エピローグ

6-1

 全て心配ない、そう語った帯刀。その始末屋としての仕事らしき事故が報道されたのは、あの日の朝方だった。

 神崎岳人が搭乗していた自家用飛行機が、太平洋に墜落したという報せ。

 事故を装って死んだことにするとは。最後に会ったあの夜の雰囲気から、なんとなく想像は出来たが。こんなにも早いとは思わなかった。

 太平洋に落ちた、機体はバラバラ、しかも残骸は海の底。遺体の回収も絶望的だろう。それが目的だろうけど……。もしかしたら水葬したのかもしれなかったが、帯刀がそんな親切な感情を岳人に持っているとはいまさら思えない。

 このおかげと言ってはなんだが。渚砂に保護する旨を説明しやすくなったと、麗華がホッとしていた。


 肝心の渚砂はというと。以前、岳人が娘を探しているとテレビで話していた時みたいに、伽藍洞の部屋の中から、その報道を感情なく見つめていたそうだ。

 真実を知らない渚砂は、本当に事故死だと思っているのだろう。

 麗華は『渚砂を連れてくるな』という帯刀の手紙を読んだ時から、うすうす勘づいていたらしい。始末屋として、岳人の死を事故死に見せかけ隠蔽することが。

 これから多少の混乱もあるだろうけど、神崎財閥の件もやがて沈静化するだろうとも語った。



「――――はぁ」


 燦々と照りつける太陽、賑やかな市民の声、定期的に聞こえる水の轟音、そして黄色い悲鳴。

 騒々しいといっても過言ではない音の中で、俺は一人ため息をついた。

 あまりに多様な音が入り混じる騒がしさに、考え事は中断を余儀なくされる。こんな環境で集中しろという方がどだい無理な話だ。

 夏の涼にはもってこいの市民プール。一昨日あんなことがあったというのに、我ながら呑気なものだと思う。だが、

「こんな時だからこそ、忘れてパァーっと遊ぼうよ!」と言ったのは美夜だった。そうして遊んでいる内に、きっと日常を取り戻せるからと。

 一理あるというか、ないこともないけれど……よくそこまで勢いに任せて気分転換できるなと、いつも感心する。俺もそういう点は、美夜に見習うべきなのかもしれない。


 というか、デートでプールに行きたいと言ってたあいつは、いつまで準備に時間かかってんだよ。

「はぁ」ベンチに座り、またため息をこぼす。

 袖なしのラッシュガードは直射日光を遮らず、腕をチリチリと焼かれる感覚に少し懐かしさを覚えた。しかし暑い。騒音を聞かなければ幾分かはマシになるだろうか……。

 聞こえてくる様々な音を遮断しようと、俺はぼうとして流れるプールを眺めた。

 女の肌を包む色とりどりの水着が、カラーのそうめんみたいに流されていく。

 ……まあ、目の保養くらいにはなってるのかな?

 自問する無駄な時間。

 そういうことにしておこうと自答した時だ。


「あ~っ! レイちゃんわたし以外の女見て鼻の下伸ばしてるっ!」


 遮断したはずの音だったが、美夜の声だけは妙に鼓膜に響いてきた。

 振り返りざま、


「――別に伸びてねえよ。つうかそのくらいい――っ」


 反論し、そのくらいいいだろと口に出そうとした言葉を、途中で飲み込んでしまった。

 白い肌に纏った黒いビキニ。割と大きい胸を隠す布はじゃっかん生地が足りてないのか、下乳が少しはみ出している。パレオは黒のシースルーでほとんど透けていて、その向こうのショーツはローライズ。……なんかエロい。

 顔を見たら確かにまだ幼い感じは残るけれど。以前帯刀を尾行した時と同様、雰囲気が大人びて見えた。


「あれあれ? レイちゃんなんだか顔が赤いよ?」

「ひ、日焼けしたんだよ、けっこう座ってたからな」

「けっこうって、十分くらいじゃない?」


 たったそれだけしか経ってないのか。日焼けは言い訳として苦しかったかな。

 それにしてもだ!


