からかうように、ニッと口角を上げて、悪な顔になる。

「俺が、礼拝を無視したことで反省文を書かされたのは、三回目だ」

「ま、まさか……」

「そうだ。俺様は、反省文の書き方を熟知している。つまり、この窮地を抜け出す方法も知っているって訳だ」

「な、なんか、京ちゃんがまぶしい!!」

「だろだろ? しょうがないから、反省文の書き方をレクチャーしてやんよ」

 ノリノリで私のほうに身を乗り出す京ちゃん。

「やった~!」

これで窮地を乗り越えられる! そう思ったのも、つかの間。

「そんなの許されるわけ無いでしょ。反省文とは自分の言葉で、自らの罪を懺悔し、言として残すことで、より一層精進する、という決意を表すものよ。他人にレクチャーされてかくものでは……」

「どれどれ、ちょっと見せてみろ」

「ええ~まだ終わってないよ~」

「あんた達ね! まだ喋ってる途中でしょうが!」

「え? 雪ちゃん何か言った?? ごめんごめん、聞いてなかったよ~」

雪ちゃんの顔を覗く。

「えっと、阿修羅さま……?」

「だれが阿修羅か!!」

「ご、ごめん!!」

あまりにも怖い顔をしていたから。

機嫌もさらに悪くなってしまった。

「いいわ、雪、とりあえずあなたの反省文、読ませて見なさい。やまとちゃんにレクチャーする力が、あなたにあるのか、見極めてあげる」

「小姑か、お前は。まあ、いいぜ、読ませてやるよ」

二人とも、口元は笑っているが、目は全く笑っていない。空気が張り詰めていく。

京ちゃんが、反省文を片手で押しつけるように渡す。

反省文を受け取ると、雪ちゃんはすかさず目を落として読み始める。

「こ、これは……」

ざっと一ページ目を読んだ雪ちゃんが、目を見開いて驚く。

反省文を持つ手が震え始めていた。

「雪ちゃん? どうしたの……? そんなに、すごいの??」

反省文を持つ手に、さらに力が入る。

「・・・・・」

「雪ちゃん??」

今にも、反省文がちぎれてしまいそうだ。

「・・・」

「お~い?? 原稿用紙に罪はないぞ~?」

と、何度か呼びかけ、やっと反応を示す雪ちゃん。

「反省文とは、こうやって書くのね……わかりやすかったわ」

「だろ~? 何枚書いたと思ってんだ。もう、プロの領域だかんな」

「ええ、さすが京ね」

いつになく京ちゃんを褒め称える姿になにか違和を感じる。

そんなものには全く気づかない京ちゃんは、勝ち誇った顔で雪ちゃんを見下していた。

「ええ、初めての経験よ。……ごめんなさいの六文字で埋め尽くされた、原稿用紙を見るのはね!! ゲシュタルト崩壊するかと思ったわよ!!!」

雪ちゃんが吠える。

「しかも、次のページは、すみません。次はソーリー、って、教師バカにしてんのか!!」

「いやいや、そこは俺も迷ったよ? でも、ソーリーって綴り分からなくて……だから、間違えるよりもカタカナのが良いかなって」

もじもじと恥ずかしそうに秘話を語る京ちゃん。

「そんなこと、どうでもいい!! こんなの、反省文として認められる分けがないでしょ!」

思いっきりだめ出しをする、反省文未経験者の雪ちゃん。

それに対し、幾度となくこの苦境を乗り越えてきた、京ちゃんは言う。

「反省の形は人それぞれさ。俺の場合、その形が、原稿用紙を埋め尽くすほどのごめんなさい、だったってだけだ」

いたって安らかに、穏やかに持論を展開する。

それでも雪ちゃんの怒りは収まりそうにない。

それどころか、みるみる顔が赤くなっていく。

「なんて屁理屈を! とにかく、文にすらなっていないのに、認められるはずが無いのよ! そうよね? やまとちゃん」

え? ここでふる?

「待って。その子猫みたいな、ビクって反応はなに?」

「え、い、いや、何でもないよ~?」

「あやしい」

ジト目で睨んでくる雪ちゃん。

まずい。この状況で、私の反省文を見せたりしたら……

「ちょっと、やまとちゃんも反省文見せてみなさい」

「いやです」

絶対見せられない。

「なんで?」

優しく、笑顔を浮かべているが、追求はいっこうに弱まらない。

「なんでもだよ。ほ、ほら! さっき雪ちゃん、反省文はレクチャーされるものじゃ無いって……あっ!」

「やかましい! 見せなさい!」

机の下に隠した反省文を強引に奪っていく。

「ああ……」

「どれどれってあんたもか! ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊している!!」

「ち、違うよ! 私のは、ごめんなさいじゃなくて、ごめんなさい。だから!」

「やかましいわ!!」

雪ちゃんの咆哮が部屋中に轟いたとき、外から先生の声が聞こえてくる。

「やかましいのはあなたです!! 乃木さん!!」

ガチャっという音と共に、厚底のぼってりとした眼鏡をかけた、女の人が入ってくる。

「おとなしく反省文を書いていなさいと言いましたよね?!」

「は、はい。すみません。でも……」

雪ちゃんは、納得いかない様子で先生につっかかろうとするが、

「でも、ではありません。反省文は終わったのですか?!」

「「は~い」」

私と京ちゃんは、その先生の質問に、元気に答え、原稿を持って、ドアの前に立つ先生のところへ移動する。

「待って、あれで終わったって言えるの?!」

雪ちゃんは、なんだか驚いているようだが。

「東雲さん、神巫さん。原稿用紙は?」

「あ、これです」

「はい、先生」

私たちは、魂のこもった玉稿を手渡す。

「なんで、神巫さんの原稿は、こんなにもボロボロなのですか?」

先生が、雪ちゃんに、ボロボロにされた原稿を見て、不思議そうにこぼす。

「魂込めたからです!!」

「……???」

要領を得ない回答に、先生も困惑してるけど。

「ま、まあ良いでしょう。ふむ、東雲さんも、神巫さんもよくかけていますね。合格です」

やった! 頑張ったかいがあったな~

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

試練を乗り越えた充実感に浸る私たちの前で、雪ちゃんが何かを必死に訴えている。

「あれで合格ですか?! 納得いきません!! あんなの、落書きと同レベルですよ!」

「そんなことはありません。ストレートな反省の意が伝わってきます」

「そりゃそうですよね!? だってストレートな謝罪の言葉を連射してるだけなんですから!!」

むっ、確かに、文章を書く力は高くない。それでも全力は尽くしたのだから、あそこまで言われる筋合いはない。

「ちょっと、雪ちゃん! その言い方はひどくない??」

「ひどくないわ。むしろ抑えている方なのだけれど?」

ここまでの敵意を雪ちゃんに向けられるのは、初めて。

少し、怖い。

視線がぶつかりあう。めちゃめちゃ高圧的だ。

「なあなあ雪さんよ~そこまで言うなら、あんたの反省文は、さぞすごい物なんだろうよ?」

先生とのやりとりを見ていた京ちゃんが、挑発するように言い放つ。

「そ、そうだよ! 読ませてよ!!」

「あんた達ねぇ、反省文は人に見せるものじゃ……」

先生が何かを言っていたようだが、誰一人聞いていない。

「い、いいわよ。私の完璧な反省文、読ませてあげるわ」

最初は乗り気では無かったのか、少し迷ったようだが、結局は見せてくれるらしい。

雪ちゃんから反省文を渡される。

ふむふむ。あれだけの口を叩くだけあって、確かに私達の文よりはすごいのだろう、ということは、伝わってくる。けど、

「なあ、言葉が難しすぎて意味が分かんねーよ」

隣で覗きこむようにして、一緒に読んでいた京ちゃんが、私の感想を代弁する。

「この、れんしゃ? とか、なにそつ? とか、初めて聞いたんだけど」

「れんしゃ、じゃなくて、ちんしゃよ。要するに、詫びの言葉を伴った謝罪のこと。反省文なんだから、謝罪よりは陳謝の方が適すでしょ」

「ほえ~雪はやっぱ、頭いいんだな」

京ちゃんが、素直に賞賛を口にする。

それに対して雪ちゃんは、

「当たり前でしょ?! あなたと一緒にしないでくださる?」

こんなリアクションをしてしまう。

これじゃあ、

「ああ?! なんだと!!」

やっぱり。まったくこの二人は……

「またまた、雪ちゃん一言余計だよ。京ちゃんも、照れ隠しなんだから、いちいち突っかからない」

「な、そんなんじゃ!!」

顔を真っ赤にして私の言葉を否定する雪ちゃん。

やっぱり、こういう顔はずば抜けて可愛いんだよね。

「そうか、照れてたのか~」

京ちゃんが悪い笑みを浮かべて雪ちゃんを見つめる。

「はいはい、ややこしくなるからやめようね~」

そんな視線を遮るように前に立つ。

「乃木さん、終わっているなら、見せていただけますか?」

先生が、やはり私や、京ちゃんにかけるのとは、少し違う声質で話しかける。

何でだろう? どこか遠慮している様にも見えるけど。

やっぱり、乃木家の家柄からだろうか。

「うん。よく書けています。でも、乃木さん」

「はい、なにか?」

原稿を手渡して、帰り支度をしていた雪ちゃんを呼び止める。

「書き直しです」

「ええ! なんで、ですか?」

まさかの書き直し宣言。

「や~……おい、やめろよ大和」

全力で煽りの体勢に入る京ちゃんの口を、力ずくで押さえる。

「京ちゃん、ここはやめよう。命に関わる」

防衛本能だろうか。ここはおとなしくしておけ、と何かに強く念押された気がする。

「なん、で。なんでですか」

雪ちゃんは、文章に絶対の自信を持っていたこと、それで私達をさんざんバカにしたこと、反省文を書くことが想像以上に重労働だったことで、やり直しをくらい、相当なショックを受けているようだ。

「乃木さん。確かにあなたの書いた文は、とても中学校二年生のものとは思えません。よく文の書き方を勉強しているのが分かります」

「な、なら、どうして」

消え入りそうな声で尋ねる。

「でも、それ故に、文としてまとめることが目的となっており、反省文として、あなたの心の中が何一つ描かれていない。こんなものを認めるわけにはいきません」

私と京ちゃんは、目を見合わせる。

雪ちゃんの立場だったら……納得いかないだろう。

「ふふふ、分かりましたよ。そうですか。書き直しますよ、先生」

そんな私達の心配をよそに、不敵な笑みを浮かべると、工場用機械のようなスピードで文を書き上げていく雪ちゃん。

ものの数分後。

「出来ました。先生」

自信満々といった顔で、反省文を手渡す。

先生は、一枚目にざっと目を通し、

「ええ、こんなの不合格に決まっているでしょ?!」

またしてもボツ宣告を下す。

「なんでですか!! 今回に関しては、本当に納得出来ません!!」

私だったら、一回目の時点で納得いかないけど。

「どれどれ、俺にも見せてくれよ……って、これ!!」

その反省文を読んだ京ちゃんが、怒りに震えている。

「なになに? 何を書いたの? ごめんなさい、がゲシュタルト崩壊する!!」

私達が書いた反省文と全く一緒じゃん!!

「てめー! 人のこと散々バカにしておいて!!」

さすがに今回は止める気にはならない。

「だって! 反省を表すには、こうするほか無かったから……私の全てを否定されて」

涙目で語る雪ちゃん。

「い、いや……泣くなよ」

京ちゃんも、まさかが泣き出すとは思っていなかったらしい。

「先生、もう、もう私の、海よりも深く、山よりも高い反省を表す方法は、これしか無いんです。だから、許してください……」

そのままの顔で懇願する雪ちゃん。ついには、頭を下げ始めた。

でも、私には分かる。あれ、嘘泣きじゃん。

「先生、もう、雪を許してやってよ」

京ちゃんは、そんな涙に騙されて、擁護をはじめるが。

あ、頭下げながら笑ってる! 舌出してるよ!! 気づいて!! 先生!!

そんな私の願いが通じたのか? まあ、私ですら気づくのに、先生が気づかないわけ無いか。

「雪さん。お芝居の練習は、もう少し必要なのでは?」

「え??」

京ちゃんは、先生が何を言っているのか分かっていないようだ。

ややこしくなるからだろう。先生も、私も、真実を伝えようとはしなかった。

「おい、どういう意味だよ!!」

「はい、京ちゃん。アメだよ~」

「いらんわ! 子供扱いすんな!!」

なんとか気をそらす事に成功する。

「こんなやっつけで書いた反省文、認めません」

「なんであの二人は合格なのに、私だけ!! 不公平です!!」

雪ちゃんの顔が、どんどん強ばっていく。

東郷神社の入り口に、あんな顔をした銅像があったような??

「二人は関係ありません。とにかく、再々提出を命じます」

とりつく島も無い。

雪ちゃんは、観念したように———は全く見えない。

「あれは、納得いかへん。なんでうちだけ、って時の顔だね」

「ああ。触るな危険、だぜ」

小声で話していると、

「おい、なんか言うたか?!」

不機嫌丸出しで私達をにらみつけてくる。

「ああ、お前」

「ちょ、ちょっと! な、なんにも言ってないよ~? 時間かかりそうだし、先に帰るね~」

余計な事を口走る前に、京ちゃんの口を抑え、帰宅の申し出をする。

「ふん。勝手にすれば?? 私なんかとは、帰りたく無いんでしょ!!」

今度は拗ね始めてしまった。

これは、もう何を言っても無駄だよね……

「ごめん、先帰るね~また明日。先生も、さようなら」

「はい。さようなら。寄り道しないようにね」

優しく見送ってくれる先生。これだけでも、安心出来るものだ。

指導室から解放され、二人並んで廊下を歩く。

「なあ、大和。昨日の続き、いかねーか?」

すると、早速京ちゃんが、いきなり先生の言いつけを破る提案をしてきた。

私も、それを注意するほど優等生ではない。

「いいよ~あっ、でも、だったら———」




バタンと音がして扉が閉まると、騒がしい二人の姿が見えなくなった。

さっきまでは、狭く感じていた部屋が、先生と二人きりになった途端、やたらと広く感じる。

あまりこの先生、好きじゃない……

「乃木さんも、だいぶあの二人に毒されたようね」

先生が、唐突にそんなことを言い始める。

「毒されたって、その言い方……」

いや、よくよく考えてみる。

たぶん、ここにいること自体、彼女達の影響を受けているのは否めない。

「そうですね。毒されたと思います」

 苦笑しながらも、質問に答える。

二人の事を考えると、つい笑顔になってしまう。

「ええ、あなたも、そんな顔をするのですね」

先生がにやにやしながら、私の顔を見つめている。

「ちょ、何が言いたいんですか?!」

あわてて顔を、手で覆う。

これだから、この先生は好きじゃ無いんだ。

人を見ていないようで、しっかり見ている。でも、見られていることにも気づかない。

「実をいうとね、心配だったの。ほら、あの二人って、ちょっと特殊じゃない? だから、クラスに馴染めないんじゃないかって」

確かに、特殊と言われれば。

「ええ、特殊ですね。それもあんまり良くない方に」

「そうなんですよ」

先生が、大きく首を縦にふって首肯する。

「東雲さんはボーっとしてて独特な雰囲気だし、神巫さんはヤンキーだし」

「ぷっ」

思わず吹き出してしまう。

「ヤンキーって。先生がそんなこと言って良いんですか?」

「乃木さんが、教育委員会にでも伝えない限り大丈夫です」

先生は、そう言って、優しく微笑む。

「先生って、そういう冗談も言うんですね」

意外な発見だ。落着いた色の長い髪と、少し太い……もとい豊満な体から、あふれ出る母性は、落ち着きと安心をもたらす。その代わり、威厳や茶目っ気というのは、あまり感じない。

「乃木さん、なにか失礼なこと考えていませんか?」

「いえ、滅相もございません」

だから好きじゃ無いんだ。

「まあ良いです。それで、何が言いたいかといいますとね」

そこで一拍おくと、続けて

「あなたのおかげで、あの二人は大きく変わりました。担任として、感謝しています」

「え?」

先生の言葉の真意が分からない。

「東雲さんは、あまり人付き合いが得意では無いでしょう? 神巫さんも一緒です。本来なら、クラスの半端者となっていたはずです」

そこで先生は、言葉を区切り、大きく息を吐く。そして、こう続けた。

「でも、あなたのおかげで、今では二人、クラスの人気者です」

私のおかげで……?

