ある少女の手記
佐藤悪糖🍉
手記
願わくば。
この手記が、誰に読まれることもなく、ただ時と共に朽ち果てますように。
*****
今日から手記をつけることにした。
手記といっても簡単な日記のようなものだ。特に決まりもなく、日々の出来事や感じたことについて散文的に記そうと思う。ただ、毎日書くのは億劫だから手記と呼ぶ。なんならメモでも構わない。
早速無意味な散文を連ねるが、私はノートは二ページ目から使うことにしている。一ページ目はいざという時のために取っておくのだ。ではその、いざという時とはなんなのか。それは私にも分からない。まあ、人とはさして意味もないこだわりをもって生きるものだ。
なんだか含蓄有りげな人生論を語ったところで、もう一つ。主語デカめに一般論を書くのは、これが存外気持ちいい。
どうでもいいですね。
さて、こうして手記をつけるにあたって、断っておかねばならないことがいくつかある。
まず最初に。この私、一ノ瀬遊里は転移者である。
元々は現代日本で安穏と暮らしていたのだが、この度なんやかんやがなんやかんやして、この世界へと転移してきた。そのあたりの事情は涙なくして語れないのだけれども、さして語りたいとも思わないので大幅に割愛する。まあ、大筋はお察しの通りだ。
転移種別は召喚型。チートとまではいかないものの、特殊能力あり。ちなみに召喚されたのは私だけではなく、十数人の日本人がこの世界に呼ばれた。なんでも私たちを召喚した連中は、私たちのような素人集団を『災禍』へぶつけようという腹らしい。
この世界は『災禍』により滅亡の危機に瀕しているだとか。それを撃退する望みは、私たち転移者が持つ特殊能力に他ならないだとか。『災禍』を撃退したら元の世界に帰れるかもしれないだとか。連中は、そんなことを聞きもしないのに説明してくれた。
なお、最後の「元の世界に帰れるかもしれない」というのは嘘である。嘘を見抜く能力を有している(※本人談)転移者仲間がそう言っていた。
そんなわけで、これからは救世主候補生として他の転移者と共に城内の兵舎で寝泊まりすることになったのだ。大体そんなところである。
まあ……。思い返すに、目まぐるしい一日であった。
冷静を気取っていたつもりだったが、私も混乱していたらしい。こうして手記に吐き出すと頭の中に渦巻いていた感情が落ち着くのを感じる。
あまり筆まめな性分ではなかったが、今後はこうして一筆執るのも悪くないかもしれない。
*****
この世界にやってきてから数日が過ぎた。
ここ数日でやったことと言えば、そう大したことはしていない。ただ街中をぶらついたり、買い物をしてみたり、一般常識について勉強したり。来週からは戦闘訓練が始まるらしいが、今日のところは「この世界に慣れましょう」以上の目的はなかった。
この世界の文化は、私たち日本人の感性からしてみれば非常に親しみやすいものだった。露店が立ち並ぶ市場の喧騒も、機械こそ無いが落ち着いた生活様式も、人と人とのより直接的なコミュニケーションも、どこか私たちに馴染みがある。まるで、昔やったRPGの世界にやって来たようだ。
生まれた世界を遠く離れておいて、こんな呑気な感想を浮かべる私は適応力があるのだろう。事実、私は自身に起きた大きな変化を受け入れていたが、そうもいかない転移者も居た。
彼女、如月芽愛は、極度の怖がりであった。
見るもの全てに怯えて涙を浮かべる彼女は、自室に閉じこもって外に出ることを拒んでいた。そんな彼女に困り果てた兵士たちは私に協力を求めたのだ。
なお、選出理由は「同性だから」と「年が近いから」。まあ、妥当なところだろう。
最初は部屋にも入れてもらえなかったが、扉の前に座り込んで長々と話していると、次の日には部屋に入れてくれた。その次の日は食事を共にすることを許され、昨日はなんと私の膝の上に座るようになったのだ。猫かお前は。
彼女、懐くとなかなか遠慮がない。兵舎にいる間は四六時中私の側を付いて回り、「ユーリせんぱい、ユーリせんぱい」と舌っ足らずな口を懸命に動かす。なぜ先輩なのかはわからないが、私も彼女をメアと呼び捨てにしている。
一緒に外に出ないか、と何度か声をかけているのだけれども、メアにはまだ街中はハードルが高いようだ。しかし興味はあるようで、私が街の話をすると瞳をきらきらと輝かせる。彼女が外に出る日も近いだろう。
さて、今日の手記はこれくらいにしておこう。
今日はメアから「怖いから一緒に寝てほしい」との要請を受けている。あまり遅くなっては拗ねられてしまう。明日の朝食が気まずくなるのはごめんだ。
彼女はこの世界でできた最初の友人だ。大切にしない理由はない。
*****
今日から戦闘訓練が始まった。
といっても、今日のところは適正確認という趣が強かった。私たち転移者が持っている能力を測定し、どういった適正があるかについて調べるのが主な目的だ。
私、一ノ瀬遊里の能力は
正直私自身これが一体何に使えるのか全くわからないのだが、この国随一の賢人と呼ばれる人は喜んでいた。これは世界を救う能力であると。はあ、足跡を辿れば世界が救えるのか。よくわからん。
魔女の足跡を発動させると、多種多様な痕跡が感じられるようになる。たとえば、そこの訓練用藁人形がどこの倉庫から持ってこられたか、だとか。もう少し目を凝らせば、この藁人形が誰に運ばれたのかや、誰に作られたのか、はたまたどこの藁を素材にしており、それを刈り取ったのは誰なのか、その藁の種を撒いたのは誰なのかまで見ることができる。