「てかお前、なんでそんな、その、そんな水着着てきたんだよ」

「レイちゃんとプール行くからって、この前こっそり買ったんだー。これ可愛くない?」


 体を捩ったり回ったりと、忙しなく動く美夜。心遣いは男として嬉しくは思うけど。

 はしゃぐな、もう少し落ち着けよ。揺れてんだよ、胸が! 周囲の視線が……

 俺はチラチラと方々へ目を配った。

 通りゆく男共がジロジロ見てる。流されながら眺める奴もいる。盛大に水をかぶりながら遠くから目を瞠る奴や、近場では股間を押さえる奴まで様々だ。

 いや、可愛いのは認める。水着じゃない、美夜がだ。その美夜がエロい水着着てんだから見たい気持ちも分かる。でも複雑な感情でやるかたない……。


「んん? もしかしてレイちゃん、妬いてるの?」

「そんなわけないだろ、なんで俺が……」


 気まずくなって視線を逸らす。違わなくはないけど、そう思われて喜ばすのが目に見えてるからな。少し癪だろ。


「大丈夫! わたしはレイちゃんのものだかんねっ」

「わぁーー! いきなり抱きつくんじゃねえよ!」


 唐突に、ひしっ! と腕に抱きついてきた美夜を慌てて押しのける。

 服の上からならまだしも、薄布一枚って! やわらかさが服以上にダイレクトだ!