「いやいや、そんなことは」

「そんなことあるんです」

先生が、私の言葉を遮る。

「今朝のことだってそうでしょ? あなたがクラス委員として、神巫さんの、ああいう性格を受け入れられるクラスにした。あなたが、彼女を受け入れさせた。すごい事ですよ」

次から次へと飛び出す称賛に、背中がむずがゆくなる。

でも。

「やっぱり、私のおかげなんかじゃありませんよ。むしろ……」

助けられていたのは、私のほうだ。

「むしろ??」

先生が、次の言葉を律儀に待ってくれている。

「あの二人は、おバカで、天然で、ふわっとしていますが」

そこで言葉を区切る。彼女達に抱いているこの感情。どんな言葉にしようか。

先生は、次の言葉を黙って待っている。私の心を観察するように、ジーッと見つめながら。

「でも、ほかの子の、心を救える、すごい子達なんです」

こんな言葉しかでてこない。

「う~ん? どういうことですかね??」

「……ある少女の話です。その少女は、御三家とよばれている、名家に産まれました」

「乃木さん??」

唐突に例え話を始めた私に、困惑の表情を向ける。

「その少女は、名家の立派な跡取り娘になるべく、厳しい鍛錬に取り組みました。武術、武器術、歴史に神事。帝王学などというものまで学び、およそ小学生とは思えないほどの才覚を手にしました」

「乃木さん、それって」

「はい」

私の産まれた乃木家は、『新』御三家と呼ばれる、名家である。

日本政府と共に、神事を司り、国民を導く組織『新』

「そして私は、小学校に入学しました」

五百年前の大災害。日本滅亡危機の中、乃木家を中心に、神の力を授かった者たちが、『新』という組織を作り、災害に立ち向かった。

「そこで私は知ったのです。乃木という家名の尊大さを」

なんとか災害を収めた『新』は、力を授けてくれた神様を東郷神社に祀り、神村という、神の宿場街を、人間界に作った。

「それと同時に、乃木の一族が、普通に生きることは出来ない。ということも」

それ以降、日本は、その神様の加護の元、復興を成し遂げ繁栄をし、今に至る。

神の加護ある国、日本。

そして、神様と日本を繋ぐ架け橋として、『新』は今も存在している。

「小学校に入学して三年。私は、生徒会長に立候補しました。当然最年少です。乃木という、日本を支配する家の跡取り娘が、街の学校一つ統べることが出来ずに、この先があるわけ無い。そんな幼い使命感が、私を飲み込んでいました」

気づけば一人称が私になっている。

ずっと、表には出してこなかった思いが、一度堰を切ると、あふれて、止まらなくなってしまった。

「当初、多くの人が私を応援してくれました。しかし、五年生を中心とする、他の立候補者を圧倒し、その地位に立ったとき、あることに気付いたんです」

先生は一言も発さず、私の昔話に耳を傾けてくれている。

あの時の記憶が、脳の中で濁流していく。

頭が痛くなる。心が、記憶を辿ることを拒否している。

でも、先生に、この人に、伝えたい。

「皆が見ていたのは、『乃木 雪』ではなく、乃木家だったことを」

「乃木の娘だから」

「乃木家の子なのだから」

「乃木家ならば」

当時の記憶が、鮮明に蘇る。

と同時に、乃木としての宿命を理解した日の——

「六年生を、さも当たり前のようにこき使う三年生。同級生は、どう感じると思いますか?」

黙って話を聞いていた先生に話を振ってみる。

無理につくった笑顔が、上手く出来ている気がしない。

「当然、畏怖するでしょうね。それと同時に……」

即答した先生だったが、そこで言葉を詰まらせた。

でも、何を言いたいのかは分かる。

「その通りです」

あえて追求はしない。

あそこで言葉を止めてくれたのは、先生の優しさだ。

わざわざ無下にする必要はない。

「お昼一緒にたべない? と誘えば断られる事なんてなかった。でも、それは、私を友達として認めてくれたから。では無く、乃木家の娘の誘いだったから。分かるものなんですよ。私が、皆とは違うって事……」

結局何が言いたいのか、話していて分からなくなってしまった。

「でも、敵だって少なからずいたんです。まだ、乃木の事を理解していない子や、理解していても、生意気な下級生を懲らしめたい。そう思う子は一定数いたんです。そしてそれを、私は虫を払うように、淡々とつぶしていきました。酷いときは、敵対派の上級生を、泣かしたこともありますよ」

今思えば、そんな敵がいた間は、まだマシだったのだと思う。

「ある日事件がおきました。上級生の元候補者五人が、私をリコールしようとしたのです。まあ、結局、賛同者などいるはずも無く、私は、支援者と協力し、即座に反乱を押さえ込みました。そして、敵対勢力がいなくなった私は、ますます権力を強くしたのです」

「概ね、把握していることです。ここまでは」

先生は、顔色一つ変えない。

私が何を言いたいのか。おそらくこの先生は分かっている。

「学校を手中に治め、様々な改革を行いました。平然と上級生を、同級生をこき使いながら。本当に、今思えば最悪の統治者だったと思います」

思わず漏れた苦笑は、奇しくも今日一番、違和感の無い笑みだった。

「乃木さん」

先生が優しく呼びかける。

「はい。まとめに入りますね」

あまりにもくどくど話しすぎた。このままでは、話さなくていいことまで、話してしまいそうだった。

「乃木家の娘としか見られていないことが分かって以降、私は人の感情が分からない事に気づきました。それと同時に、私は、乃木の娘なのだから、ということを言い訳に使って、他人を理解しようともしませんでした」

乃木の娘なのだから、学校を統べるのは当たり前。

乃木の娘なのだから、上級生を使役するのも当たり前。

乃木の娘なのだから、刃向かう者を排除するのも当たり前。

乃木の娘なのだから、同級生に支援されるのも当たり前。

乃木の娘なのだから、友達がいなくて当たり前。

乃木の娘なのだから、同級生とわかり合えなくて当たり前。

乃木の娘なのだから———

乃木の娘なのだから——

「そんなわけない!! 友達がいなくて、寂しくないわけない! 同級生の気持ちを理解出来なくて、辛くないわけない! 支援なんていらない! ただ、マンガの話をしたい。好きな子の話をしたい。分からない問題を、一緒にときたい。なんで皆、私に敬語を使うの?! 私は皆と同い年なんだよ?? 私は、皆と同じ、ただの女の子なのに!! なんで、なんで、私を、見てくれないの……」

結局、感情が全てあふれてしまい、支離滅裂になってしまう。

これじゃあ、本当に言いたいこと、全然伝わってない。

涙が視界を邪魔する。

頬を、温かい感触が伝い、スカートを掴んでいる拳へと落ちていった。

ふと、肩を抱き寄せられる感覚がする。

「辛かったですよね。乃木さん。本当に」

ひどく優しい口調で、先生は私の事をねぎらってくれる。

でもね……

「せん、せい……ちが、うの。ほんと、に……いいた、かったのは、ね」

「うん。ゆっくりで良いよ。初めてなんだよね。ずっと、蓋をしていた気持ちを誰かに伝えるの。だから、先生待つよ。乃木さんが、落着くまで」

この人は、本当になんなんだろう。

顔を押さえて、必死に涙を抑えようとする。先生は肩を抱き、ずっと背中をさすってくれていた。


何分ほどそうしていただろうか。少しずつ、呼吸が整っていく。

邪魔な涙を、袖で拭うと、目の前には、優しい笑顔を浮かべる先生の顔があった。

「先生、近いよ」

そういうと、慌てて距離をとる。机や椅子に脚を引っかけながら。

「ははは、先生、芸人になれるんじゃ無いですか?」

「う、うるさいです。からかうのはやめなさい」

そっぽを向いて、不機嫌になってしまう。

「ごめんなさいって、先生。笑ったらなんか元気でました。うん。話して、良いですか?」

それを聞くと、先生は、不機嫌な顔をさっと引っ込め、笑顔を浮かべる。

「ええ。お願いします」

そして、そのまま先を促す。

「はい。小学生時代。そう思っていたのは、生徒会長に就任して、しばらくの間だけでした。少しすると、慣れ始め、乃木の娘として生きるために、乃木 雪としての感情を捨てることにしました」

その話を聞いて、初めて先生が、苦痛に表情を歪めた。

そんな選択をした私に同情してくれているのであろう。

でも、もうその同情は、もう必要無い。

「中学に入ってからも一緒です」


「あれが、乃木家の……」

「御三家の一つか」

「逆らったら『新』にけされるぞ」

私が教室に脚を踏み入れた瞬間、朝の喧騒が一気に止む。

中学校に入学してから、今日で一週間。

未だに友達と呼べる人間もいなければ、まともに話をした人もいない。

……というよりか

「避けられて、当然ね」

席に座り、一人つぶやく。

別に、もうどうでもいい。

乃木家の一員として、恥じない生き方をする。そのためなら。

「ねえ京ちゃん、今日から授業はじまるんだよね~?」

左隣の席から、間延びした、それでいて通る声が聞こえてくる。

「知らねーよ。授業がなんだ。どうでもいいよ」

その声に、言葉遣いとは裏腹な、可愛らしい声が粗野に応じる。

なんて返答なの? せっかく話しかけてくれているのに。

思わず心の中で非難してしまう。

……なんで、言葉にしないの……

「そっか~」

そんな酷い対応をされたにもかかわらず、隣の女の子は、さして気にもせず……

机に枕を置いて突っ伏した。

?!?!?!?

なんで?! これから授業だよね??? なんで枕なんて??

理解不能だわ……

さらに、その子の隣に座る女の子をみてビックリした。

ピンク髪のショートカットという、非国民な髪色だけでなく、Yシャツは第二ボタンまで開けており、その上から黒のパーカーを着るなど、徹底的に校則を違反している。

なんなの、この子は?? 西暦の言葉で言うと、ギャルとかいう奴なのかしら??

でも、目鼻立ちはハッキリしていて、顔はとんでもなく可愛い。

言葉遣いや格好とのギャップがすごすぎる……

というか。こんな生徒がいながら、今の今まで気づかなかったとは。

乃木の娘として、一生の不覚だ。


退屈な午前の授業が終わり、昼食に入る。

この学校では、みんなが弁当を持参し、屋上や、校庭などで友達と一緒に食事をする。

私は、いつも自分の席に座り、一人で、読書をしながら食べていた。

しかし、今日は違った。

弁当を持って、数人のグループで教室を出て行くクラスメイト。

それを、目で見送っていると、不意に声をかけられた。

「ねえねえ、雪ちゃん。お箸って持ってる??」

雪……ちゃん??

生まれてこの方、そんな呼ばれかたをされたことはない。

驚いて声の方を向くと、隣の席でいつも眠っている女の子が、枕に側頭部をつけて、私の方を向いていた。

「東雲さん、でしたっけ?」

「そうだよ~そんなことより、あのさ、雪ちゃんさ、お箸って持ってないかな??」

「えっと、一膳だけなら……」

「あ! じゃあさ、それ貸して!!」

なにを言っているの??

「それじゃあ、私の分が」

そう言うと、東雲さんは、そう言われれば、という顔になり、

「ど、どうしよう……京ちゃん!!」

今度は、自分の左隣に座っている、あのギャルに助けをもとめる。

「知らねーよ。忘れたお前が悪いんだろ」

そのギャルは、一度も東雲さんの方を見ずに、すげなく答えた。

その返答は、あんまりだと思う。

困っているクラスメイトを、ああもすげなく扱うとは。

「あの、私が使った後でもいいなら……」

不憫に思っていると、こんなことを口走ってしまっていた。

友達でも無い人に、こんなこと言われても、気持ち悪いだけだろう。

「え?! いいの??!! ありがと~」

しかし、東雲さんは、嬉しそうに私の提案を受け入れた。

「いや~助かったよ~やっぱり雪ちゃんは、優しいね」

そう言ってにっこりと笑う東雲さん。

つられて、私も笑顔になる。

あれ……こんなふうに、雑談したのって、いつぶりだろう。

こんなふうに、誰かと笑い合ったのっていつぶりだろう??




「壁を作っていたのは、あなただけではなかった。そういうことですね」

口元に、薄く笑みを浮かべている先生。

「はい。友達なんかいなくても、私がそう思っていたのと同じで、あの人と、友達になんて、そう思われていたんです」

それに、気づきもしなかった。

気づこうともしなかった。

勝手に孤独になり、悲劇の王女を気取っていた。

たぶん、そんな私だから、他の皆も壁をつくったのだ。

結局は、乃木という家名の重さにつぶされ、周りのことなんて一切気にしなかった。

乃木という家名を汚さぬよう、乃木として、皆を導けるよう。没頭することで、自分の歪んだ生き方を正当化していた。

「友達が欲しい」

この気持ちが消えた事なんて、一瞬たりとも無かったのに。

「それぐらい、『乃木家』という重圧は、外にも、内にも大きかったという事ですか」

「ええ。それは、強力な呪いのようなものでした」

『乃木 雪』という個人を殺し、乃木として生きろ、という。

「だから、嬉しかったんです。月並みですけどね」

乃木の娘、ではなく、『乃木 雪』としての私を、見てくれていたから。




「雪ちゃんのお弁当、なんか、凄いね……ていうか、これ、お箸必要なの??」

机をくっつけて、隣に座っている東雲さんが、私の弁当を覗いている。

たしかに、私のお弁当は、普通のそれとは異なる。

「デザートに、小松菜のおひたしがあるから」

そう言うと、東雲さんは、お化けでも出たかのように驚いて、

「それをデザートっていう人、初めてだよ」

「ええ?! そ、そうなの??」

すると、この会話を聞いていたのか、東雲さんの隣に座るギャルが、割り込んでくる。

「乃木の娘も、そこまでキャラ作りに必死になると、気持ち悪いぜ?」

な、初対面で、なんてことを!!

「京ちゃん! さすがに言いすぎだよ!! 雪ちゃんだって、悪気は無いんだから!」

東雲さんがフォローに入ってくれるが、なぜか少しイラッとくる。

「あ、あなたね。そんな格好で学校に来るなんて、校則違反でしょ?!」

このまま言われっぱなしじゃ終われない!

「は! 反論できないからって、話題変えようってか! 乃木の娘もたいしたことねえな」

この、良く口のまわる。

「乃木は関係ありませんでしょ? あなたの格好は、クラス委員として見過ごせませんから!」

こう言っても、全く意に介さないのは分かっている。

「クラス委員ごときの言うこと聞くかよ。この格好が好きだからする。文句あっか!」

自信満々に持論を展開する。が———

「もっと、なにか理由は無いんですか?! それただのわがままじゃ無いですか!」

あまりに身勝手な主張に度肝を抜かれた。

激しい言い合いに、クラスに残っていた人たちの注目も集ってしまう。

「そうだよ? 好きだからする。何が悪い!」

「悪いも何も、だから校則で……」

「その校則は、誰が、何を基準に、何の目的で作った?」

「え? そ、それは」

そう言われると、そこまでは答えきれない。

「ほら、こたえられねえだろ。そんな曖昧な基準で、尺度で人をはかんなよ! 縛るなよ!」

心の奥底にある本心なのだろう。

真摯に向き合わないといけない。気がする。

「で、でも! 黒以外の髪色は多々良様によって禁止されています!」

正確には、多々良様を奉っている、『新』によってだが。

さすがに今のは効いたのか、悔しそうに奥歯をギュッと噛み、私の顔をにらみつけてくる。

この問題児が……

バチバチと、火花が散りそうな程に、視線と視線がぶつかり合う。

胸に手を当て、どうなるかを心配そうな表情を浮かべるクラスメイト達。

気づけば、外に行っていたはずのクラスメイトの多くも、教室に戻ってきている。

学校一の不良ギャルと、日本の御三家、乃木の一人娘による一騎打ち。

注目を集めるのも当然か。

そんな、一触即発の空気の中、のほほ~んとした声が、耳に入ってくる。

「あのさ~ちょっといい?? さっきから京ちゃんが言ってる、乃木の娘って何のこと?」

「「「へ??」」」

まさかの一言に、クラス中の、張り詰めていた緊張感が、一気に解けていく。

うん??? ええ???