重ねて言うが、なんなんだこの使いづらい能力は。これ、一体何の役に立つんだ。
一方メアの能力は
正直、直接戦闘に関わる能力を持っているのは羨ましかった。私たちはやがて戦場に出て『災禍』と戦わなければならない。そんな時に足跡を辿る能力が一体何の役に立つと言うのだ。
……まあ、きっとこの能力にも使い道はあるのだろう。その時までには見つけておこう。
*****
戦闘訓練を初めて一ヶ月。私は魔法使いになっていた。
この世界には当然のように魔法が存在する。わけても戦闘用の魔法は技術体系が確立されており、それ専用の教育機関まで存在していた。私は訓練の一環として、その場所に放り込まれた。
そんなわけで国立魔法学校なる極めてシンプルな名前の施設に入学したのが三週間前のこと。この学校、上流階級のご子息様ご用達の由緒正しい学校らしく、そんな場所にコネで入った私は当然のようにやっかみを受けた。が、次の週には私に舐めた口を利くやつは居なくなっていた。
結論から言うと、私は三週間であの学舎で学べる全ての魔法をマスターした。それを可能にしたのが魔女の足跡だ。
魔力という概念について理解した瞬間、魔女の足跡が魔力の痕跡を教えてくれたのだ。更に目を凝らせば、魔力がどう流れてどう魔法を作動させるのかがクリアに見える。その感覚を掴めば後は簡単だ。そのとおりに魔力を動かせば、後は勝手に魔法になる。
魔力の動かし方にはいくつか種類がある。最もメジャーなのは言葉に魔力を乗せる詠唱法だ。魔力を視認できない人にとっては、呪文というガイドラインに沿って魔力を動かすやり方が最も安定する。が、私はそれよりももっと手っ取り早いやり方を選んだ。
要は音が出ればなんでもいいのだ。それこそ足音だとか、衣擦れの音だとか、その程度の動作音でも魔力を動かすには事足りる。
まばたき一つで魔力を操り、呼吸と共に魔法を編む。私が好んで用いたその手法は、彼ら学徒たちに無詠唱と呼ばれた。いや、正確には詠唱してるんだけどね。声を出していないだけで。
それから少しして、学内で最も難易度が高いとされる流星の魔法を指パッチン一つで発動させた私は、晴れて国立魔法学校創始以来最速の卒業生となったのだ。わーい。
今日のうちには荷物をまとめて、明日には兵舎に帰ることになっている。そうしたら、三週間ぶりにメアに会える。
あの子、今頃どうしているだろうか。三週間前は大泣きする彼女を半ば振り切るように出てきてしまった。あの時のこと、まだ怒っていなければいいんだけど。
*****
ひどいめにあった。
とてもひどいめにあった。もみくちゃにされた。すごくつかれた。
まず出会い頭の体当たり気味なホールド。それからどれだけ寂しい思いをしたかのアピールと、少しの恨み言にたくさんの思慕。いやもう本当にお腹いっぱいだ。私が悪かったから勘弁してくれ。
メアは結局、今日一日私から離れなかった。どこに行くにもついてきて、隙あらば手をつないだり抱きついたりする。……この子、こんなに甘えんぼだったか?
しかもこの女、タチが悪いことに力が強い。メアは自らのえげつない能力を弓術に活かすことにしたらしい。そのために訓練を積んだ彼女は、今やひ弱な魔法使いである私以上の身体能力を手に入れていた。
実際、見せてもらった弓の腕は大したものだった。魔力を練り込んだ矢を数本纏めてビシバシと放つのだ。四方八方に乱射する矢の嵐は、そのどれもが
それにしても、ズブの素人だった私たちがたった数週間でこれである。転移者にはそういう補正でもあるのだろうか。
まあ、なんにせよ強くなれるのに越したことはない。今私たちに求められているのは、戦うための力だ。
明日はいよいよ『災禍』が出現する。私たちにとって、初めての実戦となる日だ。
今日はさすがに疲れた。メアも早く寝ようと言っていることなので、明日に備えて早めに眠ることにする。
*****
メアが死んだ。
*****
少し、気持ちが落ち着いてきた。
思い出すのも辛いが、あの日のことを手記に記そうと思う。あの子のことを忘れないためにも。
『災禍』とは、複数の地点に同時出現する巨大な異形のことを指す。その性質上、私たち転移者はいくつかのチームに別れて対処にあたることになる。
私とメアのペアが遭遇したのは鉄騎の異形。兵士の人たちは、『戦車』と呼んでいた。
作戦はこうだった。まず私の魔法でヤツの気を引き、隘路に誘導して機動力を削ぐ。更に岩石魔法で道を塞いで閉じ込めて、最後にメアの矢を降らせて失血死させる。
作戦は途中までは上手く行っていた。誘導し、拘束し、矢の雨を降らせて無数の手傷を負わせた。正直言えば私は勝ったと思ったし、メアの表情も明るかった。
だが、『戦車』は一度大きく嘶くと、手に持った巨槍で岩壁を粉々に砕いたのだ。
血を流しながら迫る巨大な鉄騎に、私はそれでも反応した。とっさに発動させたテレポートによる緊急離脱。私はそれで、難を逃れた。
メアに難を逃れる術はなかった。
彼女はただ、迫る鉄騎を前にして、一人逃げた私を呆然と見ていた。
*****
『戦車』の死骸が発見されたらしい。
メアを殺して走り去った『戦車』は、あれから三日三晩暴れ続けた。決して癒えることのない傷から流れる血があいつの息の根を止めるまで、四つの村と一つの街道、それからたくさんの命がぐしゃぐしゃになった。