 やばい、暑さだけではない変な汗かいてきた……。


「いいじゃん別に。今日はなぎなぎの分まで楽しむんでしょ?」


 少しムッとした美夜の表情に、ハッと思い出した。

 渚砂……そうだ。あいつも一応誘ったんだ。けど断られた。

 理由としては、自分を知る者がいないとも限らないこと。そして何より、以前俺に着替え中を覗かれて、肌を晒すのがじゃっかんトラウマ気味だということだった。

 後者に関しては頭を下げるしかないところではあるが。

 それを美夜がいる場で暴露されたからもう大変だ。

 ダークサイドの美夜が出てきて、柳刃を指の間に三本挟んでヒュンヒュン振り出した時には冷や汗しか出なかった。百獣の王もかくやといった恐ろしさだ。

 狙われた小動物のような気分になったことを思い出しながらも、渚砂について思う。血を取り巻く負の連鎖は断ち切られた。けれど、まだ窮屈な日常だと。

 渚砂が安心して生活できるようになるのはいつになるだろう。そう遠くない未来に訪れてくれることを願うばかりだ。


「……そうだな、来られなかったのは残念だったけど。俺たちが楽しまなきゃな」

「そうだよ! ってか残念ってなに? もしかして、なぎなぎの水着見れなくてってこと?」


 軽蔑にも感じられるジト目を往なし、俺は断言する。


「違えよ」

「分かってるけどさー」美夜は少し唇を尖らせてすねたかと思ったら、「でもいいんだー。いまはレイちゃん、わたしが独り占め出来るんだもんね!」


 気を取り直すように満面の笑顔を振りまき、再び俺の腕に抱きついてきた。

 いつぞやの時みたく、どこかで舌打ちが聞こえた気がする。

 けれど、独り占めは俺も同じこと。

 周囲からの羨望の眼差しを集めながら、俺はこれがデートであることを知らしめようと、これ見よがしに美夜の髪を撫でてやった。


「えへへー」


 すると嬉しそうな顔をして、俺の肩に頭を預けてくる。

 美夜の重みにやはり安心感を覚えながらも、無茶を言われないよう先手を打つため、俺は無難で楽そうなものを提案した。


「なら、さっそく流されに行くか」


 ただ流れてるだけでいいから。そう思いながら足を踏み出すと、腕を思いっきり引っ張られて止められる。


「流れるプールなんかより、もっと楽しいことやろうよ!」


 言いながら美夜が指をさしたのは上の方だ。

 なるべく見ないようにしていたのに、なんでよりにもよってアレなんだよ……。

 チラリと横目にしたそれは、とぐろを巻いてのたうつ大蛇のようにも思えた。

 視線を明後日の方へ投げ、なんとか事なきを得ようと説得を試みる。


「なに言ってんだ。流れてるだけでも楽しいだろ」

「ぜんぜん楽しくないよっ。ただ流されるだなんて、そうめんじゃないんだから」


 ……うわぁ、美夜と同じこと考えてたよ。同レベルってことか? なんか恥ずかしいな。

 というか、そうめんだって楽しさを得ようとして流れてるわけじゃないだろ。それに、自ら流れるのと流されるのでは、そこには気分的に明確な差異があると思うんだ。

 にしても、こいつも頑固なやつだな。知ってるけどさ。

 とにかく事なきを得ようと、俺はまた説得を重ねた。


「いや、お前が示すソレはあれだ。なんていうか子供っぽいだろ。年甲斐もなくはしゃげるかよ」

「流れるやつの方が子供っぽいじゃん。小っちゃい子でも出来るんだし」


 促されそちらを見やると、たしかに小さな子供が浮き輪で流れていく。バナナやイルカ、ボートなんかでも次々に……。

 他になにか良い言い訳はないか、と必死に思考を巡らせていると、


「――もしかしてレイちゃん、高い所怖いの?」


 核心を突いてくる言葉が耳朶を叩く。


「そんなわけないだろ、別に平気だ、高所くらい」

「なら別にいいよね?」

「俺は地に足を付けていたいんだよ」

「あれ宙に浮いてるわけじゃないよ?」

「それでもわざわざ上る必要性はないだろ」

「やっぱ怖いんじゃん!」

「怖くねえよっ」


 これ以上弱点を知られてたまるか、破れかぶれの武士みたいな心持だったが……。


「じゃあわたしの目を見て言ってみて?」


 言われ、今度こそ目をそらさないと誓いながら、


「――怖くない」

「目つぶんないでよ~」


 あははは! とからかわれるように美夜に笑われてしまった。

 破れかぶれの武士どころか落ち武者の気分だ。


「でもさ、怖くないならどっちみち大丈夫でしょ! ほら、ね、行こっ!」

「わ、待て! 引っ張るな! 俺は流れていたいんだよ――」


 拒絶も空しく、力強く腕を掴む美夜に引っ張られ、半ば強引に追いやられる形で結局ウォータースライダーの頂までやってきてしまった。

 ビュービューと風が吹き荒ぶ。鳥肌が立っているのは、思いのほか涼しいからだけじゃないだろう。ここは地上何メートルの高さなんだろうか。いや、考えるのはよそう。さらに恐怖心を煽るから……。


「ほら、上がっちゃえば大丈夫でしょ? ――って、生まれたての小鹿みたいに脚震えてるんだけど……レイちゃん?」


 嘘でしょ? そんなニュアンスを感じる微妙な顔つきで見てくる。呆れるでもなく笑うでもない。……苦手なんだから仕方ないだろ。


「うるさい、いまは話しかけんな」


 冷たくあしらい、ここを少しでも平地だと思おうとした矢先――


「あははっ! レイちゃん可愛いっ」


 といきなり美夜が抱きついてきた!


「わー! 押すなバカ、落ちたら死ぬだろ!」

「大丈夫だって、柵ついてるんだから」


 それだっていつ出来たのか分からないだろ。老朽化してる可能性だってなくはないんだし……。ぶつくさと小声で文句をたれていると、「次の方どうぞ―」と女性係員のよく通る声が聞こえた。


「レイちゃん、わたしたちの番だよっ」


 ぐいぐいと手を引かれ、俺はぽっかりと口を開けるスライダーの入口へ座らされた。

 ポンプで下から汲み上げられた水が勢いよくスライダー内に流れ込んでいる。まるで魔物の食道だ。今から俺は食われるのか、このモンスターに……


「――って、なんで俺が前なんだよ!」

「えっ、まあレイちゃんがいいなら後ろでもいいけど、わたしに抱きつく形になるけどいいの?」


 あ、そうか、失念してた。なんだかそれも気恥ずかしいな。

 やっぱり美夜に後ろになってもらった方が…………いやいやいや!

 美夜に後ろから抱きつかれたらそれはそれで問題だろ、素肌密着するし胸当たるし!