「おい、大和、お前乃木家のこと知らないのか?」

呆気にとられ、言葉を発せずにいると、私と言い合っていたギャルの子が、神巫さんだっただろうか? 問いを返す。

「えっとね~乃木家っていうのはなんとなく分かるよ? でも、それが雪ちゃんとなんの関係があるのかが……??」

??? あの子がなにをいっているのか理解できない。

乃木という性を名乗ることが許されている人物は、この日本において数名しかいない。

言わずもがな、御三家の乃木一族のみだ。

「関係があるも何も、こいつは乃木家の跡取り娘だぞ?!」

神巫さんが驚いたようで、思わず声を荒げる。すると、

「えぇ!! そうだったの?!」

東雲さんは東雲さんで、驚愕を全身で表現した。

「当たり前だろうが! だから皆こいつには」

続きを言いかけて私の方を向き、言葉を止める。

粗悪な子だと思っていたけれど。

教室にいる他の子達も、神巫さんの言いたいことが分かったのだろう。一斉に口をつむんでいる。

久方ぶりに声をかけられて、舞い上がってしまっていたけど現実はこうだ。

乃木家の人物に容易に関わるなんて———

「へえ~でもさ、雪ちゃんは雪ちゃんじゃん? 乃木さんとか、関係ないし」

「え?」

思わぬ一言に一瞬思考がとまる。

「正直乃木さんがどう、とか言われても良くわかんないし。でも、雪ちゃんなら良く知ってるよ! 日本史の時、毎回眠気と闘って、結局負けちゃうこととか。数学の問題、すっごく速く解けるのにケアレスミスをしちゃうこととか。天然でおっちょこちょいな、そんな雪ちゃんが、乃木さんの関係者とか言われても」

これを聞いていたクラスメイト達の表情が、少し曇る。

動物園のパンダさながら、色眼鏡で私を見ていたことを、一人の女の子に暗に糾弾されたのだ。

天然で、周りの事なんて気にしない。だからこそ、周りの人々に、強く深く突き刺さる。

彼女が、なんの意図を持ってこんなことを言ったのかは分からない。

でも、この言葉が、私の環境を変えてくれたのは事実だ。

「東雲さん」

私を、乃木 雪を見てくれている人がいた。

行き場のない、捨てられた感情に、居場所を与えてくれた。

涙が一滴、頬を伝う。

「えっ? どうしたの雪ちゃん、なんで泣いてるの?! 私なにか悪いこと言っちゃったかな??」

二滴、三滴、大粒の滴が、あふれてきて止められない。

乃木 雪としての感情を捨てて数年。

自分すら見ていなかったものを、ちゃんと見てくれている人がいた。

教室で号泣する私を見て、他の皆はどう思っただろうか。

乃木の娘のくせに、国を背負う人間のくせに。

そう思うだろう。

私も、そう思っている。

でも、

「大丈夫だよ、雪ちゃん。大丈夫だから」

「ああ、乃木の娘が、だらしねえ。ほら雪、しっかりしろ」

両手を包む温かさを感じると、さらに涙が止まらなくなった。

キーンコーンカーンコーンという無機質な音が響き始め、昼休みの終わりを知らせる。

午後の授業、まともに受けられる気がしないな。

「授業サボっちゃおっか」

普段なら絶対に断る。でも、今はこの両手を離したくない。

「うん。さぼっちゃおう」

「京ちゃんは?」

「いや、こいつが……ああ、そうだな。もとからサボるつもりだったし」


山と海に挟まれたこの街のロケーションは、最高だ。

山側には、異質の存在感を示す巨大な鳥居が立っている。

屋上の柵にもたれ、未だ涙の止まらない私を、二人は何も言わずに支えてくれる。

「本当に、ありがとう」

風になびかれ数分、やっと涙が止まり、二人の顔を交互に見る。

「やまとちゃん、ありがとう」

東雲さんは、照れくさそうに、でも、笑顔で応えてくれる。

「京ちゃんも、ありがとう」

「なっ……ちゃん付けはやめろ」

そう言って、彼女は照れくさそうに、景色へと視線を移す。

「二人が仲良くなれて良かった! これも雨降って地固まるってことかな?」

「雨なんて、そんな迷信信じてるんですか?」

「い、いや違うよ! なんか、ことわざとか使ったら、かっこよくまとまりそうだったから」

そんなやまとちゃんを見て、ぷぷっと噴き出してしまう。京も、なにかツボに入ったようで、腹を抱えて笑っている。

昼下がりの屋上で、私は初めて、学校の決まりを破った。

初めて友達と笑い合った。

———初めて、親友が出来た。




「ねえ、乃木さん。ここの問題なんだけど、分かる?」

昼休み、三人でお弁当を食べようと机を動かしていると、私の席の前に座る女の子が、話しかけてくる。

「ああ、ここはね、普通に計算しても面倒くさいから、解の方式に当てはめるのよ」

「ああ~そっか! ありがとう、乃木さん!!」

「ううん、それくらいなら」

未だに、誰かに声をかけられると緊張してしまう。言葉も上手く出てこない。

家の大人や、『新』の関係者なら、何も恐れず、感じずに話せるのに。

クラスの子と、喋るのが怖い。

嫌われたらどうしよう。

嫌な思いをさせてしまったらどうしよう。

でも、それは友達を失いたくない、という強い気持ちの裏返しなんだと思う。

だから、こんな気持ちになれること、それ自体が幸せなのだと思う。

「あ、乃木さん。私もここ教えて!!」

「あ、私も、国語ちょっと分からなくて……」

「ねえ、こっちで一緒にお弁当食べない?」

さっきの一人を皮切りに、多くのクラスメイトが私の机を取り囲む。

「ごめん、また後でいいかな??」

「大丈夫だよ~ていうか、お弁当私達も一緒に食べていい??」

二人の顔を見る。

やまとちゃんは、もちろんオーケー! の顔。

京は、すっごい嫌そうだ。

「別に、勝手にしろよ」

そういうと、一人少し離れてしまう。

視線はこっちから全く動かないが。

素直になればいいのに。

「それ、雪ちゃんのお弁当?!」

「ええ、そうだけれど」

私のお弁当を見て、目を見開いている。

「お弁当というか、お重というか、一人分じゃないよね?」

うっ、まあ、バレるわよね

「うん。やまとちゃんに食べてもらおうと思って。そしたら、作りすぎちゃった」

「ええ! これ、乃木さんの手作り?!」

「うん。一応、全部」

「す、すごい」

一緒に食べようと席を移ってきた子達も、若干引いているように見える。

やり過ぎてしまっただろうか。

「うんま~い!! なにこれ!! プロの味だよ!! すごいよ雪ちゃん!」

「え? そ、そう?」

「うん!! 止まらないね~」

その言葉通り、お弁当の中身がどんどん減っていく。

料理は鍛錬の一貫で、小さいころから教え込まれてきたから、苦手ではない。

むしろ、腕前は相当なものだと思う。

でも、誰かに食べてもらうのは、初めてだった。

「良かった……」

「どれどれ? ほんとだ! まじでおいしい!」

「何これ? 輝いてる!!」

ものの数分でお弁当が空になってしまう。

誰かに自分の作った料理を食べてもらうのが、こんなに嬉しい事なんて。

「雪ちゃんは良いお嫁さんになるね~」

「お、お嫁……さん??」

顔がかぁ~と赤くなるのがわかる。

結婚なんて、考えたことも無い。

「うん! 雪ちゃんの旦那さんは幸せものだろうな~」

まだ見ぬ幸せな食卓が頭に浮かぶ。

私が腕を振るって料理を作り、それをやまとちゃんの様に笑顔で食べる旦那。

小松菜のおひたしがデザートだ。子供は嫌そうな顔をしている。

「な~にをニヤニヤしてんのかな~?」

突然の声に、ハッと我に返り、顔を上げると、下卑た笑みを浮かべる京がいた。

「う、うるさいです! い、いつの間に」

「いんや、弁当が旨そうだったから、つい。唐揚げ、旨かった」

鼻をポリポリかきながら照れくさそうに。絶対に目は合わせてくれない。

「そ、そう。ありがとう」

「で、なんでニヤニヤしてたんだよ」

「か、関係ありませんでしょ? 何でもありません」

そんなに表情崩れてたかな?

でも、そんな家庭を築ければ、どんなに楽しいだろう。

しかし、残念ながらそんな未来は訪れない。

乃木の一族である以上、平凡で幸せな家庭など、築くことは不可能だ。

「不可能じゃ無いよ!」

「え?」

まるで私の心を読めているかのようなタイミングで、やまとちゃんが声をあげる。

「雪ちゃん、また諦めてる顔してた! 入学した時と同じ顔してた!!」

入学したとき……友達なんて、他人との関わりなんて要らない。そう思っていた時だ。

「なにに悩んでるのかは分からないし、分かっても、支えてあげられるとは思わない。でも、これだけは言える。諦めたら、そこで試合終了なんだよ!!」

無責任で、無鉄砲で、投げやりで。でも、その言葉には力があって。

「なんで、西暦のマンガなんて知ってるんですか」

説得力なんて全くない。

根拠なんてどこにも無い。

やまとちゃんや、クラスメイトに囲まれて過ごす普通の日々。

一度は諦めたものだ。

でも、諦めたものですら手に入るんだ。

諦めなければ———

「普通の旦那を捕まえて、平凡な家庭を築く。必ず叶えて見せます」

「うん! 全力で応援するよ!!」




「普通のお嫁さん、ですか」

指導室。机を挟んで正面に座る先生が私の言葉を反芻する。

「はい。おかしいですかね?」

言っていて恥ずかしくはあるんだ。

「おかしいなんてことはありませんよ。立派な夢の一つだと思います。あなたが乃木家の人間で無ければ」

最後の言葉だけは、冷たく感情がこもっていなかった。

「いえ、むしろ乃木の人間だったからこその夢なんです」

そう。乃木に産まれたからこそ。

「普通に結婚して、普通に家庭を築く。毎日ご飯を作って、洗濯をして仕事で疲れても掃除を頑張って。そんな家庭を築きたい。そう思えたのは、それが許されない乃木に産まれたからこそなんです」

 幼い頃から、父との思い出などほとんどない。

母と遊んだ覚えもあまりなかった。

「乃木さん」

「でも、この夢も皆に出会えてなかったら、持つことはなかった。だから、絶対に叶えたいんです。私のためにも、こんな私に、素敵な夢を与えてくれた、皆のためにも」

先生の顔をしっかりと見据え、もう一度ハッキリと宣言する。

「私は、普通のお嫁さんになって見せます。その上で、乃木の責務を果たして見せましょう」

「そこは、譲れないんですね」

「はい。そもそも、簡単に譲れるのなら、とっくに捨てています。乃木の誇りは、そう簡単に捨てられるものじゃない」

たとえそれが、多くの苦しみを与えるのだとしても。

「乃木家に産まれ、幼いころから厳しい鍛錬をこなしました。おおよそ幼い少女が行うものとは思えないものまで。また、乃木の家名のせいで、周りからは畏れられ、人間関係は破綻した。それでも、乃木という家名は、私の誇りで、支えだったのです」

選ばれたものにしか、名乗ることの許されない家名。

日本の中枢を担う重圧。

神の加護ある国で、神に仕える家の一人。

こんなにも光栄で、誇りある家に産まれたことは、私の人生一番の幸運なのだ。

「だから、決めたんです。乃木の誇りは汚さない。でも、乃木 雪としての人生も捨てない。どちらも完璧に守ってみせる、と」

あの日、屋上から眺めた景色が、ぽうっと浮かんでくる。

「案外、自己中なんですね」

「言い方の問題ですよ。私はただ、欲張りなだけですから」

先生はそれを聞き、ふっと笑みをこぼす。

「変わったように見えたけど、根っこは変わってないんですね。でも、あなたらしいです」

「なんですか、それ?」

「なんでもありません。もうこんな時間ですし、帰りましょうか」

そう言われて時計を見ると、もう短い針は5と6の真ん中を指している。

「はい。って、あれ、反省文は??」

話すのに夢中で全く書き直せてない!!

「ああ、あんなのどうせ私しか読まないから、良いんですよ」

ええ、じゃあ私なんで残されたの?

「乃木さんとは、少し話してみたいと思ってたんです。先生のわがままですみません」

深々と頭を下げる先生。

……そういうことだったか。

「謝ることはありませんよ。私も、とても有意義な時間だったと思いますので」

 そう言いながら席を立ち、扉の前まで移動する。

「それではまた明日。さようなら」

先生に向き直り、挨拶をかけ、ギイーと音のする扉を開けて外に出る。

「さようなら……乃木の誇りも、みんなとの日々も、守る。ですか。それは、もっとも酷な選択かも知れませんね」

扉が閉まる瞬間、先生の口が動いているのが見えた。

??なんていったんだろ……

「おっそ~い!! やっとでてきたか~」

一気に意識が、別方向からきた声に向く。

「やまとちゃん?? 京?? 待っててくれたの??」

振り向くと二人が、部屋をでた私の方に駆け寄ってきている。

正確にはやまとちゃんだけだけど。

「うん! 京ちゃんとゲーセンよろうって話になったんだけど、私達だけでいったら、また雪ちゃんすねるかな~って」

「だから、大和が待とうってな。にしても長すぎだろ。優等生が聞いて呆れるぜ」

「う、うるさいですわね。待っててなんて言ってないですから」

「私達が待ってたかったから待ってたの! 迷惑だったらごめんね?」

やまとちゃんに気を遣わせちゃった。

「い、いや、迷惑なんて!! 誰かに待っててもらうとか、はじめてだったから……」

「はあ? お前学校帰りによく迎え待たせてんじゃん?」

この人、ほんと空気の読めないわね。

「そう言うんじゃなくて。友達が、待っててくれるのって……」

「は、友達待つなんて、そんくらい当たり前だろ」

「友達なら、当たり前」

「アルシンドか」

「ア、 アルなんて?」

「ごめん。忘れてくれ」

「もう時間なくなっちゃうよ?? そうだ! 今日は二人と出会って一年と半年! 鳩形クッキーパーティーしようよ!!」

「いや、まだ半年はたってねえよ。一年と三ヶ月くらいだろ」

「えへへ。まあ、細かいとこは良いじゃない!! しよう! 鳩形クッキーパーティー!!」

「それ言いたいだけだよな?」

そんなくだらない話をしながら、ゲームセンターへと向かって歩き出す。

平凡で、何にも無い一日がすぎていく。




「明日から夏休みだぜ~!」

「ど、どうしたの? いきなりテンション高いわね」

そりゃそうさ!

「雪さん、なぜ学生は勉学に励むのですか?」

「そのキャラきもい。やめろ」

「京ちゃんいきなり強烈すぎない?!」

終業式も終わり、明日からのきらめく日々を思うとワクワクが止まらない。

「やまとちゃん、それでさっきの答えは??」

「ああ、忘れてた! 答えは、夏休みを迎えるためさ!」

ビシッとポーズを決めて、ドヤ顔を作る。

「よし、雪かえろうぜ」

「うん」

「辛辣すぎやしませんかね?!」

そこまで冷ややかな目で見なくても。

「でもさ、中学校二度目の夏だよ? こんどこそ、どこか遊びに行きたいじゃん!」

「そりゃ、まあそうだけどよ」

「うん、やまとちゃんと遊びに行けたらって思うけど……」

「じゃあ、行こう! 海も、山も、ゲーセンも!!」

去年は雪ちゃんが家の都合とかで全然遊べなくて、京ちゃんも忙しかったらしくて。

「そういえば、京ちゃん、今年は遊べるの? 去年は結局一回も遊べなかったじゃん?」

「ええっ?! あ、ああ。だ、大丈夫だ。今年は……うん」

「よかった~雪ちゃんも、家の都合は大丈夫??」

「ええ。ダメでも、なんとかしてみせるわ」

二人とも大丈夫だね。それなら。

「これなんてどうかな?!」

手に隠し持っていた用紙を、二人の眼前に突きつける。

「ああ? なんだこれ」

「七月三十日 京ちゃんと雪ちゃんと海水浴。八月一日 京ちゃん、雪ちゃんとハイキング! って、これ夏休みの予定??」

「うん! いま皆のケータイにデータ送ったから! 各自良く目を通しておくように」

一年温めたおかげで完璧な予定を立てられた。

怪我の功名ってやつだね。

若干二人が引いてる気もするけど、気にしない。

「大和、俺にだって予定の一つや二つ」

「去年、海行こうねって、山登ろうねって、約束したのに全部断ったのは、どこの誰かな?」

すっごい哀しかったんだからね!

「う、そ、それは悪かったって」

だから、今年は何がなんでも二人と遊び倒すんだ!

「わ、分かったよ」

「楽しみね」

二人、主に一人だが観念したようだ。

これで夏休みが最高に楽しくなる!!