誰も私を責めなかった。
誰も私を責めなかった。
*****
次の『災禍』が来る。
メアが居なくとも私は『災禍』と戦わなくてはいけない。だって私は転移者だから。そのために、この世界に呼ばれたから。
そうでもしなければ、私を責めなかった人たちに合わせる顔がない。
今回は別の転移者とパーティを組むようにと言われたが、私はそれを拒んだ。私は、メアを見捨ててたった一人で逃げた卑怯者だ。そんな女と誰が組む。
一人の方がずっといい。
この日のために私は力を求めた。来る日も来る日も魔法を磨き、疲れ果てては倒れるように眠った。寝食を忘れることなどしょっちゅうで、何度も怒られたが気にもしなかった。時間の感覚が消失してからは、起きているのか寝ているのかも分からない毎日だった。
いや、それはちょっと違う。あの日からの私は、生きているのか死んでいるのかも分からない。そう言ったほうが適切だろう。
今日は久しぶりに自室で眠る。静かすぎる部屋はどうにも落ち着かず、修行を言い訳にすっかり足が遠のいてしまった。
私に割り当てられたベッドは、一人で眠るには大きすぎる。
*****
私は生き残った。
今回の相手は『正義』。巨大な天秤を持った審判者の異形だ。
天秤が傾くたびに何かのバランスが崩れる。重力が崩れ、気象が崩れ、地形が崩れていく。刻々と変化する環境の中、私はこの異形と対峙した。
『正義』は私にとって相性の良い相手だった。魔法使いの強みは多彩な魔法による状況対応能力だ。状況が変化するたびに対応する魔法を発動させ、私は敵の能力を無効化した。
魔法という点では私が上回っていたが、『正義』はより直接的な行動を取ることも出来た。天秤から放たれたのは巨大な音の波動だ。人が受け止めるにはあまりにも大きすぎる音量は、私の体を軽々と吹き飛ばした。
鼓膜が破れて耳から血が流れる。経験したことのない類の痛み。だけど、きっと、メアが感じた痛みはこんなものではない。
音が聞こえなくても私には魔力が見えた。
空の果てから無数の流星を降らせる魔法だ。
魔法が終わった後には、戦場となった平原はクレーターに変わっていた。『正義』の姿はどこにもなかった。『災禍』を倒したら死体の一部を持ち帰るように言われていたが、どうしたものかと途方に暮れた。魔女の足跡をフルに使って、やっとのことで砕けた天秤の一部を回収した時には、すっかり夜になっていた。戦いよりもこちらの方が手間取ったくらいだ。
兵舎に帰ると、兵士たちが私を出迎えてくれた。心配、それから安堵の表情。私が砕けた天秤を見せるとそれは歓喜へと変わった。彼らはしきりに何かを言っているが、今の私には音が聞こえない。無言でとんとんと耳を示すと、顔色を変えた兵士に医務室へと連れて行かれた。
手当を受けて初めて気がついたのだが、私は耳以外にもあちこち故障していた。骨が折れていたりだとか、内蔵が損傷していたりだとか。それは戦闘で受けた傷もあったが、修業の無理が重なって生じた故障もあった。
筆談にて絶対安静を言い渡されたので、今日はこのあたりで眠ることにする。
とても、静かだ。
*****
私は一人で『災禍』を狩った。
『塔』、『節制』、『吊るされた男』を、私は一人で下した。そのどれもが死闘であり、私は戦いのたびに体のどこかを壊していた。
片耳は既に用を成さなくなり、骨は曲がって動かす度に体が痛む。肌もあちこち生傷だらけ。もう、水着は二度と着られない。
それでも構わなかった。私はただ『災禍』を狩るだけだ。
この頃になると転移者たちも少なくなってきた。みんな死んだり、逃げたり、戦えなくなったりして、大勢いた仲間たちは今や数えるほどしかいない。戦力は絶対的に足りず、『災禍』への対応を諦めて放棄した地区もあった。
そんな中、たった一人で『災禍』を狩る私は、いつしか人類が保有する最大戦力となっていた。
それは、私が人類の希望であることを意味しない。
私は、ただの生き残りだ。
*****
現れた『災禍』は、いつもと明らかに様子が違った。
巨大な鎌を手にしたローブの男。身長にして210cmほどの『災禍』は、それでも間違いなく異形だった。
『死神』と名付けられたそれは、速く、そして強かった。
いつもの『災禍』には巨体特有の隙があった。大振りな攻撃を最小の動作でいなして返しの一撃を叩きつけるのがいつもの戦術だったが、『死神』にはそれが通じない。
攻防は目まぐるしく入れ替わり、戦いはまさしく命の削り合いとなった。
『死神』が振るう鎌を最小展開した壁の魔法で逸らし、返しに放った雷槍の魔法はローブにくらまされる。あのローブ、何か魔法を減衰する仕組みがあるらしい。まるで効いていないというわけではないが、いくら撃っても中々有効打には至らない。
死神の鎌が私の左腕を切り取った時、私が放った雷槍がヤツの腹を貫いた。
憎々しげに私を見る『死神』の目には、まるで感情が灯っているようだった。舌打ちを一つ残して踵を返し、ヤツはどこかへと飛び去っていった。
私には、それを追うことはできなかった。
切り落とされた左肩からだくだくと血が流れる。それ以外にも、全身に深く刻まれた傷はこれ以上の活動を許さなかった。
応急治療魔法で傷を塞いだが、失った血は戻らない。転がっている岩にもたれかかると、それで動けなくなってしまった。
