六年前


 三京橋を少し降ると小さな湖が見えてくる。

土地は確かに東京ではあるが、大瑞山おおみずやまの麓ともありその閑散とした佇まいはひしめき合う車の群れがネズミの様に大合唱する都市部とはまるで対極に位置する。

 健二は何時も通りの底気味の悪さを静寂の中に感じながらも、足を緩めることはだけはできなかった。


一月に一度、この乱雑に盛り上がった土を見に三京橋へとやってくる。今夏の異常な気温上昇に動揺した気象予報士も健二の五度目の訪問の頃には忘却ぼうきゃくの彼方であろうと、虚しくパーカーのチャックに手を掛け呼吸と同時に力一杯上げれば鼻先から爪先に至るまでツンと北風が入り込み喉奥が詰まる音がした。

 健二は神妙な面持ちで微動だにせずひたすらに視線だけを足下へやった。



先ず断っておくが健二はここにアレを埋めた。しかし罪悪感に苛まれているわけではない。これは健二のお節介なのであるため、もちろんこうやって毎月様子を伺いにやって来る義理もない。

 だが敢えてのその行為は彼の良心がそうすることを望んでいたというよりは自己の正当化に過ぎなかった。



一団の中で健二は低位ながらも己の地位を確立していた。彼らは往々にして集い、決まって大瑞山の方まで出向いて秘密基地で何時も通りの会合を開くのである。

 AもBもDもEも皆勉強の良くできた活発な子であったから、一団を推奨し目標にするよう諭す大人の滑稽なさまは即ち彼らが優秀であることを顕著に表していた。(もっともこれは学校という極めて閉鎖的なコミュニティの中に限った話であるが)一団は西それらを軽蔑はしていたが、忌まわしい程の優越感だけは否定ができなかった。



「君たちは人間の醜悪の根源を本質的に捉えたことはあるかい」


湿った錆びかけのような塀に腰掛けたAの薄い唇が西日に照らされ、ゆっくりとそれでいて厳格に動き始めたのを合図にその他は一斉に口をつぐんだ。


「僕は己の欲にこそ己の悪を感じる。そして憎み苦しんでいる。まあ、人間とは元来欲深い生き物だから君たちがそれを恥じる必要はない」


 Aが健二を誘って参加した偽哲学者(Aにいわせると)の講義でも彼は逐一丁寧に説明を補足してくれた。(実際彼の説明の方が目の前の偽哲学者より真意を掴んでいた)

 そしてAという男は平生からこの類の話題に非常にけていた。


「きみは人間の堕落だらく真髄しんずいは何だと思うかい」


細めた切長の目が獲物を捕らえるように瞬時に僕に焦点を当てる。

全身が浮き、内臓だけが高速で定位置に戻ろうとする感覚が起こるたびにびっしりと汗で溢れる右手は少し震えながらも左の腕をしっかりと掴んでいる。


「君の望む答えはではできないよ」


「望みなんてない。僕が全て模範解答ではつまらないじゃないか」


「悪いけど、あまり熱心に考えたことはないよ。僕には人間がそこまでおぞましい何かには見えないけれど」


「暴力を振るわれていてもかい」


 途端、健二は左腕の紫色に強い痛みを感じ右手を払った。薄らと水滴を残した己の細部に干渉された怒りに突然囚われたが、しかし考えてみるとAの返答は至って事実であり、この悩みを打ち明けたのはあくまでも自分からであった手前何を殊更ことさらに取り乱しているのかと馬鹿ばからしく思えて反論もやめた。




「今日は僕の番だ」


 暫くの沈黙の後に如何にも頭目らしい威厳に満ち溢れたように声が鳴った。

 すぐにBとEがAの腰掛けていた塀を乗り越え東へ駆け出したのを自然に眺める素振りをしながらも視線はAへ注がれていた。依然その横長な眼には絶えず欲望が流れ、青白い顔に薄ピンクがのった右頬のチック※が艶のある唇から時々真白な歯を見せるのが愉快であった。


「いつか君は大人の中には本物の英雄がいると言ったね」


「ああ、でも君がそんな幻想は捨てろと言った」


「幼い頃から道を踏み外すのはよくないからね。彼らはどれも英雄ではない。社会に自分は英雄だと思わせている低劣な人間だ! 己の無知に自覚が無いから英雄の様に振る舞えるだけなんだ。クズだ! なんて淺ましい野郎だ! 」


 程なくしてBとEは黒い物体を抱きながら二度ふたたび基地に戻った。今回は殺すのにかなり手間を取られたのであろう。

 Bの額は薄らと汗をかいている。Bは大柄だが対に神経は非常に細いため一団の中で最も弱かった。


「最近ここには猫や犬なんかはまるでいない。張り合いも無いさ」


「嘘つきめ。今日お前はこいつ一羽にさえ腰が引けてたくせに」


 健二はあまり鳥類を好まなかったからこの黒い物体がからすであることを理解すると一団の中で誰よりも不快感を露わにした。しかし同時に今日だけは人間を少しでも敬慕けいぼしている世渡りのうまい奴らではないことに安心もした。

 ふとAに一瞥いちべつをくれると彼だけはその中で恍惚こうこつな表情を浮かべており、まるで愛しい人を愛撫あいぶするような目つきへと変わっていたがそれは以前に山口美奈に一度だけ向けたものと酷似していたことに極めて物恐ろしさを感じた。


 クラスのマドンナ的存在であった美奈の机に大量の無修正のポルノ写真を撒いたのはAであった。

 彼女は初めて見るその哀れな女児たちの裸体に嗚咽おえつを繰り返すことしかできずにみるみる生気を失い、やがて学校にも来なくなった。(無理もない当時小学四年生の女の子だ)

 この事件をAは『純潔に垂れた一点の染みが彼女の真の美しさを露呈ろていした』と説き、美奈の美しさを初めて肯定した。


「君も一緒にどうかい」


「今日は遠慮するよ」


黒い物体をBから受け取ったAはそっと地面に置き、

くちばしを上下に開くといつのまにか縦長のポケットから出した鋭利なハサミを喉元へ向かって一思いに突き立てた。ぐちゃりと得体の知れない液で溢れたその臭いに思わず胃酸の逆流を感じ思わずてのひらを口元に添えたが、腹部からわずかに覗いた刃先の先端に妙に落ち着きを取り戻し、嘴を刈り取られる様を黙って見た。

 嘴の繋ぎ目は胴と比較すると幾分か硬く、時折軋むから液体に濡れた刃が滑らないように固定する技量が必要だった。

 Aは慈悲のない人間だ。

 だからこそ一団の頭目に相応ふさわしい。

 翼をまるで幼稚園児の工作の様に音が鳴るの楽しみつつ警戒に刻んでゆき、先程少し穴の空いた腹部に二度刃を差し向けて今度は一回一回に肉質を確かめるようゆっくり裂いた。

 中の臓器を丁寧に全て取り出した後つまらない。と吐き捨て、時折手も使って八つ裂きにしたり潰したりしていたが言葉とは裏腹に快楽にふけった顔をしながら右頬のチックは止まらなかった。

 皮を剥ぎ取られもとの姿をついに失ったそれは、閉じるすべを持たないその妖艶な瞳の黒さだけが最期の灯りとして一団の前に光った。

 間違いなく彼女である。




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悔悟 東雲 @myonleyyt

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