「それじゃあ、細かい予定を詰めていきましょうか」

「とりあえず明日はどこ行こうか?」

「明日から遊ぶのか?!」

「当たり前じゃん。夏休みは長いようで、短いんだよ」

「いや、そんな達観されても」

そんな、時間もわすれて話し合っていた私達を、現実に引き戻したのは、あの音だった。



どん どん どん どん どん どん———



「な、『どんどこ』かよ。めんどくせえ」

「そんなこと、言うものじゃありませんよ。前科もあるのです。早く移動しましょう」

「そ、そうだよね。またサボったりしたら夏休み毎日補習! とかなりかねないね……」

「そういう事。どうせすぐ終わるのだから。終わったら、また話の続きしましょう」

「ちっ、しょうがねえな」



どん どん どん どん どん どん———



「なんかさ、『どんどこ』聞いてるとお祭り気分にならない?」

「たしかに。夏祭りなんかでも和太鼓が叩かれるものね」

「いや、ならねえだろ」

実はそんなこと全く思ってない。

小さいころはとにかくこの音が嫌いだった。

乾燥した皮を力いっぱいに叩くことで奏でるリズム。

最初の方は良いんだ。



どん どん どん どん どん どん———



でも、時間がたつにつれ、そのリズムは焦燥感を煽るものへと変化する。

まるで、何かの終わりに共鳴するように。

東郷神社の鳥居は、いつ見ても不変だ。

その圧倒的存在感はまさに神のそれ、だと思う。



どん どん どん どん どん どん———



「あ、あなた達。今度はちゃんときたのね」

「はい! 夏休みが無くなるのは嫌なので」

「え? なんの話?」

「「こら、余計な事言うな(言わないで)!」」

口を二人にふさがれてしまう。

「ご、ごめんって~」

「なんでもいいですが、もうお祈りも始まっています。あなた達もすぐに」

お祈りとは、教室でいつもやってるあれのことだ。

今度は間違えないようにしなきゃ。

「って京ちゃんは、相変わらずだね」

「神なんて存在しない。だから、祈る必要もない」

ここ、その神様祀ってる本拠なんだけどなぁ



どん どん どん どん どん どん———



規則正しく、ただ一定のリズムが繰り返される。

そこで、私はある違和感を覚えた。

「あれ? なんか、やたら長くない?」

「ええ、確かに長いわね」

いつもなら十分もあれば鳴りやんでいる。

それがもう、倍以上はたっているだろうか。

周囲の人々も、かすかに不安になっているようで、鳴り止まない破裂音のこだまする空を、ふらふらと見上げている。

「乃木さん、怖い」

気づけばクラスメイト、いや学校のほとんどの生徒が私達のところに集まっている。

神村の住民全員が入っても、東郷神社の敷地を埋め尽くすことなど到底出来ない。

それでも、鳥居の付近にこれだけの人数が集まってしまうと、混乱は免れない。

「会長、なんなんですか?」

「会長……」

「乃木さん、どうなっているんですか」

問い詰められている、雪ちゃんの方を見る。だけど、雪ちゃんも何が起こっているのか分からないようだ。

それでも、

「雪ちゃん、とりあえず橋を渡って本堂の方に行った方が良いんじゃ無いかな?」

「!! そうね。ありがとう、やまとちゃん。みなさん、落着いて! ここで立ち止まっては混乱を生むだけです。とにかく本堂へ、広いところへ向かいましょう!」

雪ちゃんが先頭にたって、みんなを引っ張っていく。

「さすがだね~」

「乃木の娘だ。あれくらいできなくてどうする」

「あ、そんなこと言って、その顔は何かな?」

友達の誇らしい姿に自然と頬が緩んでいるようだ。

「うるさいよ。さあ、俺たちもついて行くか」

「うん。そうだね」

最後尾について、橋を渡り、洞窟の様なトンネルをくぐると本堂が姿を現す。

「やっぱりでかいねえ」

「こっから見てもこのでかさだからな。相当だぜ」

 


どん どん どん どん どん どん———



実際には、そこから山をかなり登らないといけないのだが、上から私達を見下ろしている本堂の迫力は、凄い。その一言に尽きる。

「バカっぽいこと考えてんな」

「心読まないで!」

ほんと、変なところで鋭いんだから。

「……ねえ、本堂の中ってどうなってるのかな?」

神様を祀る、日本最大の社——それが東郷神社だ。

本堂の中は、乃木家を始めとする、『新』のトップしか立ち入ることの出来ない、選ばれたものの空間。以前、雪ちゃんもまだ入ることは出来ないと嘆いていた。

「興味ねーな。てか、本当に何がどうなってんだ?」



どん どん どん どん どん どん———



『どんどこ』は、鳴り止む気配がない。

「う~ん。あんまりにも気持ちよくて、神様が本堂で寝ちゃったとか? だとしたら、やはり本堂には、何かがある?!」

「アホなこといってんな」

いつも通りの厳しいツッコミを受ける。

そんなやりとりを交わしていると、聞き覚えのある声が、さっき渡った橋のほうから聞こえてきた。

それも、切羽詰まった様子で……

「東雲さん!! 神巫さん!! どこにいますか?! 聞こえていたら至急鳥居前に来てください!!」

「ああ? いまのって、先生の声だよな??」

「うん。すっごい焦ってる感じだけど、どうしたのかな?」

あまり活発そうに思えない先生が、橋を渡り必死にこちらに駆けてくるのが見える。

「う~ん、なんだろう。なんか悪さした?」

特に悪気があった訳じゃ無いけど、結果として京ちゃんを疑っているようになってしまったようだ。

「な、なんにもしてね~よ?! 言いがかりはやめろ」

ブンブン両手を振り回して否定する。

どう考えても、なにもしてない人の態度ではない。

「ちっ、面倒くさいけど、バックれる訳にもいかねーし。とりあえず行くしか無いだろ」

「うん。そだね。じゃあ、いこっか」

珍しく従順な京ちゃんが、心変わりしないうちに早く落ち合わないと。

「お~い先生~!! どうしたんですか~??」

先生のところまでへ走って行く。

「ああ、二人とも。近くにいてよかった」

先生は、私達の姿を確認するや、ほっとした表情を浮かべた。

「これ、なんなんですか」

とりあえず疑問を口にしてみる。

「ええ。それに関係して、あなた達を探していたんです」

「……はい?」

『どんどこ』の異常に私達が関係している?

意味が分からない。

「おい、何言ってんだ? 詳しく説明しろよ」

京ちゃんも全く同じ事を思っていたようだ。うん、そりゃそうだよね。

「分かっています。でも、今は多くを語ることができません。とにかく、行きましょう」

「だから、どこになんだよ? 語れないってどういうことなんだ!」

決して頼りになりそうでは無いけれど、生徒達を第一に考え、誠実に向き合ってくれる。

そんな普段の先生の姿は全くない。

『新』としての顔。

だとするならば。

「わかりました。行きましょう。京ちゃんも、ここで言い合ってもしょうがないよ」

「いや、待てよ大和! 危ねって……」

「分かってるよ」

ここで、強く京ちゃんの言葉を遮る。

未だにリズムすら変わらない『どんどこ』

明らかに異変が生じている。

それに唐突な関係者宣言。危険にも程がある。

「でも——私達が、行かないといけないんですよね?」

「はい。君たちじゃないと、いけないんです。すみません」

そう言った先生からは少し、いつもの雰囲気が感じられた。

「二人とも、行きましょう」

「はい」

「・・・・・」

なにも言わず、黙って私の後ろをついてくる京ちゃん。

腹はくくったみたい。

「今、伝えられる事は一つ。あなた達の番がくるかもしれない、ということだけなのです」



どん どん どん どん どん どん———



東郷神社の鳥居をくぐり、正面、誰もいない御前通りを真っ直ぐ駆ける。

商店の並ぶ街並みをぬけると、景色は、無個性な住宅街に変わる。やがて舗装された道が途切れ、次第に木々が立ち並ぶ林道へ。

この森林を抜ければ、ああ、海にでるよね。そんなことを考えながら、少しいくと、三叉路が現れる。海水浴に行く時には、必ずこの道を通らないといけない。

まあ、右を選んでも、左を選んでも、道は海へと続いている。

真っ直ぐいけば海へ一直線だ。

でも、真ん中の道を通ることは、『新』によって禁止されている。

なんでもその先には、多々良様にたてつき、神村街を追放された邪神がいるんだとか。

しかし、先頭を行く先生は、躊躇なく真ん中の道へと入っていく。

「ちょ、先生?! そっちは」

「構いません。とにかくついてきてください!」

小さいころから禁止されていたためか、体がとっさには反応しない。

「先に行くぜ?」

ここまで、黙って後ろをついてきていた京ちゃんが、生き生きと私を追い抜いていく。

「むぅ、この非国民めが」

国に逆らう事だけは、嬉々としてやる。

たぶん、ずっと真ん中の道を行ってみたいって思っていたんだ。

それを合法になったからって……

やれやれ、といった体で二人を追うが、内心は、

「この道の先って、どうなってるのかすっごい気になってたんだよね」

その道は、酷く歩き辛い。当然道は舗装されていないため、根っこはむき出し状態。乱立した木々は、人の方向感覚を狂わせるのに十分だ。

それでも、先生の後ろについて、真っ直ぐに進んでいく。三叉路の真ん中から、真っ直ぐ進むこと五分ほど。

『それ』は突如姿を現した。

「な、これって……」

街のシンボル、東郷神社のものと全く同じ色、形をした鳥居だ。

ただ、大きさだけは異なっている。といっても、感じる圧が、対して変わらないのはなぜだろう?

その鳥居の先、小さな本殿だろうか? 黒を基調とした質素な社が見える。

「ここって?」

鳥居をくぐると、ある違和を感じた。

「すっごい、きれいだよね」

「ああ。鳥居の外は手が入れられていないくせに、くぐったら街の中心部よりも全然きれいだ」

まだ、ここが何を意味するものなのかは分からない。

それでも、ここがとても大切にされている、というのは分かる。

「先生、ここは……」

 


どどん どどん どどん どどん———



気づけば、一定だった『どんどこ』のリズムが、ほんの少し早くなっている。

「先生??」

先生は、少しホッとしたような表情を浮かべているように見えた。

「ああ、はい。すみません」

といって、また表情を引き締める。

「ここは、東郷神社と対をなす存在、軍神を祀る場所。———乃木神社です」

「え? 乃木って……?」

軍神? 乃木? 

「ごめんなさい。どういう……」

かっこつけてついてきたは良いものの、完全にキャパをオーバーだ。

「それは、いまのあなた達には、話せないの……」

また、それか。いまの? じゃあ、いつになったら教えてくれるのだろう。

「ふっざけんな!! こんなとこであいつの名前がでた以上、もう黙ってなんかいられねーよ!」

さすがの私でも、この神社とあの子との関係性を無視できるほど、バカじゃない。

それが、京ちゃんの口から出てくるとは思わなかったけど。

「分かっています。それでも! 今は、話せないのです」



どどどん どどどどん どどどどどん どどどどどどどど———



空気を裂くような音が、私達三人を包む。



どどどどどどどどどど・・・・・・ どどん



焦燥感を煽る連打が、一拍をおいて、締められる。

やっと、『どんどこ』が鳴り止んだ。

結局、何だったのだろうか??

音の余韻も消え、静寂が場を支配する。

「二人とも、ここを動かずに、待っていてください」

「はあ? なんで」

「これは、『新』による、最高位命令です。逆らう事は許されません」

言い返す京ちゃんに、毅然と言い捨てると、本殿へと駆けて行く。

「くっそ、なんなんだよ!!」

駆けていく背中に、激昂をぶつける京ちゃん。

程度は多少違うとも、思っていることは同じだ。

この状況に対する困惑と不安。それに、先生への疑念、怒り。

でも、そんなことを言ってても、状況は変わらない。そう自分に言い聞かせる。

「ねえ、京ちゃん。ここって、すっごい静かだね」

気持ちが落着いてくると、今まで気づかなかった事にも、気づける様になっていた。

「はあ? なにが言いたいんだよ。こんな時に」

「いや~これだけの木々の中だよ? 虫の声一つ聞こえないのって、どうなのかな?」

どんなに耳を澄ませてみても、聞こえるのは木々が揺れ、葉っぱが擦れ合う音だけだ。

他の生き物の気配を全く感じない。

「たしかにな。不気味だぜ」

「だよね。これぞ、神の力って感じだね!」

「バカ言うな。神なんて、絶対にいない。たまたま全部の虫が出払ってたんだろ」

「なんていう暴論を……」

「いや、それに関しては、どっちもどっちだと思うぞ?」

やっと京ちゃんが、少し笑顔になる。

東郷神社を出てから、ずっとブスッとした顔してたもんね。

「やっぱり京ちゃんは笑っていた方がいいよ」

「ああ? 突然どうした??」

「いや、なんでもないよ~」

いつものやりとりだ。そう思ったら、自然と笑みがこぼれてきた。


「お待たせしました」

十分ほど待っただろうか。

先生が戻ってくる。

「あれ、先生?? どうしたんですか? 目が……」

「!! な、なんでもありません!!」

なにか、まずかったのだろうか。先生は、目を見開いて驚くと、さっと後ろを向き、顔を見えないようにしてしまう。

その後ろ姿は、少し震えているようにも見える。

「いや、なんでもねえって」

「本当に、なんでもないですから!! ……さあ、ついてきてください」

京ちゃんの言葉を大声で遮り、また本殿へと戻っていく。

「でも」

先生、泣いてたのかな……?

さっきまでは、機械的で、事務的で。

『新』の構成員として、任務を全うするために感情を殺して。

でもそこには先生の温かさが少しあって。

だけど、本殿から戻ってきた先生からは、その両方も感じられない。

なんというか、悲しみと、怒りのような、そんな感情を、殺そうとしているのが見えて、相当に辛そうだ。

先生の後について、本殿に入っていく。

質素な外観からも分かるように中は、祭壇がぽつんとおかれているだけで、意外と広々としている。

「ほんとに、ここはなんのために……?」

二人して、中をじろじろと見回していると、あることに気づく。

「あ、あれって?? とびらだよね?」

「ああ。でも、どこにつながってんだ? ていうかここ、なんかおかしくないか?」

そう言われて、もう一度中を見渡してみる。

「確かに。なんかおかしいよね?」

東郷神社の本殿を見たことはないが、この国、特に神の宿場街とも言われている神村街には多くの神社、礼拝堂が存在する。

小さいころから、そういった場所に慣れ親しんできている私にとっては、この本殿の内装は異常に思えた。

本来、本殿に入って正面には祭壇がおかれ、左右対称的に緻密な彩色が施される。

しかし、ここの祭壇は向かって左側に、極端に寄せておかれている。

そして、本来なら祭壇の置かれているはずの場所には、その不思議な扉がある。

「先生、この扉って??」

「……あなた達には、この扉の先に行ってもらいます」

一瞬考え込む様な顔をした後に、一度うなずき、そんなことを言う。

「え、どこにつながってるんですか?」

「それは、今は言えません」

「またそれか。もういいよ。行けばわかるんだろ?」

「ええ。必ず」

二人で顔を見合わせ、やれやれ、と大仰に首をふる。

「京ちゃん、行こうか」

「ああ」

扉の先、何があるのかも分からない。そもそも、社の裏はただの森だったと思うけど……

それでも、行けと言われれば行くしか無い。

意を決して扉を開こうとしたときだ。

「二人とも、待って」

先生に呼び止められる。

「これを持って行きなさい」

そう言うと、先生は二人の掌に小さくて不格好な、石のようなものを置く。

結晶といえば、聞こえは良いだろうか。

「?? これは?」

私のは、漆を塗りたくったかのように、不自然なほど真っ黒。

「俺のは」

手渡された結晶を見て、京ちゃんはあからさまに嫌な顔を浮かべる。

「なんか、縁起でもない色してるよね」

赤は赤でも、東郷神社の鳥居のような闘争心を駆り立てる鮮烈の赤、という訳では無く。

「なんか、ごめん。良いたとえが浮かばなくて」

「いうな」

そんな顔には見えないけど?

強いて言うなら、時間が経って固まった血のような色だろうか。というか、もうそれにしか見えない。

「それで、先生これはなんなんですか?」

正直なところゴミにしか思えないけど。

「もし、この先何かがあったとき、その結晶に意志を示しなさい。必ずや助けになってくれるはずです」

「はい???」

もう毎度おなじみ。要領を得ない回答。

あえて、そう答えているのだろう。

『新』は秘密の多い組織だから。

「行けば全てが分かる。大和、行こう」

「うん。でも、ねえ京ちゃん、なにをワクワクしてるのさ?」

「なっ?! ワクワクなんてしてねえよ?」

そんなに目を輝かせて、白々しい。

「まあ、そのくらいの方が頼もしいしね」

ふぅと一息入れ、扉に手をかける。

先生はいつの間にか外に出て行ってしまっている。

「よし、開けるよ?」

京ちゃんにアイコンタクトを送る。それを受け取りコクンと頷く京ちゃん。

ガタガタっという音と共に、横へスライドさせると、真っ暗な通路が見える。

通路というよりは穴のようなもので、先は全くの闇だ。

扉を開けた瞬間、鉄からでるような饐えたにおいが鼻をつく。

夏にクーラーをつけた部屋から、外に出たときのような息苦しさを感じた。

少しその通路に脚を踏み入れることを躊躇していると、

「おい大和? さき行くぞ?」

目をランランと輝かせた京ちゃんが、体を小さくして、ずんずんと進んで行ってしまう。

「しょうがないなぁ」

入り口こそ体をたたまないといけなかったけど、中に入ってみると意外に広いらしい、というのがわかった。

「あっついねえ」

「ああ。熱気がこもっているんだな」

壁に手を当てる。壁の土はとても冷たく感じた。

「とりあえずっと、これは、階段??」

確かに姿は見えないが、段差のようなものが足先にふれる。

「本当だね。整備はされているんだ」

だとしたら、なぜ照明は置かれないのだろうか。

まあ、考えてもしかたないか。

暗闇の中、階段を踏み外さぬ様にゆっくりと登っていく。

饐えたにおいは、いつの間にか無くなっていた。

そんな暗闇を歩き始めて五分ほどだろうか。

「なんか、やっと目がなれてきたね!」

「だな。こんなに広かったのか」

暗順応を終えた視覚が通路をぼんやりと認識し始める。

階段はまだまだ続いているみたいだ。

入り口は手を広げたら壁に触れてしまう程度の広さだったが、今は二人並んで両手を広げても、なお余りある。

「ほんと、どこに繋がってんだ?」

「ううん、もしかして、海中とか?!」

「上に登ってんだぞ?」

「ああ、そっか! じゃあ、空に向かってんだね!」

「ここは地中だ!」

「ああ」

「ほんと、お前と喋るの疲れる」

「ご、ごめん。そういえば! 雪ちゃんは無事かな?」

なんだかこのままだと、京ちゃんを怒らせてしまう気がしたから、話題を変える。

「無事もなにも、なんも起きてないんだから、大丈夫だろ」

「それはそうだけど! そういうことじゃ無くて」

「心配ねえよ。あいつは、乃木の娘だ。簡単には折れねえよ。いつも言い合ってる俺がいうんだから間違いない」

わしゃわしゃっと乱暴に私の頭を撫でる。

「そう、だよね。雪ちゃんは凄い子だもんね!」

「なんか、その言い方だとバカにしてるみたいだな」

「戻ったら、すぐに夏休みの話しないとね!」

「そうだな。とっとと終わらせて、早く帰ろう」

……でも、この漠然とした不安はなんだろう。

なにか、重大な見落としをしている気がする……

「大和、どした? 急に黙り込んで」

「うん」

何が引っかかってる? 

なんでこんなに不安になる?