遠目に見える街はいくつかの『災禍』に襲われている。その中には『死神』もいたし、それ以外の『災禍』の姿もあった。どうやら私以外の転移者も失敗したようだ。
この世界はもう終わりだ。
結局私は何も出来なかった。世界を守ることも、誰を助けることもできなかった。私にできるのは、終わる世界を見送って一人で死んでいくことだけだ。
今更そのことに後悔はない。思えば私はずっとこの結末を予感していた気がする。終わる世界に少しの寂寥を覚えるが、それだけだった。
そろそろ筆を握るのも難しくなってきた。遺書となってしまったことは残念だが、この手記はここで終わろうと思う。
すごく疲れた。目を閉じて、少し休もう。
おやすみ、ばいばい、さようなら。
もし、何もかもをやり直せるのなら。
私はメアと、もう一度。
*****
とても混乱している。
何が起こったのか、私は全く理解できていない。一体何がどうなった。誰が何を望んでこれを起こした。
分からない。分からないことだらけだ。ひとまず、自分を落ち着かせるためにも、順番に書くことにする。
まず、私は医務室で目が覚めた。朝だった。切り落とされた左腕はちゃんと繋がっていて、それ以外の傷も消えていた。それどころか重ねてきた戦いの日々に蓄積された傷まで癒えていた。――こんな現象、最上位の治癒魔法だって不可能だ。
それでも、体を動かすたびに痛みが走らない体はありがたい。鏡を見れば肌もすっかり綺麗なものだった。これならばいつの日か諦めた水着も着られるかもしれない。
首をひねりながら私は自室を出て、そこで私は更に混乱した。兵舎に居たのは、かつて『災禍』との戦いの中で死んだはずの転移者たちだ。誰も彼もが寝ぼけた顔をして、危機感などまるで無いような顔をしていた。
その中に、彼女の姿があった。
如月芽愛。
寝ぼけ眼をこすって、とてとてと近寄ってくるメアは、間違いなく生きていた。
とっさに抱きしめてしまったせいか、メアはしきりに私の頭を心配していた。
彼女が言うには、私は昨日の訓練の途中で突然倒れて、今朝まで医務室で寝込んでいたらしい。そんな馬鹿な。昨日の私は『死神』と戦っていたはずだ。
その後いくつか診察を受け、記憶に一部混乱が見られるものの身体機能に問題なしと診断された。大事を取って今日は一日休養を取るのが私の『訓練』だと言う。……なんともまあ、寝ぼけた話だ。
手記を綴っている内に気持ちも落ち着いてきた。色々と考えるべきこともあるが、それはまた今度にしよう。なぜならば、もう十分もすればメアの訓練が終わるのだ。
今はただ、メアと話がしたい。
*****
私に起きた現象について、一つ仮説を立てた。
まず、時間が巻き戻ったことは言うまでもない。今の時間は『災禍』による侵攻が始まる一月前。私たちがこの世界にやって来て一週間が過ぎた頃だ。
あまりにも呑気な転移者たちの表情に、自分がおかしくなったのかと疑いもした。だが、この手記に記されている内容は間違いなく私の記憶と合致する。私が経験したことは間違いなく現実だ。そして私は、この手記と共に過去に遡ったと考えるべきだろう。
ならば、それを行ったのは何者か。
ひょっとしたらそれは私自身なのかもしれない。そう考える根拠は、
魔女の足跡の能力は大きく分けて二つ。痕跡を"見る"力と、痕跡を"辿る"力だ。
私は主に前者の"見る"力を使って魔力を目視し、それを操って魔法を使っていた。だが、後者の"辿る"力についてはほとんど使ってこなかった。
ひょっとしたらあの時、死に瀕した私は、魔女の足跡を使って自分の時間を辿ったのかもしれない。
仮説と呼ぶにはあまりにも荒唐無稽だが……。この可能性は検討しておく必要がある。
もし仮にそうであれば、私が持つこの力は、世界を救うかもしれないからだ。
さて、私は明日、訓練の一環として国立魔法学校に編入することになっている。
編入してしばらくは寮生活になるらしい。そのために持っていく荷物をまとめておくようにと言われていたが、その必要はないだろう。
なんなら明日は手ぶらで行くつもりだ。
*****
編入試験で、私は流星の魔法を使った。
その場で私の卒業が決まった。
*****
一日で兵舎に戻ってきた私は、自己鍛錬の傍らで魔女の足跡について調べていた。
普段使っている魔女の足跡では、物質的な痕跡や魔力の痕跡しか見ることができない。だが、ある一定の条件を満たした時、私は時の痕跡を見ることができる。その一定の条件というのが極度の集中だ。全神経を魔女の足跡に委ねた瞬間に、私は初めて時を見る。
この集中というのが中々曲者で、多少頑張ったくらいでは発動しない。求められるのは文字通り死ぬほどの集中だ。臨死状態に身をおいて、生存本能が悲鳴を上げる感覚の中で、私はようやく時の尻尾を掴んだ。
今日の成果は時を"見る"ところまでだ。もう少し頑張れば"辿る"こともできたかもしれない。だが、それを確かめるのは中々に困難を伴う。なぜかと言うと、臨死状態になった私の姿をメアに見られてしまったのだ。
半狂乱で泣きわめくメアを落ち着かせるのにしばらくの時間を要した。別に死にかけるくらいいつものことだが、メアにとってはそうではなかったらしい。一時騒然となった兵舎で、私はメアに、もう二度とこんな危ない訓練はやらないことを約束させられてしまった。
もう。仕方ないな。
*****
訓練期間中、私は時々兵舎を出て『災禍』の痕跡を追っていた。