「まあ、わたしはどっちでもいいんだけどねー」


 ニヤニヤする美夜の顔がなんだか少しむかつくな。いろんな余裕を感じる。

 ここで逃げたら男の恥か。

 こんなに笑われた上に可愛いとまで言われて……ここは漢を見せるしかない。


「よし、なら俺が前でいい。お前はあんまりくっつくなよ」

「よいしょっと」


 言いながら、美夜は俺の背後に座りぴったりと体を寄せてくる。太ももが脇腹に触れ、その肉感のやわらかさに心臓が飛び跳ねた。

 薄い生地のラッシュガード越しに、胸のふくらみが背中で押しつぶされているのが分かる。

 これは心の準備どころじゃない。


「お、おい、なにしてんだよ、離れろって」

「やだ」


 以前おぶった時とは違い、今度は胸の前へ腕を回されより強くぴたりと密着される。

 美夜の吐息が耳をくすぐる。

 くすぐったいのと恐怖とドキドキがない交ぜになる。

 混乱しそうな感情の中、「では行きまーす」と地上からの合図を待っていた係員が美夜の背中を唐突に押した。


「――あ、ちょお、待っ、心の準備――――ううぉわぁああああああ――」


 魔物の口に突き落とされた俺たちは、滑ってるのか転がってるのかよく分からないまま、錐揉みしながら滑り落ちた。その途中――「レイちゃん大好きーー!!」とどさくさに紛れて叫ぶ美夜につっこむ余裕もなく、やがて俺たちは出口からぺぺっと吐き出される。

 勢い余り過ぎて顔面から水面にダイブした俺は、酷く痛い目にあった。

(し、死ぬかと思った……)

 美夜に応えてやらなかった俺に対して、魔物がした仕打ちと思えなくもない状況に、苦笑いがこぼれる。

 沈んでいた顔を水から上げると、背後からザバッと勢いよく水面に飛び出す音がした。

 振り返ると、髪をかき上げ綺麗なおでこを曝した美夜が、「あっはははは!」となぜか腹がよじれるような大笑いをしていた。


「なんで笑ってんだよ」

「だってレイちゃん、滑ってる時、『ダメだ、もうダメだー』しか言わないんだもん」

「そんなこと言ってねえよ」

「気づいてないくらい怖かったんだねー、やっぱレイちゃん可愛い」

「ほっとけ」


 ついには腹を抱えて笑い出した美夜。気恥ずかしくて視線を外すと、水面にシースルーの布切れが浮いていた。美夜の腰を見るとあったものがなくなっている。

 俺は仕方なく掬い上げ、美夜に差し出した。


「ほら、巻いとけよ」


 さすがにローライズのビキニだけはいろいろマズいだろ。

 見えそうだし……なにがとは言わないけど……。

 水を吸い重みを増した薄布が手から離れる。

 巻く姿をなるべく見ないよう心がけて目を逸らしていたところ、


「ねえレイちゃん、これヴェールみたいだよね、結婚式の」


 不意打ちのような言葉に釣られ、思わず目を向けてしまう。

 頭を覆うようにしてパレオを被る、美夜の無邪気な笑顔がそこにあった。

 水を含んだ布をかぶったせいか、はたまた笑いすぎなのか。額を伝う水が目尻を通って頬を流れ、なんだか泣き笑っているようにも見えた。

 濡れた健康的な肌が陽に煌き、それ以上にひまわりみたいな美夜の明るい笑顔が眩しい。素直に綺麗だと思った。しかし、

 たしかに透けて見える点では似ているかもしれない。が――


「それだと黒だから、葬式じゃないのか?」


 そう指摘すると、ハッとして美夜は慌てて布を取っ払う。


「あっ、待って待って! やっぱ今のなしッ! これは今度白いやつでやるから、ノーカンね!」


 慌てようが滑稽な美夜を見て、噴き出してしまった。

 つうか今度っていつだよ。今日三十一日だぞ。明日から美夜は学校だ。

 俺も黒鴉の仕事が待ってる。プールに来られる日どころか、遊べる日も限られてくる。


「……そういうのは、結婚式まで取っとけよ……」


 呟いた言葉は、二トンの水が降ってくるアトラクションの轟音に掻き消された。


「――えっ? いま、なんて……?」


 自分でも何を言っているんだと思った。自然と口からこぼれたことに驚きだ。

 信じられないモノを見たような顔をして、目を丸くする美夜から目を逸らし、


「なんでもねえよ」


 そう言って誤魔化す。

 きっと暑さに頭が上せていたんだと思う。

 やけどしそうなくらい暑い夏だから、それも仕方がない。

 けど、『不意をついて出た言葉は真実の近くにある』その言葉通りだとするならば、そういうことなんだろう。


「もっかい、もっかい言って! 今度はちゃんと聞くからっ」

「わかったわかった、その内な」


 え~っと駄々をこね、腕に纏わり付きねだってくる美夜を軽くあしらいながら、俺たちはまたなぜかウォータースライダーの階段を上がっていた。

 じりじりと肌を焼く太陽の下、仕事を忘れて美夜と二人遊ぶ日常、か……。

 まあ、こういう夏も悪くない。

 美夜と過ごせる幸せに、俺は改めて喜びを噛みしめた――

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