なんで? なんで? なんで……

「ああ!!」

「なんだ?! 今度はどうした?!」

「ああ、ごめんごめん。ドラマ、予約してないの思い出して」

「ビックリすんだろ。そんなことで叫ぶな」

「そんな事ってなにさ! 毎週欠かさず見てきたドラマの最終回だよ? 主人公の奥さんが突然性転換して、ヤクザの組長になるって、広島に行ったところで終わっちゃったんだよ?!」

「そ、それは、ちょっと同情するけど。ていうか、ぜんぜん間に合うだろ?」

「いや、木五枠だから。そろそろ始まる」

「木五?! 木曜十七時?! 何の需要があるんだその枠」

「失礼な! 木五のドラマは本当に質が高くて面白いんだよ?!」

「だとしたら、木五なんて枠では放送されねーよ」

「うぅ、面白いからこそ……」

……誤魔化せた、かな?

さっき思いついた仮説は、あまりにも非現実的すぎだと思う。確証もないし、外れている可能性が99.9%なんだ。

それに、京ちゃんに要らない心配はかけさせたくないし。

でも、その仮説なら、違和感に全て説明がついちゃうんだよね。

「なんか、明るくなってきてないか?」

こんなバカ話をしながら歩いていると、京ちゃんがそんなことを言い出す。

「ほんとだ。これって!」

「うん。外に出るんだ」

ドクンと心臓が大きく脈うつ。

次第に外からの光が強くなり、そして出口が姿を見せる。

「なんだ、これ?」

出口には、私のウエストほどの太さのしめ縄が張られている。

「まあ、超えられないわけじゃないし、行くか」

ひょいっとしめ縄を飛び越えて先に行く京ちゃん。

しめ縄を飛び越えるのはどうかと思い、私は下をくぐる。

「どこだ? ここ」

「神村街……ではなさそうだよね」

外に踏み出した瞬間、感じた事の無い猛烈な熱波と、潮の香りにあてられ、少しめまいを感じた。

なんだろう。でもこの景色、なんだか見覚えがある気が……

一方には険しくも泰然とした連峰が。

一方には穏やかに煌めく海が。

相当な高台にいるのだろう、周りには木々が生い茂っているが、それでもその隙間からこの土地を見下ろす事ができる。

出口をでて、真っ直ぐに下っていく。雑草をかき分け、木々をよけながら。海の方へと歩いて行く。

どれだけ歩いただろうか。それこそ、東郷神社から、乃木神社までの距離ほどだろうか。

生い茂る草花をかき分け、並び立つ木々をすり抜け、視界の開けた広場にでる。

……そこには『それ』があった。

「この鳥居って……」

「うん。乃木神社の入り口にあったのだよね」

それは、東郷神社の大鳥居を模して作られたのだろう。

大きさだけが異なる赤い鳥居が、開けた広場にぽつんと立っていた。

鳥居の真下まで歩いて行く。あれだけ乱雑に育っていた草木が、この鳥居を中心に、ここら一帯だけ刈りそろえられている。

「なんだって、こんなものが……?」

「乃木神社の奧って、海になっているはずだよね……」

「うん? ああ。だって東郷神社から真っ直ぐ……に」

そこで京が何かに気づく。

そして、二人同時に後ろを振り返る。

「な、嘘……だろ」

「やっぱり」

今いる鳥居から真っ直ぐ後方。

丁度私達が、外に出てきたあたりだ。

そこには、見覚えのある私達の街のシンボルが置かれていた。

「なあ、でもあんな色って」

「うん。どういう事なんだろ」

街のシンボル、東郷神社の大鳥居は、鮮烈な朱で、人間の建造物とは思えないほどに煌めいている。

でも、形も、場所も、大きさも全く同じのその大鳥居は、酷く黒ずんでいた。

もとは、鮮やかな朱だったのだろう。所々に見えるそれが、ひどく痛々しく感じられた。

「あれ、壊れている……よな?」

「え? あっほんとだ。どうやったらあんな壊れ方に……」

形はシンプルで、二つの脚があり、それにまたがるように彩色を施された屋根や島木が置かれている。

その屋根と島木における右半分が、斜めに抉られている。

まるで何か大きな爪をもった怪物が一薙ぎしたかのようだ。

何がなんだか分からない。

脚に力が上手く伝わらず、へたりこみそうになるが、

どさっという音と共に、京ちゃんが力なく倒れ込む。

ブルブルと肩をふるわせ、目は焦点が合わないのか、いろんな所を飛び回っている。

「京ちゃん……しっかりして。大丈夫だって!」

「な、なにが大丈夫なんだよ? あれって」

京ちゃんの顔が、より一層強ばる。

たぶん、考えた事は、私と一緒だ。

だから、こそ。

「京ちゃん、あれはたぶん、シロアリの仕業だよ!!」

「……はあ?」

「ほら、あんなにでかい木造建築物だよ? アリさんにとっては願ってもないものじゃん!!」

「アホか。なんだってこんな好物のデパートみたいな所で、あんな食べづらい所行くんだよ」

「そう言われればそうか……じゃあ、ハクビシン?」

「害獣から離れろよ……ありゃどう見ても……」

そう言うと、私の顔をじっと見つめる。

優しく笑みをつくり、その視線に応える。

「そうだな。シロアリの仕業だろうよ。あんなことできんのは」

「うんうん! そうだよそうだよ!!」

「……ごめん。ありがとう」

「いえいえ」

むしろ、ごめん、はこっちの方だ。

京ちゃんが先に倒れてなかったら、京ちゃんを助けなきゃって思わなかったら、恐怖に負けていた。

「どういたしまして~」

手を差し出すと、京ちゃんは私の両手を掴んで、思いっきり後ろに体重をかける。

「わわっ!!」

バランスを失い倒れ込む。それを京ちゃんが抱き留めた。

「ナイスキャッチ!」

「いや、京ちゃんの自作自演だから!!」

いきなり何するのさ!

「いや、こっからの景色、すっげぇ綺麗だなって」

「ほんとだ」

海側、小さい鳥居の下から、覗くように二人で座って壮大な景色を眺める。

人工的な赤い鳥居と、海や木々の織りなす大自然。

「この景色、雪ちゃんにも見せてあげたいな~」

「でもあいつ、景色とか興味ないんじゃね? この前も海見ながら、本当に綺麗な景色なのか、とか言って、意味わかんない計算してたぜ?」

「な、なんか雪ちゃんらしいね……でも、やっぱり三人で来たいよ」

「……ああ。そうだな。あいつも次は連れてきてやろうぜ」

「うん!!」

少しずつ日が落ち始めるが、依然として気温は今まで感じた事が無いほどに暑い。

二人で並んで景色を見つめる。

こんな時が、いつまでも続けばいいのに。

海鳴り一つ聞こえない穏やかな静寂が続く。

しかし、そんな平穏は、突如として崩れ去る。



どん どん どん どん どん どん



「うん?? これって『どんどこ』か?」

「こんなところで……とりあえず、戻ったほうが良いのかな?」

「そうだな。ここにいても仕方ねえし、先生に聞きたいことは山ほどあるし。そろそろ戻ろう」

「うん。そうだね」

来た道を振り返り、帰路につこうとしたその時だった。

ドパッッッッッッッンという爆音が、海のほうから響いてきた。

さっきまでは、波音なんて一切聞こえなかったのに……

振り返ると、二人で見ていた静寂が一変している。

海は怒り狂ったかのように、大波小波が浜や、ここの崖下を打ち付けている。



どん どん どん どん どん どん———



「すっごい」

木々がたわみ、今にも折れそうになるほどの風が吹き荒れだした。

綺麗な赤い花が根元から吹き飛んでいく。

「どうしたんだ? いったい」



どん どん どん どん どん どん———



風は強くなるばかり。

波は崖下にぶつかり、轟音を伴って爆ぜる。

天変地異——そんな言葉が脳裏をよぎる。

「と、とりあえず避難しよっか」

「そうだな。街に戻ろっておい、大和。あれ、なんだ??」

「ええ?」

踵を返してすぐに肩を掴まれ、元の向きにもどされる。

「あれ……は??」

京ちゃんが指さしている方に、目をこらす。

鳥居の真下、さっきまでは穏やかで静かな海を映していた何も無い空間。

そこに、大きな波紋がうまれていた。

「ええ? なに、あれ」

「・・・・」

なにが起きているのか全く理解出来ない。

その波紋は段々と大きくなる。

そして———

「なんか、出てきて……」

その波紋の中から黒い霧が流れ込む。

!!!

何かが、鳥居の真下に立つ京ちゃんに向かって振り下ろされた。

「危ない!!!!」

とっさに京ちゃんを押し倒し、なんとか軌道上からそらす。

「だ、大丈夫??」

「・・・・」

「きょ、京ちゃん?? しっかりして!!」

黒い霧が晴れていく。

そして、『そいつ』が姿を見せる。

「あれは、犬?? かな??」

いや、犬には見えない。

どう考えても、ライオンとかそういう類いの生物だろう。

ただ、体毛は漆の様に真っ黒で、牙や爪といった器官は、大きく、鋭く尖っている。

体長は動物園で見るそれと、ほとんど変わらないから、滑稽な気もしないではない。

まさに、化けもの



どん どん どん どん どん どん———



「・・・・」

さっき押し倒された京は、未だに起き上がらない。

「京ちゃん!! ツッコんでくれなきゃ、滑っちゃっうよ!」

呼びかけにも全く反応しない。

気、失っちゃってるのかな?

「やばいよ……」

完全に姿を現した『そいつ』———

ナイフのように鋭い目が、私を射貫く。

脚に力が入らない。

手が震えて、握り拳も作れない。

生物ならざる何かの殺意。

「ライオンって、かっこいいと思ったことないんだよなぁ」

こんな状況で、こんなことが頭をよぎるのはなぜだろう。

「私なんて、おいしくないよ? それでも、食べるの??」

恐怖は、なんだか感じない。

人は、本当の意味で死を悟ると、その現実から目をそらそうとするらしい。

「これ、大発見じゃない?! まあ、誰にも伝えられないけどね……」

その化けものが、手を薙げば、簡単に命を刈り取ることのできる距離。

走馬燈のように、雪や、京との思い出が頭の中を駆けめぐ……

「あれ?? 走馬燈が……流れない??」

人は死を直観したら、過去の出来事が一瞬にして頭に浮かぶという現象が起こるらしい。

「あれ? なんで」

それは、二人との思い出が少ないからだろう。

一番の親友達なのに、ほとんど遊んだりといった思い出がない。

だからこそ、今年の夏は、たくさん遊んで、今までの分までハメを外すつもりだったんだ。

化けものが、私の行動観察を終えたのだろう。今にも襲いかからんとしている。

ダメだ。まだ死ねないよね。せめて、三人で海に行くまでは!!

でも、こんな化けもの、どうやって……

必死に頭を回転させる。

なにか、なにか対抗出来る手段は……

なにか……なに、か!

『意志を——』



どん どん どん どん どん どん———



思索に没頭してしまい、化けものがその鋭い爪を振りかざしているのに気づかなかった。

「!! ……あ」

視界をよぎる死の感触。しかし、その攻撃が、私に傷をつけることは叶わなかった。

「やっぱり。これが、戦う力……」

乃木神社で、先生に手渡された結晶。

先生は、何かあったとき、意志を示せといった。

明確に見せた『戦う意志』

どんな仕組みなのかは分からない。

それでも、不思議な光が、命を刈り取られるその瞬間に私を包んで、守ってくれたのは確かだ。

そして——

青白い神秘的な光が体を包み、心地よい感覚が伝わってくる。

その光が強く輝く。心地よい感覚が、次第に物的質量を帯び、形取られていく。

強く輝いた光が消失する。

「か、かっこいい!!」

さっきまで制服だった私の衣服が、黒の光沢を放つ美しい甲冑へと変わっていた。

右の腰あたりには日本刀が収められている。

「なんか、自分の体じゃ無いみたい」

根拠のない不自然な、でも全く不快ではない力を体全体に感じる。



どん どん どん どん どん どん———



私の変身に戸惑っているのか、化けものの動きは止まっていた。

しかし、今度の制止は短かった。

私が反撃してこないと分かるやいなや、両手の爪をクロスさせて振り下ろしてくる。

「わわっ?!」

かわすつもりで、小さく後ろにジャンプしただけなのに?!

私の身体能力以上の力で化けものと大きく距離をとることに成功する。

これは、すごい……

猛然と私を追いかけてくる化けもの。

「さっきまでは、怖くて逃げることも出来なかったけど……」

鞘から抜き、右手に掴む刀を見る。

刀身は銀色に輝き、私の顔を反射させている。

「お前、本当に情けない顔をしてるなぁ」

京ちゃんは依然として動けなさそうだ。

私がやらなきゃ———

刀を軽く振ってみる。

「うん。本物は初めて振るけど、こんなに軽いんだね。それに……」

ゴツゴツとしていて、一見すると鈍重そうな甲冑も

「なんにも着てないみたいに軽い……」

多々良様の力———なのかな

なんにせよ!

「これなら、戦える」



どん どん どん どん どん どん———



突進してくる化けものを、右に飛んでかわす。

「いったぁい!!」

まだ強大な力を扱いきれず、着地に失敗してしまった。

その隙に向きを変えた化けものが、大きな爪を振り下ろす。

やばい、避けきれない……

右手の刀で攻撃を真っ向から受け止める。

腕が痙攣を始める。

受け止めるだけじゃ……だめだ!!

「うおおおおおおおおぉぉ!!」

力任せに前へと押し返していく。

そして、地面を思いっきり蹴って跳躍。

爪を押し返すと同時に、化けものが後ろにひっくり返った。

「今が……チャンス!!」

刀を下に突きつけ、そのまま化けものの腹の上に着地。

ぐちゃっ、という柔らかい何かを貫く音が鈍く轟く。

化けものが動きを停止させる。



どん どん どん どん どん どん———



「はあ……やったのかな?」

刀を引き抜き地面に降りる。

光彩を失った瞳

痙攣が始まった身体

やがてピタッと動かなくなる。

「倒せた……んだ。良かった」

激闘の傍らで暢気に響いていた『どんどこ』は、まだ鳴り続けている。

「よし、京ちゃん連れて、街にもどろ……」

「大和、危ない!!」

「えっ?!」

背中に声をかけられ振り返ると、殺意をまとった真っ白な牙が目前に迫っていた。

死んでなかった……の??

もはや、回避も防御も間に合わない。

不思議なもので、牙に私の意識は集中していた。

ああ、真っ白で、なんだか綺麗だなぁ。これになら———

その牙が、私の命を食らう……

その瞬間、またもあの光が私を包んでくれる。

ギュッと抱きかかえられる感覚があった直後、バキっという破壊音が耳に入る。

「待たせたな、大和」

「京ちゃん!!!」

その光がおさまると、私を抱きかかえ、化けものの牙を一身に受けた、京ちゃんがいた。

「きょ、京ちゃん?! だ、大丈夫?」

「ああ、全く効いてないぜ。……それよりも、かっこわりいとこ、見せちゃったな」

 動けなくなってしまったことを言っているのだろうか。

「そんなこと無い!! 今私を守ろうってしてくれた!! 京ちゃんは、最高にかっこいい!!」

「そんなこと言える、お前の方がかっこいいよな……ありがとう」

「ううん。そしたら、私達は、どっちも格好いい! でいいじゃん!!」

「相変わらず、意味わかんねえな。でも、それでいいよ。俺も、お前もかっこいい」

「うん!!」

依然として、化けものは私達への殺意に従順だ。

「さて、さっきの一撃も回復するってんなら、お前の刀じゃ火力不足だよな?」

「たぶん……ごめん」

渾身の力を込めた一撃でも、倒し切るには至らなかった……

「なんで謝るんだよ。足りないもんは、誰かが補う。そんなの当たり前だろ」

「京ちゃん!!」

なんて心強いんだろう。

「俺の武器は、これだ!!」

後ろ手で持って隠していたつもりなのだろうけど。

「わっと、意外と重いな」

身長の倍近くの長さを持つ斧を軽々と頭上に掲げてみせる。

先端は尖っていて、槍としても機能するのであろう。

よく見れば京ちゃんは、目がちかちかしてしまう程に強烈な赤色の西洋鎧に身を包んでいる。

まさに京の性格を表した、燃えるような炎を彷彿とさせる。

武器も柄から、何から何まで赤く塗りつぶされていて。

「京ちゃん、あんまり近づかないで……」

「なんでそんなこと言う?!」

だって、目が痛いんだもん!

「化けものも、勘弁してって言ってるよ?」

「だとしたら歓迎だな! 大和だけ狙ってくれよ?!」

「そ、それとこれとは違うじゃん?!」

気づけば雑談が飛び出るほどの余裕が生まれていた。

いや、余裕ではないか。友達がいるっていう安心感……

自分を攻撃する存在が二人に増え、化けものも慎重になっているようだ。

「こいつ……理性があるのか??」

確かに、そう思う行動は凄く多い。

例えば、さっきも真っ先に、刀を握る右手を落としに来ていた。

だから回避も間にあったんだけど。

ジリジリとにらみ合いが続く。



どん どん どん どん どん どん



「大和。こんな事頼むのは、どうかと思うんだけど……」

「何でもいってよ。京ちゃんからの頼み事なんてそうそうないし!」

ていうか、初だと思う。

それを聞き、京ちゃんは大きく頷き、笑う。

「わかった。じゃあ、遠慮なく。大和、囮になってくれ!」

「やだよ?!」

「ええ?! お前さっき!」

嫌に決まってるじゃん!