最初の『災禍』が現れるのは数週間後。事前にそれを察知する術はあるのだが、何か事前に対策を講じられないかと思っての行動だ。
結論から言うと収穫は乏しかった。出現する時間は分かっているし、私は奴らがどこに現れるのかも知っている。だが、奴らがどこからやってくるのかまでは分からない。
『災禍』の出現を待つこと無く、こちらから打って出ることができれば……。
*****
今日は最初の『災禍』が現れる日だ。
今回も私はメアとペアになった。魔法使いと弓兵。あまり相性がいいとは思えないけれど、メアがそれを強く希望した。私としてもメアには近くに居てほしい。そうでないと、私はメアを守れない。
『戦車』が出現する地点に予め布陣した私たちは、空間を割ってヤツが現れると同時に猛攻を仕掛けた。流星の魔法。矢の嵐。爆砕の魔法。矢の嵐。業炎の魔法。矢の嵐。雷撃の魔法。氷嵐の魔法。衝圧の魔法。滅殺の魔法。メアに止められた時、あいつはもう粉々になっていた。
『戦車』はメアを殺した因縁の相手だ。冷静になるのは無理だった。ヤツが死んだと分かっていても、何度も何度も魔法を発動させる私を、メアは必死になって止めた。
……ごめん。怖かったかな。
*****
私とメアは『災禍』を狩った。
最初はぎこちなかったコンビネーションも、数を重ねるごとに息が合う。力任せなメアの攻撃を私がサポートし、私に欠ける決定力をメアが埋め合わせる。私たちは安定して『災禍』の討伐に成功していた。
戦死者や脱落者が続出する転移者の中で、私たちは人類の最大戦力となった。残りの『災禍』も後半分。私とメアがいれば人類も生き残れるかもしれない。そんな絶望だか希望だか分からないような話もよく聞いた。
もっとも、メアはそんなこと気にしていない。私と一緒にいれば何があっても大丈夫。彼女の頭にあるのは、そんな気が抜けるお花畑だけである。
メアはそれでいいと思う。この子は多分、人類なんてものを背負わない方がうまくいく。
*****
紙が血で汚れているのは勘弁してほしい。愛着が湧いてきたこの手記を汚すのは気が引けるが、今はそんなことを気にしている余裕もない。
手短に、書く。
私たちの前に現れた『災禍』は私にとって『戦車』に次ぐ因縁の相手だった。ヤツの名は『死神』。大きな鎌を手にした、身長210cmの異形だ。
『災禍』にしては小型のあいつに、大型種用の戦術は通用しない。あれと渡り合うには高度な対人戦経験が求められる。私はこれを見越して対人戦の訓練も積んできたが、メアはその手の勝負事を極度に嫌っていた。
私はそれでもいいと思っていた。この子の役割は安全が確保された後方からの援護射撃だ。こういった特殊な戦闘は私に任せてくれればいい。
そう説明したのだが、メアは聞いてくれなかった。何が何でも私と一緒に戦うのだとごねる彼女に根負けし、私はあの子と共に『死神』を迎え撃った。
『死神』は私たちを見て邪悪に嗤った。ヤツの顔にはいくつもの瞳が浮かんでは消えている。とても人間とは思えない風貌だが、やつが嗤ったことは分かった。
私はメアの前に立ち、魔力で刃を生み出した。『死神』は鎌をぶらんと提げたまま、悠然と歩み寄った。そして戦いが始まった。
以前交戦した時よりは上手く立ち回れたと思う。私の魔法とヤツの刃は共に肉薄した。雷が閃き、血が弾け、命と命が激しくぶつかり合う。一秒ごとに傷が増え、一瞬ごとに魂が爆ぜる。『死神』は鎌と共に憎悪をぶつけ、私はそれを喰らって戦意に変えた。
戦闘能力は互角か、私がわずかに上回っていた。しかし身体能力には人と異形の差がある。私が肩で息をするようになっても、『死神』は未だ余裕を保っていた。
持久戦は不利だ。早期決着を求めた私は、仕方なく肉を斬らせることにした。
捨てたのは以前と同じ左腕だ。何も狙ったわけではないが、利き手を残したほうがこの後の便が良いという判断である。左腕を盾にして息がかかる距離まで接近し、右手で『死神』の首を締め上げて、ゼロ距離での雷槍魔法を叩き込んだ。
四発、五発と紫電を迸らせると、『死神』は動かなくなった。ヤツの手から鎌が滑り落ちたのを確認して、私はヤツの死体を捨てた。
重傷を負った左腕に治療を施していると、泣きそうな顔のメアが駆け寄った。正直、私はこの時安堵していたのだ。この子に怪我が無くて良かった、と。
戦いが終わって、気が抜けていた。
だから私は、死神の鎌がメアを貫くのを、みすみす見逃した。
『死神』は確かに死んだはずだった。だが、ヤツの鎌はひとりでに動き出し、メアを貫いた。メアが吐いた血が私の顔にかかるのを私は呆然と見ていた。メアは、震える手で、背中に刺さった鎌を引き抜いた。
そしてメアは、どこからか取り出した真っ黒なローブを纏った。
彼女の顔には、いくつもの瞳が浮かんでは消えていた。
『死神』に変貌したメアを殺すのは並大抵の苦労ではなかった。
今、私の傍らにはメアの死体がある。彼女の顔には今も生気を失った無数の瞳が浮かんでいる。私には、着ていたジャケットで彼女の顔を隠すことしかできなかった。
メアは死んだ。
私が殺した。
戦いが終わり、私の体は傷だらけだ。メアが振るった鎌による傷跡はいくら治癒魔法をかけても癒えることはない。
私はもう助からない。それを分かってなお、不思議と気持ちは落ち着いていた。
メアが居ない世界で一人生きるくらいなら、この方がよっぽどいい。
