浮融

清野勝寛

本文

浮融



「なんかさぁ、言葉が出てこないんだよ最近」

 少女は机に突っ伏して、言葉を空に吐き出した。少女の隣にいる少年は、ノートに何事かを書き続ける手を止めず、少女の言葉に言葉をぶつけた。

「何にも考えてねぇからだろ。ちゃんと考えれば、言葉は出てくる」

 言ってから更に少年は書き込む右手の動きに合わせるようにして言葉を、今度は直接少女にぶつけた。殴り付けるかのように。

「大体なんだよ出てこないって、喋ってるじゃん会話してるじゃん俺と。適当なこと言って間を持たせようとかすんなよ。そんなこと考えてんなよ。だから、考えてないんだよ、お前は。いいから別に、そういうの。そのままでいいんだよ。そのままそこでずっと、空中に漂っているみたいにしてろ」

 んー、と少女は少年の言葉に、受け止めたのか跳ね返したのか、或いは避けたのか分からない反応を示した。

 橙色に染まる教室の隅の席で、二人は曖昧な形で一緒にいた。その教室には彼ら二人しかいない。だが、彼らは互いに目も合わせず、並んで座っているわけでも、向かい合っているわけでもない。少年は窓側の一番前の席、少女はそこから一列とばして前から三番目の席にいる。それでも、その空間に投げ出された言葉は、二人しかいない以上、もう片方が受け取ることになる。

「別にそういう意味じゃなくて、その場に適した言葉とか、例えば、泣いている子を慰める言葉ってあるはずじゃん。そういうのが……なんか、冷めてるよね、あんたは。別に否定するつもりもないけど、辛辣って言うか歯に衣着せぬって言うかさ……普通の女の子だったら、たぶん泣いてるか、怒ってるよ。っていうか、近寄らないね」

 廊下を掛けていく数名の生徒。上靴が廊下に弾ける音が木霊していく。木霊が消えたのを合図に、風が朽ち落ちた葉を巻き上げて教室の窓を叩いた。

「まさか、流石に相手は選ぶさ。お前には、これで十分ってことだよ」

 少年は変わらぬ姿勢でノートを書き続ける。少女は無造作に四肢を動かして、唸り声をあげていた。

「もう、わかった」

 少女は声を張り上げながら勢い良く顔を上げ、その勢いのまま立ち上がる。

「……そこにいるなら静かにしてくれ、気が散る」

 少年は眉を歪め、溜め息混じりに呟く。


バタバタとわざとらしく、少女が少年に向かって歩いていく。バタバタと音が反響して、教室内を跳ね回る。

「……なんだよ」

 少年の前で、少女は仁王立ちし、少年を見下した。さすがに気になったのか怪訝そうに少年が少女を見上げる。

 数秒、二人は見つめあう。やがて、少女は不敵な笑みを浮かべる。片方の頬が吊り上がる。

「やっとこっちを見たな」

 少女は言葉を落としたあと、少年の頭を両手で掴んだ。少年が振りほどこうとする前に、少女はそのまま、少年に口付ける。一度、二度、三度。三度目はじっと唇を合わせたまま、時が止まったように、そのまま石膏にでもされたかのように。じっと動かず、重なっていた。

 風が、もう一度窓を叩く。その音を聞いてから、少女は少年を解放した。

「意味、わかんねぇよ、ふざけんな」

 袖で口を拭いながら、少年は言う。

「そんな真っ赤な顔で怒られても、怖くないよ」

 少女は満足そうに顔を歪めて、少年を見下した。


 少年は、その時気が付いた。つかみどころのない少女が、何故必要以上に自分に絡んでくるのかを。そして、最初に言っていた言葉の真意を。


「あー……その、試験、落ち着くまで待ってくれ。その時までには、ちゃんと、考えとくから」

 頭を掻きながら、少女から目を逸らしながら、少年は言った。

「よっしゃ。約束ね」


 少年に向かって微笑んだあと、少女は元いた位置に戻る。少年もそれに合わせて、先ほどまで何かしらを書いていたノートに視線を戻し、何事かを書き出そうとしたが、少年の心は飛び出して、空中を漂っている。結果、少年には続きを書き始めることが出来なかった。


二つの黒い影が、薄茜色の中に伸びている。

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浮融 清野勝寛 @seino_katsuhiro

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