 囮って、あんなの相手に出来るわけないし!!

「さっきはさっきだよ! そんなの怖いし……」

「でも、お前にしか出来ないんだよ」

「え、どうして??」

「この武器なら火力は出せるかも知れない。でも、そんな簡単にはあいつだって食らわないはずだ」

それは、その通りだ。あいつは、頭がいい。

「だから、軽い刀を持っているお前が囮になれ、と」

「ああ。頼む。これしか、ないんだ。」

両手を顔の前で合わせて頼み込んでくる。

……ていうか、それだと選択肢、無いじゃん。

「わかったよ。やる。だから、帰ったらジュース奢ってね?」

「おう! もちろん! 鳩形クッキーもつけてやるよ!」

京ちゃんの顔がパアっと明るくなる。

仕方無いよね……怖いけど、やるしか無いなら。



「ね、ねえ京ちゃ~ん! どうしたらいいの??!」

囮役を引き受けたはいいけど。

「早くなんとかしてくれないかなぁ!!」

追いかけ回されること数分。

「まだ、もう少し待ってくれ!!」

「さっきからそればっかりじゃん!!」

「なんだか、タイミングがとりづらくて……」

「わわっ!」

寸でのところで爪をかわし、刀を当てる。

ダメージにはならないが、気を引きつける位には効いているみたいだ。

「はあ、はあ、さすがに、疲れてきたよ」

いくら化けものの動きが鈍重で、かわすには労しないとは言え、一歩間違えれば死に一直線の状態だ。精神の限界が先に来ちゃう。

「よし! だいたいの感覚は掴めた! あとは大和のタイミングで頼む!!」

「やっとだね」

待ってました!

クルッと体を反転させ、向かってくる化けものと正対する。

「さあ、反撃だよ」

突進してくる巨体を、横に滑ってかわす。

そして、がら空きの脇腹を斬りつける。

「くらえぇ!!」

一閃——二閃——三閃・・・・

斬りつける度に、黒い液体が飛び散る。

この化けものの血液のようなものだろう。

それを頭部から全身に浴びる。でも、そんなのどうでも良い。

「いけ! くらえ!! この街から、出て行け!!!」



どどん どどん どどん どどん どどん———



『どんどこ』のリズムが速くなっていた事には、二人とも気づいていなかった。



強引に体をひねり、鋭い爪が、牙が襲いかかってくる。

しかし、牙を刀で受け止め、爪は体をひねって回避。

そのまま左腕で化けものの顔を一回殴る……

「かったぁ!! すっごい痛いんだけど」

素手でコンクリートの壁を殴ったかのような痛みが、拳を通して全身を駆け巡る。

それでも、化けものには効果があったようで、たまらず後ずさった。

それを深追いし、さらに連撃を加える。

空間を抉る様な、爪の一撃を回避しながら、脇腹、顔、腕をランダムに切りつける。

たしかに、これは京ちゃんの巨大な斧では出来ない芸当だ。

ただ、これを全て可能にしているのは、化けものの動きによるものが大きい。

「なんでだろう。右手に執着してる? というか、刀に??」

さっきから、執拗に刀を持つ右手が襲われる。

だからこそかわしやすく、反撃にも出やすいのだ。



どどん どどん どどん どどん どどん———・



「そろそろ、クライマックスだよ」

何度目の激突か。

突進してくる化けものの爪を刀を横にして受け止め、牙を突き立てる顔面を蹴りつける。

しかし、ダメージにはなっていない。

それでも———

「囮役ご苦労。おかげで、視界良好だぜ!! これで終いだぁ!!」

京ちゃんが近くの岩場から跳躍し、化けものめがけて、巨大な斧を叩きつける。

私に集中していた化けものは、巨大な斧を振る京ちゃんに全く気づかない。

上半身と、下半身を二分するように当てられた刀身。

肉がちぎれ、ブチブチッという音が、辺り一面に響き渡る。



どどどどどどどどどどどど・・・・ どどん



それと同時に、『どんどこ』が連打を始め、締められた。

そして、真っ二つにされた化けものは、黒い砂となり、消えていく。

「はあ、はあ、はあ……やった、のか??」

「うん。そうだよ!! 京ちゃん! あの化けもの、私達が退治したんだよ!」

「ああ、そうだよな……何がなんだかわかんねえけど」

辺りを見渡せば、大きな穴がいくつも空いている。

化けものの攻撃で出来たものだ。

乱雑ではあったが、それ故に崇高さのあった風景は、ものの数分で地獄絵図となっている。

生活圏ではなかったため、被害が拡大しなかったのは不幸中の幸いだろう。

「そもそも、ここがどこなのか、って話だけどね」

「そうだよな。とりあえず、早く戻ろう。あの野郎に聞かないといけない事が、山ほどあるからな」

「うん。とにかく、帰ろう」

そういった途端、白い光が二人を包む。

白い世界に覆われ、平衡感覚がなくなる。

意識までも、その世界に覆われる寸前、急速に光が弱くなり、消えていく。

「ここって」

「乃木神社の扉をくぐって、すぐのところだよね??」

あの強烈な、鉄の匂いが鼻を襲う。

「とにかく、戻ってきたんだよね……?」

「扉あけたら異世界でした、なんてことでも無ければな」

「京ちゃん、そんな冗談言うんだ」

「なんだそのジト目は?! 俺だってたまには……な」

帰ってこられたという安堵が大きいのだろう。

いつもより、心なしか優しい表情になっている。

「開けるぞ」

「うん」

京ちゃんの変な冗談のせいで、嫌な緊張感が生まれたけど。

「ただいまって、あれ?」

京ちゃんが、扉を掴み、ガタガタッとスライドさせる。

扉をくぐると、そこは異世界、ではなく、簡素な内装をしている、乃木神社であった。

「あれ? なんで先生いないんだろう?」

見渡す限り、この狭い部屋の中に先生の姿は見つからない。

「あの野郎! 逃げたのか?! こんな危ない目に合わせといて!!」

「と、とにかく探そう!」

あの先生が、私達を……そんなこと、思いたくない。

たとえ、学校の先生としての顔は、偽りだったとしても……




はたして、私の願いが通じたのか、先生の姿はすぐに見つかった。

先生は——乃木神社の鳥居の前で、両膝をつき一心不乱に祈りを捧げていた。

「せん……せい??」

京ちゃんもさすがに、戸惑っている。

「先生、ただいま」

二度目の呼びかけで、やっと顔を上げた。

その顔を見て、絶句してしまう。

厚底のメガネの下に見える目は真っ赤に充血し、まつげは濡れそぼっていて、頬には伝った何かを、強引に拭った後がある。

「二人とも、無事で良かった……」

そう言って、私達を同時に抱きしめる。

やっぱり、先生は、先生だ。

そう思ったら、京ちゃんや雪ちゃんと居るときとは、違うあたたかさを感じる。

突然、胸の奥からなにかが熱く、こみ上げてきた。

それがこぼれ落ちるのを、抑えることはできなかった。

「こわか……ったよぉ~せん、せい」

無言で頭に置かれた掌は、思っていた以上に小さくて、なのに不思議と安心できた。

「先生、こんなポーズは、いらないんだよ。あんたのせいで、俺たちは死にかけたんだ。それでも、まだ話せないって言う気か?? 俺たちには、真実を知る権利があるはずだろ??」

本当は、京ちゃんだって分かっていたんだ。先生にあたったところで、なんの意味も無いことを。

『新』という私達の手が、届かないところで動かされているなにか、なのだと分かっていても。

でも、分かっていても許せなくて……

先生は、優しいから。ついつい、甘えちゃって……

先生は、いつもの温かみのある笑顔になって言う。

「英雄としての初任務、お疲れ様でした」

そして、笑みを消し、すぐにこう続ける。

「……神様に選ばれたあなた達、『英雄』。人類を滅さんとする化けもの『マヨイモノ』。そして、私達人類を囲う、世界の真実」

そこで一端言葉を切り、そして、小さく深呼吸を挟む。

「これから話すことは、過酷で残酷な、人類の歴史です。あなた達が耳を塞ぐことは、許されません」

先生の顔が途端に感情を失う。

まるで機械のように抑揚の無いしゃべり方が不安を煽った。

「ああ。聞かせてくれ。この世界は……いったいどうなってんだ? あいつは一体何なんだ」

京ちゃんが即答する。

「……はい。いったい、あそこは何なのですか」

あの光景を目にしてしまった以上、何も聞かずにいるなんてことは出来ない。

「二人とも。分かりました。……西暦2020年の……五百年前に起きた大災害。これは、知っていますよね? この大災害の真相。それが、この状況を生み出したきっかけ、なのです」

「ああ。もちろん。この神村街や『新』が組織されるきっかけにもなった全国規模の天変地異のことだろ」

「京ちゃん、頭いいんだね……」

「アホか。小学生でもわかっている歴史だぞ」

「そ、そうなの?! 全然しらなかった……」

「お前、どんな教育されてきたんだ……?」

「そんな哀れむ感じの目で見ないで! たぶん、たまたま寝てただけだから!!」

 まさか、京ちゃんに勉強で遅れをとっていたなんて。

「……そう。神巫さんの今の答え、テストなら百点です。そうやって学校では教えられていますから。でも、それは真実ではない。真実は、もっと残酷で……」

「ちょ、ちょっと待てよ。それってどういう……」

 京ちゃんの顔に、明らかな困惑が浮かぶ。

 私の頭も整理が追いついてない。

 先生は、何を言おうとしているの??

「あの日、北の極地で発生した黒い瘴気が、世界を覆いました。

その瘴気を浴びた人間は数秒で死に至ったのです。凄まじい速さで拡がるそれに、なすすべ無く人類は追い込まれました。そんな中、神村街、旧ことひらと呼ばれる土地に住んでいた一人の少女、多々良新様に神のご加護が舞い降りたのです」

「はあ? 多々良??」

「えっ?? 新??」

ツッコむタイミングは全く同じだったけど、気になった所はそれぞれ違う。

「二人の疑問は分かります。が、話を聞いていれば、自然とわかりますよ」

続けても? と促す先生に首肯する。

「多々良様は、神の力で旧ことひらに結界を張り巡らせました。その結界は、瘴気の侵入を防ぎ、僅かな生存区域を作り出したのです。しかし、その平和は長く続きませんでした。神の力を無理に宿した多々良様の肉体は急速に弱っていったからです。さらに、結界の外には、結界を破る力を持つ、『マヨイモノ』が出現するようになり、その維持が難しくなりました」

「じゃ、じゃあよ、マヨイモノって言うのが世界を滅ぼした訳じゃあないのか?!」

「はい。あくまでも世界を滅ぼしたのは、黒い瘴気です。そして、詳しい研究が行われて、ある重大な事実が分かったのです」

先生の顔が、悲痛に歪むのがわかった。

それほどに衝撃的なことなのだろう。

「マヨイモノは、瘴気によって生態変化を果たした地球上の生物だったのです」

「はあ? なんだよ、マヨイモノも、もとは俺らと同じ生物だった、ってのか? あんな、あんなバケモノが……」

そういえば、さっき戦った化けものも、どことなくライオンに見えた気もする。

「マヨイモノも、あるしゅは被害者なのですよ……だからといって、討伐をためらえば、我々人類は本当の意味で終わってしまいますが」

その話は少し興味深くはある。

でも……

「ははは、ためらうなんて……」

そんな余裕は全くない。

命をかけて本気の殺意を滾らせならなければ、あのバケものの、前に立つことすら出来ないと思う。

「マヨイモノもやはり謎の多い生物ではありますが、二つ確かな事があります。奴らの目的は、多々良様のもつ神の力の破壊。もう一つは……戦闘時にこちらの武器を使えないようにしようとすること」

「……? 意味がわかんねえ」

京ちゃんが首を傾げる。

今の説明だけじゃイメージするのは難しい。

私は、身をもって実感していたからわかる。さっきの闘いで、ゾッとした所の一つでもあるからだ。

とことん刀を握った右手を攻撃してきた化けもの。

動物としての理性が、そう命令しているのだろうが。

でも、牙や爪といった攻撃を行う機関のみ、が大きく発達しているのは、何でなんだろう。

「まあ、それがわかってりゃあ闘いやすくもなるな」

「それはそうだけど……」

だからこそ武器を持つのが怖くはならないのだろうか。

「だって、どっちにしろ攻撃されるんだから、関係なくね?」

私の不安は。珍しい京ちゃんの正論に論破された。

「マヨイモノについては、そういった特徴が有りますので、覚えていてください」

「忘れようにも忘れられねえよ」

「うん……」

テスト勉強なら簡単に忘れられるのに。

「東雲さん? 大丈夫ですか?」

なんて思っていたら、顔に出ていたのだろう。先生が心配そうに顔をのぞき込んでいる。

「す、すみません」

「いえ。……大事なのはこれからですから。この世界の真実を」

「そうだ。そんな災害……? が起きて、世界はどうなっているんですか??」

「この街以外壊滅しました。いや、我々人類が営みを続けてきた地上に、もはや人間の住むことが出来る場所はありません。当時の政府も、国も全てが消えてなくなりました」

 淡々と、まるで業務連絡を行うときのように、世界の真実をつげる。

「もう、驚かなくなったな……」

 あの戦いの前なら、先生の面白い冗談だと笑い飛ばしていただろう。

 しかし、今は余りにも、この話を否定できる要素がなさすぎる。

「それは、どういう事なんですか……?」

「多々良様が、結界を作り守ったこの街ですが、先も言ったように、そう長くは保ちませんでした。何よりも解決しないといけないのは、多々良様の肉体、もっと言えば、神の力を宿しておくことのできる社の存在。それを人々は、地下に作ろうと画策したのです」

「あ、もしかして、それって……」

「ええ。そして作られるのが『東郷神社』です。二人も、元となった鳥居や本堂を外で見たでしょう? 本堂の大きさは今とは比べものになりませんが。しかし、そう簡単に作れるモノで有るはずも無く、多々良様は次第に力を失い始め、結界は崩壊寸前となったのです」

話の流れで推論は出来た。でも、東郷神社が地下に作られた……? なにを言っているんだろう。

「多々良様は、最後の力を振り絞り、神の力を七つに分散させ、七人の少女に託したのです。それが今の新世代、英雄と呼ばれる人々の起源です」

「もしかして、そのうちの一人って」

「東雲さんは、良い勘をしていますね。そうです。今日の御三家は、その七人の初代英雄達に機縁しています。乃木も、その内の一つです」

「雪ちゃん、本当にお嬢様なんだね……」

「いや、今更かよ?」

「なんか、ショックだよ」

少し、雪ちゃんが遠くに行ってしまった気がする。

コホンという咳払いにより、先生が私達の注目を集める。

「多々良様をサポートし、地下に社を作る。人類最大の賭け、その責任者が御三家の一つ、東郷家初代当主、東郷春佳でした。彼女は多々良様と、初代の英雄を守る組織として『新』を設立。神の力を研究し、英雄の武器制作や、戦闘服を開発。それが脈々と受け継がれて、今のものへとたどり着いたのです」

「なんで多々良様を祀る神社の名前が、東郷なんだろうって思っていたけど、そういう事だったのか」

え、京ちゃんは、何にうんうん頷いているんだろう?

「初代の英雄がなんとかマヨイモノを食い止めている間に、地下神社の建設は急いで進められました。多々良様はいつ事切れてもおかしくない。初代の英雄達も、一人また一人と力を失っていきました。そして、多々良様にもついにその時が。息を引き取る、まさに直前、その社が完成したのです」

「そ、それで、どうなったんだよ?!」

 京ちゃんが先生に詰め寄って先を促す。

 できの悪いSF映画を観ている時のような、ばかばかしい感覚に陥った。

「多々良様は、本堂に入り、祝詞を捧げ終わると同時に力つきました。そこで、多々良様と同化していた神様は、東郷神社へと依り代を移し、そして————奇跡を起こしたのです」

「奇跡……なんか、昔の宗教みたいな話だね」

なんだかきな臭い方向に話題が入っていくのを感じる。

先生は、無表情の、抑揚ない顔で淡々とあり得ない逸話を語る。

「結界の中にあった地上の生活圏が、そのまま東郷神社を中心とした地下に移動し、人類の生活圏を大幅に回復させてくれたのです。さらには生きていくための、恵みまで与えてくれた」

とそこで、興味津々に聞いていた京ちゃんが、突然噴き出す。

「なんだそれ?? ご都合主義も良いとこだな。誰がそんな話……」

 そんなことをいう京ちゃんに対して、先生が初めて明確な怒りを向けた。

「ええ。あり得ない話です。人類にとって、ご都合主義な展開でしょう。それでも——これだけの理不尽で、惨い仕打ちを受けて、神の奇跡無しには立ち直れない状況に追い込まれた。

それでも、人々は懸命に生きようともがいたのです。だとしたら、そんな奇跡がおこったとしても……起こっても、良いはずじゃないですか」

今までのしゃべり方とは、全く違う。

何かにすがるような、そして、その何か、を私達に、強要するような強い言葉。

 「…………」

罰が悪そうに目を背ける京ちゃん。

先生の言葉には、強い力が込められていた。

なにがあったのかは分からない。でも、なにかが有るというのは分かる。

そんな反応だった。

「すみません。言わなくても良いことまで……これが私の知るこの世界の真実です。なにか、聞きたいことは?」

「正直、頭がいっぱいいっぱいで……疑問も出てこないんです」

余りに多くの情報がいっぺんに入ってきて、脳みそが混乱してしまっている。

「それもそうですね。とにかく、お疲れ様でした。二人とも、ゆっくり休んでください。幸いにも明日からは夏休みです。マヨイモノがいつ侵入してくるかは分かりませんが……」

あっ! そうだ。これだけは聞いておかないと!