*****
目覚めは極めて不快だった。
あの時、生死の境目で私は時を辿った。
巻き戻らなくても良かったのかもしれない。あのまま死んでいたほうが、良かったのかもしれない。
冗談半分に思い浮かべた問を、私は否定することができなかった。
事の是非はともかくとして、私は三度目の生へと向き合った。今日は兵舎で訓練が始まる日だ。医務室から外に出ればメアが待っている。
行こう。
今度こそ、あの子と一緒に生き残るために。
*****
メアは死んだ。
今回、私は『死神』戦にメアの同行を強く拒んだ。絶対についてきてはいけないと何度も彼女に説明した。メアは嫌がってだだをこねたが、私は毅然とした態度を貫いた。彼女を置いて、『死神』との戦いの場へは私一人で赴いた。
しかし、メアは黙ってこっそりついてきていた。
そして死神の鎌に貫かれ、『死神』へと変貌した。
メアを殺した後、私も死んだ。
*****
今回、私は最初からメアを突き放した。
時間を巻き戻した直後からメアを無視した。何度も話しかけようとする彼女を一切相手にしなかった。それでも私に近づこうとする彼女に辛辣な言葉を浴びせた。強い拒絶の言葉を何度も使った。
それを、メアのためだったなんて言い訳めいたことは言わない。
それでも私は、彼女に生きてほしかった。
やがてメアはうつむきがちに私の後ろをついてまわるようになった。彼女の心中は推し量って余りある。本当は振り向いて手を取りたい。何もかも謝ってしまいたい。それでも『死神』戦を越えるまでは、私はこうしなければならないのだ。
名目上私とメアはパーティを組んでいることになっていたが、『災禍』との戦いは全て私一人で行った。彼女を戦場に連れてくることすらしなかった。一人用の転移魔法で現地に行き、『災禍』を倒す。それだけだ。
何を隠そうこの私、仲間を置いていく転移魔法の使い方は得意なのだ。
……吐き気がした。少し、筆を置く。
*****
『死神』との戦いにも慣れてきた。
ヤツは確かに他の『災禍』とは一線を画す強敵だが、こいつの戦いはこれで四度目だ。動きのクセも読めてきて、無傷とはいかずとも比較的安定して倒すことができるようになった。
私は単独で『死神』を倒し、続けて死神の鎌の破壊にも成功した。何度もやり直してようやく手に入れた勝利だ。しかし、だからと言って私の胸が満たされることはなかった。この一勝を得るために私が犠牲にしたものは大きい。
それでも、辛く苦しい日々もこれで終わりだ。帰ったら真っ先にメアに会おう。会って、何もかも話して、ちゃんと謝ろう。許してもらえないかもしれないけれど、許してもらえるまで何度でも謝ろう。
ようやくだ。これでようやく、先に進める。
私は、メアと、明日を生きられるんだ。
*****
メアが首を吊っていた。
*****
もう何度やり直したのか分からない。
何度繰り返してもメアが死ぬ。何をどうしてもメアが死ぬ。
鎌がメアを殺すよりも先に壊そうとした。ダメだった。『災禍』の力を持つ鎌を破壊するには、最低でも数発は撃ち込まなくてはいけない。それだけの魔法を編んでいる間にメアは死んだ。
メアを置いて私一人で『死神』に対峙した。ダメだった。瞬足の移動法を身に着けたメアはどこに居ようと戦いに駆けつけ、死神の鎌を受けた。メアは死んだ。
メアの全身に防護魔法を張った。死神の鎌は私の張った防護魔法を安々と貫いた。メアは死んだ。
メアは死んだ。
メアは死んだ。
メアは死んだ。
まだ試していない手段はある。まだ検討していない可能性もある。それでも、メアを救う術を求めるほどに、『死神』に変貌した彼女の黒々とした瞳が頭をちらつくのだ。
私が抱いていた希望は、順繰りに絶望へと変わっていった。
だったら……。希望が絶望に変わるくらいなら、もう、いっそのこと。
最初から、希望なんて抱かなければいい。
*****
(解読不能)
*****
最低な気持ちでこれを書いている。
私は自分が望んだ中で、最低最悪の人間だった。
私の内にある暴力的な欲望は、そうするべきだという意義を纏った時、あっさりと怪物に姿を変えた。
この手でメアの首を絞めた時、私はどんな顔をしていたのだろう。
泣いていたのだろうか。
淡々としていたのだろうか。
それとも――笑っていたのだろうか。
*****
気が付くと私は、外に出ることができなくなっていた。
ただ部屋に閉じこもって終わりを待つ。終わりを迎えては時を辿る。その繰り返しだ。
メアがどうやって死んだのかも分からない。今が何周目なのかも、もう数えていない。
どの周のメアも、何度も私の部屋を訪れた。話をしたり、扉を叩いたり、歌ったり踊ったり。私の気を引こうと彼女はありとあらゆる努力を重ねた。それがある日ぷつりと途絶えた時、私はメアが死んだことを悟った。
そういえば、この周でも一昨日からメアの訪問が無い。
死んだのだろう。
静かで、とても、心地がいい。
*****
今回のメアはしぶとかった。
いつもなら比較的早期に死ぬメアは、この周では今に至るまで生き残っていた。『災禍』により世界が壊され、転移者たちが死に、人類の希望が潰えていく中で、彼女はいつまでも私の部屋を訪れ続けた。
今日の出来事を話す彼女の声を聞くのは辛かった。
徐々に元気が無くなっていく彼女の声を聞くのは辛かった。
