月はあのとき花びらだったby羽音彰麿さん

水鏡の光すくう

願いはつよく

言葉は夜空を撃つ

幻想があたり覆う


みずうみに咲く桜

甘い記憶

満月が私の気持ち

まなざしは揺れてもどる


歌声でまよわすあなた

ふるえてる心 儚い望みと

花びらが散る時間は

永遠の光


ひとひらがひとひらがひらひらとひらひらと

月はあのとき花びらだった

あなたはあのとき花びらだった


掌に戻した鈴

闇のなかへ

探しもとめる

見つめる眼も暗がりに


ありとあらゆる感情がひらひらとひらひらと

月はいま Ah 花びらかな

あなたはいま Ah 花びらかな


ながれこんだ色 匂い 瞳

たえられぬほど誘惑つづく

あなたとともに

手をとり 走りたい


ひとひらがひとひらがひらひらとひらひらと

ひとことがひとことがちらちらとちらちらと

月はいま Ah 花びらかな

あなたはいま Ah 花びらかな

(引用ここまで:https://kakuyomu.jp/works/1177354054890286898/episodes/1177354054890378836



 風邪引いたり後輩が社長になったり後輩が無職になったりしていたら年を越してました。だいぶ間が空いてしまってすみません。


 そんなことはどうでもいいんですが、今回は羽音彰麿さんの作品を読ませていただきました。

 全体として概観すれば、「あなた」にすがる追慕と、「走りたい」という「誘惑」という、語り手の矛盾した心情が、「月」「花びら」「鈴」といった語句によってまとまりながら、反発しながら全体を構成していく、その流体としての動きざまに注目すべき作品かなと思いました。

「あなた」にまつわる追憶が喪失と結び付いていき、装飾的な文体と乖離しながら結ばれるところがいいですね。


 あと個人的な感慨を書かせていただくと、「みずうみに咲く桜」という語句がとてもお気に入りです。

 常道であれば人間に「見られる」、その視線にさらされることでその存在を定立させる植物、という趣きのある「桜」が、そのような「視線」にさらされることなく、「みずうみ」という寄る辺ない形象物によりそっている、そのイメージのかけがえのなさにやられてしまいました。

「満月が私の気持ち」という、おそらくあえて素朴に投げ出された、ある種ショッキングな直訳調の描写とも対比になっている感じがします。


 ごつごつした語彙を用いているのでもなく、にも関わらずクリシェを突き抜けて、固有のものを投げかけてくる作品という印象でした。ありがとうございました。

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