「先生、あの化けもの——マヨイモノが現れると同時に『どんどこ』がなり始めて、倒すと同時に終わったのですが、あれは……?」

「もともと『どんどこ』は、マヨイモノが結界内に侵入したことをしらせるハザードでした。それがさらに改良され、マヨイモノの生体エネルギーを感知し、音の速度で教えてくれるようになったのです」

「つまり、ゲームで言うところのライフゲージみたいなものってことか」

「いや、それは違うんじゃ……」

「ああ、そんな感じですよ」

「ええ?! あってるんだ!! ていうか先生分かるんだ?!」

すると、先生は、胸を大きく張って、ドヤ顔でいう。

「もちろん。一般教養です」

「教養の範囲が広すぎるよ」

なんてツッコミを入れると、京ちゃんが最初に噴き出した。

それにつられるように、三人の間に笑顔が広がる。

ほんの少しして、笑いがおさまると、

「二人とも。大きな役目を渡されて、戸惑いはあると思います。でも、だからって気負う必要はありません。あなた達は、世界のヒーローでも無ければ、人類の希望でもありません。ただの女子中学二年生なんですから」

「なんか、いい話でまとめに来てるけど?」

「でも、そんなに……だよね」

「大人をからかわない! まったく……」

そういって、最後にもう一度『新』モードに戻ると

「今日の話は、『新』でも、トップの人間しか知らない秘密です。くれぐれも他言しないように」

そして、ふっと先生の顔になり、

「東雲さん、神巫さん。では、また」

そういって、来た道を、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに歩いて行く。

「さらっと爆弾発言したな。あいつ」

「うん」

「こっちはあんなのと戦わされてボロボロだっていうのに……」

本堂から外にでると、木々の隙間にはオレンジのクレヨンで色づけしたかのように、のっぺりとした夕焼けが広がっていた。

「帰るか」

「そだね」

乃木神社を後にし、私達も来た道を真っ直ぐに帰っていく。




真実を知り、何気ない日常は、終わりを迎えた。




「海だぁぁ~~!!」

「やまとちゃん、そんなはしゃいでたらって言わんこっちゃないんだから」

「いったい……」

「自業自得だろ、アホが」

白浜が売りの日本有数の海水浴場。

夏休み一日目。

昨日はあんなことがあったけど、今日はめいいっぱい楽しむって決めたんだ。

そもそも、考えたところで私達にはどうにも出来ないしね。

それよりも——

「ほんと、なに食べたらそんな風になるのかねえ……?」

「残念ながら遺伝よ」

「是非も無い?!」

「冗談よ。健康な食事と睡眠。これが一番ね」

真っ白な肌に、黒の水着が良く映える。

スレンダーで出るところはしっかり出ているその神秘的な体には、女の私ですらほれぼれしてしまう。

「あ、あんまりジロジロしないで? やまとちゃん」

「ご、ごめん。あと、もう少しだけ」

「何を少し、なのかしら……」

「おい、変態。ちゃちゃっとパラソル立てるぞ」

ごすっという鈍い音と共に、頭をパラソルで叩かれたのだと分かる。

やったのは誰だか分かってる。

「京ちゃんも、可愛いね……」

赤と白と青のトリコロール柄の水着に、明るいピンクの髪色が異国情緒を感じさせる格好。

「ほえっ? う、うるさい!!」

「あ、照れてる~」

「お、おまえ、ぶっ殺すぞ!!」

「ご、ごめんって~」

怒った京ちゃんを連れて、砂浜をランニングしていく。

ふと、マヨイモノに追われた感覚を思い出し、寒気と共に、体がコントロールを失った。

「だ、大丈夫? やまとちゃん。随分派手にこけたみたいだけど……」

「う、うん。だいじょう、ぶ!! ほら、この通り!!」

 雪ちゃんに悟られないよう、何でも無いことをアピールする。

 ちょっと、大げさすぎた、かな……??

 心配そうに私をみる雪ちゃん。

 その目には少し、戸惑いが浮かんでいるのが見えた。


競泳にスイカ割り、ビーチスポーツに棒倒し。あらかた遊び終えて、夕ご飯のバーべキュー中、雪ちゃんが京ちゃんの怪我について話し始める。

「そういえば、顔の傷はどうしたの? ケンカでもしたの?」

「んあ~そんなとこだよ」

おそらく戦闘の最初で私を守ったときに、爪が頬をかすってしまったのだと思う。

京ちゃんは、トウモロコシを器用に一粒ずつはがしながら素っ気なく答える。

「でもその怪我、鋭利なものでやられないと」

「まあ、こまけえことは良いじゃんか」

「で、でも……」

「はい、この話終わり! なあ大和」

「え、う、うん」

突然に話を振られ、生返事を返してしまう。

目が合ったその瞬間、京ちゃんが、難しい顔になったのを見逃さない。

「このトウモロコシ旨いな!」

「……そういえば、昨日あなた達は、どこに行っていたのですか?」

 突然の問いかけに、返答を詰まらせてしまう。

「え? えっと……」

決して悪いことをしている訳ではない。それでも、少し言いよどんでしまったのが全ての原因となってしまった。

「なに? 言えないことなのですか??」

「いや、そういう訳じゃ……ちょっと先生に呼ばれて用事が」

「だとしても、その用事で京が傷ついたのは確かなのでしょう?」

追求が少しずつ深まっていく。

さすがは乃木家のお嬢様だよね。

「そ、それは……えっと」

「雪、別に隠しているとかじゃ無くてな……」

真実を話す訳にもいかない事に、京ちゃんも気づき、歯切れの悪い返答になる京ちゃん。

むしろそれが、雪ちゃんにとっては何かを隠している、という最大の証拠となってしまったようだ。

「二人して、なにか危険な事に巻き込まれていながら、私にはなにも言わないんですね……」

「言わないんじゃなくてよぉ……」

「私、帰ります」

「え、待って! 雪ちゃん」

「待てって雪!」

「なんで、友達に隠し事をするんですか……? そうやって、勝手に危険なことをして。あの時も、昨日も……どれだけ心配したか……」

「「えっ……?」」

雪ちゃんが、私達を心配してた??

背を向けて走り去ってしまう雪ちゃん。

残された、三人ようのバーベキュー道具がとてつもなく滑稽に残されている。




あの日の海水浴からすでに二週間。あれ以来二人とは会っていない。

なんだか会いづらくって……雪ちゃんが、私達の心配を……

そんなことを家の中で考えていると



どん どん どん どん どん どん———



突如街中に、破裂音が響きだす。

「きたんだ……」

真実を知ってから初めての侵入。

責任は、重い。

負けは、人類の終わりを意味するからだ。

震える手に力が入らない。

それでも……雪ちゃんの笑顔を思い浮かべる。

「守るんだ。絶対に、絶対に」

負けるわけにはいかない。


戦う意志を、ちいさな結晶に込める。白い光が私を包んだ。

平衡感覚がなくなり、意識が一瞬途切れる。目が覚めると、乃木神社の扉の前についていた。

遅れて、休みなのになぜか制服姿の京ちゃんが現れる。

「ほんとにどんなシステムになってんだ? これ」

「まあ、神様の力だから」

「いや、だから、神なんて居ないんだよ」

「そこ否定してるのに、結晶は使ったんだね」

「うるせえ! それはそれ、これはこれだろ」

「う~~ん、意味わかんない」

くだらない会話で緊張をほぐす。

 足早に鳥居の下へいくと、マヨイモノがそこにいた。

「相手さんは……あれ、なんだ?」

「熊?」

四足で歩く黒い化けもの。

こちらを認識し、襲いかかってくる。

それをそれぞれ横に飛んでかわし、すれ違いざまに一太刀を加える。

「おい、ほんと何もんだよ、おまえ」

京ちゃんはそんな私の動きを見て驚いているようだ。

「いやぁ、やってみるもんだね」

マヨイモノも、回復が早いだけで、しっかりと攻撃を加えれば多少の隙はうまれるみたい。

「くらえ!!」

刀で熊型のマヨイモノの目を抉る。

暴れて、不釣り合いな爪を振り回すが、全くあたる気がしない。

「一本!!」

背後から京ちゃんが、大きな斧を振るって右腕を落とす。

私も剣撃を残った左腕に集中させる。肘を突くと、ガシュッという骨がひしゃげる音が聞こえた。それと同時に残った左腕の破壊に成功する。



どどん どどん どどん どどん どどん どどん———



『どんどこ』が早まる。

着実にエネルギーは減っているようだ。

「大和、行くぞ!!」

「うん!!」

両腕を失ったマヨイモノは、必死に吠え猛る。しかし、再生よりも私達二人の攻撃の方が早かった。

私の刀はしっぽを斬り、京ちゃんは首をはねている。

マヨイモノは黒い土になって消えていった。



どどどどどどどどどどどどど どん



『どんどこ』が締められ、闘いの終わりを告げる。


神村街に戻ると、真っ先に駆け寄ってくる人の姿があった。

「やまとちゃん、京! どこに行ってたの?!」

「それは、言えない……」

曇った顔でそう告げる京ちゃんの顔と、

そう告げられた時の、雪ちゃんの表情を、私は一生忘れられないと思う。






どん どん どん どん どん どん———



それからまた二週間後。

夏休みの最終日に『どんどこ』が鳴り響く。

雪ちゃんが見せた悲痛な顔と、京ちゃんが見せた苦痛の顔。その二つが、二週間ずっと頭の中に浮かんでいた。

出来ることなら、雪ちゃんにも話したい。助けて欲しい。

でも、それは出来ない。



「英雄として選ばれたあなた達の、別称は新世代です。新世代とは、その黒い瘴気を無効化する力を持った人の事で、その力が、外で戦うことを可能にしているのです」



つまり、雪ちゃんのような新世代では無い人間が戦う事は不可能。それどころか、世界の真実を知る事すらできないのだ。



どん どん どん どん どん どん————



それなら、雪ちゃんを巻き込む事はできない。

彼女の性格なら、そんな真実をしって、じっとしているはずがないからだ。

それを分かっていたから、京ちゃんは雪ちゃんの質問をあしらったのだ。

でも……このままはいやだ。どうしたら……

「大和、集中しろ!!」

「えっ? あっ!!」

考え事に熱中してしまっていた私は、マヨイモノの接近に気づかなかった。

「ありがと、 京ちゃん!」

「おう。それより、あれなんだよ」

京ちゃんが眉を細めて言う。

「あのフォルムと、特徴的な尻尾……わかった! たぶんスカンクだ!」

「げえ、それは、近づきたくないな……」

「でも、私達どっちも近接武器だよ?」

「分かってるよ! ちっ、とっとと終わらせるぞ」

素早く接近し、武器を振るう。しかし、逃げ足が速いスカンクは捕まらない。

「くっそ! 面倒くさい」

「京ちゃん! 下がって!!」

そのスカンクが、背を向け、屁を放つ体勢になる。

ブフぅという音と共に、黒い粉状のものが京ちゃんを包む。

瞬間、屁が爆発を始めた。

「うっっっぐぅぅぅ!」

「ば、爆発?! 京ちゃんは!? 京ちゃん!!」

真っ先にマヨイモノへツッコんでいた京ちゃんは黒いもやの中だ。

徐々に、視界が晴れ、京ちゃんの姿が目につく。

所々にやけどは見えるけど、ほとんどダメージはなさそうだ。

「……なんだ、これ??」

「どしたの? 京ちゃん??」

「いや、なんでもないよ。おもしれえことしてくれるじゃんか。今ので目が覚めた。本気で行くぜ!」

そう言うと同時に、京ちゃんが、スカンクのマヨイモノを追いかけ始める。

さっきよりも、京ちゃんの動きが一段と速くなっている。

「これが、本気……?」

「待て!! 待て!!」

そして、京ちゃんの刃がやっと捉える……その瞬間。

グシャッという音と共に、マヨイモノが黒い土にかわり消えていく。

「な! 大和、なんでお前が退治してる?!」

「だって、時間かかりそうだったから」

「だからって~!!」

後ろから追いかけ回す京ちゃんに夢中になって、私の事を忘れている、スカンクのマヨイモノへ、上空から接近し、刀を突き刺した。

青白い光が二人ともを包んで乃木神社へと戻してくれる。



「雪にまた、なんて話そうか……」

「ああ……」

「……そういえば、あと二週間後、雪ちゃんの誕生日じゃない?」

「ちょうどいいな。そういう記念の日で申し訳ないけど、全てを伝えるなら、そこだろう」

「うん。誕生日パーティー、……企画しなきゃね」

「ああ。俺も、このまんまなんて……」

「そうだね」

結局、今年の夏も、遊べたのは一回だけだったし……その一回も。

「はあ……」

そんなため息を吐いて、御前通りを二人で歩いていると、

「あれ、京……あなた……!」

東郷神社からの帰りであろう、雪ちゃんに出くわす。

雪ちゃんは、京ちゃんの火傷痕をみて絶句した。

「うん? ああ、ちょっと料理してたら火傷を……って、雪??」

どう見たって、今回の怪我は言い逃れが出来ない。

顔、首、腕の広範囲に広がる裂傷と火傷。


それを見て、雪ちゃんは……泣いていた。


「なんで、こんな傷、作って……私に……」

「ごめん。でも、本当にただの不注意なんだ。分かってくれ」

京ちゃんがなだめようと、優しく声をかける。

本当の事は、話せない。

雪ちゃんを、巻き込みたくはないから——

「そんなに……私って信用、できない……? なんで、話してくれないの……なんで私を、

一人にするの」

せき止めていた思いが決壊したのだろう。本音がこぼれている。

「雪……ごめん」

そそくさとその場を立ち去ろうとする京ちゃん。

でも、雪ちゃんの姿を見ていると、私はその場を動けなくて。

いつもは気品にあふれ、気丈に振る舞う雪ちゃんが、小学生の様に泣いている。

それも、私達のせいで……

「おい、大和……これ以上は」

 雪ちゃんは、私の考えていることが分かったのだろう。

 私の腕を掴んで先を行こうとする。

 だけど、その腕を振り払う。

「やだよ……やっぱり。ごめん雪ちゃん、全部、話す」

「それはダメだ!」

「なんで? 『新』に禁止されているから? 先生と約束したから? 京ちゃんもずいぶんと丸くなったんだね」

心に余裕がないからか、思ってもいない皮肉が口をついた。

「ああ? それ、どういうつもりで言ってんだ。俺だって!! お前……」

胸ぐらを掴み、顔を引き寄せる。

私の顔をみて、表情が強ばる。

たぶん今、すっごい怖い顔してる。

そっと胸ぐらを掴む腕に触れると、京ちゃんは素直にそれを離してくれた。

「真実を知る事が、なんで制限されなきゃいけないの? なんで、こんな思いまでして、親友に嘘をつかなくちゃいけないの?」

新世代に選ばれるかどうか、は確率論だと先生が言っていた。

だから、そこはどうすることもできない。

でも、辛いとき、痛みを、苦しみを、共有してくれる。そうやって和らげてくれる。力になりたいって。そう言ってくれる親友に、なんで真実を話しちゃいけない??

「なんで、雪ちゃんを、騙さなくちゃいけないの?」

その言葉を聞いて、京ちゃんは、下を向いて黙り込んでしまう。

やがて、

「勝手にしろ……」

といい残し、歩いて行ってしまった。

「ごめん、京ちゃん」

私のわがままで、もしかしたら『新』が敵に回るかもしれない。

それなのに……ありがとう。本当に



「雪ちゃん、話すよ。世界の真実と、私達が、いま何をしているのか」



私達が聞いて、見た世界のそのままを、雪ちゃんに話す。

近くの公園にあるジャングルジムのてっぺんに二人で並ぶ。

最初は戸惑っていたようだけど、特に混乱したりすることも無く、静かに、静かに聞いていた。

「それで、私達は選ばれた新世代、英雄として戦うことになったの」

「そんな……ことが。人類の消滅とマヨイモノ、神と同化した少女、地下と東郷神社、そして、御三家乃木の機縁……にわかに信じがたいけれど……」

「や、やっぱりそうだよね……」

「そんな暗くならないで! 確かに面食らってしまったけれど、やまとちゃんや、京の事を見ていれば、それが本当だってことくらい分かる。だから、信じるよ」

「雪ちゃん。ありがとう……」

「いえ、こちらこそ。そんなことになってるなんて知らずに……無責任に二人を責めて……本当にごめんなさい。京にも後で謝っておくわ」

「ううん! 言えてスッキリした。それに、雪ちゃんや京ちゃんより大事なものなんて……ないから」

「これで、今までの疑問全てに、答えもでたから……」

「どうしたの? 雪ちゃん??」

「ううん、何でも無い」

 そういってこっちを向いた雪ちゃんの表情は、何かを押し殺すように、浮かべた笑みだった。

「それよりも、本当にごめんね、雪ちゃん」

雪ちゃんの気持ちよりも、『新』の制約を守ろうとしていた自分に腹が立つ。

三人でした、初めての大きなケンカ。

でも、なんてことは無い。この二人と、三人でいる時間以上に守りたいものなんて、なかった。

「それじゃあ、明日、また海行こう!!」

「やまとちゃん、明日は学校だよ??」

「あっ、そうだった~……はっ!」

「こ、こんどはなに?!」

「宿題、ほとんど終わってない……」

 色々ありすぎて完全に忘れてた!!