すすり泣くようにして私の名前を呼ぶ彼女の声を聞くのは、とても辛かった。
どうして彼女がそんなにも私に執着するのか、聞きたくなった。ふとした気の迷いだ。私は自室にかけていた結界魔法を解き、鍵を開けた。
恐る恐る部屋に入ってきたメアと、久しぶりに話をした。
自分で招いておきながら、私は彼女の顔を見るのが怖かった。いつこの顔にふつふつと瞳が浮かび始めるのかと思うと、怖くて怖くてたまらなかった。
毛布にくるまってぽつぽつと話をする私の隣に、彼女は根気よく座り続けた。
*****
この周もそろそろ終わるらしい。
転移者の生き残りも数少なく、彼らはきっと『災禍』を倒せない。仮に彼らが善戦したとしても、今日は『死神』が訪れる日だ。あれを倒せる転移者は、私の知る限り誰もいない。
夜になってメアが帰ってきた。傷だらけになりながらも、彼女は生きていた。涙ながらに彼女が言う。自分たちは『災禍』を倒せなかった、これで終わりなのだ、と。私はその報告を、さして感情を動かすこともなく聞いていた。
メアは泣いていた。
怖いですよね、と彼女は言った。
でも、大丈夫ですからね、とも彼女は言った。
ユーリせんぱいを、あいつらに殺させたりはしません。彼女は最後にそう言った。
そしてメアは、手にしたナイフを。
私の心臓に、深々と突き刺したのだ。
*****
前の続きでこれを書いている。
全部思い出した。そうだ、前回の私はそうやって死んだのだった。
恥ずかしながら記憶が混乱していたため、記憶を辿って手記を綴った。この呪わしい能力に感謝したのは久しぶりだ。いや、自分の死に方なんて、思い出さない方が良かったのかもしれない。
それでも私は、思い出さないわけにはいかなかった。
だって、私を殺した時の彼女は、間違いなく泣いていたのだから。
何をしている、一ノ瀬遊里。
お前はメアに、あんな顔をさせるために時を辿ったのか。
怒りとも悲しみともつかない決意が体に満ちていく。思い出せ。私には、やらなければならないことがあるはずだ。
私はもう、もう二度と、あんな顔のメアを見たくない。
*****
久しぶりに出た外は眩しかった。
光に焼かれて私はうごうごと呻いた。人間、何ヶ月も部屋に閉じこもって死に続けるとこうなるのだ。情けない姿の私をメアがからかって笑った。
私は楽しそうに笑う彼女の顔を見た。
メアの顔は、とても綺麗だった。
私はメアにいくつかのことを話した。『死神』のこと。死神の鎌のこと。それから、私の能力で時を戻せることも。最初は半信半疑で聞いていた彼女も、私の能力のことを知ると大粒の涙を流し始めた。
誓った側から泣かせてしまった。どうしてメアが泣くのだと狼狽える私に、彼女はこう言った。辛かったですね、と。
たった一人で時を巻き戻すことが辛かったのかは、私自身分かっていない。
それでも私は、その言葉に救われた気がした。
*****
メアが打ち出した『死神』対策は、これまでで最もシンプルなものだった。
『死神』と戦えばメアは死ぬ。しかし、メアは私と一緒に戦うことを諦めない。ならばどうするか。
強くなればいいのだ。メアが、『死神』と戦えるようになるまで。
私は疑い半分であったが、メアはやる気だった。あの時はあんなに嫌がっていた対人戦の訓練も積極的にこなし、ぐんぐんと成長していった。彼女の伸び代たるや凄まじいもので、本気になったメアは転移者の中でも二番目の戦闘力を誇るまでになったのだ。
ちなみに一番目とは誰か。私です。どうも。
いつかのように、私とメアはペアで『災禍』を狩った。私はあの頃よりも強くなったし、メアの動きにも迷いが消えていた。『戦車』、『正義』、『塔』、『節制』、『吊るされた男』。すっかり顔なじみになった『災禍』たちをあっさりと打ち破り、更には他の転移者が討ち漏らした『災禍』の討伐も担った。
私たちは人類の希望であった。
私とメアがいる限り、世界は決して終わらない。誰もがそう信じていた。
*****
そして来る『死神』戦。
私に数多のトラウマを植え付けたこいつとの戦いに、私はメアと二人で臨んだ。
私の魔法剣で鎌を受け、その隙にメアが一矢を穿つ。メアの体術でヤツの体勢を崩し、その隙に私が雷槍を叩き込む。阿吽の呼吸で前後衛を入れ替えながら、私たちは危なげなく『死神』を追い詰めた。
最後の一撃。流星の魔法と竜血の矢が『死神』の体を貫いて、私たちは勝利を得た。
『死神』が動かなくなると同時に、ヤツの鎌が動き出した。所有者が死んでもひとりでに動く鎌は、非生物的な軌道を描いてメアに迫る。
それをメアは、手にしたナイフでカキンと弾いた。
浮き上がった鎌に狙いを定めて、魔法を放った。ありったけの思いを込めた
メアは胸を張っていた。どんなもんだい、と。
私は笑って肩をすくめた。
*****
その後現れた『災禍』は、どれも強敵と言ってよかった。
能力を無効化する『愚者』。圧倒的な力を持つ『皇帝』。三体同時に現れた『星』と『月』と『太陽』。そして、数多の天使を引き連れて顕現した『審判』。
私とメアは、『災禍』との戦いの日々を懸命に駆け抜けた。時には二人で背中を合わせて戦い、時には他の転移者たちと手を携えて。幸いにも大きな犠牲を出すこともなく敵を倒し続け、ついに残す『災禍』は一つだけとなった。
これが終わったら日本に帰れるかもしれない。転移者たちの間にはそんな浮ついた期待が漂っていた。実際のところ日本に帰る手段なんて誰も知らなかったけれど、そんなことは誰一人気にしなかった。