「それは、自業自得ね。手伝いませんから」

「そんな~」

いつものやりとりが、一ヶ月ぶりにかわされる。

雪ちゃんや京ちゃんと無駄話をするこの時間が、なにより心地良い。

「やはり、ダメでしたか」

突然下から、感情の見えない、聞き慣れた声がする。

「先生……なんで」

ジャングルジムの下、黒い装束に身を包んだ先生が、私達を地面から見上げていた。

「それは……あなた達の担任だからです」

答えにならない答えを返す先生。

すると、私と先生の会話に、雪ちゃんが割り込んできた。

「おそらく、あのクラス分けも全て『新』が仕組んだものなのでしょう?」

「それは、お答えできません」

まるでその質問は予想していたかのように、動揺も無く返す。

「あなたが担任となったのも。京とやまとちゃんが一緒のクラスになったのも。そして」

そこで、サッと雪ちゃんの顔が曇る。

「英雄になり損ねた乃木家の落ちこぼれが、二人の英雄と同じクラスになったのも……」

「ゆ、雪ちゃん?」

「今の話を聞けばだいたいは分かるよ。……なんで、お父様が私を嫌っていたのかも……」

「えっ?」

触れてはいけない話題なのだろう。

地上と違い、コントロールされた涼やかな八月の風が、二人の間を吹き抜ける。

雪ちゃんの話……正直わからない。

でも、雪ちゃんもまた、この世界と向き合わなければいけない人間の一人なのだ。

だから、英雄として、支えてあげたいとは、強く思う。

……上からだから、ちらっとしか見えなかったけど、先生は、それを聞いて、何かを必死に耐えている様にみえた。

「とにかく、乃木さんは真実を知ってしまった以上、『新』に別の形で仕えていただくことになります」

それを聞くと、雪ちゃんは、それは楽しそうに笑いながら言う。

「乃木家にうまれたのですよ? もとから、その道しかありません。先生も面白いことを言いますね」

「……失礼いたしました」

「とにかく、もう私も第三者ではありませんから……それだけで今は十分です。さあ、やまとちゃん、帰ろう。いつものやつ、始まっちゃうよ?」

この時、もっと私が雪ちゃんに気を向けていたら、親友のことをもっと知っていたら。

あんなことは、起こらなかったかも知れない……

「あっ! ほんとだ!! あと一分、間に合うかな?!」

「さすがに間に合いはしないと思うよ?!」

「やっぱりそうかな……でも、全力で帰る!!」

あるいは——



二人が走り去り、静まりかえった夕暮れの公園。

神村学園二学年Aクラス担任 佐藤結——

『新』英雄支援班最高責任者 東郷千園は、目を瞑り静かに立っていた。

「乃木さん……真実を知って、何を思いますか?」

御三家の一つ、東郷家の現当主であり、元英雄でもある千園。

「英雄の二人は、この仮初めの世界をどう思うでしょう」

英雄に選ばれるのは十二歳から、十七歳までの少女であり、十八歳になると同時に力を失うという。

実際に、十八歳を迎えた日。渡された結晶は砕け散り、砂となって消えていった。

これから彼女達は、四年間闘い続けないといけない事になる。

もはや……二人が生き残ることは……

辺りが暗くなる中、通りすがりの車のヘッドライトが、目に溜る滴に反射する。

「でも、必ず、あの二人を助ける。そして、乃木さんも……」

その滴の奧からは、強い決意が覗いている。

「うぅ~寒くなってきました。さて、帰りますか」




「ハッピーバースデー!! 雪ちゃん!!」

真実を雪ちゃんに教えた数日後。無事にこの日を迎えることができた。

場所は、京ちゃんの部屋だ。

「えぇ? 今日はテストの勉強会だったんじゃ??」

入口にて、突然のサプライズに目を見開いて固まる雪ちゃん。

確かに、二日後にはテストを控えている。もちろん勉強はしていない。

「ふっふっふ。これぞサプライズ!! 雪ちゃん、驚いた?!」

「……これ、私のために?」

「そうだよ! 京ちゃん、妹さんと二人暮らしだから、わりと自由に出来るんだ!」

おそらく、色とりどり、豪華な装飾などが目に入ったのだろう。

大いに戸惑ってくれている。

「ささ、入って入って!」

雪ちゃんの腕を引いて部屋に入っていく。

部屋の中には、エプロン姿で料理を運んでいる京ちゃんがいる。

「……お邪魔します」

「……おう。適当に座れよ」

どこかぎこちないやりとりを交わす二人。

とても、楽しい会の雰囲気には見えない。

「京ちゃんの部屋って、いつ来ても何にもないよね~」

「おい、なんで突然ケンカを売ってきた」

京ちゃんの家の間取りは、1Kの平凡なものだ。

必要最低限の生活用品と、テレビが床に直に置かれているだけで、娯楽品も、所々に巻数がそろっていないマンガが落ちているだけ。

「ほんとに、女の子感0ですね」

ぐるっと、飾り付けで誤魔化された部屋を見回した雪ちゃんも、バッサリとこの部屋を切り捨てる。

「いや、お前らにだけは言われたくねえ!!」

それに負けじと京ちゃんも私達を非難する。

「む、それは心外ですね」

「どの口がそんなこと言うんだ……普通の女の子は日本刀や長刀を自室に飾らないんだよ!!」

「確かに。雪ちゃんの部屋って、部屋と言うよりかは歴史博物館って感じだよね」

西暦時代に書かれた書物でギッシリ埋った本棚や三叉槍が収められたショーケースが思い浮かぶ。

「やまとちゃん、それは言いすぎじゃない??」

「いや、あの部屋はそれがピッタリだ」

かぶりを振る雪ちゃんにさらに京ちゃんが追い打ちをかける。

「ふ、二人して!! だとしたらやまとちゃんの部屋が一番おかしいでしょ?!」

「そ、そんなこと無いよ!!」

追い詰められた雪ちゃんが反撃にでてきた?!

でも、普通の女の子代表の私に限って……

「ねえ京ちゃん。なんで目をそらすのさ?!」

「いや……まあ、個性があって、良い感じだと、俺は思うぜ?」

ものすっごく目が泳いでいる。

あ……れ? そんなに私の部屋、酷いかな??

ちょっとオタクなだけなんだよ? ほんとだよ?

「そんなことより。京、ごめんなさい!!」

「そんなことよりって……」

ここで突然雪ちゃんが、凄い勢いで頭を下げる。

「すごく大変なんだって事、全く知らなくて、あなたを責めてしまった。本当に、ごめんなさい!!」

潔く、自分が悪かったという雪ちゃん。

誰も、悪くなんかないんだ。だって、こんな世界の真実、予想出来る訳が無い。

私ですら、未だに実感がないんだから。

でも、そんな事ですら自らの非だと言って謝罪する。

皆が雪ちゃんについて行く理由が良くわかる。

「ほんとだよ。こっちは、大変なんだぜ?」

まさか、雪ちゃんにそんなことを言われると思っていなかったのか、照れて赤くなった顔を必死に隠しながら、皮肉を言う。

組織と、親友とのジレンマの中で、私と雪ちゃんを守ろうとしてくれた不器用な彼女もまた、強い女の子なんだ。

私なんかより、ずっと。

「ごめん、なんていらねえよ。互いに、大事なモノを守ろうとした結果だろ?」

「京ちゃん、格好いいよ~」

私は思わず、その横顔に見ほれてしまった。

「ばっかにしてんのか?!」

照れ隠しだろう。京ちゃんが私の顔を優しくはたく。

雪ちゃんは……

「うん。そう、ですよね……」

自分に言い聞かせるように、何度も、何度も頷いていた。

「さあ! 今日はパーチーだよ?! しんみりしないで、騒げ騒げ!!」

オレンジジュースがたっぷり入ったグラスを持って、私が乾杯の音頭をとる。

「雪ちゃん、誕生日おめでとう!! ハッピーバースデー!!」

「お、おめでとう、雪」

ちゃんと目を見て言わないとだよ、京ちゃん? 何を照れているんだか……

「あ、ありが……とう」

もじもじと、顔の前で指をいじりながらか細い声でお礼を言う。

こっちもか!! 

雪ちゃんなんて、立派な誕生日会とか家でしてもらってそうなのに。

そんな事を思っていると、何を考えているのか察した雪ちゃんが、少し寂しそうに口を開く。

「こういった誕生日会は……六歳までの誕生日は、それはそれは豪勢で、両親や家の関係者も、ほぼ全員で祝ってくれていたんです」

「へ、へえ~雪ちゃんの家の関係者って言ったら相当だよね……」

想像して、圧倒されてしまう。

乃木家関係者っていったら、『新』の構成員のほとんどだ。

乃木を筆頭とした名家を中心に作られた『新』

いわば乃木は『新』の中枢なのだから、それも当然と言えば当然……??

「・・・・」

京ちゃんが難しい顔で雪ちゃんを見つめている。

前に聞いたことがあった。京ちゃんの家は、色々複雑みたいだから……

「でも、七歳からは、父も、皆さんも急に祝ってくれなくなって。それ以来、母と二人で、小さなケーキを買って食べるのが慣例になったんです」

「どうして七歳から??」

「分かりません。まあ、何かと独自の慣例が多い家ですからね。私も幼心に泣く泣く割り切ったもんです」

あっけらかんと笑顔で言っているけど、本当は、すっごく悲しかったんだと思う。

「よ~し! じゃあ、これまでの分、たくさんたくさん祝ってあげる!!」

「今までの分って……でも、ありがとう」

「朝まで騒ぐぞ~!!」

「いや、それは勘弁してくれ。隣の人、怒ると怖いんだからな」

ちょっと調子に乗りすぎたみたい。

マジな目の京ちゃんに忠告される。

「ご、ごめん。冗談だよ……あっ! ケーキ出さなきゃね!!」

危ない危ない。忘れるところだった。

「京ちゃん、冷蔵庫どこだっけ?」

「どこだっけ、も何も場所知らねえだろ。ちょっと待ってろ」

そういって立ち上がった京ちゃんは、ワンルームを出て、玄関の方に向かう。

その途中、小さなキッチンの横に置いてある冷蔵庫から、白い箱を取り出し、大事そうに抱えて持ってきた。

「そういえば、ケーキ手配したの京ちゃんだよね? どんなのにしたの?」

白い箱を机に置いた京ちゃんは、私の質問を無視して、かわりに見よ! っとばかりに蓋を勢い良く開ける。

三層にもなるケーキは、一番下が純白で濃厚なホイップクリームで、二層目が濃いブラウンのチョコレート。一番上にはオレンジやイチゴ、メロンにブドウといったフルーツが色彩見事に置かれている。

「わあ~すごいね!!」

「こんなケーキ、みたことありません」

驚く私達を見て、京ちゃんは誇らしげに胸を張ると、

「そりゃそうさ。手作りだかんね」

え……?? 何かの、聞き間違い、かな??

「衝撃の発言……??」

雪ちゃんと目を見合わせて、思わず絶句してしまう。

「おいこら。なにが、衝撃だ?」

さっきまでとは一転、恥ずかしそうに、

「い、いいだろ? ケーキ作りは、唯一の趣味なんだよ……」

「可愛い顔の女の子が、可愛いこと言ってるよ」

「可愛い言うな!! どうせ、笑うんだろ?」

どこに笑う要素があるんだろうか?

先とは違う意味で困惑してしまい、雪ちゃんと再度顔を見合わせる。

すると京ちゃんがじれったそうに、

「俺、とかなんだ男っぽいことばっか言ってるクセして、実はケーキ作りが趣味です! なんてダセーだろ? 笑えるだろ?」

「いや、全然?」

なにが面白いのか、ダサいのか、全くもって分からない。

「そのルックスで、家事まで万能なんて……憎い女ですね」

隣のお嬢様はちょっと目線がおかしいけど……

「ほんとに、何がダサいのかわっかんない。京ちゃんらしくて素敵としか思わないよ」

そう言うと京ちゃんは、袖で顔を覆って、うつむいてしまう。

「あっ! ああもう。なんで泣いてるんさ?」

「うっ、うるさい! 泣いてない! うう」

「もう、今日の二人、ほんとに面倒くさい」

「え?! 私もですか?!!」

「うん。どうして?! とかいう反応はやめてね?」

「それは、あまりにもじゃないですか?」

なんだって楽しい会なのに二人とも泣いちゃうのかな?

まあ——二人のいろんな表情が見られて、嬉しいけどさ。

「ほら、京ちゃん、雪ちゃん! ケーキ溶けちゃうよ! 写真撮んなきゃ!!」

ケータイを壁に掛けて、セルフタイマーを十秒にセットし、

「ほらほら!」

二人の手を取り、ケーキの前に座る。

「あ、待って、涙が」

「お、お化粧が……」

「もう時間無いよ!! 3・2・1」

パシャっという音がして、一瞬の静寂が訪れる。

そっとケータイを持ち上げて写真を確認する。

「うん。良い写真だね」

私の右隣には雪ちゃんが、左には京ちゃんがいる。

二人とも、笑っているけど、目には滴が残り、頬は薄桜色をしていた。

「ちょ、大和! やっぱり消せ、消せよ!」

「やまとちゃん、消して!!」

「絶対、いやだよ~」

こんなかわいい写真、消せるわけがない。


その後は、ケーキを食べて。

「京、作りすぎなんじゃない? 食べきれないわよ」

「ああ? 文句あるなら食わなくて良いぞ」

「まあまあ」

たわいも無い話をして。

「あ、もうこんな時間だ! そろそろ帰らなきゃね」

気づけば時計の針は、9と10の間を指していた。

「ああ。また明日。学校でな」

「うん。京ちゃん、また明日ね!」

「……ありがとう。この誕生日会、一生忘れないわ」

嬉しそうな、でも寂しそうな顔で雪ちゃんが言う。

「何言ってんのさ~雪ちゃん。次は京ちゃんの誕生日だし、それに来年も、再来年もこれから先ずっと、三人で、皆で誕生日会やるんだよ。だから、今日の誕生日会なんてすぐに忘れちゃいなよ!!」

「いや、わざわざ忘れさせる必要は無いと思うけど。まああれだ。来年はもっと美味いケーキ作ってやるよ」

京ちゃんも私のあとに続く。

雪ちゃんは少し微笑んで。そして、

「それは楽しみです。来年が待ち遠しいですわ」

そういって、俯くとまた涙を……

「流しませんからね」

顔を上げて、えっへん、と胸を張る。

その顔には、もう寂しさはどこにもないように見えた。

「それじゃあ、今日は解散!! また明日!!」

「「やまと(ちゃん)テスト勉強忘れるな(いでね)よ」」

「なんでこんなときだけ息ピッタリなのさ……」



雪ちゃんとの帰り道。来年はもっとクラスの人を誘おうか、なんて話をする。

楽しい時間は、あっという間に過ぎ、別れ際。

残暑の季節には似つかわしい、涼風が二人の間を通り過ぎていった。


そして……


それは、突然やってきた。

「なんだ、あれ?! でかすぎるだろ!!」

京ちゃんの切迫した声が、横から聞こえてくる。

私は、声をあげることすらできなかった。

秋らしくない強い日差しが、一瞬にして遮られる。

マヨイモノという化けものを知ってからと言うもの、自分の目を疑ったことは少なくない。

巨大な牙をもったライオンに、歪に見える爪を携えた熊——その生物たちは、一匹たりとも常識で理解出来るものではなかった。

だからもう、なにが来ても驚かない。そんな不思議な自信が芽生え始めていた時だ。

それでも今、空を泰然と漂う『それ』を、現実のものだと認識するには、少し時間がかかった。

『どんどこ』の規則的で、変わらない音が、なぜか妙に心を落着かせる。




雪ちゃんの誕生日から一晩。

いつもの通学路を、いつも通り一人で歩いている時だった。



どん どん どん どん どん どん—————



「えぇ~朝から~??」

珍しくテスト勉強やったのに……

多少の不満が顔にでる。そこで、パチンと頬を張ることで頭を切り替える。

「しっかりしなきゃね。やられたら、終わっちゃうんだから」

ポケットからケータイを取り出し、昨日の写真を画面に映す。

「いや~何回みてもおかしな顔だよね。これが終わったら、もう一回雪ちゃんと京ちゃんと写真とろう!」

二人とも写真が嫌いらしくて、って別に私も好きな訳じゃ無いけど。

それでも、やっぱり思い出は形にして残したい。

こんな世界を生きるからこそ——

「よし! ちゃっっちゃと終わらせて、二人とコスプレ写真とろっと!!」

決意あらたに。白い光が私を包み込む。

徐々に平衡感覚がなくなっていった――――


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