いつかメアに聞いたことがある。向こうの世界に帰ったら何をしたい、と。
メアは目を輝かせて語った。家族に会う。友達に会う。近所のおばあちゃんや野良猫に会う。学校に行って弓道部に入る。行きつけのクレープ屋に行って新作を食べる。ずっと追いかけてきたドラマの録画を見る。それからそれから。とめどなく語る彼女は本当に楽しそうで、聞いている私も思わず頬が緩んだ。
最後にメアは、向こうに戻ってもまた連絡したいと言った。私にそれを拒む理由は無かった。
いつかの日。平和な世界で、また会おう。
私とメアは、そんな約束をした。
*****
最後の『災禍』は、名を『世界』と言う。
『世界』についての事前情報はほぼ無かった。ただ出現が予想される時間が分かっていただけで、『世界』がどこに出現するのか、どういった性質を持っているのかは、その時になるまで分からなかった。
やがて『世界』が現れる時が来た。それは空の彼方に現出した。
あまりにも巨大な何かが空間を割って出現し、ゆっくりと地表に落ちてくる。大気圏に阻まれて赤熱しながら落ちてくるそれは、流星よりも遥かに大きい。まるで、惑星が落ちてくるかのようだ。
私たち転移者は総出でそれを迎え撃った。ある転移者の能力で空を飛び、ありったけの攻撃をそれに照射した。
『世界』は一切抵抗しなかった。ただ赤熱し、落下し、私たちの攻撃を受けて、少しずつ砕けていった。
それが近づくほどに嫌な予感がした。誰が最初に気がついたのかは分からない。しかし、『世界』が大気圏を貫いて地表に迫る頃には、私たち全員が理解させられた。
『世界』とは。変わり果てた地球そのものであった。
*****
私たちは『世界』を砕いた。
最後の『災禍』を打ち破り、この世界は救われた。祝賀ムードに包まれる城内で、しかし転移者たちの顔は浮かなかった。
あの場ではああするしかなかった。そんなことは分かっている。だけど私たちは、帰るべき世界を、自らの手で砕いてしまった。
あれが本当に地球だったのか、転移者たちはずっと議論を続けていた。私はそれの答えを知っている。
一人、転移者が窓のテラスから飛び降りた。この世界の人達は騒然としていたけれど、私たちは沈黙を保っていた。誰かがそうするだろうなと分かっていたからだ。
明日の朝にはきっと、もう何人か死んでいるだろう。
*****
私の部屋でメアが泣いていた。
誰にともつかない懺悔を繰り返しながら、メアはずっと泣き続けた。私はいつか彼女がそうしてくれたように、隣でじっとその言葉を聞いていた。
きっと彼女はこの痛みを一生背負い続けるのだろう。ずっと自分を責めて、責め続けて、苦しみ迷いながら死んでいく。そんな様子が目に浮かんだ。
今ならば、あの日メアが私を刺した理由もよく分かる。この苦しみから解放してあげたいという気持ちは、とてもよく分かる。
だけど、私は。もう二度とこの子を泣かせないって、そう決めたから。
*****
私はもう一度時を戻した。
何度も死に、何度も時を戻したことで、私はこの能力を完全に己のものにしていた。今となっては時を見るのに極限の集中なんてものは必要ない。少し気を鎮めれば、それで時間は巻き戻る。
私が戻ってきたのは、初めてこの世界を訪れた日だ。右も左も分からず混乱する転移者の中で、私はメアの姿を探した。
極度の混乱に陥っている彼女の肩を叩く。この時の私はまだこの子と面識はない。それでも私は、彼女を安心させたかった。
召喚者による説明が始まる前に、私は話を遮った。事情は全て分かっている。これから私が『災禍』を倒す。それだけを宣言し、私は城を後にした。
『世界』を除く全二十一体の『災禍』の出現位置は分かっている。私はそこに訪れて、魔女の足跡を使った。今の私ならば、時間軸を無視して痕跡を追える。未来に刻まれた『災禍』の痕跡を探せば、やがてこの場所に現れる『災禍』が今どこにいるかが分かった。
彼らは異空間を居城としていた。私はそこに割って入り、力を蓄えている最中の『災禍』を殺した。
私が一つ『災禍』の死骸を持ち帰るたびに、城内は歓喜に包まれた。その一方で、転移者たちは私を恐れるような目で見ていた。メアもまた、困惑した瞳で私を見ていた。
やがて誰かが私を魔女と呼んだ。
それでも、構わなかった。
*****
これが最後の手記になる。
私はこれから『世界』を砕く。転移者たちには何も知らせず、私一人で『世界』を壊す。それが、メアを悲しませない唯一の手段だ。
実のところ私にはもう一つの選択肢があった。『世界』の姿を見たことで、私の目には別世界へと通じる痕跡が見えていた。痕跡を辿れば元の世界に戻ることもできたはずだ。
だけど私はそれを選ばなかった。だって、
この手記はここに置いていこう。誰かが真実を求めた時、その一助となるように。中々信じるには難しい内容かもしれないが、それでもこの手記は私が遺した魔女の足跡だ。
これを見たあなたへ。どうか、あの子にだけは、この手記を見せないでおいてほしい。
さようなら、メア。さようなら、世界。
願わくば。
この手記が、誰に読まれることもなく、ただ時と共に朽ち果てますように。
ある少女の手記 佐藤悪糖🍉 @akutoh
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます